雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

私の高校時代

2024-07-31 05:27:51 | 自分史

★ 中学校は名門神戸一中に行っていたのだが、
 3年生の時に男女共学になり、高校時には学区制なるものが出来て、
 明石高校に転入した。
 まことかウソかは解らぬが、こんなことを言う人がいる。
 
 『これは神戸一中での天覧授業が原因である。GHQが天皇陛下が何故神戸一中に泊まられたのかを調べたら、あの学校は英才教育を行っているということが解って、それでまず男女共学にし、次いで学区制なるものを行った。』
 と言うのである。
 
 そんなことで当時の神戸高校からは明石高校に3人の生徒が転入したのである。 明石から神戸高校に通っていたのはほかにもいたのだが、それは私立の灘高校に転入したのである。
灘高には当時の神戸高校から学区制で各地の高校に行くのを嫌って、神戸高校から大量の生徒が移転したのである。
 もともといい私学ではあったが『灘が文字通りの進学校』になったのはこの年以降だと言っていい。

★ 明石高校はそれなりの伝統もあるいい学校なのだが、
 神戸高校に比べると授業の内容は1年ぐらい遅れていたこともあって、
 転入してからは、私は殆ど勉強をする必要もなかったのである。
 すぐに伝統のある明石高校野球部に入ったのだが、
 その野球部は結構強くて、3年生には全日本の4番を打った大津信さん、
 慶応当時朝日スポーツ賞に輝いた山本治さん、
 2年生にも日本生命の最強時代の国賀・西村さんなどもいたし、
 同期には『完全試合』をした溝畑圭一郎などもいた当時は兵庫県の名門校で『名門明石』と言われていた。

 


    昭和25年(1950)の夏には甲子園にも出場した。
 当時は明石市で高校は明石高校ひとつだったから、
 後援会も強力で、そんなお陰で野球部は裕福だったので、
 夏の予選の前の練習は校庭ではなく明石公園内の野球場での練習が主だったのである。




 この明石球場は当時はひょっとしたら甲子園球場よりも格上で、
 春は毎年読売巨人軍がキャンプを張っていた球場なのである。
 長嶋茂雄も王貞治も入団当時の春のキャンプは明石球場だった。
 因みに夏の予選は甲子園球場で行われていた。

★ 私の高校時代には父は脊髄カリエスを患ってずっと寝ていたので、
 私は大学には行かずに就職するつもりだったから、殆ど勉強はせずに野球ばかりに熱中していた。
2年生の時まではサマータイムで8時半ぐらいまで明るいので練習が終わるのは9時過ぎだった。
 結構な猛練習だったが、今と違ってバッテングマシンなどはない時代だから、練習の主体は守備が長くてノックで絞られたものである。
 私はショートをしていたが、当時の明石の内野陣は兵庫県でもトップレベルで、殆どと言っていいくらいエラーなどした記憶がないのである。
 当時のピッチャーのレベルもそんなに高くはなかったからだと思うが『三振』などもした記憶は少ないのである。

 いまの時代は大谷でもよく『三振』をするのだが、
 当時は打てないバッターを『三振バッター』と言っていて、
 『三振』は今と違って極端に『ダメ』だったのである。

 そんな野球漬けの高校時代だったのだが
 高校3年生の時の1月2日に父が亡くなってしまったので、
 伯父が『治療費も要らなくなったから大学へ行け』と言うのである。当時はまだ、健康保険などはなくて治療費が大変だったのである。
 そんなことで、にわかに1ヶ月ほど受験勉強して神戸商大に入学したのだが、
 その倍率は実に16,5倍もあって、通ることはまずないと思っていたのだが、不思議なことに入学が出来て進学することになったのである。
 
 
  
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ジムトレーニング

2024-07-29 19:11:19 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 外は危険な暑さなので、高齢者は外に出るなと言われているので、
 先週末から三木市の体育館での『ジムトレーニング』に切り替えた。
 三木山総合公園内にある三木市の体育館は
 こんなに立派な建物で一番奥には庭園付きのプールもある。

