雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

冬の日差し

2025-01-18 18:50:14 | 発想$感想

★ 朝はひどく寒かったのだが、
 午後2時ごろからの冬の日差しが暖かかった。

  


 久しぶりに庭仕事をする気になったのは
 この「冬の日差し」である。
 庭仕事と言っても「草抜き・枯葉拾い」である。

  暖かい感じがするのはなぜだろう?




 草など生えていないように見えるが、
 1cmにもならぬような小さな草が生えている。




 そんな『草抜き』と『ごみ拾い』を2時間近くやった。
 風もなかったし、結構暖かかった。

 『冬の日差し』のお陰である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阪神大震災の想い出

2025-01-16 11:03:04 | 発想$感想

★ 阪神淡路大震災から30年である。
 テレビでもいろいろと当時のことを映し出しているが、これは本当に大災害だったのである。
 その年の日記を読み返してみた。
 1月17日の日記にはこのように書いている。

 6時少し前、大地震、約1分ほど家が倒れるのか。これはスゴイ、本当にこれは地震なのか。 地震とは別の爆発か何か別のものではないか?短い時間の間に思った。・・・
 と書いている。所謂『地震』とはちょっと違った、経験したことのないような揺れだった。

 幸い神戸の隣町の三木では家の倒壊などはなかったが、
 停電になってしまって、神戸のことなどは全く解らなかったので、
 いつものように、明石の会社までクルマで出勤している。
 途中の信号は停電でついていなかった。
 事務所は散乱していたが、大きな被害はなし、新車倉庫のバイク600台が転倒していた。
 

★ 10時過ぎだったと思うが、電気が通じてテレビを観て、
 神戸の状況が写って、そのすさまじさにびっくりした。
 
 


 一番日ビックリしたのは高速道路が倒れてしまったことである。
 家は兎も角、こんな構造物が倒れるとは考えられなかった。




★ 幸いJRは何とか大丈夫だったが、
 幹線道路がみんなやられて、国道2号線なども通行止めになった。

 そんな状態だったから、バイクを寄贈しようと県に電話したら『寄付申請をしてください』などと言うのでびっくりして、
 明石警察の知った方に言ったら現物を直接受け取って頂けたので、確か30台ほどのバイクを寄贈した。
 道路が大変だったので役に立ったと喜んで頂いて、特別の『道路通行許可証』など頂いたりした。

 一般車はあちこちの道路が通行禁止で大変だったのだが、
 この許可証は本当に役に立ったのを覚えている。

 一般にバイクは本当に役に立ったのである。
 バイクのオーダーが急増して月末にはバックオーダーが2000台にもなったと、これも日記に書いている。

 伊丹空港は飛行機は飛んでいるのだが、空港に行くのが大変で、
 三木からタクシーで三田まで行き、そこからJRで伊丹まで行ったりした。
 兎に角、海岸方面は全く通れなかったのである。

★ あんなにひどかった神戸の街も30年経つと
 特にひどかった長田区辺りは、昔よりは数倍立派な街になって復活しているのだが、
 人間の記憶はそんなにいろいろとは覚えていないものである。
 日記を読み返してみて、いろいろと当時のことを想いだしたりしたのである。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明石城主・松平家と・・・・・昔の話

2025-01-15 08:01:47 | 発想$感想

★ 明石城主松平家の城跡が今は明石公園となっている。
 天守閣はないのだが、やぐらだけは残っている。

 
 
 
明石城主の松平家は1682年、いまから340年ほど前に
越前大野藩主だった松平 直明が、播磨明石六万石へ転封となって、
福井から明石に移ってきたのである。
 これが歴代の明石のお殿様で明治の時代まで続いている。


 

 

 その松平家の菩提寺が長寿院なのだが、

  
 

  
 そこには歴代の松平のお殿様のお墓がある。

  


★ 戦前の私がまだ小学生の頃の話だが、松平のお殿様のご子孫が長寿院に墓参りに来られていて、
 その時には長寿院の檀家総代をしていた伯父宅にお泊りになったりしていたのだが、
 最近はそんなこともなくなってしまった。
 
 私の祖先の人達もお殿様が福井から明石に移られた時に、お供して明石に移ってきたので、
 そんな私の先祖の方たちのお墓も長寿院にあったのだが、
 30年前の阪神大震災の時に全部倒れたので、整理されてしまって今はない。
 戦前には家系図もあったようだが、戦災で焼失してしまって今はない。
 
 我が家のお墓も長寿院にあるので、私の代までは墓参りもするし、
 私もそこに眠ることになるのだが、息子の代になるとどうなるのだろう?

