結局、佐川宣寿前国税庁長官の国会招致は避けられないようです。与党側もこれ以上野党に突っ張られて国会空転が続いては各地元選挙区の有権者に顔向けがならないでしょうし、政府官邸側としても何処かで、致命傷にならない程度にボロ出しておかないとおさまりがつかないぞとハラをくくったのでしょうね。
どうせ要所で「刑事訴追の可能性があるのでオコタエは控えさせて云々」でズル抜けられるに決まっている喚問質疑を足掛かりとして野党は一気に内閣総辞職まで持って行きたい目論見のようですが、あのロッキード疑獄事件を高校時代にリアルタイムで見た比較からすると、もしもこんな事案で瓦解退陣するとしたら日本の政権、というか“権力”と称されるもの全般が、どえらく軽く、緩くなったものだと思います。
権力中枢の何処も、何をも利しない、誰のフトコロもぬくくならない、誰も高笑いしない、言うなれば「クチが滑っただけ」で王様の馬も家来も総がかり、決裁文書十四件数十枚を切ったり塗ったり削ったり大騒ぎ、それでも誰も元には戻せない。この話題を連日放送するTV報道番組の解説者コメンテーター席の後ろに、書き替え文書のコピーを一枚ずつパネルにして並べて、震災後再建された防潮堤かと思う高さになっているのを一再ならず見ました。
日本でいちばん俊秀人材が結集すると言われている中央官庁の中の中央官庁=財務省のお役人たちが、なぜ寄ってたかって一年以上にもわたって改竄文書で防潮堤を築くような愚行に汗をかいたのか。露見すれば懲戒どころか刑事事件容疑で手錠をかけられるに決まっている行為に、どんな料簡で、何を怖れ、誰を慮って手を染めたのか。たぶん佐川さんひとりに証言要求しても明らかになることはないと思いますが、“誰もが最短距離で容易に推測できる動機”が、こんな場合案外いちばん真実に近いものです。ああでもないこうでもないと複雑にこねくり回して、迂回して考えないで、単純に考えればいいのです。要は、“官僚と言えば組織”、“組織と言えば上下関係”です。動機は上から来たのです。下から望んで、願って行うことではありません。願っても通りません。組織だから。
野党追及の本丸と目される安倍晋三総理に対しては、“忖度(そんたく)”という単語がたびたび取り沙汰されるようになった昨年の浅い時点から、月河は正直お気の毒に思っています。「この(土地払い下げの)件に、私でも妻でも関与しているというようなことがあれば、これはもう私は総理も国会議員も辞めなければならない、これだけははっきり申し上げさせていただく」と昨年2月17日に予算委員会で啖呵切ったとき、安倍さんは本当に、心の底から「関与なんか鐚一文してない」という絶対の自信があったのです。「してた」ではなく「してない」証明は悪魔の証明になるということは百も承知で、「私が関与“していた”と言うならそれはアナタ(=野党)が証明してくださいよ、証明する責任はアナタ方にあるでしょう、そうでしょう」と本気で思っていたのです。
安倍晋三さんは言わずと知れた第五十六・五十七代内閣総理大臣岸信介さんの孫で、第六十一~六十三代内閣総理大臣佐藤栄作さんの大甥(岸さんの弟が栄作さん)です。父上の安倍晋太郎さんの夫人(=晋三さんの母)が岸さんの長女洋子さん、晋太郎さんは総理総裁目前で病死されましたが官房長官や外務大臣等重要閣僚のほか自民党三役も歴任しました。
こんな生まれ育ちの晋三さんがポンと目の前にいたら、ご本人が何の依頼も口利きもしてないつもりでも、そこらじゅう忖度と気遣(づか)いの海です。洪水です。床上浸水まで行かなくても、床下は人知れずずぶずぶです。この人が何か発言した、声を発した、顔をアッチに向けたコッチに向けただけで、何十人もの忖度光線が飛び交います。そういう環境で当たり前に空気を吸って吐いて、寝たり起きたり動いたり学校に行ったりして、何十年も暮らして大人になってきた人なのです。
この人の「関与してない」は、普通一般人の「関与してない」とは標高が違う。座標が違う。ものすごく忖度気圧、気づかい気圧が日常的に高い環境を“当たり前”としてこの人は育ってきて今日に至るのです。あまりにも当たり前であるために、忖度の気圧変化、濃度変化に、普通一般人には想像つかないほどに鈍感で、あえて申し上げれば無神経なのです。