 


 
 そんな体育館の中にこじんまりとしたジムがある。


 


 
 ジムはそんなに大掛かりなものではないのだが、
 一応のトレーニング器具が揃っているし、
 三木市民には1ケ月1000円と言う価格なのである。

 そんなジムで1時間半ほど汗を流しているのだが、
 外で7000歩スロージョッギングするよりは、少し楽かなと言う感じである。
 ただ、筋力強化にはジョッギングよりは間違いなくいいと思うので、
 この夏場の間はこのジム・トレーニングを続けたい。

★ このジムは会員制になっていて会員番号もあるのだが、
 私はNO.320で、非常に若い番号なのは出来てすぐ会員になったからで、
 公園でスロー・ジョッギングを始める前に『ジム・トレーニング』をやってたので、もう5年以上も前のことなのである。
 そんなことでジムの係の方とも顔馴染みだし、
 いま来られている会員さんのNOはみんな何千番台の方ばかりなので、
 最近は夏場だけのジムなのだが、非常に気安く通えるのは何よりなのである。
 今年は9月末までは『ジム・トレーニング』にしてこの熱い夏を切り抜けたいと思っている。
 ちょっとでも『体が締まればいいな』と思っている。
 
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大相撲名古屋場所 おもしろかった

2024-07-29 06:29:30 | 発想$感想

★ 千秋楽は優勝決定戦で、横綱照ノ富士が優勝を飾った。
  先ずは、順当な結果だとは思う。

 
 
 
 特に誰のファンでもないのだが、
 今場所は横綱照ノ富士がが初日から連勝で、ずっと横綱のいない場所が続いていたので、
 やはり横綱がいると場所が引き締まるなと思ったりしていた。

 今場所の殊勲賞は『大の里』だが、
 場所を盛り上げたのはまさに『大の里』だったと思う。

  

 
 出だしに連敗だったが、横綱・照ノ富士を破ったし、 
 隆の勝との一番に敗れて、優勝決定戦になるきっかけを創ったりした。
 そう言う意味でも「殊勲賞」である。

 



 琴桜も横綱を破ったし、大の里と並んで今後の大相撲を支えていくのだろう。
 貴景勝はカド番を勝ち切れなかったし、
 何となく新しい時代になっていくのかも知れない。

 なかなか面白かった名古屋場所だった。


  

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パリ・オリンピック開会式    雑感

2024-07-27 13:07:12 | スポーツ

★パリ五輪の開会式は、日本時間2024年7月27日(土)午前2時30分より、パリ中心部を流れるセーヌ川で行われた。
 夜中に起きてテレビで観て、それから寝たので1日何となく体調がおかしかった。

 その開会式は多くの観客が、無料で開会式を観ることができるという画期的な試みではあったが、選手団の入場も大小さまざまな100隻以上のボートで、
全長6kmものパレードと言う今までにない形式だが、
確かに素晴らしショーであったかも知れぬが、
何となく『オリンピックの開会式』としてはなじめなかったというのが実感である。




 「オリンピックの開会式」と画像検索すると、こんな画面が現れる。




 スポーツの祭典がショー化されてしまっていて、
 セーヌ川とパリの町が中心で、
 オリンピックと言う運動競技の開会式はやはりその舞台である競技場でやって欲しかったというのが私の実感で、
 スポーツの祭典の開会式はそれらしい選手中心のものであってほしいと思った。


★ 既に競技は始まったが、柔道では金・銅のメダル、サッカーもマリに1-0と辛勝していいスタートを切っている。
 これからテレビを観るのが忙しい毎日になりそうだ。 
 

  
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協同学苑の山の散歩道

2024-07-27 06:41:04 | 発想$感想

★このところ毎朝行ってる協同学苑の北の端には『山の散歩道』がある。

 ここの山の中の登り道は結険しい。
 少なくとも90歳の高齢者が通る道ではないのだが、
 昨日はそんな山道を登ってきた。

 北の一番端にはこんな綺麗な池があるのだが、
 山に見えるが、右側には綺麗な舗装した道があり、
 そこを下って来て、いつもはその道を引き返す。
 その道を通らずに左の方からの山道がある。
 
