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イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

“愛”なき純愛ドラマ

2006-11-14 21:41:01 | テレビ番組

『美しい罠』が9月いっぱいで終了。ビデオの月~金タイマー設定がそのままになっているので、なんとなく流れ込むように後番組『紅(べに)の紋章』を録画視聴していますが、三ヶ月の放送クールの折り返し点も近いと言うのにどうにも盛り上がりを欠いています。

お話として不振が続く大きな原因は、見たところ大きく二つ。

昼ドラには“ヒロインの本命ではない金持ち男”が必ず出て来ます。ヒロインは心から愛する相手が他にいながらも、家族の生活や体面維持などのやむを得ない事情で金持ち男と結婚したり身を任せたりする。多くは年がうんと上の老人であったり、容姿がわかりやすく見劣っていたり、性格が歪んでいたりなど、視聴者が「あんな男と一緒にならなければならないなんてヒロインかわいそうだな。早く本命の恋人と結ばれればいいのにな」と思いやすいようなキャラに描かれている。

今回、ヒロイン酒井美紀に岡惚れして結婚した旧男爵家の社長兼名門女子校理事長役は小木茂光。彼がどうにも中途半端なのです。演技力はまったく問題ないのですが、地顔が“困惑顔”“思案顔”で悪辣感が薄い上、本命ポジションのはずの青年医師役・山口馬木也と並んでも長身でスーツの似合うすらりとした体躯、若干額が後退気味ながらも頭髪もじゅうぶんふさふさとして若々しいし、彼と結婚したことによるヒロイン気の毒感がまったく醸し出されない。

しかも、脚本は何を考えたのか、ご丁寧にも彼に“心臓疾患でいつ頓死するかわからない”という不治の病属性まで付けた。ヒロインが信念と博愛に生きる女性なため、父が倒れた生徒が家出したと言っては家をあけて奔走するので、本来ならヒロインの恋路を邪魔する憎まれ役のはずの夫はしょっちゅう胸を押さえてうずくまったり苦悶の表情を浮かべたりで、視聴者としては彼のほうがかわいそうでしょうがありません。

ドラマをしらけさせているもうひとつの原因は、“性愛”“エロ”がこの世に存在しないかのような究極のカマトトにヒロインが造形されてしまっていること。彼女と青年医師はいまのところ互いを異母兄妹と信じさせられていて恋心はともに封印していますが、夫だけはそれが事実でないことを知っているので、彼らが何かで協力したり一緒に出かけたりするたびに不安にかられる。その根底には“心臓病のために結婚以来夜の生活がない=男として妻を自分のものにできている自信がない”ことが重く横たわっているのですが、夜寝床でひとり悶々とする夫、結婚後も下宿人のように離れに寝起きするヒロイン、といった隙間的細部にちらつくだけで、ヒロインは一貫して「信頼し合うことで夫婦の絆は深まっていくんですヨネ?」などと“オマエ正気か!”と叫びたくなるような寝言をほざき続けている。

しかも、人里離れた修道院で育てられたお姫様とでもいう設定ならともかく、第一部ではヒロインは身体の悪い父と妹の学費のため遊郭に身売りして女郎となり客をとっていたことになっている(これも実際客と半裸で床入りするなどの描写は無し)。綺麗につけ汚いにつけ男と女はセックスあってこそだということがいちばん身にしみていなければならない過去を持っているのに、性で妻と結びつけないがゆえの夫の煩悶を想像してもみない、もしくはみないかのように描かれている。

ドラマのヒロインが客観的に見て不愉快な女であったり困ったチャンであったりすること自体は、特に昼ドラにおいては珍しくはないし、必ずしも作品上の致命傷になるものでもありません。しかし“こういう生まれ育ちで、こんな個性を持った人物なら、こういう状況におかれたらこんな発言や行動をとるだろう”というキャラ上の一貫性、リアリティがまったく感じられないというのはどうしたもんでしょう。ほとんど等身大パネル人形が動いたりしゃべったりしているように見える時すらあります。

ドラマもドラマの登場人物も、平たく言えば商品です。作り手側が惚れこみ、いとしんで魂入れて作っていない商品に、どうして客=視聴者が魅力を感じ惚れられるでしょうか。

血肉のかよわないヒロイン、無能でカッコ悪いデクノボウみたいなヒーロー、そして同情を一身に集める憎まれ役。

舵折れ碇も失った船のようにあてどなく漂流するこのドラマ、いったいどこへ向かうのでしょう。

コメント (3)
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エ女王杯出走馬、栗毛は四頭

2006-11-13 20:51:50 | 競馬

昨日のエリザベス女王杯、一番人気一位入線のカワカミプリンセスまさかの降着で、女王のタイトルは2着フサイチパンドラの繰り上がり。びっくりしました。

パンドラの鞍上福永騎手も、一馬身二分の一差をつけられての完敗だけに、手放しでは喜べなかった様子。でも、同じ距離を走って“完勝だったけれど鞭を当てられてよれ、他馬に迷惑をかけた”プリンセスと、“完敗だったけれど鞭を一度も使わずに(気性が難しくて鞭打たれると頭を上げてしまうから)、真っ直ぐ駆け抜けた”パンドラ、「本当に勝負付けが済んだか?」と突き詰めたら微妙な気がします。

