雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

土林水庵のうどんと水曜マルシェ

2016-03-31 07:09:38 | 私の生き方、考え方&意見

★ 昨日は3月最後の水曜マルシェだった。

昨年6月から、毎週続いている水曜マルシェの主宰者が向山信吾くんであり、マルシェの主役はその独特の『うどん』である。

 

先週ABCの『夢のかたち』に、土林水庵(どれみ庵)のうどんが紹介されたことはブログにもアップしたのだが、http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/6578c1ba7a8874ce616b13846f589be6

昨日の『水曜マルシェ』には、そのうどんを食べたいと、一家でわざわざ三木まで訪ねて下さった方が居る。

私も勿論初対面なのだが、

堤啓次郎さんご夫婦とその息子さんとお孫さんの4人である。

 

   

 

 どうやら、私のFacebook の動画を見てお見えになったらしいのだが、

 

その堤さん、かっては川崎重工の車両事業部と建機事業部にお勤めで、藤浦さんや原田くんのことをよくご存じだし建機事業部では私が最後に勤めた北海道川重建機にいた花房君も川村君もご存じで、さらに当時の中本専務のことまでご存じなので本当にびっくりしたのである。

 

こちらが昨日の『水曜マルシェ』だが、このイベントは、ここに集まる人たちの会話が独特で、そんな雑談を楽しむために集まってくる人たちも多いのである。

 

 

 昨日は、話だけではなく「歌」まで飛び出しているのである。

 

★こんな雰囲気にさせるのに一役を買ってるのが、向山信吾くんのちょっと変わったパーソナリテイだと言っていい。

 

こちらが、先日の『夢のかたち』のテレビに出てきた土林水庵の紹介の画面からの写真だが、

 

 

ちょっと変わった店名の紹介から、うどんとその値段まで紹介されたのである。

 

 

 このうどんは、こんな本格的な釜で茹で上げられている。

 

 

そんなこだわりの『うどん』なのである。

そのこだわりは、いいのだが、余りにも拘るために時間が掛かり過ぎて、店の商売としてはもう一つだなと私は思っているのである。

 

 

★『うどん』は日本人は嫌いな人がいないくらい一般的な食品だが、『土林水庵のうどんの玉』そのモノが『旨い』と言う人が殆どなのである。

 

商売の仕方はいろいろあるのだが、私が勝手に思っているのは、『土林水庵のうどん』の評価は、結構高いしテレビでも取り上げられたり、堤さんご一家のように遠いところからわざわざ来られたりするのを見ると、

もう少し『変わった商売の仕方』があるのではないかと、思ったりしているのである。

 

水曜マルシェ』が続いているのも、そこに来られた方の評判がいいのも、向山くんとその周辺の『向山ファン』の応援があるからである。

そこからは、商売のヒントもいっぱいある。

土林水庵』も、『向山信吾クン』も、『水曜マルシェ』による町おこしも、昨年6月以来の燦々SunSun メンバーたちの動きで、それ以前とは一変していることは、これに携わっている人たちみんなが感じていることなので、今後の活動の方向を基本的に考える絶好のチャンスではないかと思ったりしているのである。

 

    

今や、有名になっている『土林水庵』も、有名になりかけている『向山信吾くん』も、2年目に入った地域活性化のプロジェクト燦々SunSun も、この1年間に築いた環境の中で、『新しい発想』で『新しい仕組みの構築』を考えたらオモシロい時期にいま来ていると思ったりしているのである。

 

私の『勝手な呟き』である。

 

 

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電動バイク 雑感

2016-03-30 08:06:30 | 発想$感想

 

★車の世界では、電動カーなど新しい技術の車が将来の大勢を占めるものと思われていて、その方向に進むことは、まず間違いないのだろう。

日常の移動手段に使うことが多い4輪に比べると、二輪の世界は明らかにスポーツ性や趣味、趣向性が強く、特に心臓部のエンジンは、エンジンであることに意味があるのではと思ったりもしているのだが、

昨日、BMWが『大型電動バイク日本発売へ』という見出しで、こんな記事が流れていた。

 

   

 

 独BMWのバイク部門、BMWモトラッドは2017年をめどに、大型電動バイク(スクーター)を日本市場に投入する。すでに国産ではホンダ、ヤマハ発動機、スズキが電動バイクを販売しているが、“日常の足”的な小さい車種に限られていた