 


 こんなルートなのである。





 本当に急な登りの階段があり、これが結構長い。

 



 折角登ってきたのに、今度は下るのである。






  その下りの階段も急で、更にこんなに長い。






  この辺りで下の池が少しだが、見えたりする。




 それからはずっと急な登りが続く。





 途中にはこんな休憩所があるので、一休み。




 それからがまたきつい登りで、




  空が見えたところが出口である。





★ 確か去年の秋に登って、今年はこれが初めてである。
  そんなことで、いつも『これが最後かな』と思ったりするのだが、
  もう一度ぐらい登るだろうか?

  ここを通るときは結構慎重に注意して登っているし、
  特に下りは急なので気を遣っている。
  若しこんなところで動けなくなったら、
  殆ど人は通らないので、大変なことになると思うからである。

  今年も無事通れてよかった。


 
  


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イランの想い出

2024-07-26 05:58:56 | カワサキ単車の昔話

★ テレビでイランの紹介をやっていた。
 世界のいろんな国に行ったのだが一番強烈な印象を受けた国と言えばイランである。

 ご覧の通り殆どが砂漠で樹が生えていない。
 テヘランをはじめ大都市には緑があるが、自生しているのではなく人の手で植えられ、テヘランなどは日に何回か山からの水が流れてくる。
 都市はみんな人の手で創られている。

  


 1976年(昭和51年)のことだからまだイランが王政の時代である。
 カワサキが小型のCKD生産を始めるに当たって、
 主としてタイ・インドネシア・イランの3カ国を選び、
 その市場調査を行った時に調査団の一員として訪問したのである。
 この年の6月3日から10日まで8日間だったがこんなルートで
 テヘランを中心にあちこちに行っている。


 


 長距離は飛行機だが、工場のあったサヴェーには片道140kmを車で砂漠の道を往復した。
 途中は全くの砂漠で樹など生えていない。
 こんな光景を見るのは生まれて初めてだった。

 南のシラーズイスファファーンデーラー訪問などしたのだが、
 いずれも人が創った綺麗な街だった。

★ こんなイランの風景も印象に残っているのだが、
 人々の発想や言葉も全然違っていたし、
 イランいはイランの数字があるのには驚いた。
 ゼロは・なのである。
 ホテルの部屋番号や飛行機の座席番号も奇数が数字なら偶数はイラン文字で表示されていた。

  
  私は結構こんな新しいことには関心があって
  所謂『ペルシャの市場』にも独りで2度ほど行ったのだが、
  物品の価格が値段交渉で決まるのには驚いた。
  そんなことだから、イランの人達との会議は大変だったのである。
  『事業計画』など未来のことは神様の世界だと仰るし、
  会議をしていても『お祈り』の時間が来ると突然中断されてしまうのである。

 最後に訪れたイスファハーンでは、
 空港で飛行機が欠航になり、いつ飛ぶのか解らないのである。
 まさに、未来は神様の世界で空港関係者は飛行機が再開する時間などあまり関心が無いようで、何を聞いても『解らない』なのである。

  
 


 そんなことでテヘランまでの400kmを2台のタクシーで戻ってきたのである。
 道は砂漠の中をホントに真っすぐで車も殆どいないから、400kmを3時間ほどの行程だったのである。

 当時のイランのデーラーは日本の販売店よりはずっと立派で、
 サヴェーの工場も立派だったから、
 イランでの販売には期待していたのだが、
 1979年のイスラーム革命で、各社ともダメになってしまったのである。
 因みに、この時サヴェーの工場に単身出向してたのは、
 後、川崎重工業の副社長をされた佐伯武彦さんなのである。