しかも、昨年の女王でプリンセス、パンドラたち3歳勢より二キロ重い56キロ背負ったスイープトウショウもクビ差に来ているので、話はさらに微妙になる。

パンドラはジャパンカップ、プリンセスは有馬記念への出走も取り沙汰されていますが、このさい、“男の子”たちはからめないで、いやもうからんでもいいから、紛れなく、きっちり決着つけてほしいですね。もちろん、プリンセスの鞍上は制裁明けての本田騎手で。

まあ、降着のためやや後味が悪くなってしまったものの、牝馬四冠最後の一冠をパンドラがとってくれたのは嬉しいニュースでした。“大器だけれどもとにかく気性が難しく、乗り難しい”と春から言われ続けた彼女も、オークス以降手綱を取った福永騎手とは気が合うようで、3走して2・3・3着と、意外なほど大崩れしない堅実な成績。今回も、スイープの急襲をしのいで2着に踏ん張ったからこその繰り上がり戴冠です。天皇賞・秋のダイワメジャーといい、今年は、とかく威圧感、怖さに欠けると見られがちな“栗毛のサンデーサイレンス産駒”たちに日が当たる秋かもしれません。

菊花賞の記事で、青鹿毛大好きと書きましたが、もっと好きなのが実は栗毛(爆)。グッドルッキングで目立つ特徴があれば何でもいいのか!?と思われそうですが、秋の長い日差しを浴びて金色に輝く栗毛馬を見ていると、本当に幸せな気分になりますよ。

もちろん、勝ってくれたらもっと幸せ。あ、これは毛色を問いません。

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悪と悪と悪

2006-11-12 16:01:58 | テレビ番組

先日、DVD化が現実化しそうで非常に悩ましい状況であるとお伝えした連続ドラマ『美しい罠』あるいは“客を選ぶ”作品かもしれません。

フィクションの他ジャンルで言えば、恋愛小説やラブロマンス映画より、スポーツ・武術などのライバルストーリー、または剣豪対決ものなどを好む人にファンが多いのではないかと思います。

“対等の力量を持つ好敵手を、完膚なきまでに叩きのめし、心底降参させて退場に追い込むことが、その相手への最高の愛とリスペクトの表現である”。

なおかつ“その相手と戦い勝つこと、負けないことが、自分自身の人間としてのプライド・尊厳の最大の拠り所である”という関係。

剣豪もの、ヒーローもの以外なら、たとえば『ガラスの仮面』のマヤと亜弓の関係。『白い巨塔』の財前と里見の関係にも近い。

“愛(=リスペクト、あるいは、かけがえなく思う気持ちと言ってもいい)がつのるほど敵対のテンションも高揚する”というアンビヴァレントな心理劇を、男女の恋愛感情のフィールドで描くのは至難のワザですが、見事にやってのけてしまったのがこの『美しい罠』なのです。

しかも、対決の構図はよくある“善と悪”“正と邪”の二元ではありません。

このフィールドに到達するまでの助走として、ストーリーは“巨万の富を持つ老金融業者との計略結婚による財産奪取”という枠組みを作り、企みのシナリオを書く男性秘書と、彼のメールに釣られて来た天涯孤独の元看護師を、まずは共謀という形で同じ土俵に載せます。

つまり、“悪と悪”の男女。その悪が狙うターゲットも悪辣な取立てで財を成した“悪”。清く綺麗で正しい者は誰もいないという構図です。

男も女も財産が欲しい。感情を殺した打算ずくの利害一致で順調に回り出したかに見えたシナリオは、孤独な男と女なるが故の恋心の芽を孕んだことから軋み始め、やがて裏切りと欺瞞、そして衝撃の破局へ。富豪夫人として贅沢をほしいままにする女の前に、男が刑務所から仮出所して、手練れの乗っ取り屋のブレーンとして現われた再会後が、二人の荒野となります。「おまえからすべてを奪ってやる」「私が負けない限り、あなたの勝ちもない」…

共犯から離反を経て、宿敵へ。底流には、紛れもなく相手への純粋な愛があるのですが、それは自らの知力を振り絞り、命までも賭した謀略が成功すること、つまり自分の勝利イコール相手の退場→永遠の別離という終結でしか叶えられない愛です。“愛憎”などというひと言では括り切れない、余人の同情や共感をすべて拒否しながら駆け抜ける、濃密にして愴絶な情熱です。

とってつけたような身分差や年齢差、難病・ハンディキャップなどのハードルで無理くりに悲恋状況をこしらえる凡百の恋愛ものとは趣を百八十度異にした、凄烈なまでの緊張感をみなぎらせた愛のドラマ。