高級ブランドから出る大型電動バイクは、4輪車における「テスラモーターズ」のように電動をクールなイメージに変えるきっかけになるのだろうか。(原田成樹)

 2017年にBMWが日本市場に投入するのは「Cエボリューション」。2014年に欧米で投入され、同社によると1500台以上を売り上げた。大型の「C650GT」「C650 SPORT」をベースにした大型バイクだが、モーターの出力から日本では「125以上250cc未満」の分類になり、中型免許(現・普通自動2輪免許)でも乗ることができる。

 

★ この記事にもあるように、ホンダ、スズキ、ヤマハでは、小型車の分野で電動バイクを販売しているのだが、将来果たして、スポーツバイクの分野に、電動バイクを投入することがあるのだろうか?

 

カワサキは、電動バイクも、スクーターも持っていないのだが、将来『電動バイク』をどのように見ているのだろうか?

カワサキの二輪事業のある明石工場は、元々が航空機のエンジン工場であったことから、戦後各種エンジンを造った中の一つに二輪車のエンジンがあって、それをメイハツという二輪メーカーにエンジン供給したり、井関のモペットのエンジンを供給するところがスタートだったのである。

明石工場の中に二輪車の一貫生産工場を立ち上げた当時は、技術屋さんも営業も、企画も、『オートバイ』の解る専門家はいなくて、技術屋さんも『エンジンの専門家』はいたが『二輪車の専門家』はいなかったと言ってもいいのである。

私など、全く二輪車などの経験のないものが、営業の世界に飛び込んだし、当時のアメリカ市場に飛び込んだ人たちも、全くの二輪の素人が、みんな頑張ったのである。

国内市場では、二輪が解った人メグロやメイハツの人たちが援けてくれたし、アメリカ市場では二輪に詳しいアメリカ人が、いろんな面で先頭に立っていたのである。

それから約50年以上も経っている現在では、『二輪の専門家』は勿論いっぱいいるのだが、カワサキの場合はどうしても『エンジン』が電動となるとどうも、イメージがもう一つだなと思ってしまうのである

 

★ 極く最近上市された Ninja H2 (R) などは、間違いなく カワサキらしいマシンだが、車体もさることながら、やはり300馬力のエンジンが、その特徴なのだと思う。

 

  

 

  かって若い頃に、Ninja のエンジンを担当した山田浩平くんが、技術本部長で旗を振って創り上げたのが

このNinja H2(R) である。

同じく300馬力のジェットスキーのエンジンも山田くんが、関わったようだがそんなマシンに関わった人たちだけに配られた KAWASAKI 300 PS CLUBメンバーズカードの 最後の1枚を何故か山田浩平くんは、私にくれたのである。

開発などには全く私は関わっていないのだが、こんなオモシロいプロジェクトは、応援したいと思っていたので、そんな気持ちが伝わったのかも知れない。

 

 

 

 

そんな ご縁もあるし、創世期のレースチームにも色濃く関与したので、カワサキは心臓部のエンジンは、電動などは使わないで欲しいと思っているのだが、果たして将来はどうなるのだろうか?

 

 

 

 

 

★日本には、TERRA MORTORS   http://www.terra-motors.com/jp/a4000i/

という電動二輪専門メーカーがあるのだが、その設立者の徳重徹さんは、その設立趣意書に 次のように書かれていて、その志は極めて高いのである。 

 設立趣意書

Terra Motorsは日本発のベンチャー企業として、アップル・サムスンを超えるインパクトを世の中に残す企業になります

かつて明治時代の日本では、近代国家建設という共通の目的に向かい、各分野の若き精鋭がそれぞれの持ち場で200%以上の力を出して、新たな時代を切り拓きました。また戦後には「日本再建」という志を胸に、何もない焼け野原から数多くの世界的企業が生まれました。このような時代では日本全体が創業期のベンチャー企業のスピリットを持っていたと言えます。

現在シリコンバレーや韓国、台湾、中国では、急速に成長するベンチャー企業が莫大な雇用・富をうみ、国家を牽引しています。一方、日本では電機メーカーをはじめとする大手企業が凋落するなど、終わりの見えない閉塞感に覆われています。今、かつての日本のように世界を引っ張って行く事が出来るようなベンチャー企業が生まれて、この閉塞感を打ち破るべき時が来ています。

