雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

真摯に     雑感

2024-12-15 05:57:39 | 私の生き方、考え方&意見

★ 「真摯に」と言う言葉をよく聞くが、
 私は一度も使ったことがない。
 その意味は『一生懸命物事に取り組む様子』などとあるが、
 間違いなくそんな生き方をしてきたとは思うが使ったことはないのである。
 政治家が言ってるのをよく聞くのだが、
 なぜ政治家はよく使うのだろう?
 常日頃の生き方が逆に『まじめでひたむきでない』ので、
 敢えて使っているように思ったりもする。


  


 その解説を読むと、

 「真摯に」には「まじめでひたむきなこと」「一生懸命に物事に取り組む様」などの意味があり、「真摯に向き合う」「真摯に取り組む」などの表現があります。
政治家の演説や所信表明、お詫びの場面などによく使われます。ビジネスシーンでも役立つ表現なので、覚えておくとよいでしょう。 

 などとあった。

 その意味はよく解ったが、多分今後も間違いなく、
 自分で使ったりはしないと思う。



   
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 好きなことだけをやれる人生   超長寿の秘密 

2024-11-14 00:22:42 | 私の生き方、考え方&意見

★ この頃は何でも直ぐ忘れてしまう。

 『超・長寿の秘密』と言うこんな本も読んでいっぱい赤線など入れているのだが、
 その内容は全然覚えていない。
 何のために読んだのかなと思ったりする。


  


 そんなことで、もう一度読みなおしてみたが、

 『90歳まで自立して元気』でいる男性は10%だというのだが、
 私はその部類に入っている。
 こんな『スーパー元気な男性たち』な中肉中背で姿勢がいい、歩く速度が速く声が大きい。そして食欲が落ちないとある。

 これは当たっている。

 多分、と言うかほぼ間違いなく私は100歳までは生きると思う。
 長寿の要素に『遺伝子』があるというが、祖母102歳、母104歳の『伝子』を間違いなく受け継いでいる。

 100歳以上生きれるような気がする。
 まだ先の話だが、100歳になっても祖母や母の100歳の時よりは元気だと思っている。
 祖母や母の91歳時代を知ってるが、少なくとも今の私の方が元気である。
 毎朝7000歩も確りと歩けているから、そう思うのである。

★ 毎日日記も書いてるし、ネットでブログもアップしている。
 Facebook のトモダチもいっぱいだし、私のアップするブログには毎日100人前後の人達が『いいね』を送ってくれる。
 これが結構励みになっているし、
 毎日することがいっぱいあって『退屈しない』のがいいのだと思っている。
 朝の散歩・庭仕事・ブログ・昼寝・日記などすることが多いし、
 家内が今でも家の中のことは全部やってくれて私は何もしなくていい。
 毎日やっていることと言えば、朝新聞を取って来てホッチキスで留めるぐらいのことである。
 自分のやりたいこと、好きなことだけをやれる人生は幸せそのものである。
 幸いにして現役時代も自分のやりたいことだけをやって過ごせた。
 引退後も自分のやりたいことだけをやれているのがいいのだと思う。
 そんなことが私の「超長寿の秘密」だと思っている。

 間違いなく100歳は元気で迎えられると思っている。

  
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私の生き方、考え方意見

2024-08-30 05:36:42 | 私の生き方、考え方&意見

★ よく人は「何になりたい」などと人生の目標を持つのだが、私自身は子どもの頃から「何になりたい」と思ったことは一度もない。
 これは考えてみると不思議だが、そうなのである。

 ご縁があって何となくサラリーマンになったのだが、
 それが希望だったわけでもなくて、何となくそうなるものだと、
 当時は思っていたように思う。

 そう言う意味では、私の進路は周囲の人が決めてくれようなところがある。
 たまたまカワサキの二輪の世界にスタートの時期から関わったのだが、
 「新しく出来た部門」を別に希望したわけでもなく、
 バイクが好きだったわけでもない。

 ただ、与えられた仕事は、どんな仕事でも結構面白かった。
 特に新しい経験者や先輩がいない環境で、
 広告宣伝レースと言う全く新しい分野を担当したのは、
 それを「やってくれ」と頼まれたからである。
 その後の、営業第1線の分野代理店営業東南アジアのCKDなど、
 それに関わった先輩たちが居ない分野を何となく頼まれてやったようなところがある。