 少なくとも私は明石で生れ、明石で育ったのだが、
 息子は生まれた時は明石だったが、直ぐ仙台に移ったし、その後は明石とは全く関係がない。今は鎌倉に住んでいる。
 だんだんと昔のことは解らなくなってしまうのも仕方がないのかなと思う。私の祖先が福井から明石にやって来たなど、子どもたちに言ったことはない。
 そんなことなので私が子供の頃に聞いた話をネットに残しておこうと思う。

★ 私自身も松平家のことなど調べたのは初めてのことである。
 結構、いろいろなことが解った。
 松平家の福井のお城は今もこのように残っているのだが、
 福井市には行ったことがない。


 


  多分、今後も行く機会はないのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和100年・終戦後80年・齢92歳

2025-01-14 06:06:29 | 発想$感想

★ 今年は昭和の年代でいうと『昭和100年』だそうである。
 実際には1989年・昭和64年で昭和は終わったのだが、
 私は昭和8年の生まれだから人生の半分以上を昭和の時代に生きたので、
 昭和の時代は懐かしい。

 この写真は昭和10年頃の東京で既に大都会になっているが、
 昭和の初めは「戦争の時代」だったと言えるだろう。
 
 

  その始まりは、1931年に起こった満州事変だから、 私が産まれた昭和8年はまさに戦時中だったのである。
  1937年(昭和12年)には支那事変が始まり、更に1941年(昭和16年)にはアメリカとの戦争・太平洋戦争が始まった。
  1945年(昭和20年)に終戦を迎えた時は私は中学1年生で朝鮮京城(今のソウル)にいたのだが、小学校時代はまさに戦争の時代だった。

★終戦直後の東京は焼野原になっていて、こんな状況だったし、
 
 

 
 戦後は経済に力を入れて「高度経済成長」の時代を迎え、GDPがアメリカに次ぐ世界2位になったりしたのである。
それ以来、昭和・平成・令和と続いて今年は終戦後80年になるのだが、
 東京はこのように世界に誇る大都市になった。
 




  私も今年で92歳、お陰様で何とか元気なので、
 齢100歳を目指して頑張りたい。
  こんな激変の時代を生きれて、本当に良かったと思っている。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いろいろあった1日

2025-01-12 19:14:44 | 発想$感想

★ いつもは平凡な1日なのに、今日は朝からいっぱいあって忙しかった。
 朝はいつもの通り三木総合防災公園で1万歩。

 11時前にアメリカにいる娘婿がやって来る。
 彼は日本の会社のアメリカのアーヴァインにある支店に勤めているのだが、日本に出張でやって来ていて、この3連休にう故郷の神戸に来ているので、三木まで足を延ばしてくれた。

 今月半ばから娘も日本にやって来るのだが、いまはまだアメリカなので、パソコンでの電話を掛けて貰った。これがその時の画面だが、ホントにアメリカも近くなったものである。


 

 
 そのあと近くのインドカレー屋に昼飯を食いに行った。
 インド人の経営で本格的なナムが出てくる。


 


 そのあとコーヒなど飲みにも行ったのだが、
 娘婿は夜は実家のメンバーと焼肉パーテーだと戻って行った。
 ホントに忙しい間をわざわざ三木まできてくれて感謝である。

 彼はホントにナイスガイである。
 少なくとも私が出会った人たちの中でTOPだと言っていい。
 若いころ彼がいたノーリツの経営者は、私の大学の野球部の先輩が経営者の会社なので、彼の評価などもよく聞いてたのだが、
 ノーリツがアメリカに初めて進出した時にアメリカ勤務になって、
 それ以来ずっとアメリカなのである。

★ 3時間ほどの三木滞在で神戸に戻って行ったが、
 そのあとは テレビで女子駅伝と




  今日から始まった初場所を観ていた。


  