己が内なる人の心を死なせ、冷血の獣となって謀略に生きる秘書役に、幕末の若侍風悲傷を秘めた白皙の美青年・高杉瑞穂。

悲しい過去ゆえに白衣を捨てた、汚れた顔の聖母役に、人妻のたおやかさと妖精のみずみずしさ、悪女の驕慢さを併せ湛えた櫻井淳子。

そして彼らの標的となる、傲慢なエゴイストながらも愛に飢えた老資産家を演じて、野卑の中の高貴ともいうべき稀有な存在感で物語を照射した、暗黒舞踏の怪優・麿赤兒。

一期一会的奇跡のキャスティング、台詞のはしばしまで神経の行き届いた脚本、序破急のテンポを心得つつ余韻に富む演出。月~金昼オビという枠的制約を、逆にプラスに転じた作品としても稀に見る傑作です。

失礼な表現を承知で言えば、企画制作にあたったプロデューサーや脚本家、監督さんたちも、ここまですべてがうまくいくとは予想しなかったのではないでしょうか。観ていて、何となくそんな気がしたのです。これは「こうすれば視聴者にこう受けるだろう」と計算しての、企画ずくで出せる味ではないなと思う場面が何度もありました。

めでたくDVD化されれば、昼オビゆえに観る機会がなかった層にも、レンタルでファンを増やす契機になるかも。

日本のテレビドラマ、やる気とアイディアがあればこれぐらいのものを作れる可能性がまだまだあるんだよということをもっと広く知ってもらうためにも、パッケージ商品化は願ったり叶ったりなのですが。

…前に書いたような、経済学的、建築学的理由で、個人的にはきわめて悩ましい状況なわけです。

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肉離れでも脂肪は離れない

2006-11-11 17:56:24 | 健康・病気

「それは寝違えではない」。鼻で笑われてしまいました。

寝違えとは、首から肩にかけての筋や腱に起きるものである、と。

確かに、ネット検索しても、寝違えの対策と治療は首を前提にしているものばかり。

では、私のような、肋骨の間を痛めたのは何と呼ぶのか?

それは…「肉離れだ!」

これはショックでした。こんな場所の肉離れなんて、スポーツ選手しかやらないものだと思っていたのに。

何より、いまだに「ああ、あのときああいう事をやっていて、あんな姿勢や動作をしたのが悪かったのね」と思い当たるフシがまったくないのがくやしいし、納得できない。

人に説明できないじゃありませんか。「どうせ、寝相でも悪かったんでしょう」と片付けられそうで。

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そりゃ悩む罠

2006-11-10 17:19:05 | テレビ番組

昨日の記事に、かつてのお気に入りアナログ盤の大半を、思い切って処分した話を書きました。

自分でもよく踏み切れたと思いますが、当時、えらいことになっていた自室のキャビネットや棚やクローゼット内の整理をしながら、反省したのです。LP、CD、ビデオなど、お気に入りとは言っても、パッケージ商品って、入手前の飢餓感・ワクワク感に比べると、いざ入手してからの体温は急激に下がるものだな、と。

昨日話に出たY・Tさんの盤などはかなり熱く聴いたほうではありましたが、それでも、LPの中でも特に好きな曲だけをドライブ用に編集したカセット(←そういう事をやってた時期があるんですよ。笑うでない!若かったんだから)に比べると、本盤のほうは、磨り減るほど頻繁に、明けても暮れても聴きまくったとは言えない。

「いつでも聴け(観られ)る」という安心感が、時間の経過につれ体温を冷めさせるのでしょうか。何やら恋バナみたいですが、結局は、“当時のシーンの先端を行ってたご贔屓さんの新作を、ポスターやノベルティなどの予約特典(笑っちゃうほどささやかな物でした)込みでいち早く手に入れ、曲を覚えてライブで一緒に口ずさむ準備をしつつ、自腹でセールスに貢献する”満足感にお金を払ってたんだな、と痛感したものです。

こういう“買った時点で満足”在庫の整理によって、部屋が予想以上にすっきりした達成感もあり、この三年半ほどは、パッケージのオーディオ・ヴィジュアルソフト類はほとんど購入せず、もっぱらレンタルを利用してきました。

目下の懸案は、この7~9月に放送された連続昼帯ドラマ『美しい罠』のDVDが近いうち製品化されそうだということ。…テレビの連続モノが苦手な私にとっては、次回が待ち遠しい(月~金の帯だったんですが)という高揚感を最後まで保ち続けることのできた、思い出せないぐらい久しぶりのドラマではあるし。

しかもこの放送中、当地では地デジ対応の工事だか点検だかで録画不能の日が断続的に何日もあり、未見の回を完全版で視聴したい飢餓感は有り有りだし。

かと言って、三年前の教訓から「レンタルで十分じゃないか」「買って未見部分だけ観たら安心して、繰り返し明けても暮れてもは観ないぞ」という我が内なる戒めの声も囁き。

何より、この作品をセルで買ってしまったら、自分の中で何かが“解禁”、フトコロ面でも部屋のスペース面でも、地滑り的にまたもや自分で自分の頸を絞めるのではあるまいか、という危惧があるのです。

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