 まだ係長にもなっていない時期に子会社に出向して
 広告宣伝課を担当したので「課長」という職位についたし、
 その後、与えられた職位は所長・母店長・統轄部長・常務などを早い時期に与えられ、一時は系列子会社の社長を7つも兼務した。
 川崎重工業の職位で言えば「部長」の頃の話である。
 川重の職位には全く拘らずに、むしろ事業本部長になることをずっと避けていた。
 その理由は事業本部長は技術系の事柄が多くて、
 どうも「技術関連」はややこしくて嫌いだったからである。
 そんなことで「取締役」などになることも何となく避けていたら、
 「技監」なる職位が与えられて私の最後の職位は「技監」なのである。

 
  


 これは技術関係の博士や、官公庁から天下りしてきた技術屋さんに与えられる、取締役待遇の職位なのだが、
 当時の大庭社長が「お前はマーケッテングの分野が得意だか」と
 川崎重工業始まって以来初めての事務屋の技監になって自分でも大いに満足していた。
 当時はカワサキの国内市場担当だった頃である。

★ 生き方としては、人を疑わずに徹底的に人を信じて、部下を信じて、殆どすべてを任していた。
 部下にあまりと言うか、殆ど指示をしたことがない。
 好きなようにやらせたら結構上手く行くものである。
 「信じる者は儲かる」と思っていた。


  



★世の中には、性善説と性悪説があるが、
 私は「人はみな生まれつき善の性質をもつ」とする馬鹿みたいな「性善説」なのである。
 部下でも、取引先でもみんな信じてしまうのだが、
 幸いにして「騙された」ことがない。


     


  性善説型に「新しいことを始める」とあるが
  「新しいこと」はいっぱいやって生きてきた。

  定年後もネットの世界を楽しんで、
  ブログやツイッターFacebook にハマっている。
  世の中に91歳の人ネットの世界にいる人は珍しいのかも知れぬが、
  Facebook などいっぱいトモダチがいる。
  そんなに知っている訳ではないのだが、どなたも「信じている」のである。
  疑ったりするよりは、信じて騙される方がいい
  でも、ホントに騙されたりしないのである。


  
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私の毎日

2024-08-04 05:23:57 | 私の生き方、考え方&意見

★ 91歳の年寄だが、結構忙しく退屈せずに過ごしている。

 毎朝やってるのがまずは散歩で結構な距離を歩く。
 最近は暑いのでジムのトレーニングに変えてるが、

 


 筋トレとストレッチは欠かさずやってるので、
 体は結構柔らかい。





 アタマの体操としては、ネットでパンダ碁を毎日打っている。

 


 今までに打った局数は32382局で
 2307勝・2255敗、今は2級で打っている。




 毎日1時間ほど昼寝をする。


     



  趣味としてはメダカ、

  
 

 庭仕事もするし

 
 

  薔薇も結構やっている。

  



  パソコンの前に座ってる時間も結構長い。

 


 1日の終わりには日記を書いてるが、
 これは20歳の頃からだから、70年続いている。

  



★ 現在の体年齢は75歳ぐらい。
  秤にもそのように表示されるが、
  世の中の75歳よりは元気かなと思っている。

  
  いまFacebook に使っている写真だが、
  髪の毛もあるし、体重は今84kg。
  これは出来れば82kg位に落としたいのだが、
  よく食うのでなかなかムツカシイ。


 


  あと10年は元気に生きたいと思っているし、
  多分大丈夫だと思っている。


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私の人生記録

2024-07-07 05:52:14 | 私の生き方、考え方&意見

★なぜか私は記録に熱心である。
 20歳から日記を書く習慣が付いたのでその延長かも知れない。
 会社での記録も、1日単位から、月単位、年単位に何十年も持っている。
 ある意味『カワサキの二輪の歴史』がそこにある。
 企画から第一線の営業まで、市場開拓の分野を担当出来たのはよかった。
 そんなことから、今でもFacebooKのトモダチは会社関係の方も勿論いるのだが、
 末端の二輪を愛好するユーザーの方が多いのである。
 それはある意味、私の人生を豊かなものにしてくれた。

★ここに私の人生91年の記録がこんな形で纏められている。
 1933年・昭和8年3月に生まれてから39歳までが第1表。
 明石で生れ直ぐ朝鮮に渡って終戦の中学1年までは今のソウルにいた。

 


 第2表が40歳からの働き盛りの時代である。
 67歳まで会社勤めで、
 1年1年、結構大きな仕事をやっている。
 2000年、68歳からが引退後の生活である。
 父は52歳、伯父は58歳で亡くなったので、
 こんなに長く生きれるとは思わなかった。
 




 思わぬほど、元気に生きれて今年91歳。
 一応、この表は2033年・100歳で終わっているが、
 果たして何歳まで記録が伸びるだろうか?