 当時はブリジストンもホンダさんも工場進出していて、
 どちらのメーカともお会いして話を伺ったりしたのである。

★ こんなイランだったから、調査団のほかに人たちの印象は『イランはオカシイ』だったのだが、
 私は何となく回教徒は日本人よりは多いし、
 イランの人達から見たら『日本人はオカシイ』と思ったのではないかと思ったりした。
 ペルシャの市場には一般のバスに乗っていったのだが、
 言葉は通じなかったが、人々の対応は非常に親切で人間味あふれるものだった。
 そんなことがあったので、その後も何となくイランには親しみを感じるのである。
 兎に角、世界は広いなと思ったのが実感である。


  
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蝉   雑感

2024-07-25 06:47:09 | 発想$感想

★昨日も蝉のことをちょっと書いたが、
 今朝も協同学苑を朝散歩してて、蝉のこといろいろ考えた。
 
 蝉が鳴きだすのは何時ごろなのだろう?
 朝7時過ぎに公園に着いた頃には既に蝉の声が聞こえていた。

 公園の桜並木では蝉の鳴き声が聞こえるのだが、
 写真を撮ろうと探しても、蝉の姿が見つからず鳴き声ばかりが聞こえるのである。

 
 

 そんなことから。子供の頃のことを想いだした。
 当時、韓国のソウルにいたのだが、夏に蝉はいなかったように思う。
 どこかにはいたのかも知れないが、『蝉取り』をした記憶はない。

 当時、夏休みには内地の明石に帰省していたのだが。
 明石公園に隣接した庭には蝉がいっぱいだった。
 小学生の4年生の頃だが『蝉取り』をしたら幾らでも採れた。

 庭木にの幹には蝉が連なっていたのである。
 こんな写真があったが、こんな感じで、
 これはクマゼミばかりだが、クマゼミだけでなくアブラゼミなども交じっていっぱいいたのを想いだした。

 


 どれ位採れたかと言うと、大げさではなくバケツにいっぱいほどの蝉が取れて、
 池の鯉にやったらどんどん食うので、
 沢山やってたら何匹かの鯉が死んでしまって、伯父に怒られたことがある。

 戦後も明石の上ノ丸にはいたのだが、
 戦後は『蝉取り』などしたこともないし、意識したこともない。
 でも、今ではあの頃のようにはいないのではなかろうか?
 何となくだが、そんな気がする。

 いまの我が家の庭にも少ないが蝉はいる。
 毎年、蝉の抜け殻が樹の幹に残ってはいるのだが、そんなに多い数ではない。
 
 そんなことをいろいろ思いながら散歩していた。
 今朝もこの山の入り口に来ると不思議なほど『蝉の鳴き声』が聞こえなくなる。

 


 なぜ、山の中には蝉がいないのだろうか?


  
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日影の道

2024-07-23 14:08:36 | 発想$感想

★猛暑の日が続く。熱中症が危ないから出来るだけ外に出るなと言う。
 朝・7時台でも既に32℃もある。

 そんなことだから日蔭の多い『協同学苑』を歩いてきた。
 ここは結構、日陰の道が多い。


 車を止めたすぐ横の並木道も片側は日影になっている。
 
 



 その反対側は全くの日陰になっている。




こんな道に続いて、



 日影の竹林。





 それを抜けると広場に出るが幾らかは日影がある。





 もう真夏である。
 蝉の声が騒がしい、ずっと聞こえているのだが、
 ここに来ると、なぜか全然蝉の声が聞こえない。

 



  山の中には蝉はいないようで、静かな道が続く。

 


 なぜ蝉は山の中にはいないのだろうか?




 そんなことを想いながら、日影の道を歩いてきた。





 住宅街に近い散歩道が一番蝉の声は大きかった。
 そう言えば、もとは山だった三木総合防災公園は蝉の声は少ないように思う。


  
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固定電話は無くなってしまうのかな?

