「覚えておくといい、ミステリで双子が出てきたら、それはカムフラージュだ。犯人はほかにいる」
…奇しくも『霧に棲む悪魔』最終話(1日)の2日後、ピーター・フォークさん追悼企画で再放送された『刑事コロンボ』“構想の死角”で、ジャック・キャシディ扮する共作ミステリ作家が、愛読者でもある近所のグローサリー女主人に言う台詞です。
(ちなみに…っていまさら因む必要もないほど有名な話ですが、ジャック・キャシディさんは『コロンボ』で、この“構想~”含め3エピにゲスト出演、3回とも犯人役をつとめておられます)
『霧に棲む悪魔』の圭以と、白い女=霧子(入山法子さん二役)は双子ではなく、父親同士が双子なだけでした。どちらかが犯人かも?という状況には一度もならず、ともに被害者もしくは利用されていただけで、容姿が瓜ふたつであることが、狭い意味でのフーダニットの(アリバイ偽装などの)カムフラージュ、あるいはミスリードにはならなかった。
…と言うよりも、以前にもここで書いたように、圭以と霧子のそっくりぶりという要素を、ドラマチックなしつらえで意味あり気に提示したものの、本筋にあまり活かせないまま飼い殺してしまった感が強いのです。
白い女と山小屋で夢幻のような一夜のあと弓月(姜暢雄さん)が龍村ファームに辿り着いたとき、初対面の圭以を見て仰天したこと、ファームと龍村家に関するあれこれに興味を持ち案じ始めるきっかけになったことは確かですが、弓月の“あの女にどうしてももう一度会いたい”という渇望が、二度めの対面と、彼女からの「お嬢さま(=圭以)を守ると約束してください」の懇願を経て“僕が愛し、心配し、守りたいと思っているのは圭以さんのほうだ”の確信へ至るについて、“そっくりぶり”がどう貢献したり、逆にブレーキになったりしたのかなんだか曖昧なままでした。
「そりゃ、偶然会ったミステリアスな若い美人が自殺を思いとどまらせてくれたら好きになっちゃうだろうし、直後に瓜ふたつの美人が目の前に現われたら、別人とわかってたってそっちに行っちゃうだろ」と言われたらそれまでなんですけどね。若い男が若い異性に惚れるのに、それこそミステリみたいな合理的な動機や、順序立った因果律なんてあるわけがないのだし。
しかも、そっくりだそっくりだと動揺している(そのわりには、なぜそっくりなのか原因には淡白)のは、前半はほぼ弓月だけ。圭以の急死後の後半の、弓月&晴香(京野ことみさん)による霧子の行方捜索と発見救出作戦以降、にわかに「本当にそっくりだわ」「圭以は死んでなくて、ここにいるのが霧子さんじゃなく圭以かも」「DNA鑑定で立証できるかも」…と、“解禁”みたいにそっくりぶりに焦点が集まるので、なんだか据わりが悪かった。まるで“そっくりびっくりスイッチ”がどこかに仕込んであって、展開の都合でON/OFF切り替えられているかのよう。
20年ほど前、母親に連れられて龍村家を訪ねてきた幼い霧子を記憶している美知子さん(広岡由里子さん)が「圭以さんと同じぐらいの年格好で」「そう言えば圭以お嬢さまとよく似た女の子でした」という記憶がないのは“似てる似てないが明瞭に容姿に表れるには幼すぎたから”と解釈してもいいし、圭以になりすまして廃校に霧子を呼び出した晴香が、瓜ふたつぶりにまず驚かないのは“夜中で暗く、しかも此方が圭以でないのを知られない体勢で距離をおいていたから”かもしれない。
しかし、第2話で霧子からの手紙を圭以に渡す小学生(小林海人さん)までが、圭以に「どんな人から?男の人?」と訊かれて「オンナノヒト。しろーい服を着てた!」とニコニコ答えるだけなわけです。
見知らぬ白ずくめの女性から「あの農場のお嬢さまに」と手紙を託されるだけでも小学校低学年の男子には不審な体験だろうに、渡すべき相手も同じ顔の女性だった。その夜は夢でうなされる級の不気味さだと思うのですが、圭以を見るや目をまるくしたり、「オネエチャンとそっくりだった…」と逃げ腰になるような素振りがまるでないのだから、“ある時点までは、そっくりを認識し不思議に感じるのは(よそ者で信用されにくい)弓月ひとりにしておく”というストーリー上の約束のもと、スイッチがガードされているとしか思えない。
録画視聴していて、かなり深い話数までは、圭以と白い女は演じる入山さん同様ひとり二役で、あるいは多重人格が入っている?と考えた時期もありましたが、25話の圭・霧直対面でこの可能性は完全に消滅。別にそういうサイコ系が見たかったわけではない(むしろ積極的にご勘弁)けれど、良くも悪しくも原作がウィルキー・コリンズ御大の19世紀の古典長尺作と“重石”になり過ぎ、“そっくりぶり”を現代日本舞台に移しかえて、縦横無尽にストーリーの推進力として活用できなかった憾みはあるかもしれません。
ちなみに(今日はよく因むなぁ)、シリーズ放送開始序盤のエピで、キャシディさん扮する共作ミステリ作家に冒頭のセリフを言わせ、ミステリドラマとしては挑戦的な脚本を展開した『刑事コロンボ』には、“二つの顔”という、憎たらしいくらいテンプレに則った“双子もの”エピがあり、憎たらしいくらいあざやかに“双子で共犯”を成立させて見せています。もちろん双子は二役で、『コロンボ』より前の人気TVシリーズだった『スパイ大作戦』で変装・声色のエキスパート役を演じたマーティン・ランドー。ラバーの手製マスクやヅラを駆使して「誰かになりすましてまんまと騙す」役でおなじみだった俳優さんが、今度は“素顔でそっくり”の双子なことを利用して欺く役だったわけです。やってくれちゃってたんですねぇ『コロンボ』。
(『霧に~』の話題はもう少し続きます)
(『コロンボ』その他も絡むかも)