商標登録された、この肥後の守は、今ではただ一軒、三木の永尾製作所で造られている。
その製法は、鍛造された素材を槌でたたく、所謂、昔から伝わる鍛冶屋の製法で一本一本手で丹念に作られている。
鍛冶屋が無くなってしまったように、ナイフで鉛筆を削れる子供たちも、居なくなってしまったと、思っていたら、そうではないのである。
長野県のある小学校の子供たちが、肥後の守を使って、鉛筆削りは勿論、ナイフを使っての工作などの勉強をしているようである。
世のお母さん方も、ナイフは危ないなどと言わずに、このような活動を広める方向へ努力して欲しい。
永尾製作所には、そんな子供たちから、手書きの感謝状が、何枚も贈られている。
伝承技術を受け継いで育てている、永尾製作所を応援したいし、ナイフで、鉛筆を削る子供たちにも、拍手を送りたい。
ナイフはもともと、人を傷つけたりするものではないのであろ。
いつもの事だが、評論家と称する人たちが論評する。
大体が辛口である。ボロかすにくさすのもいる。そんな人はそれが売りである。
野党も論評する。これも、まず褒めたりすることは、絶対にない。
いろいろの文句も、それなりに理由はあるのだが、どのような人選をすれば、この人たちは、よしとするのだろうか。
確かに、政治信条の近い、仲間を集めたとは思うが、仮にその逆の立場の人を入れると総花的と言うのだろう。
補佐官5人を選任し、官邸主導を明確にした。
ここが、目玉のような気もする。
いずれにしても、われわれの住む、日本の舵取りをするのだから、いろんな意味で本当に美しい国を目指して頑張って欲しいと思う。
それまでは、天地と言っていたという。
自然というのは、開国後に外国語を訳した際に出てきた言葉で、西洋では自然と人間を完全に分離した考えを持つが、東洋や日本では人間は自然の一部と考える。
天地という言葉のなかには、人間が存在する。山水画のなかには、自然の中に小さく人間が描かれている。
洋画は、人を主体に背景に自然がある。西洋では、自然と人間がそれぞれ独立して対峙しているというのである。
本当かなと思った。
辞書で、自然を調べてみると、その意味のなかに天地もあった。
もともと、日本にあった言葉ではないなどという記述は無かった。
今までなら、ここで終わりである。
最近覚えたWikipediaで調べてみた。
自然という言葉は、開国後、西洋から移入された、訳語であるという上述と同じ記述があった。
天地という昔からの、人と自然が自然に溶け込んだ、里山のような生活態度が見直されるべきである、という論調であった。
確かに、もう少し自然と溶け込んだ生活もいいと思った。
これらは、すべてパソコンのなかで得た知識である。
西洋から来た、科学、技術もまた、いいものである。
いろいろと、言われているが、この5年間で、政治のスタイルが様変わりしたのは、誰もが認めるところだろう。
若し、昔の派閥主導の体制なら、安倍さんの総裁はなかったと思う。そういう意味では、安倍さんは、小泉さんが造った総理、ということができるだろう。
安倍さんについては、拉致問題以外は、どのような主張なのか、どのような施策を持っているのか、本当のところは、よく解っていない。
党、三役は決まったが、明日の組閣で安倍色が出るのか。
一方、小沢一郎の名前は、このところ頻繁に、マスコミに登場する。
この人のほうが、安倍さんよりは、主張や施策の方向は、読めるような気もする。
与党、野党と言っても、昔のように、自民党と社会党のような違いはないので、今後の政局で、国民がどちらを支持するようになるのか。
政権交代を是が非でもと思っている訳ではないが、それもまた、いいのかと思ったりもする。
それは、今後の安倍さんの動き次第だと思う。
お役所の地方行政など退屈なものだとばかり思っていた。
民間企業での現役時代、全国のあちこちを飛び回っていたのて、それなりに想い出もあり懐かしく、今年に入って、いろんなまちのホームページを見始めた。
お役所のホームページでも、最近はいろいろあって、新鮮で、活発なものも沢山、見られる。
そんなまちは、ベースにある行政の姿勢が新鮮で活発なのである。
大分市の躍動感あふれる、トップページ。
シテイセールス戦略と題して、マーケッテングの感覚を取り入れた、仙台市。
最近、問題があったが、いろんな取り組みに挑戦する、京都市。
私の住むまち、三木市もこのところ頑張っている。
その他、いっぱいある。
日本広報協会が主催する、全国の市のホームページコンクールで、見事、今年の大賞の栄冠に輝いたのが、高槻市である。