2024-07-23 07:05:30 | 発想$感想

★ 私が子供の頃から終戦直後にかけては、
 『電話のある家』はそんなに多くなくて、
 『電話のある家=裕福』と言うような感じだったのだが、
 電話機の普及の推移はこんなことだったらしい。


 


 1997年がピークで、2010年以降は急激に減少している。
 『携帯電話の普及』と反比例した傾向である。


  



★ 私自身はスマホは持っているが、 スマホで電話をしたことがない。
 電話は掛けるのはいいが、どうも掛かって来るのは好きではない。
 世の中には緊急なことなどそんなには無いと思っている。
 突然、掛かって来る電話はある意味当方の自由を奪ってしまうと思うのである。
 私が普通ではないのかも知れぬが、スマホで電話をしなくても別に困ったりはしていない。
 
 そんなことで、電話はもっぱら家の固定電話の御世話になっている。
 留守電にしていることが多いので、電話が鳴ってもすぐとるのは半分ぐらい。
 留守電にメッセージが入ることは殆どない。


 

 
★ アメリカにいる娘の家には以前から固定電話はない。
 先日、鎌倉にいる息子のところに電話をしたら、繋がらないので、
 どうしたのかと思ったら、固定電話は止めてしまったようである。

 我が家の固定電話は、多分ずっと続くだろう。
 スマホで電話をしないので、固定電話が無くなると通信手段がなくなってしまう。

  だが、息子のところが固定電話を無くしたように、
 一般家庭の固定電話は無くなってしまうのだろうか?


  
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私の中学校時代   自分史

2024-07-22 05:07:17 | 自分史

★ 中学校に入学したのは戦時中のことで、
 当時は朝鮮京城(今のソウル)にいて城東中学校に入学したが、
 その年の夏8月15日に大東亜戦争は終戦になったのである。
 夏休み中だったが、天皇陛下の玉音放送を運動場で、直立不動の姿勢で聞いたのを覚えている。
 よく解らなかったが『戦争に負けた』と言うことだけは解った。
 そしてその年の12月8日に日本に一人1000円と身の回りの物を持って引き揚げてきたのである。

 日本に引き揚げてからは明石の上ノ丸の家は焼失してしまっていて、
 いまは神戸市になっている田舎の伊川谷の疎開していた家に引き揚げてきた。
 そして、翌年4月に神戸一中に入学したのである。
 名門・神戸一中は難しかったのだが、なぜか試験も受けずに入学出来た。
 伯父がいろいろと手をまわしたのだと思う。

★そんなことで入学した神戸一中なのだが、『試験も受けずに入学出来たのだから、ちゃんと勉強するように』と父に言われて神戸一中時代は私の生涯で一番勉強した時期だと思う。
 アタマは悪くはなかったと思うのは、小学校でも卒業時には京城府伊賞(知事賞)を頂いたし、秀才ばかりだという神戸一中でもずっと10番以内にいたのである。
 ただ、私の学生時代に勉強したのはこの中学2年間だけだと言っていい。
 中学3年の時に男女共学になって県一女と一緒になったのである。
 それで特に英語と数学は1年前ぐらいのレベルになって、勉強する必要がなかったと言っていい。
 そして高校入学は学区制で明石高校に転入したのだが、ここでの英語・数学のレベルも既に習ったレベルで、特に勉強する必要がなかったのである。
 
 そんな中学時代だったから、私の学歴は『中学卒』と言ってよく、
 その後学生時代に勉強したという記憶がないのである。
 何をしてたのかと言うと『野球をしてた』と言っていい。
 野球はホントに一生懸命で甲子園にも出たし、大学時代は1年留学して野球部監督などもしているのである。

★ そんな神戸一中時代、2年生の時に天皇陛下の『神戸行幸』があった。
 ホントかと思われると思うが、戦後のことで神戸には陛下がお泊りになるホテルが無くて、
 神戸一中の教室を改造してお泊りになり、我々クラスは選ばれ『天覧授業の栄』に浴したのである。
 世の中で『天覧授業』などあったのはこのとき1回限りではなかろうか?
 授業参観とは後ろからご覧になるものとばかり思っていたら、
 天皇陛下は前から入ってこられて、教壇の横にお立ちになったのである。
 『天皇陛下』と言う言葉を言う時は『気をつけの姿勢』になるという時代に育ったので真正面に近いところで陛下を観て本当に緊張してしまった。