★ こうして改めて眺めてみると
  いろいろとその時代のことを結構鮮明に覚えている。
  更に、詳しく見ようと思えば、日記を読み直すと正確にその時代が解る。

  一言で言ってオモシロイ人生だった。
  今までも、ブログでいろいろ書いてるが、
  自分のためにも、また違った目で眺めて、感想など纏めてみたいと思っている。


  
  
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体重を落とすことにした

2024-06-14 05:54:06 | 私の生き方、考え方&意見

★ 体重を落とすことにした。
 8月末に82kgにすることを目標にする。
 85kgだから3kgの減量だが、多分間違いなく実現すると思う。

 いまの生活は毎日よく動いている。
 それなのに体重が落ちないのは『食う』からである。
 そもそも太ってしまう原因は、消費カロリーよりも摂取カロリーが上回ってしまうからで、
「摂取カロリー<消費カロリー」のバランスに変えられれば、おのずとダイエットは成功する筈である。

  


★ 今回は成功すると思っているのは、
 家内がその気になっているからである。
 私は食事の注文などしたことがない。
 毎日、家内が作ってくれる食事を残さず食う毎日が続いているのだが、
 実は昨日の夕食から始まっていて、
 今日は84.7kgと0.3kgだが減量出来ている。

 多分明日は更に幾らか減る筈で、
 そんな毎日が続いたら間違いなく減量できる。

 私自身は、甘いものを減らすことにした。
 いまは冷蔵庫にはアイスクリームがいっぱい入っているが、
 これを最後に買うのを止めにする。

  



★ 昨日も触れたが、
 今回は血糖値が上がったので、医者からも体重を落とすように言われたし、
 今までも『体重は落とせ』と言われていたが
 『血液検査』は何の問題もなかったのだが、今回はちょっと悪い数値が出たので、
 本気で『落とす気』になっている。

 果たして、どんな結果になるのか?
 物事の目標を実現するには、その目標を世の中に公表するのがいい。
 これは私の現役時代からのやり方である。
 今年の8月31日を楽しみに今からの2か月半を過ごしたいと思っている。


  
 



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私の人生    雑感

2024-05-23 04:52:51 | 私の生き方、考え方&意見

★ もう人生で就職などすることなど間違いなくないのだが、
 現役時代を振り返ってみても、
 私自身は自分の仕事を選ぼうという意識など全くなかったと言っていい。

 兎に角、子どもの頃から『何になりたい』など思ったこともないし
 『何をやりたい』と思ったこともなかった。
 
 ただ、周囲の状況から『与えられた』こと或いは『頼まれたこと』を自然に、やって生きてきた人生だったかなと思う。
 就職活動もやったことはなく、勧められて縁故で入社しただけのことである。

★ 逆に定年後は、今も自分の『やりたいこと』をやって生きている。
 定年後の人生がもう20年にもなるが、
 これは間違いなく、『自分のやりたいこと』ばかりをやれている。
 

昨今の若い人たちの『就職先企業選択』の重視ポイントというグラフが出ていたが、
 『給与・待遇』が一番で。
 『仕事の内容』が最下位だった。


 


  われわれの時代は、こんなことを考えることが
 『殆どなかった』ようにも思う。
 『給与・待遇』など自由業も入れるとその幅は大きくなるが、
 『勤め人』の場合は多い・少ないと言っても、そんなに差がある訳ではないのでは、と思う。

 若い人たちは、まだ実際に勤めていないので、『よくわかっていないのでは?』と思ったりする。


★ 私の場合は川崎重工業民需末端市場分野二輪事業
 それもマーケッテング分野だったが、これはオモシロかった。
 自分の好きなことばかりを、好きなようにやれたし、
 それでお金が貰えたから、こんなにいいことはなかった。
 マーケッテングと称して、世界国中、日本国中を旅行して回れたのも最高だった。