  大相撲が始まると夕方の時間が忙しくなる。
  3場所ぶりに出場の横綱照ノ富士が初日から黒星だった。
  果たしてどんな初場所になるのだろう?
  ひょっとしたら新横綱が産まれるかも知れない。

  いろいろあった1日だが、やっとブログをアップしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒い朝

2025-01-11 09:51:00 | 発想$感想

★ 冬なのだから寒いのは当たり前だし、雪も降るのだが、
 このところ寒さや降雪がニュースになっている。
 普通とは違う寒さなのだろう。

 そんな寒い朝だが昨日も今日も朝の散歩はいつもの通りした。
 協同学苑の下の池だが、この池が凍ったのは初めてみた。


  


 今朝も零下2℃ぐらいだった。
 クルマの全面は凍っていてエンジンを掛けたら解け始めたが、




 こんなになるまでに5分ほど掛った。




 今朝の三木総合防災公園、
 雪ではないが霜で真っ白だった。
 




  そんな中をちょうど1万歩・約2時間歩いたら7kmになった。
  消費cal は1000を超えた。
  戻ってきても、体は暖かい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小鳥が来るかな

2025-01-10 07:24:01 | 発想$感想

★ 我が家の庭には千両や万両など実のなる木が沢山植わっている。
 その実を食べにツグミなどが来るのだが、
 来たら殆ど1日で食べつくしてしまう。

   

 
 もっと毎日でも来るようにならないかなと思って
 樹に餌かごをつるしてみた。

 
  


  それに鳥の餌を入れている。


 

  

  いずれもAmazonで買った。
  Amazonは何でも買えるので至って便利である。

  この頃はすることもないので、
  こんなつまらぬことを考えるのだが、
  若し小鳥たちが毎朝来るようになればいいと思っているのだが、
  果たしてどうなるだろう?

  若しダメだったら、2000円ほどの散財をしたことになる。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪景色の朝

2025-01-09 13:38:18 | 発想$感想

★ この辺りは雪が降ることは珍しいのだが、
  1月9日の朝、珍しく雪が積もった。

  三木総合防災公園もこんなに雪景色になった。



  
 
 流石に散歩をする人も少なくて、
 駐車場は私のクルマ1台だけだった。
   



 まだ誰も歩いていないところを、歩いてきた。




  真っ白な雪の上を歩くことなど滅多にないので
  新鮮な気持ちになった。




  振り返ると私が歩いた足跡が残っている。




  こんな散歩は初めてである。





  雪の上に足跡を残した5000歩だった。
  流石に5000歩で堪能して戻ってきた。
  明日はもう雪が解けているのだろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東北の想い出

2025-01-09 06:59:57 | 発想$感想

★ 東北は雪国である。特に青森と秋田の雪はスゴイ。
 ずっと旧い話だが、昭和42年(1964)1月から4年間仙台に住んで、東北6県を担当した。
 当時はカワサキも実用車の時代で東北6県が日本最大の市場で、毎年日本一の実績を上げていたの岩手県だった。
 いまとは全く異なった自前の代理店が各県にあってその販売網であるサブ店(自転車屋さん)を訪問するのが主な仕事だった。

 そんなことなので、仙台事務所長としてのサブ店訪問は就任早々の冬の時期から始まったのである。
 まだ高速道路などない時代で山形・秋田などの日本海岸に行くには峠越えが必要で、雪になると大変だったのを想い出す。

★ 特に雪と言えば当時から青森で青森市内の大雪は大変だった。

  


 東北6県でも県庁の所在地の盛岡や秋田、山形市はなぜか雪が少ない。
 昔の人は雪の少ないところを選んで住んだのだと思う。
 ところが青森市だけが例外だった。
 青森市は北海道への連絡船が出来てから開けた町で、歴史的には新しい街だから、雪が多いのだと思う。

★ 明日は東北に限らず、西日本の平野部でも積雪のおそれがあるという。
  


  果たしてどんなことになるのだろう。

★ 一夜明けて、珍しくこの辺りも雪である。
  それも結構積もっている。

  
 

  雪道の走行はちょっと危ないので、
  朝の散歩は陽が昇って道の雪が解けてからにすることにした。
  三木でもこんな雪だから北国や青森は大変なことになっているのだろう。
  雪で東北時代を想い出した。

  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年はどうなるのだろう?

