「やればできるもんだな」という感想で終わった8月でした。
なんだかんだで一年遅れの東京五輪は敢行され、近来稀に見る連続真夏日で開催地変更の意味がほとんどなくなった札幌での競歩・マラソンも、少なからぬ棄権者は出しつつも人死にまでは至らずコンプリート。「五輪で感染拡大が収拾つかなくなったらこれこそ中止になるかも」と危惧されていたパラリンピックも、五輪閉会の二週後に予定通り開幕し熱戦が繰り広げられ、日本人選手の感動のメダル獲得報道も続いています。
台風も大雨も落雷も竜巻も会場直撃はなく、テロ等目立った事件も起きず、医療逼迫で一般都民国民の救急がワリをくうのではとの不安をよそに、関係者の感染事例も、まぁギリ許容範囲でしょう。今日、予定通りなら閉会式を迎えますが、大きく息を吸って、ためてソレッ!と突入してしまえば意外と、浮上するまでは目標がありますから突き抜けられちゃうんですね。案ずるより横山やすし(?)。
月河は「まぁ開催絶対反対と言うわけではないから、準備にかかりきりだった人たちが絶望しない程度に盛り上がれば」という微温で対応。スケボーストリート男子の堀米選手や、同じく女子の西矢選手・中山選手の試合?演技?ってか滑走は見ました。ワザはよくわからなかったけど、ピエット・パラデザインのTシャツのカラーリングがきれい。同じもの売ってないかな、と思ったらNIKE製品だそうで、どこも完売、そもそもウチらの地方の店には回ってもきてないとのことでした。
7月中盤から本当に、うっかりアウトドアに出れば熱中症必至の猛暑だったので、インドアで久々に落ち着いて読書などしていました。十代の頃の初読後、何度か読み直したけど最後に読んだのが何年前になるか憶えてない『Yの悲劇』(エラリー・クイーン)なんか未だに新発見があっておもしろかったですね。初読当時は、物証物証また物証の積み重ねでさくさく行くテンポが快適で「これぞ本格の鑑」と思ったのですが、改めて物語の“ガワ”込みで眺めつつ読んでいくと、これ“奇矯な一族が愛憎縺れて暮らす怪屋敷もの”でもあるんですね。日本の作品で言えば横溝正史さんの、角川映画などで映像化もされた一連の作品に近しいものがある。アガサ・クリスティ等のメイドイン英国とは違う、USA流の合理主義ミステリの代表と思っていただけに、ここへ来てのこの感触は新鮮でした。
一連の“悲劇”の底流に流れる、一族の秘密の源泉として“性感染症”の使い方が、やっぱり1932年(日本では昭和7年)刊クォリティなのは、御愛嬌と言っていいでしょう。
初読の際はこのシリーズ、Y→Z→X→最後の事件、の順に読んだのですが、この機にまるごと読み返すとさらに新しい所感が湧きそうだな。『Y』に先行すること4年で世に出て、クイーンの本作着想の契機になったと言われるS・S・ヴァン=ダイン『グリーン家殺人事件』もリピートしてみるか。あれは『Y』のハッタ―家以上に、異様な一族だった記憶があるなぁ。本棚を本気で探せば、奥付昭和四十年代の角川文庫や、同じく1970年代の創元推理文庫が出てくる、月河もこういう分野だけは物もちが良いときている。
年によって多少差はありますが、冷涼地なはずの当地でも、四季の中で、なぜか夏が実態以上に長く感じられるのは、7月と8月が2か月続けて“三十一日ある”月だからかもしれない・・と思う事もある今日この頃。たかが二日違いと言え、この差はじんわり大きいですよ。
三十日しかない9月、大きく息を吸って夏を突き抜けた直後の2021年は、例年にもまして通過が速そうな。思い立ったらすぐやりましょう。読みましょう。
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