Terra Motorsは日本が世界に誇る技術分野で、設立当初からグローバル市場で戦う事を前提に創業された企業です。Electric Vehicleという新しい市場を生み出しリード出来る存在になる事で、日本発のベンチャー企業が世界で通用することをもう一度証明します。また、日本社会、特に若者をインスパイアして、世界で勝負すること、高いハードルを乗り越えリスクに挑戦することが当たり前の日本社会をつくる事に貢献します。

今こそ、日本全体がもう一度立ち上がる時です。Terra Motorsはその先頭に立ち、日本人の誇りを蘇らせます。

 

未だ始まったばかりで、どのような進展になるのかは不明だが、徳重徹さんにいろいろ伺ったところでは、エンジンが電動なので、逆にエンジンンの専門家がいなくても、二輪生産をスタートさせることが可能だったようである。

果たして数年後、電動バイクの分野は、Terra Mortors は、どのようなことになっているのだろうか? 

 

 

 

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私のパンダ碁

2016-03-29 05:46:56 | 発想$感想

★ 囲碁は高校生の頃から打ち出して、その頃は碁席で父の友人の先生に教えて貰っていて、一生懸命やってたら『初段の免許を』などと仰るものだから、そのあたりで止めてしまった。

ある程度のレベルになれば、それで満足なのである。それ以上を望んでみてもあまり楽しいことがないような気がするのである。それに資格とか免状みたいな堅苦しいものがどうも嫌いなのである。

インターネットのパンダ碁に出会ったのは、パソコンを買って直ぐ2003年のことである。

 

     

 

 こんな会員制のグループで世界に何万人もの会員がいるので、毎月2500円ほどの会費を払ったら、1日に何局打ってもOKなのである。

もう13年も毎日打ち続けて、現在は7167勝7153敗だから、毎年1000局以上打っていることになる。

    

      

 

 

よくできていて、勝てばどんどん段や級が上がるし負けると下がるので勝敗数は拮抗しているのである。

段位は10段まであって、プロの棋士も参加している。

 

 

★ 時間つぶしには最高で、これがあるから退屈はしないのである。

アタマの体操にもなるし、ボケ防止にもいいと思っている。

一番いいのは、目の前に人がいないので、相手の感情など全然気にする必要がないので、自由に打てるのがいい。目の前に相手が居て感情を露わにされると、どうも弱いのである。

 

先日来、退職後の毎日を調べてたらパンダ碁に登録したのは2003年の2月2日初段で登録して1級、2級に下がったりもしているが、一番いい時は2段になったりしているのである。

実際には初段ぐらいの実力だと思うが初段で打つには真剣に打たねばならぬので『気楽に』打てないものだから最近は1級ぐらいで打つことにしている。

これくらいで打つとホントに気楽だし、碁が楽しいのである。

どんなに頑張ってみても、2段などをずっと維持するのは難しいので、そんなに気張らないで楽しんでいるのである。

 

構想段階の布石が好きで、布石の段階だけだと2段ぐらいの方と対等だと思っているのだが、『寄せ』や『生き死に』など細かいところををつめて考えるのは得意でもないし、あまり興味もない。

だから、殆どの碁が圧勝かあるいはだんだん追い込まれて最後に取られてしまうことが多いのである。碁にもいい加減な性格が出るのである。

 

つい先日も、相手の石を取りに行く碁ばかりを打ってたら、その日は1勝15敗で一挙に2級まで落ちて今2級で打っている。

逆に2級で打つと、遊んでいてもよほどのことがない限り負けたりはしないので、気分的には一番気楽で楽しい時間を過ごせるのである。

世界の方たちが参加していて、いろんな国の人たちと打てるのだが、私は自由奔放なアメリカ人と打つのを楽しみにしている。

 

★いま、勝敗の差が10ちょっとだが、勝敗の差が30ぐらいになると大体初段ぐらいになっているのである。

2級まで落ちてしまっているので、少しちゃんと打って、早急に1級になって、初段を目指してみたいと思っている昨今なのである。

 

 

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83歳 今年はどんな年になるのだろう?