 そう言う意味では『仕事内容が魅力的』だったと言えるのだろう。

 こんなグラフもあって、確かにそのような項目はあるのだが、
 それは結果であって、目標ではなかったように思う。



  

  91年生きてきたが、
  もう一度生まれなおしても『同じ人生』でいいと思うほど満足な人生だった。
  『幸せな人生』だったと言えるのだと思うが、
  『欲がなかった』のがよかったのかも知れない。

  一般に皆さんはどのように考えておられるのだろうか?
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110歳をめざそう

2024-05-16 06:29:34 | 私の生き方、考え方&意見

★ 昨日は植物の生命力について書いたが、
  人間の生命力も捨てたものではない。

  私自身もいつの間にか91歳まで生き延びているのだが、
  最近の体調を自分で感じてみると、
  そんなに衰えもなくまだまだ生きられるようにも思うのである。

  昨今の日本人の100歳以上の高齢者数を見ても
  年々増加して、92,139人になったという。
  女性が圧倒的に多いのだが、何とか100歳は目指せそうにも思っている。



  



  これは遺伝もあるのだろうが、祖母は103歳まで生きたし
  母は104歳まで生きていて、
  祖母や母の90歳代のことはよく解っているのだが、
  それよりは、今の自分のほうが元気なような気もする。


★『超・長寿』の秘密 と言う本が出ているようなので、
 いまAmazonに注文している。

 そこには『110歳まで生きるには何が必要』と言うことが書かれているようなので、
 一度、読んでみたいと思っている。

   



  その項目だけを見ても、非常に興味がある。
  同じ長寿を目指すなら、『110歳』はなかなかオモシロイ目標だと思う。
  多分、寿命なんて努力で延ばせることもあるかも知れないが、
  それ以上にその人が持っている『』みたいなものの方が大きいのだろう。
  『110歳を目標に』するのは自由だと思うので、
  いっそのこと『超・長寿の110歳』を狙ってみようかと
  何となく想っている。

  2,3日中に本も届くので、
  それを読んでみて、もう一度考えてみたいと思っている。
 『110歳』とはあと20年近くもある年数なので、
  多分、世の中も今とはだいぶ変わっているに違いない。


  
  
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91歳になった

2024-03-02 06:02:23 | 私の生き方、考え方&意見

★『91歳になった』
 ホントにこんなに長く生きるとは思わなかった。
 20歳代の学生時代に肺結核になり『空洞』なども出来たので、
 人生は短いかなと思って『短い人生』を自分なりに記録しておこうと日記を書きだした。
 その日記がもう70年にもなってしまった。
 そんな日記があるので、相当旧い時期のことも読み返せば解るので重宝している。

★記録を残すことは『趣味』のようなところもあって、
 40年間勤めたカワサキでの現役生活についても、
 当時の記録も含めて今も手元に持っている。
 たまたまカワサキが二輪事業をスタートした昭和35年(1960)から単車営業課に異動したので、
 カワサキの単車のスタートから、少なくとも40年間については、結構正確にその記録を持っている。

 そんなことで手元にあった資料は『現役諸君』にもお渡ししたので、 
 正規の記録として残っている筈なのである。

★そんなカワサキでの40年間も含めて、
 現在では一般の二輪愛好者とのお付き合いもあるので、
 私自身は二輪車を持っていないし、乗らないのだが、
 二輪の世界は今でも私の生活で結構大きな比率になっている。
 そういう意味では『二輪業界』に関係があったことはよかったなと思っている。


  
 

 私の人生で一番良かったなと思っていることは

 Kawasaki Let the Good Times roll !