何年か前に、日本一のホームページを目指すと宣言し、その通り日本一を仕留めたのは、立派である。
その高槻市のホームページに、先月から、景観ブログなるものが、登場した。
多分、市のホームページでブログを使ったのは、全国で初めてのケースと思う。
高槻のホームページは大賞をとるだけあって、いろんなアイデアや、新鮮な仕組みがあって面白いのだが、
今回の景観ブログは、国の景観法に基づいて、高槻のええとこ を市民とともに、再発見し、市民とブログを交わしながら、美しい街並みや、景観を造っていこうという試みである。
私は、もう30年も前になるが、高槻に数年住んだことがある。
その頃の高槻の印象は、景色がいいとも思わなかったし、あまり目立たない、むしろダサいまち、と思っていた。
今、日本一のホームページをもつ高槻は、行政の動きも新鮮だし、10万人以上の集客のある高槻ジャズストリートとか、サッカーのガンバ大阪支援など、市民の動きもいろいろと活発である。
面白いまちの、こんな新鮮で活発な動きは、下手な民間企業より余程高いレベルにあると思う。
こんな地方都市の今後の新しい動きに、ブログは間違いなく大きな役割を果たすものと、思われる。情報発信は、一方通行よりも、双方向がいいに決まっている。
高槻の景観ブログは、そのきっかけになるかも知れない。
家に居て、パソコンの前に座りいろいろやっているだけで、いろんな新しいことに出会う。
Wikipedia,SNS,ミクシイ、Web2.0,景観法、景観ブログ、などが極、最近出会った言葉である。
ご存知の方も多いと思うが、Wikipediaについては覚えてから、本当に役に立っている。辞書みたいなものだが、辞書以上に詳しいし、面白い。
説明するより興味のある方は、検索をしてご覧になったら、その良さがよく解ると思う。
調べたい言葉の後に、Wikipediaをつけて検索すると出てきます。
アメリカでスタートした仕組みだそうだが、アメリカ人の発想の柔軟さというか、創造力に敬意を表したい。
日本人からは、なかなか、この発想は浮かばないと思うし、一つのシステムにまで仕上げるのは、難しいのではないかと思う。
その他の言葉も私にとっては、非常に興味深く、関心がありました。
世の中は新しい言葉とともに進歩しています。
それらについては、またの機会に、ブログするかも知れません。
ブログに興味を持ったきっかけは、小泉さんや安倍さんの広報戦略を担当している参議院議員の世耕弘成さんのホームページでブログを見つけ、その後続いて高槻の市長公室長の樋渡さんのblogにかんするコメントを読んだからである。
今の衆参両議院の政治家の殆どすべての人たちが、ホームページを持つような、そんなインターネット全盛の時代になった。
メールマガジンを持っている人は、山本一太、原口一博など若手が中心である。
ブログは慎太郎の息子の石原ひろたかや世耕弘成など今は未だ、ごく僅かである。
自民党の広報戦略の中心人物が、他に先駆けてブログを採用したのは、これは時代の流れかなと、思ったのである。
余談だが、殆どすべての国会議員がホームページを持っている時代に、数人の人が持たずにいる。その中に、小泉純一郎と田中真紀子が入っているのは、面白いと思った。
私は大学の4年のある時から日記を欠かさず書いてきた。もう50年も続いている。
書き始めたきっかけは、朝日新聞の記事に、当時台湾にいた蒋介石が20年か30年ほど日記を書いていて、確かそれが立派なことだ、というような論評であった。
内容はともかく、日記を書き続けることぐらいなら、自分にも出来るはずと思って、その翌日から書き始めて現在まで、続いている。
内容はともかく、年数では蒋介石を超えたことに、十分満足している。
そういう意味で、私にとって日記のきっかけは蒋介石、ブログのきっかけは世耕弘成である。
ブログはまだ始めたばかりで、その仕組みも、まだあまりよく解っていない状態である。
文章を書くことは、日記のお陰もあってあまり苦にならないのだが、何のためにブログを書いているのか、もう一つ自分でもはっきり解っていない。
然し、何となく楽しい雰囲気を感じている。
ただ、野球というチームで戦うスポーツにおいて、全国制覇をしたナインのことよりも、斉藤君一人に話題が集中するのは、それもプレーそのものではなく、青いハンカチを介してというのは、今の世の、マスコミが少々おかしいのかも知れない。
昔はそんな事は、カケラもなかった。