2016-03-28 08:02:06 | 私の生き方、考え方&意見

私の性分は一言で云うと『凝り性』で、一回はまると結構一生懸命にはなるのだが、新しく興味のあるものが出てくるとそちらの方に乗り移ってしまうのである。

今年は、どうもそんな興味の対象に『新しいこと』が幾つも登場しそうな予感なのである。

 

何事も、ちょっとした『きっかけ』から『新しいこと』が始まったりする。

 

昨年、30年も育っていたモミジが突然枯れて、そこに思い切って一度は失敗して枯らしてしまった北国の札幌の街路樹『ナナカマド』をもう一度植えたのである。

 

   

 

そんなついでに少しだけ、庭の模様替えをしたのだが、

 

   

 

ギボウシの株分けをして、庭のあちこちに植えたら、いまちょうどこんな芽を出している。

 

植える場所を間違ってどんどん出てくる新芽を持て余していたアスパラガス をちょっと広い場所に植えかえたのである。

今はこんな状態だが、この辺り一面にアスパラガスがアタマを覗かせるはずである。

 

   

 

教えてくれたのは、土林水庵の向山信吾くんで彼は園芸には詳しくて『土林水農園』などもやっているのである。

 

   

 

 これは『いちご』 これも初めてだが、昨秋、向山信吾くんの叔父さんの寺尾さんに、10月に『いちごの蔓』を切って植えると、来年は立派になると言われて、狭い庭にいま10本ほどのイチゴが白い花を付けている。

 

この『いちごの葉』も立派に育っていると思うのだが、これは10月以来の手入れの賜物である。

秋の町内会のバス旅行で行った先の『万田酵素』で見事に育っている植物やバラなどを見て、ちょっと高いが、万田酵素の液肥料を与えているのである。

 

  

  

 お蔭様で 今年のバラの育ちもいい。

育ちがいいものだから、俄然また『やる気』になっているのである。

今年はまた、10本ほど新しい挿し木も育てているのである。

 

   

 

何事も、ちょっとした『きっかけ』が人の生き方を変えるのである。

今年は、間違いなくもう一度『園芸』や『庭仕事』に精を出すことだろう。

 

 

 

★昨年からスタートした『地域活性化のプロジェクト燦々SunSun 』は2年目を迎えるが、

これが具体的に動きがあってオモシロそうである。

 

● 三木緑が丘サンロード商店街を愛する人のカイ!☆ 

https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#q=%E6%AE%BF%E7%95%8C%E5%AF%BF%E5%AD%90

 これは殿界寿子さん、新しくホームページを立ち上げて、具体的にいろいろとのチャレンジすることになりそうである。

 

 

オオムギのこな』の垂井健さんプロジェクト

https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#q=%E5%9E%82%E4%BA%95%E5%81%A5

 コレは昨年から既にスタートしているが、今年は間違いなく花開きそうである。

 

土林水庵の向山信吾くん も、昨年からの『水曜マルシェ』はいよいよ2年目に入る。

本職の『うどん』への取り組み などもいろいろと『新しいチャレンジ』がありそうである。

 https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#q=%E5%90%91%E5%B1%B1%E4%BF%A1%E5%90%BE

 

昨年1年度の実績は、『殿界寿子』『垂井健』『向山信吾』と検索すると上記のページが現れるし、どんな活動だったのかは、その『画像検索』をされたら一目瞭然なのである。

 

 

● これらを総合して関西国際大学の松本茂樹先生の『まちおこし』というテーマの大学の授業で学生さんたちとの協働がスタートしそうである。

 

多分この4つはいずれもみんな横に繋がるので、オモシロそうである。

地域活性化のプロジェクト燦々SunSunの2年目は、非常に高いレベルでの展開にしたいと思っているし、協働して頂けるメンバーが抜群にいいので、いい方向に動くものと思っているのである。

私自身は、これらプロジェクトのお手伝いと『広報支援』の面で頑張ってみたいのである。

 

 

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テレビ 「夢のかたち」 に登場した 土林水庵の向山信吾くん

2016-03-27 07:37:59 | 発想$感想

 

★ 昨日、朝11時ちょっと過ぎ、電話が鳴った。

向山です。テレビいま見れますか? 6チャンネルの「夢のかたち」という番組にどれくらいかは解りませんが、土林水庵と私が出ると思います

というのである。

チャンネルをひねると、三木市のからくり人形作家の『よねざわともみ』さんが出ていた。

向山くんの同級生だという。

 

   『朴な からくりで人々を笑顔にする女性おもちゃ作家』 

 ハンベルマン作家 よねざわともみ さん なかなかの美人である。

 

 

 

 

  

 

 

そうは言わなかったが、『動画を撮ってほしい』ということだろうと、これはすぐ解ったので、『見てみます』と電話を切って撮った動画がこれである。

 

 

 こんなこどもたちに、からくり人形の作り方を教えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

★ それが 土林水庵の 向山信吾くんと どんな関係があるのか?