 そんな想い出のある私の中学時代である。
 いまは神戸高校になり色も白くなっているが、建物は昔のままである。


  

  
  神戸一中時代の私である。


  


 私の人生で得た学力と言えばこの神戸一中時代だけで、
 知識はむしろ就職してから、勉強して身に付いたものが殆どで、独学だと言っていい。
 別に勉強が嫌いであった訳ではないので、そんな運命だったのだと思っている。


  

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三木山森林公園を7000歩

2024-07-21 06:12:05 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 久しぶりに三木山森林公園に行ってきた。
 この公園は自然がいっぱいだが、2年ほど前から本当に自然に戻す方針で、
 芝生の草も伸ばし放題である。

 こんなになっていた。
 芝生の面影はもうそこにはない。

  
 

 こんな広大な芝生広場だったのだが、
 2年も放置するとホントに野原になってしまう。




 ちょっと日本では珍しい公園で広大だが、
 こんな山道も、その名と通り自然の森林も残っている。


  


 毎年秋に行く『もみじ谷』は今はまだ緑である。





 二つの池は今は睡蓮が綺麗だが、
 かって錦鯉などいっぱいいたのだが、今は『自然』に戻したので、
 錦鯉などはいなくなってしまった。





 そんな『三木山森林公園』のこんなルートを7000歩歩いてきた。
 約1時間半の行程である。




 殆どが自然のままだが、
 入り口には駐車場もあるし、こんなに整備されている。




 三木にはいっぱい公園があるが、
 滅多に来ないが、『私の一番好きな公園』なのである。


  
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膝治るかな?

2024-07-20 06:20:09 | 発想$感想

★ いま体で悪いところがあるとすれば、『右膝』である。
 関節の間が少し狭くなって、『違和感』がある。
 ちょっと痛いので1か月に一度病院に行き注射と張り薬など貰てくるのだが、
 病院の先生も『治る』とは仰らない。

 そんな私の『右膝』なのだが、
 先日テレビを観ていたら、その膝治療の番組・広告なのだが延々とやっていた。

 『人生10年時代』とあったので、
 100年まではあと10年近いが、
 ふと思ってすぐ電話をかけてみたのである。
 1週間分が幾らなどと言ってたが、そんなことではダメだと思って
 『3か月分』を注文したのだが、それが今日やって来た。
 

  
 

 
 こんな錠剤でこの袋に90粒入っていて
 1日3粒だから3か月で270粒飲むことになる。
 『膝潤滑源』とあるから、ひょっとしたら効くかも知れない。


   



  こんなことが書かれていたが、
  効くかどうかは解らぬが、まず今日から3か月飲んでみることにする。
  多分、3か月では治ったりはしないと思うが、
  幾らかでも『よくなるようなら』続けてみたいと思っている。

  



  果たして、どんな結果になるのだろう?
  若し、少しでも良くなれば『儲けも』と言う心境なのである。



  
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梅雨明け

2024-07-19 05:52:11 | 発想$感想
★ 九州南部は既に梅雨明けし、
 関東・甲信越は18日に梅雨明けとなったのに、
 関西はまだ『梅雨明け宣言』がない。
 





 梅雨入り・梅雨明けを発表するのは、地方ごとの気象台だそうである。
気象庁の天気相談所によると、曇りや雨の日が少なくなって晴れの日が多くなると予想され、天気図では梅雨前線が北上して太平洋高気圧が張り出してくると、「梅雨明けしたとみられる」と発表しているとのこと。

 
関西の2週間の天気予報を見ると、大阪や和歌山はもう梅雨明けだと思うが、
地域によって雨が残るところもあるので、まだ『梅雨明け』にならないのか?
豊岡など、21日も雨なので梅雨明け宣言は来週になるのだろうか?