「名誉校長に私の妻の名前があったからといって、(水戸黄門の)印籠みたいに“恐れ入りました”となるわけがない」と断言されたとき、普通一般人の視聴者の大半が「なるんだよ」とツッコんだと思いますが、この人の感覚では「なるわけがない」のです。印籠は「控えい控えい、これが目に入らぬか」と振りかざさなければならないのに、ボクも奥さんも振りかざしてないんだから、と、この人は本気で思っている。印籠など振りかざさなくても、ちらとも見せなくても、自分がそこに立っているだけで、あるいは「安倍晋三夫人昭恵さんです」と紹介されただけで、普通一般人なら呼吸が困難になるくらいの風圧と酸素濃度で“忖度”が交錯することに、この人は意識を持っていない。知覚していない。それくらいの風圧も酸素濃度も、物心ついた頃から当たり前だったからです。
喩えがどうかと思いますが個人家庭の生活臭と一緒です。年中その中で起居していると、煙草やら料理やらゴミやら部屋干し洗濯物やらの匂いが積み重なった、外部の他人がいきなり入室するとウッとなるレベルの臭いが充満していても住人の家族は誰も気づかないのです。
この人が何の意識もなく普通に過ごし、その都度成功したり頓挫したりしながら経験を積み上げてきたつもりの世界も、普通一般人の座標に翻訳すれば途方もなく大勢の忖度や気づかいや、汗や冷や汗、時には深謀遠慮に、陰に陽に支えられて通り抜けてきたに違いありません。
別に安倍晋三さんの生まれ育ちがこんなんだから大目に見てあげようよとは言いません。しかしこの件で安倍さんの責任をどうこう言うなら、そういう生まれ育ちであるとはっきりしている人を総理に押し上げた普通一般有権者にも、ひとり一票分の責任はあるということになりませんか。
議席の世襲の弊害がたびたび言われますが、人の能力識見、人となりなんて本当にわからないものです。大企業の人事採用専門のベテランが応募書類を厳選し透徹した目で面接したって、本当の有為な人材を選抜するのは難しい。ましてや人を比較選別したことなんかない一般有権者が、美味しいことばっかり言う候補者たちの中から何を基準に選んだらいいのかとなったら、「お父さんが、お祖父さんが立派な政治家だったから、その直系ならそれなりの育ちをしているだろう、DNAを受け継いでいるだろう」ぐらいしかありません。さもなければTVにしょっちゅう出て面白い事を言っているからとか。
安倍晋三さんが自民党総裁になり総理になったとき、普通一般の有権者たちは確かにこの人の血筋、毛並みの良さ、お祖父さんや大叔父さんやお父さんを思い出させる風貌に好感を持ったのです。国のためにいい仕事をしてくれそうな感じを抱いた人が多かったのです。
だからいまになって一方的に「関与していないと言い張ったって、忖度に忖度を呼んで役人が大勢で文書改竄して糊塗しなきゃならない状況に追い込んだんだから責任ある絶対責任ある総辞職だ」と言いつのる野党の言辞には、それでいいの?とどうしても思ってしまう。
静かに忖度されることを空気の様に呼吸して生きてきた人、そういう環境で人格形成してきた人“だからこそ”期待したのに、今度は「その忖度を以てアウト宣告」という論法に乗って「そうだそうだ」と言うのはフェアではないような気がする。言葉は悪いけど、自作自演じゃないですか、有権者の。誰も何も慮らない、忖度を呼ばない、着のみ着のままポッと出の人が良いと思ったら、そういう人をシンデレラよろしくスポットあてて担ぎ上げればよかったのです。
最新型の旅客機購入をめぐり億のカネが複数の政府高官間を往来したロッキードに比べたら、そりゃ9億円の土地が1億に値引きされたんだから差し引き8億掠め取られてるじゃんと言えば確かにそうですが、所詮は「クチがすべっただけ」、もっと言えば「存在(価値)が独り歩きしただけ」です。こんなんで政権が揺らぐ、転覆するとなったら、それはこの国の憲政史上、後世の範となり得る良き前例になるのか、はたまたこっ恥ずかしい悪しき前例になるのか。
しかし、もしこの件で安倍さんが退陣を余儀なくされるとしたら、それもそれで仕方がないかなとも思います。祖父~祖父の弟~父と続いた血脈が、この人を総理の地位に招き寄せたとしたら、家族の中で唯一“血脈”の繋がらないメンバーである“夫人”の交友関係から蟻の一穴が穿たれ、その地位を失う。ある意味、理に適っているかもしれないと。
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