 突然、土林水庵が現れて、『三木の有名なうどん屋さん』だという

 

 

 お店の中も

 

 

 

 牛すじぼっかけうどん 850円 が現れたりもした。

 

   

 

 

 なぜお店の宣伝のようなことを と思ったら、

 開店祝いに 米沢さんから 向山くんの『からくり人形』贈られた というのである。

 

 

 それにしても、 

こんなテレビに出る『からくり人形作家』の米沢さんが

テレビ取材に なぜ向山信吾くんを選んだのだろうか?

 そのあたりが、云うに言われぬ彼の良さだと思う。

 

 

 

★ 向山信吾くんとは、このところ親しくお付き合いをさせて頂いているのだが、昨年5月に初めてお会いしたので、未だ1年にもならない。

非常に変わっているが、私は大いに気に入っている

 

どこがいいのか?  

それもよく解らないが、この人の人脈というか、向山くんを贔屓にする人たちがいっぱいなのである。

一見のんびりしてるようだが、めちゃアタマがいいし、博学である

人の知らないようなことを知ってるし、見ているところが 意外に鋭いのである。

自分の意見を確り持っていて、人の意見もあまり気にしない太平楽なところがいい。

 

 

 

 

 

こんな笑顔がいいのだが、『うどん』にはめちゃこだわりがある。

土林水庵を贔屓にする常連さんは多いのだが、最近になって私はようやく解ったのだが、

『うどん』そのモノが太くて本格的で 『ウマい』のである。

うどんが旨い』という人はいっぱいだが、同じくらい『出てくるのが遅い』と人はいう。

幾らそう言われても、全然こたえないのが彼の良さだろう。

 

 

★向山くんと出会ったきっかけが、三木市の主宰した『日曜マルシェ』で彼はその実行委員長をした。

たった1日の『日曜マルシェ』では『まちおこし』にはならないと、『水曜マルシェ』を提案したら、昨年の6月から毎週ずっと続いている。

https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#q=%E6%B0%B4%E6%9B%9C%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7

 

そんなこともあって、今年から彼は NPO The Good Times の理事も引き受けてくれたし、関西国際大学の学生さんの授業の一環としての『緑が丘のまちおこし』も手伝ってくれることになっている。

私は、そんな彼をめちゃ『気に入ってる』ので、今年は是非いろいろと手助けしたいと思っているのだが、そんなところに思いもかけないテレビ出演だったので、確りとYou Tubeに収めさせて頂いたのである。

You Tube にしておくと、広報的にはいろいろオモシロくて、意外に役に立つかも知れないのである。

 

 

 

こんな本格的な窯にこだわって『うどん』を茹でている。

何よりも、ほかでは追従できない『うどんそのモノ』とそれに拘っている『向山信吾』をもっと徹底して『ウル』べきだと思っている。

それにはいい『テレビ出演』だったのである。

今年は『向山信吾の 夢のかたち』を私なりに応援したいと思っている。

 

 

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明石商業 ベスト8に !

2016-03-26 14:07:44 | スポーツ

 

★ 今年の春の選抜は、兵庫県からは長田高校と明石商業という公立校が出場して、長田高校も頑張ったし、

明石商業は東邦を3-0と破って、見事ベスト8に進出である。

1回戦はバントやスクイズで勝ち上がってきたのだが、対東邦戦はピッチャーは好投して0点に抑え、打線は堂々の長打で3点を取っての完勝だった。

明石生まれの、明石育ちとすれば、久々に甲子園の舞台で『明石』という名が聞けて良かったと思う。

 

その9回裏最終回の東邦の攻撃である。

先頭打者を塁に出したが後続をよく抑えて勝利した。

校歌を歌う若人の笑顔が印象的である。

 