   と言うカワサキの基本コンセプトをこの世に残せたことである。
 1970年代にアメリカで創られたこのコンセプトは
 20年の長きに亘って世の中から消え失せていたのを
 1990年代に私が国内市場で復活したのだが、
 今では、カワサキモータースの基本コンセプトに採用されたので、
 もう永久に消えることはないだろう。

 『カワサキに出会う人たちがハッピイになるように
  カワサキはGood Time を転がし続けます』という
  カワサキの事業に対するコンセプトなのだが、

 私自身は自分の生き方としても
 『私に出会った人たちが、ハッピーになるように
 いろんな方たちとのお付き合いをしてきたのだが、
 多分、それは実行できたのではないかと思っている。

 
★ 現実には91歳にもなって
  最近ではお会いできる方も限られてはいるのだが、
  『ネットの世界』では毎日、多くの方との出会いがあって
  『私の毎日』は結構豊かなものになっていることに
  我ながら満足しているのである。

  今年に入って2か月が過ぎたが、『毎日1万歩』は続いている。
  これから始まる『91歳の毎日』も多分元気に動けるだろうし、
  『ネットの世界での発信』も続くだろう。

  あとは、庭の草抜きぐらいが日課になるのかな。

   

  
  なかなか実現はムツカシイのだが、
  『草が生えていない庭』を目指して頑張っているのである。



  



 
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90歳代の生活  2  お金

2024-02-22 05:27:05 | 私の生き方、考え方&意見

★昨今、株価の高騰が話題である。
 株も少しだけだが持ってはいるが、『株価』などには全く無関心である。
 更に世の中の賃上げの話題もあるのだが、
 そんな賃上げも株価にも、と言うより『お金に無関心』なのである。

 自分の一生を振り返ってみても『お金に無関心』で生きてきたような気がする。
 お金の値打ちがどんどん変わったそんな一生だったと言っていい。
 こんなに金の値打ちが変わった時代を生きたのは『昭和一桁生まれ』が初めての世代だと思うし、
 こんな経験をする人は今後もいないのではなかろうか?

★ 小学校の頃は、自転車が100円しなかった。
 一般の給料も月給が100円以下の時代だった。
 それが終戦で、朝鮮から家族一人1000円だけを持って引き揚げてきたのだが、 
 戦後の日本は闇米が1斗1000円もした。
 朝鮮では1斗100円ぐらいだったからその10倍もしたし、その値段でもなかなか手に入らなかった。
 
 全然今の世の中とは違っていて、家など建てようという人は少なかったからか、土地は滅茶苦茶安かった。
 その後、1坪200万円もした明石の上ノ丸の土地の値段が、1坪2000だった。
 当時はまだ健康保険などなくて父が脊髄カリエスになって、その注射のマイシンの値段が1本2000円もした。

★ そんな中学生時代のカネの価値だったのだが、その後も更にどんどん変化した。

 大学卒業しての初任給は12000円だったのだが、
 小学生の頃の一般の給料が100円と比べると100倍なのである。

 さらにどんどんカネの価値は変わって、
 初任給12000円は退職するころにはその100倍ぐらいになっていた。
 世の中、戦後の高成長時代だったのである
 こんなに金の値打ちが変わった時代を生きた人は珍しいと思う。
 ちょうど我が家の土地を買って家を建てる頃は『所謂バブル期』で、
 賃上げ率は20%以上だったので、給料は4年で倍になった。
 同じように土地の値段も上昇したのである。
 土地を買い、家を建てようと思った時の給料は15万円ぐらいだったが、
 その支払いが始まるころには30万円ぐらいになっていた。

 そう言う意味では、結構上手く回転したのだが、
 生活は苦しくて貯金などなかった時代なのである。
 幾らか金に余裕が出来たのは子どもたちが大学を卒業して、 
 『金が要らなくなってから』である。

  兎に角、「給料100円時代」から「給料100万円時代」を生きたので、
 これは1体何倍になったのか?
 あまりにも大きくて、計算する気にもならないのである。
 そんな時代を生きてきたので、『金に無関心』になったのだろうか?


私自身はホントに金に無関心で、カネや家計は一切家内任せで今もそれが続いている。

 90歳代になってもそれは続いていて、ホントに金には無関心なのである。
 所謂、年金生活者なのだが、家計は年金内で賄えているのだが、
 そのほかに『金を使うこと』が殆どない。
 最近は仮に金を使っても1万円を超えることがない
 たまに行くゴルフも昔と違って1万円は掛からない。

 そんなことだから、どんどん『金に無関心』になってしまう。

 この調子では、たいしてない預金だが、減ることはなくそのまま残して、一生が終るのだろうかなと思っている。
 そんなことだから、預金や保険のことなども全くアタマにはなくて、
 どんどん忘れてしまうのだが、
 どんどん退化する記憶力がそれに拍車をかけている。