自慢話になるが、昭和25年夏、甲子園に出場した、阪神の吉田義男さんも京都から出場していた。夏の大会は1回戦で敗退したが、私の野球人生で一番多くプレイした球場は甲子園であるのは自慢である。
当時、兵庫県の予選は甲子園球場を使っていたし、正月に行われる県のOB戦も甲子園だった。何よりも、大学の春秋のリーグ戦が甲子園であったので、今思えば、夢のような、野球部生活を送った。
それにしても、今の高校野球の実力は相当なものである。本場アメリカのチームを寄せ付けない強さは、賞賛に値する。
私などは、青いハンカチもいいけれど、そんな高校野球の実力の分析などに話題が集中して欲しいと思うのでだが。
そんなことを思っている矢先、今アメリカの娘のところに遊びに行っている、家内から、ハンカチ王子を直ぐ近くで見たよと興奮気味の電話。野球を観に行ったことよりも、斉藤君を見れたことのほうが、自慢のようである。
人それぞれ、興味や関心事は異なっているのである。そんな価値観の違ういろんな人が、いろんなことに関心を持つことが、人気があるという証明なのかも知れない。
http://www.city.miki.lg.jp/index.html
日本一美しいまちをめざす と高らかに宣言したまちがある。
そして、スローライフなまちづくりを、ふれあい、文化、景観、賑わい、情報発信の五つの視点から造り上げることを目指そうというのである。
このまちが目指している、美しいまちとは、このまちの自然の外面的な美しさだけではなく、むしろ、内面的な人の心や態度の美しさをめざしている。
このまちを訪れる人たちとも、人それぞれの考え方や生き方を、互いに尊重しあいながら生きていく、そういう生き方が美しいのだと言っている。
そして、今まで気に留めていなかったことにふと気づく、そんなゆったりとした、人に優しい暮らし方を、スローライフなまちづくりと称んでいる。
年間に市の人口の50倍もの人たちが訪れるこのまちは、来訪者を友達と位置づけ、市民と同じ目線で対応しようというスタンスも特長である。
このような、日本一美しいまちをめざしているのは、兵庫県三木市です。
人口85000人のこのまちは、旧い歴史のある城下町で、金物のまちとして知られていた。
昭和50年頃から丘陵地に大規模な宅地開発が進み人口も増え、昨年吉川町と合併し美嚢川沿いの美しい田園地帯も仲間入りした。
交通の便は至ってよく、1時間ほどで、岡山、日本海、京都、奈良,堺、淡路島、が行動範囲である。
逆に、これらの地区から1時間以内で三木に遊びに来ることができる。
空気、水、自然、山、川、湖、街並み、田園地帯みんな水準以上に美しい。
日本一の廣野ゴルフ場をはじめ25ものゴルフ場が市内に点在する。
グリーンピア三木、森林公園、ホースランドと緑に恵まれた、グリーン施設がいっぱい、旧い歴史をもつ寺院や仏閣も静かな雰囲気のなかに存在する。
世界最大の地震実験装置E-デフェンス、質量ともに、日本一の酒米山田錦、金物産業、炭酸含有量日本一の吉川温泉よかたん、そのほかに二つの温泉がある。
今までの日本の価値観は、通勤に便利なところ、駅に近いところを評価するものでした。
毎日をせかせかと、利便性、効率ばかりを企業も、個人も追っかけ過ぎたと思う
欧米では、空気、水、自然が価値観の基盤である。
ようやく、日本も真に人間らしい生き方を提案する、行政が出現したことは、今後の時代の流れる方向を示唆しているのかも知れない。
安倍さんが、美しい国、日本を提言しています。
三木市の提言は、それ以上に次元が高いことを、誇りにしたいと思う。
小さな庭だが、70本ほどのバラがある。冬の施肥、初春の剪定、毎月の消毒、秋の剪定など、一年中結構忙しい。
これらの作業のひとつひとつは、日頃の努力で解決できる類のもので、決してむつかしいものではない。
努力の結果は、必ず美しい花として戻ってくる。自分だけではなく、周りの人の目も楽しませてくれる。もう直ぐ秋薔薇のシーズンである。秋の薔薇は、春のような豪華さはないが、花本来の美しさがあるように思う。
定年後はじめた薔薇だが、手ごろな健康法だと思っている。
美しい国,安倍さんの書いた本の題名に使われている。
美しいという言葉の意味は深く、外面的な美しさのほかに、調和のとれた、こころの優しさなど内面的な美しさもあらわしている。
本来、日本に至極似合う言葉だと思う。せかせかとしたことばかりが目立つこの頃だが、もう少しゆったりとした美しい生き方をしたいものである。
どなたが総理になっても、真に美しい国日本を目指してほしいものである。