2025-01-08 06:42:01 | 発想$感想

★ 去年はこの120年あまりで最も暑い年だだったとか。

 


  去年一年間の国内の平均気温は、1898年に統計を始めて以降、最も高かく、
 これまで最高だった2023年を大きく上回り、平年との差もプラス1.48度になったということのようである。

  



★ 今年は始まったばかりだが、ちょっと寒いような気がする。
 協同学苑の池は薄氷が張ったから0℃を下回ったということだろう。

 
  

 
 気象庁の寒候期予報によると、この冬は西日本と東日本を中心に冬型の気圧配置が強まり、寒気の影響を受けやすい時期がある見込みで、西日本と東日本では平年より低くなることもあるとか。
雪国の降雪量も多いようで、極端な暖冬となった昨シーズンと比較すると、冬らしい寒さの日が多くなるのだそうである。

★ 2025年の春から夏は、寒冬でスタートするものの春の訪れが早く、夏は猛暑傾向が予想され、メリハリのある年となりそうだとか。
夏にかけては太平洋高気圧が強まりやすく、梅雨明けが早めで猛暑となり、秋は残暑が厳しい見込みと言うから、昨年以上に暑いのかも知れない。

 このような傾向が続けば、夏の甲子園大会なども果たして将来続けることが出来るのだろうか?
 大変な世の中になってきたものである。



 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柏手   雑感

2025-01-07 06:34:46 | 発想$感想

★ 初詣で神社に行かれる方は多い。

  
   

 私はこのところ『初詣』にも神社にも行ったことはないのだが、
 テレビなどで観ていて
 『二礼二拍手一礼』はいいのだが、正しい柏手の打ち方をされている方はほとんどいない。
 社会的に立派な方でも殆ど正しくないし、
 日本人なのに『柏手の正しい打ち方』をご存じないのである。

 『柏手の正しい打ち方』と検索すると次のように表示される。
  1. 胸の高さで両手を合わせます。
  2. 右指先を少し下にずらします(第1関節くらいまで)
  3. 肩幅程度に両手を開き、2回手を打ちます。
  4. 指を揃えます。
 2項目の『少しずらす』のが殆どの方が出来ていない。

 こんな解説もある。

 柏手は、神様への敬意を込めて行う拍手で、神さまに誠の心を捧げ、ご加護をいただいていることに感謝して打つものです。
 右手を少し手前にずらすのは、神様と人間はまだ一体ではないため、人を表す右手を引くことによって、1歩下がって神様を讃える気持ちを表現しています。

  
  

★ そんなことなぜ知ってるのか? と言われたら、
  私は戦前の『小学校時代、先生に教えて頂いた』のである。
  当時は日本の植民地であった韓国の京城(今のソウル)にいたのだが、
  流石に神社は朝鮮神宮が一つあっただけだから、
  実際に柏手を打つ機会は滅多になかったのだが、その作法だけは知っていた。

  いまの学校はなぜこんな『日本の正しい作法』などを教えないのかな?と思う。
  若しご存じなかったのなら、次回神社で柏手を打たれるときはぜひ正しい方法』でお願いしたいものである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年はじめての雨の日

2025-01-06 13:46:11 | 発想$感想

★日本全国の年間雨日数の平均は約110日から120日で、週に1日程度雨が降る計算になるというのだのだが、
北陸地方の年間降水日数は、金沢市では約159日、富山県では約169日だとか。
この播磨地域は本当に雨が少なくて100日以下ではないかと思う。

そんな三木だが今日は今年はじめての雨で、久しぶりの雨である。
結構ちゃんと降って、道路の面も光っている。

 


 こんな天気図で、夕方まで降り続くらしい。

 



 庭に苔を植えてからは、雨を待つような気分になっていて、
 晴天が続くと『水遣り』をしているので、雨が降るとホッとする。

 


