昨日BSの滋野選手の記事を書いていて、こんな記録を見つけた。
1966年度日本選手権ジュニアロードレースの記録である。
モトクロスと掛け持ちの懐かしいライダーたちの名前が多い中で、金谷などロード専門の選手がまだ珍しかった時代である。
この年、日本グランプリは富士で初めて行われることになった。
ホンダは第1コーナーの須走り落としが危険という理由で出場しなかった年である。MFJの運営委員会でいろいろ検討されたが最後までホンダは「YES]とは言わなかった。今思えばホンダの見識かも知れない。
この年はレース担当最後の年であったがいろいろあった。
モトクロスはF21Mがデビューして圧倒的に強かった。
山本、歳森、岡部、梅津、星野とライダーをそろえて連戦連勝であった。
ロードレースは不運続きであった。
カワサキは、藤井敏雄をマン島のプラクテイスで亡くし、1ヶ月後の富士では練習中にデグナーが転倒入院し出場不可能になった。
カワサキの初めてのGP参戦だったのだが、ライダーを2人欠いて、急遽谷口、安良岡などで対応したのである。
このロードレースの中で、ジュニア250はA1のエンジンを使ってまずまずの仕上がりであった。ほぼ勝てると内心思っていたのだが、ヤマハが直前になってアメリカからGニクソンを呼んだのである。
後、カワサキに移籍して活躍したあのGニクソンである。
当時、日本人のライダーはみんな真っ黒のツナギであった。
そんな中に赤い異様なイデタチでGニクソンが現れたのである。
練習タイムから早かった。
結果的に金谷と文字通りの一騎打ちになった本番は凄まじかった。
タイムをご覧になれば解るが、他をぶっちぎって二人だけの戦いとなったのである。
最後は、ニクソンに敗れはしたが、まだ新人とも言える金谷はよくやったと思う。
和田正広君はまだホンダのライダーであった。
最高ラップ 2.14.27 をGニクソン、金谷秀夫の二人で記録しているのである。こんなことも珍しい。
私が見たロードレースの中で、もっとも印象に残ったレースだった。
そして、このレースがレース担当最後の公式戦となったのである。
三橋、村上、歳森も出場したのだがリタイアだった。
歳森は転倒で鎖骨骨折だったのだが、
藤井、デグナーと大事故が続いた後だったので、歳森にかけた言葉が、『鎖骨でよかったな』だった。
レースが終わって、『ほっとした』のをよく覚えている。
このレースが終わって10月末からモーターショー。
12月には仙台への異動を告げられたのである。
レースと広告宣伝最後の年であった。
最後までお読み頂いて有難うございました。
お手数ですが、ちょっとクリックして頂けますか?
公式練習 レース
順位 ライダー名 タイム 順位 車番 ライダー名 マシン クラブ名 タイム Km/H
1 G・ニクソン 2.16.31 1 76 G・ニクソン ヤマハ スポーツライダース 34.08.34 158.176
2 金谷秀夫 2.18.05 2 23 金谷秀夫 カワサキ 神戸木の実 34.19.73 157.302
3 三室恵義 2.18.11 3 20 三室恵義 ヤマハ スポーツライダース 34.56.14 154.569
3 村上 力 2.20.95 4 75 和田正宏 ホンダ テクニカルスポーツ 35.33.13 151.889
5 歳森康師 2.21.17 5 51 長谷見昌弘 スズキ 城北ライダース 36.09.26 149.359
6 三橋 実 2.21.61 6 70 増田 武 ヤマハ . 1周おくれ
7 和田正宏 2.25.87 7 63 松本潤郎 . . 2周おくれ
8 長谷見昌弘 2.27.14 8 71 S・バーグスマ . 西多摩スピード
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最高ラップ ― ニクソン・金谷 ― ― 2.14.27 155.957
1966年度日本選手権ジュニアロードレースの記録である。
モトクロスと掛け持ちの懐かしいライダーたちの名前が多い中で、金谷などロード専門の選手がまだ珍しかった時代である。
この年、日本グランプリは富士で初めて行われることになった。
ホンダは第1コーナーの須走り落としが危険という理由で出場しなかった年である。MFJの運営委員会でいろいろ検討されたが最後までホンダは「YES]とは言わなかった。今思えばホンダの見識かも知れない。
この年はレース担当最後の年であったがいろいろあった。
モトクロスはF21Mがデビューして圧倒的に強かった。
山本、歳森、岡部、梅津、星野とライダーをそろえて連戦連勝であった。
ロードレースは不運続きであった。
カワサキは、藤井敏雄をマン島のプラクテイスで亡くし、1ヶ月後の富士では練習中にデグナーが転倒入院し出場不可能になった。
カワサキの初めてのGP参戦だったのだが、ライダーを2人欠いて、急遽谷口、安良岡などで対応したのである。
このロードレースの中で、ジュニア250はA1のエンジンを使ってまずまずの仕上がりであった。ほぼ勝てると内心思っていたのだが、ヤマハが直前になってアメリカからGニクソンを呼んだのである。
後、カワサキに移籍して活躍したあのGニクソンである。
当時、日本人のライダーはみんな真っ黒のツナギであった。
そんな中に赤い異様なイデタチでGニクソンが現れたのである。
練習タイムから早かった。
結果的に金谷と文字通りの一騎打ちになった本番は凄まじかった。
タイムをご覧になれば解るが、他をぶっちぎって二人だけの戦いとなったのである。
最後は、ニクソンに敗れはしたが、まだ新人とも言える金谷はよくやったと思う。
和田正広君はまだホンダのライダーであった。
最高ラップ 2.14.27 をGニクソン、金谷秀夫の二人で記録しているのである。こんなことも珍しい。
私が見たロードレースの中で、もっとも印象に残ったレースだった。
そして、このレースがレース担当最後の公式戦となったのである。
三橋、村上、歳森も出場したのだがリタイアだった。
歳森は転倒で鎖骨骨折だったのだが、
藤井、デグナーと大事故が続いた後だったので、歳森にかけた言葉が、『鎖骨でよかったな』だった。
レースが終わって、『ほっとした』のをよく覚えている。
このレースが終わって10月末からモーターショー。
12月には仙台への異動を告げられたのである。
レースと広告宣伝最後の年であった。
最後までお読み頂いて有難うございました。
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公式練習 レース
順位 ライダー名 タイム 順位 車番 ライダー名 マシン クラブ名 タイム Km/H
1 G・ニクソン 2.16.31 1 76 G・ニクソン ヤマハ スポーツライダース 34.08.34 158.176
2 金谷秀夫 2.18.05 2 23 金谷秀夫 カワサキ 神戸木の実 34.19.73 157.302
3 三室恵義 2.18.11 3 20 三室恵義 ヤマハ スポーツライダース 34.56.14 154.569
3 村上 力 2.20.95 4 75 和田正宏 ホンダ テクニカルスポーツ 35.33.13 151.889
5 歳森康師 2.21.17 5 51 長谷見昌弘 スズキ 城北ライダース 36.09.26 149.359
6 三橋 実 2.21.61 6 70 増田 武 ヤマハ . 1周おくれ
7 和田正宏 2.25.87 7 63 松本潤郎 . . 2周おくれ
8 長谷見昌弘 2.27.14 8 71 S・バーグスマ . 西多摩スピード
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最高ラップ ― ニクソン・金谷 ― ― 2.14.27 155.957