 東京など20日も22日も雨が降るのに、
 既に『梅雨明け宣言』がなされている。





 もう一つよく解らないところがある。


  
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北播磨総合医療センターに

2024-07-18 06:07:50 | 発想$感想

★昨日は家内の定期診断で「北播磨総合医療センター」まで行ってきた。

 
  

 
行は大きな道を通って、帰りは山道を抜けて戻ってきた。
 どちらも同じぐらいの距離なのだが、4車線の大きな国道のほうが渋滞で時間が掛かったから不思議である。

  
  

 いつも思うのだが、世の中にはこんなに病院の御世話になる人が多いのか?
 大きな病院が人でいっぱいなのだが、


  


 そのシステムは非常にうまく出来ていて、
 順番が来るまでは入れないから診察室の前はこんなに空いてるし、
 先生の診断は予約制だから時間通りに進行する。


  
  

 その支払いシステムも上手く出来ていて、
 4台ほどの自動支払機に順番に並ぶのだが、
 殆ど時間待ちがないくらいスムースなのである。

 


★ 私が若いころは大きな病院と言えば神戸の県立病院など数も少なかったが、
 大病院に行くと『1日仕事』だったのを想いだす。

 さらに言うと父や伯父の時代は、確か保険もまだなかったし、
 大病院に入院するというような経験もなく亡くなってしまった。
 いまの時代、日本人の平均寿命がどんどん延びているのも、
 こんな病院のシステムや『予防注射』などのお陰だろう。

 昨日は9月に『RSウイルス』の予防注射を夫婦で受けることに予約して来た。
 『RSウイルス』など初めて聞いた名前だが。

  
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斎藤元彦兵庫県知事 今後どうなるのかな?

2024-07-17 05:29:17 | 発想$感想

★ 兵庫県民なのだが、斎藤元彦知事のことは殆どと言って解っていない。 
 ただ、今回いろんなことが起って、
 マスコミでもいろいろと取り上げられているので、私なりにいろいろ調べてみた。

 いろんな記事などを読むにつけ『いやな人だな』と言うのが正直な感想である。
 選挙では応援をした自民党県連も辞職を求めているようだが、
 かたくなに知事の職に拘っているようである。

 
 


 則近の副知事は辞職するようだが、
 知事への辞職を何度も進言したようだが、
 かたくなに知事の職にしがみついているようである。







 懲戒処分を受けた元局長が死亡した問題もあるのだが、
 報道陣には辞職を重ねて否定したようである。





★ 就任半年後のこんな記事にも巡り会った。
 有能な人材であることは間違いないようだが、
 どうも好きにはなれない秀才知事のような気がする。
 
 ■肝いり「センチュリー解約」を即実行
 かって知事公用車のセンチュリーが問題になった時期があったのだが、斎藤知事はセンチュリーには一度も乗らず、職員移動用のワンボックス車を使う徹底ぶりだったようである。

 ■コロナ公約即断念…見えた稚拙さ
 ところが、新型コロナウイルス関連の選挙公約は、あっという間に「なかったこと」にされた。選挙公報のトップに書いた政策は「重症病床の倍増」だったが、1ヵ月足らずで断念。公約が稚拙だったと言わざるを得ない。
 
 ■批判は「印象操作」?…もっと謙虚に
聞く力」という言葉があるが、斎藤知事の聞く力には疑問符がつく。知事としての公務もつぶやくツイッターで、批判的な県民を「しんどいから」と次々とブロックしてしまう。批判するような報道には、「印象操作しないでもらえたら」なんて言葉も出てしまう。
県民や首長らを「敵」と「味方」に分けるような今の姿勢はいただけない。

 以上は就任半年の時期のある報道機関の記事の一部だが、
 確かに、優秀ではあるのだろうがその性格は『好きになれない

★この兵庫県の斎藤知事問題、今後も当分続くように思われるのだが、果たして、どんな推移を辿るのだろうか?
 地元の知事のことなので今後の推移を見守っていきたい。



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