 高齢者所帯の平均貯蓄額が出てたが、約2400万円が平均だとか。
 

  



★ 91歳でこうだから、若しもこれから先、5年も生きたらどうなるのだろう?
  若し今後、お金が要るとしたら老人ホーム・介護施設』の費用なのだろう。

  これにはお金が要るのかも知れないが、何とかなるだろうと思っている。


  


 ホントに、今後どうなっていくのだろう?
 ただ、お金に無関心の生活は、幸せと言えるのだろう。
  
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90歳代の生活   1

2024-02-18 07:17:28 | 私の生き方、考え方&意見

★あと10日ほどで91歳になる。
 超高齢者だと言ってもいい90歳の1年が過ぎようとしているが、
 体力年令は多分65歳は間違いないと思う。
 巷の70歳の方よりは元気に動けている。
 
 この1年体力的には衰えたところは、極端に言えば『皆無』と言っていい。
 この調子なら100歳も夢ではないと思うのだが、
 いまは家内がいて、食事・洗濯などみなやってくれるし、
 毎日着る物も自分で選んだりしなくてもちゃんと揃えて出てくる生活だから、
 私は、自分のやりたいことだけやっていればいいという、
 まことにいい環境なのである。

 私があと何年どうこうと言うよりも、家内があと何年今のように元気でいてくれるかが、一番の問題だなと思っている。

★最近は、外の方とも接触が少なくなったし、 
 毎日同じパターンの繰り返しで、朝の1万歩のスロー・ジョッギンに始まって、
 昼食の後は1時間の昼寝をするようになった。
 あとは好きな囲碁をネットで打ったり、この雑感日記など書いてると、
 自然に1日が過ぎていく。
 パソコンがあるので一向に退屈などはしない。

★そんな結構、健康的な毎日なのだが、
 どうも記憶力と言うかアタマのほうのボケはどんどん進んで、
 最近は『モノの名前』が出てこない。
 家には100種以上の植物が植わっているが、その名前が出てこないのである。
 薔薇やら梅は流石に大丈夫だが、
 昨日このブログにアップした『ホテイ草』も名前が出てこなかったし、
 毎年早い時期に芽を出し黄色い花を咲かせる『福寿草』の名前が出てこない。
 
 


 
 ここにちゃんと書けているのは、パソコンで検索した結果なのである。
 この検索と言う便利なツールがないと忘れた名前など出てこない。


 冗談ではなく『ボケ』の花の名前が思い浮かばなかったし、





   こんな下草の名前がさっぱり想い出さないのである。





 
 別に草木の名前など忘れても実害などはないのだが、
 これから先、ホントに知能のほうはどうなってしまうのだろう。
 一般に言われてる『認知症』とはちょっと違うような気もするのだが・・・・
 




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私の二つの日記

2024-01-30 06:28:58 | 私の生き方、考え方&意見

★私は毎日二つの日記を書いている。
 昨今は殆ど毎日が同じことの繰り返しで、
 所謂日記の内容は毎日同じようなことが繰り返し書かれている。

 かってはこのように一般の普通の日記帳を使っていたのだが、

 

 
  昨今はあまり書くことも少ないのでこんな小さな5年連続日記帳を使っている。


    



 最初に日記を書きだしたのは大学2年の20歳の頃だから、
 もう70年も続いていて、書き出した理由が『蒋介石が30年も日記を書いている』と言うことだったから、もう完全にその期間を越えている。
 昨今は昔のこともよく忘れてしまったいるので、
 日記を読み返すことも多いのだが、いろんなことが想い出されて重宝している。
 人間の記憶などそんなに頼りにはできないなと思うのは、
 旧い日記を読み返してみると『そんなこともあったのか?』と思うからである。
 
★ もう一つ『雑感日記』というブログの日記がある。
 70歳を超えてからパソコンをやりだして何となく始めた雑感日記だが、
 スタートが2006年9月だから、これももう20年近くになる。
 最近はしなければならないことなど無くなってしまったので、
 この二つの日記を書くことの比重が1日の中でも増えてきた感じなのである。

 その名の通り、いろんな感想など綴っていしてるのだが、
 こちらの方はFacebookにも毎日転写してるので多くの方と繋がって、
 沢山の『いいね』など頂けるので、世の中と繋がっている感じになっている。