 この雨が今年の『第1号』だが、
 閑に任せて数えてみようかと思っている。
 100号を超えるかどうかだと思う。

 今年も始まったばかりだが、『何か新しいこと』に挑戦しようと思っていて、
 『雨の日を数える』など毒にも薬にもならぬが、92歳には似合っている。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仕事始めの4日だが

2025-01-04 19:50:37 | 発想$感想

★ 仕事始めの4日だが、今年は週末の土曜日なので現役の方たちは2日ほど休みが伸びたことになる。

 そんな休みとは全く関係のない私は、朝7時には三木総合防災公園にいた。

  
  


 ホントに雲一つない青空で、
 散歩も気持ちよく、2025年は始まった。





 公園から直接明石の長寿院に新年の墓参りに行ってきた。

  
  


 今住んでいる三木もそうだが、
 明石も子午線が通っていて、高い塔は天文科学館である。

 明石は私の生まれ故郷だし、本籍も今でも明石、
 菩提寺も明石だが、明石に関係するのは私の代までだと思う。
 息子は生まれた頃は明石だが、物心がついた時は三木だったし、
 明石とは何の関係もなく育った。
 いまは鎌倉だし、日本も故郷とはあまり関係のないことになってきた。

 世の中はどんどん変わっていく。
 2025年はどんな年になるのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三が日が過ぎた

2025-01-04 06:06:18 | 発想$感想

★ 新年の三日間を『三が日』と言うのだが、
 この『三が日』にやってはいけないと言われていることがあるなど、この歳になって初めて知った。
 でも、そんなことは知らずに90年も生きてきたので、今更気にすることもない。

 この三日間、あっという間に過ぎてしまって今日はもう1月4日である。
 年末から東京にいる孫が来てたので、我が家も家内と二人だけではなくて、何となくよかった」年末・年始であった。
 でも、新幹線の切符が三日からはなかなか取れにくくて、二日の夕方の便で東京に戻ったので、3日目はまた家内と二人の静かな生活に戻った。

★ 元旦は初日の出を拝みに、2日は東京に帰る孫を新神戸まで送り、3日目は朝の散歩復活した。
  そんなことで3日間、毎日一応は外に出たのだが、一番時間を費やしたのはテレビだと言っていい。
  どこの局も正月番組がいっぱいだったが、一番長く観てたのは『箱根駅伝』である。
 
   
 
 青山学院が2年連続8回目の優勝だという。
 調べてみたら、確かに8回も優勝していて


  


  2015年の初優勝からは、殆ど毎年青山学院の優勝なのである。
  箱根駅伝は他の駅伝と違ってすべての区間が2万キロを超える、
  長距離型の駅伝なので自力のある選手が揃っていないとムツカシイのかも知れない。

★ 2025年、92歳になる今年の目標は?
  と言っても、特に具体的にはないのだが、
  この歳だから、やはり『健康に留意』が一番だろう。
  具体的には今年も1万歩を歩ききれる『体力』を維持したい。
  それと『家内を大事に』と思っている。
  二人とも健康で過ごせるのも残り少ないのは間違いない。
  現在は炊事・洗濯・掃除などの家事はすべて家内がやってくれるのだが、
  これは『家内の運動』だと思って、任しておきたいと思っている。

★ この年末・年始には鎌倉にいる息子は孫は来なかったが、電話は掛けてきた。
  1月末にはアメリカにいる娘がやって来る。
  毎年のことだが、娘が温泉の宿をとってくれて招待してくれる。
  1昨年は有馬、昨年は湯村温泉、今年は淡路と言ってるので楽しみである。 
  まあ、今年も毎朝の運動、パソコンでのネット、庭仕事、70年以上続いている日記などが、主体の1年になるのだろう。
  『三が日』が終って、そんな普通の毎日が今日から始まる。
  そんな平凡なのがいいのだろう。
  
 
  
 


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初日の出

2025-01-01 07:49:10 | 発想$感想

★ 明けましておめでとうございます。


  



  


  元旦の朝、三木総合公園に初日の出を拝みに行った。

  広い公園なので場所によって時刻が異なる。
  そんなことで歩きながら撮ってきた沢山の初日の出である。
  2025年もいよいよ始まった。
  いい年になることを祈るばかりである。


  


 

 

















  雲一つなく、素晴しい初日の出だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする