年4回、前年度12月の総会時に日時が決まります。
この会の世話をするメンバーがしっかりしていて、今回で33回を迎えるこの会のメンバーは、
会長、副会長が、その名の通りカワサキの不朽の名車Z1の開発責任者大槻さんと、そのエンジン設計を担当した稲村さんが務め、
アメリカのKMCやリンカーン工場の創設者浜脇さんも名を連ねるほか、カワサキの創世記の事業を支えたメンバーたちが名を連ねているコンペです。
特に、歴代のレース関係者のほとんどが名を連ねており、年4回の開催ですが、私も参加以来欠席は1回だけ、必ず参加しているコンペです。
今回は9組36名の参加でした。
この会の特徴の一つは、集まりが早いことです。
9時過ぎのティ―オフなのに8時半の集合です。さらにその30分前には結構な人数が集まります。
パターの練習をするよりは、こんな調子でお互いがいろいろ喋っているほうが多いのですが、そんな歓談の時間が貴重です。
昨日の私のパートナーはチームグリーン最盛期の監督の重さん(重本くん)とライダ-梁明くんです。
重さんは、SPA直入が出来たころに直入の近くのゴルフ場で無理やりゴルフに誘って始めさせたゴルフなのですが、
どんどん腕を上げて、今はハンデ―4、文字通りのシングルです。
こんなミーテングからZ1会はなごやかにスタートします。
真ん中に少し大柄に写っているのが、昨日のもう一人のパートナー東さんその左が稲村さん、
写真右から2番目が大槻さんです。
★天候にも恵まれて、賑やかに、和やかに会は進行するのですが、
私たちの後ろのグループが、カワサキの創世記のテストライダーたち、
テストライダーと言っても、
カワサキ最初のモトクロス青野ケ原も、カワサキの正規のロード6時間耐久を走った『飯原武志』、
レースをご存じの方ならだれでも知っている人気者キヨさんこと『清原明彦』、
そのひとつ後輩の全日本モトクロスをW!で走ったと言う猛者、通称め―ちゃんこと、『山本信行』、
それに『世界の金谷』と称れる『金谷秀夫』
と賑やかで楽しいメンバーで、
ラウンドの途中に、こんな記念撮影やライダーたちの歓談の機会もありました。
この写真のシャッターを押してくれたのは、キヨさん。
後輩のめーちゃんが気を遣って? キヨさんを入れてもう1枚、
ショートホールでまた追い付かれて、
これはライダーたちだけで記念撮影、。
左から、梁、清原、飯原、山本、金谷。
梁はスズキ、、金谷はヤマハに移籍してからの方が有名なのですが、彼らの故郷はカワサキです。
特に、金谷がファクトリーで初めて鈴鹿を走ったデビューのレースは歳森康師と組んで走った鈴鹿6時間耐久レース、
そのレースには飯原も加藤と組んで出走。
このレースの監督は大槻さん、副監督が田崎さん(元川重社長)でみんなレース仲間です。
私が3年間、カワサキのレースをマネージしていたころの、懐かしい話です。
私をZ1会に誘ってくれたのは飯さんですし、梁を誘ったのはキヨさんでしょう。
金谷を誘ったのは私です。
6時間耐久レースの時は、各メーカーとも、モトクロスライダーが主体でロードを走ったのですが、
歳森が『神戸木の実』の同僚のロード専門だった金谷とコンビを組みたくて、会社には無断、未契約のまま私の独断で走らせたのも懐かしい思い出です。
そんなことで、金谷には特別の想いもあって、後、九州のSPA直入のサーキットオープン時には、当時まだヤマハにいた金谷にも声をかけたのですが、ちゃんと九州まで駆けつけてくれました。
そんな律儀なところを、金谷は持っています。
キヨさんは、2年ほど前はゴルフは初心者でハンデイ50以上も貰っていたのですが、最近は腕を上げて、昨日は特に調子がよかったようです。至極ご機嫌でした。
昔は、ゴルフも、めちゃうまかった金谷ですが、最近はそんなでもありません。
然し『勝負運』みたいなのが、結構強くて、くじ引きで当たる特別賞『浜脇賞は』は、2度目の受賞でご機嫌でした。
★次回は11月10日です。
そして12月、忘年会を兼ねた総会には毎年専門誌『カワサキバイクマガジン』が取材をかねて出席します。
Z1会のメンバーは、レース関係者も多いのですが、
企画、営業、技術、生産、実験、品証などのメーカーの各部OBから、
ライダー、販売店など二輪事業全般に亘っていて、最終職位で言えば結構差があったりするのですが、
そんなことには無関係で40年ほど前の若かった時代の仲間の関係でいまも繋がっているのが、一番の特徴で独特の雰囲気を持っています。
カワサキの二輪事業の創世期、苦しい時代が続いたのですが、それを乗り切ってきた仲間意識なのでしょう。
最近、どこに行っても年齢だけは負けないのですが、
Z1会のこの会合では、わたしより先輩が3人もおられます。
みんな80代なのですが、極めてお元気です。あやかりたいと思っています。
楽しい1日でした。