  




 どちらの日記も、果たして何歳まで続くのだろうと思ったりする昨今なのである。

 
  

 
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人生90歳代をどう生きるか?  2

2024-01-26 06:40:56 | 私の生き方、考え方&意見

★同じような日課が続く毎日なのだが、
 朝食後、毎朝の公園での散歩が1日のスタートになっている。
 70歳の後半位から続いているからもう10年以上になる。
 
 これが大晦日から今朝までの記録だが、
 28日間の平均が8741歩となっている。
 このところ10日間ほどは毎日『1万歩』は歩けている。
 兎に角、1万歩になるまで歩いているという方が当たっている。
 大体、1時間半、距離にすると7,5kmほどになる。
 歩くと言ってるが、普通に歩くのではなくてスロージョッギングしている。
 ゆっくり走っているのだが、そのスピードは歩くよりは遅いぐらいである。
 歩くよりは消費カロリーは多いのだろう、この寒さでも汗をかく。
 普通のランニングと違って『息が上がらない』のがいい。


 
 

  
 
 『人生90歳代をどう生きるか?
 この朝のスロージョッギングが果たして何歳まで出来るのだろう?
 いまの自分の感じでは『あと5年』は生きてる限り大丈夫だと思う。
 10年前の80歳の頃と比べて全然変わらないので、
 今後5年ぐらいなら大丈夫のような気がするのである。


★ 1万歩を続けて歩いているのではなくて、10回ぐらい休んでいる。
 時間はほんの1分程度だが、ちょっとベンチに腰を下ろすと安心する。
 大体、1000歩ごとに休んでいる感じである。
 毎朝のように行っている三木総防災公園は広大だから同じコースを歩かなくても、1万歩は大丈夫である。
 普通の公園だったら何回かの周回は避けられない。

 こんな神戸の丹生山が望める中央の駐車場に今朝は車を止めたのだが、
 あちこち歩いて戻ってきたら、6800歩ほどだった。
 
 
 
 
 あと3000歩を写真を撮りながら、歩いてきた。
 3000歩とはこんな感じになるから、結構な距離ではある。

 ここからスタートした。

 
 
  
 
この写真の右側が陸上競技場なのだが、その方向に向かってスタート。

この先を突き当たって左に曲がる。
この先までで1000歩には少し足りない。

 


  突き当りを左に曲がるとこんな景観になる。
  下って行ったそのずっと先に休憩所があるので、
  そこまで行くと1500歩ほど。
  3000歩の半分になるのでそこから戻ってくる感じになる。





 その休憩所はこんな陸上競技場の端で、
 そこから撮った写真なのだが、
 この競技場の右側を周って戻って行く。






 そして、車が止まっている手前の登り道まで来た。
 この登りだけで約500歩ほどである。





 3000歩とは結構な距離だというのが、お判りいただけたと思うが、
 1万歩はこの3倍ちょっと歩かないと届かないのである。

★ こんな毎朝の散歩だが、公園には散歩やジョッギングをされている人も多く、
 高齢者のご夫婦などもおられるが、90歳は間違いなく最高齢だと思っている。
 見かけは私よりお歳を召しているヨチヨチ歩きの高齢者の方もおられるが、
 私は多分『ヨチヨチ歩き』になったら散歩は止めるだろう。
 
 私の散歩の目的は足の筋肉を保つというか、つけることである。
 そのために50メートルほどのダッシュを遣ったりするが、
 結構スムースに走れる。
 こんな「毎朝の散歩でスタートする90歳代」を続けたいなと思っている。

  
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人生90歳代をどう生きるか?  1

2024-01-23 06:47:58 | 私の生き方、考え方&意見

人生100年の時代だという。
 昨年3月に90歳になったのだが、
 この1年振り返ってみて、あまり以前と変わりのない生き方をしてきたのか?
 或いは、90代になると流石に変わったのか?
 70歳代や80歳代とあまり変わっていないのでは?
 と思ったりする。

 大村崑ちゃんが『90歳、今が一番健康です』という本を出してるが、
 何となくそれに近いのである。



  


 
★ 石原慎太郎・石原裕次郎兄は、私の1年上と1年下で、大学時代に彼らは世に出たので、何となく身近な存在だったのだが、
  裕次郎は突然亡くなってしまったし、
  慎太郎さんも89歳で亡くなられたとは、実は知らなかったのである。


  


 何となく身近な存在と書いたのは
 大学の野球部の先輩の住所が当時まだ有名にはなっていなかった石原慎太郎宅だったので、
 それが突然有名になったので、そんなに感じたのである。
 その野球部の先輩は、私の明石高校の先輩でもあったので特にそう思ったのかも知れない。
 兎に角、私はあの有名な『石原兄弟と同じ年代』なのである。


★ 大村崑さんは、若いころ肺結核で死にかけている。
私も若いころ肺結核をやって、長くは生きられないと思ったのだが、
彼は神戸市の出身だし、筋トレなどもするようで、何となく身近に感じたりしている。

今が一番健康だ』と言われているから、100歳までは生きられるのでは?
 人生、誰でもいつかは亡くなってしまうのだが、
 『長生きする』かどうかは、その人が持っている運命のような気もする。
 私も、実は今のところ悪いところは全くないし、
 90歳だが80歳の頃と殆ど変わっていないような気もする。
  
 だが、90歳代であることは間違いないので、
 『人生90歳代をどう生きるか』と考えてみてもいいのかな?
 と思ったりして、こんなテーマ自分自身に与えてみた
  
 これが今年の正月、孫・門野真也とのツーショットである。

   



 自分で言うのもおかしいが、90歳には見えないと思う。
 サッカーのボールもそんなにおかしくないレベルで蹴れたりする。

 そんなことなので、『90歳代をどう生きるか?
 今年から時々、このテーマで考えてみたいと思っている。
 
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私のゴルフ    雑感

2024-01-14 06:49:04 | 私の生き方、考え方&意見

★私がゴルフを始めたのは、昭和49年(1974)41歳の時で、
 その年の1月19日の日記に『ゴルフを始めた』とある。
 当時はまだゴルフなどする人は少なくて、金持ちの年寄のスポーツのような感じだった時代である。
 
 野球をやってたし『止まっているボールを打つなど簡単』と始めたゴルフだったが、最初のラウンドはその年の10月だが、64-65-54散々なスコアだった。
 そのあとちょうど東南アジアのCKDの担当でタイやインドネシアの出張が多かったので、海外で遊びのゴルフなどちょこちょこやってた時代が続いた。

★ゴルフがオモシロく思い出したのは80台で廻れるようになった48歳の頃で、当時日米対抗など行われていた播磨カントリーの会員になってからである。

  


会員になったのが1981年8月、48歳の時なのだが、
11月に行われた初めて出た月例で47-43・90のスコアが出た。
この播磨カントリーコースレートが高いので、そのスコアはそのままハンデイとなり、最初に貰ったハンデイが18だったのである。
その年の12月には、45-40・85が出て、ハンデイ13となり、
その後はハーフ30台もしばしば出て、私のベストグロスはアメリカ出張時の遊びのゴルフで出たグロス75なのだが、
オフィシャル・ハンデイ―は51歳の時に月例で3アンダーが出てハンデイ1となったのである。
その頃はこんな感じで振れていた。


 


★ その後、シングルには成れたかも知れないのだが、
  月例に出るのは止めてしまったので、私の最高のハンデーは10なのである。
  私はどうも職位とかハンデーなどには拘らない生き方で、
  囲碁初段がとれると言われて止めてしまったし、
  ゴルフハンデイ10で十分だと思ったのである。

  それ以上を目指すと、苦しさばかりが目立ってなかなか進歩はないと思うし、
 『ハンデイ10ぐらいが一番楽しい生き方』だと勝手にそう思い込んでいるのである。
  それ以上は専門家の世界だから、専門家に任せばいいと思っている。

★ところで現在のゴルフだが、
 カワサキのZ1会のメンバーとして年に4回のゴルフ会があるので、
 今年は出来れば4回とも参加しようかなと思っている。

  
 

 今年は91歳になるので、目標はエイジシュートとしたいなと思っている。
 アタマの中では、91のスコアは簡単なのだが、
 それがなかなかムツカシイのである。
 果たして、どんな結果になるのだろう?
 昨今は庭で毎日素振りだけはやっているのだが・・・


  

  
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