 

われわれの時代の明石は、明石高校明南高校の2校しかなかった。

今は、幾つ高校があるのか解らぬが、3校目に出来たのが、明石商業なのである。

われわれの時代は、明石高校の中に『商業科』があって、後それが独立して『明石商業』となったのである。

 

昭和25年の夏、明石高校は甲子園に出場しているのだが、そのメンバーの中にいた同期の『溝畑と藤原』

当時の商業科にいて卒業後は、ともに神戸製鋼の野球部で活躍したのである。

 

明石高校は名門と言われ、甲子園には、春夏とも何度も出場しているのだが、明南高校も一度甲子園に出場したことがある。

明南はかっては『女学校』だったのだが、明石の旧い先輩に『女学校が出てるのに明中は何をぼやぼやしてるのか』などと言われたことがあったりして、明南をいつまでも女学校と思っている先輩もおかしいのだが・・・・

名門明石高もしばらく甲子園にはご無沙汰だが、明石商業という公立校が出場してるので頑張ってほしいものである。

実況放送の中でも『明石は野球どころ』と紹介されたりしていたが、もう一つ勝ってベスト4に進んで明石の名を全国に広めてほしいものである。

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高校生に人気の政党は??

2016-03-26 07:38:31 | 発想$感想

 

 ★ 昨日、Facebook に関西国際大学の松本茂樹先生が、こんな記事をシェアして、アップされていた。

 

  

 

 記事の内容は以下の通りなのだが、政党の人気度は

(1)おおさか維新の会(28%)

(2)社民党(22%)

(3)自民党(15%)

(4)公明党(12%)

(5)日本のこころを大切にする党(8%)

(6)維新の党(7%)

(7)民主党(4%)

(8)共産党(3%)

(9)改革結集の会(1%)

 

となっていて、維新の党がトップなのは、何となく解るが、社民党が2位に来たのは意外だった。

今度新しく合併する民主党維新の党の人気度の低さは解るような気がするのだが、共産党がなぜこんなに人気がないのだろうか?

 

高校生イベントで模擬投票 自民は3位 民主はなんと7位 1位は…

 18歳選挙権導入が目前とはいえ、若者のイベントに与野党幹部がそろい踏みするのは異例だ。自民党の谷垣禎一幹事長は「若い人たちがやりたい仕事をやれるのが、自民党が目指すところだ」と訴えた。

 民主党の岡田克也代表は、27日に維新の党と合流して党名が民進党に変わることを紹介。「渡しきりの奨学金を作ることも提案している」と述べ、子供の貧困や教育格差問題に取り組む姿勢を強調した。公明党の山口那津男代表は、与党としての政策実行力の高さを訴えた。

 与野党9党を対象に119人が参加した模擬投票の結果は、得票率が高かった順に、(1)おおさか維新の会(28%)(2)社民党(22%)(3)自民党(15%)(4)公明党(12%)(5)日本のこころを大切にする党(8%)(6)維新の党(7%)(7)民主党(4%)(8)共産党(3%)(9)改革結集の会(1%)だった。

 おおさか維新は、馬場伸幸幹事長が議員定数削減や職員給与の引き下げなど大阪府・市での改革をアピール。わかりやすい言葉で訴えたことが奏功したようだ。

 未来会議事務局代表で、都内の私立高2年、石塚瑞希さん(17)は「(参加した高校生が)参院選では自分の周りを巻き込み、みんなで投票に行こうという流れを作ってほしい」と期待した。

 

★日本の政治に、もっと若い人が関心を持たないと『政治がよくならない』と思うのだが、高校生のこの判断は一つの方向を示しているような気がする、

維新が28%、自民、公明で27%、 社民党22%で、大勢を占めてしまっている。

民進党のように明確なビジョンのないいろんな人の集まりはダメということなのだろう。

そういう意味では、若い『高校生の判断』は正しいのかも知れない。

こんな結果を、大人たちももう一度よく考えてみる必要があると思う

 

社民党はじり貧で、数では見る影もないのだが、『考え方』は明確で、寄せ集まりの民進党よりは、やり方によっては脈があるのかも知れない。

いずれにしても、私には意外でもあり、また興味のある『高校生の判断』だったのである。

 

みなさんは、この結果をどのようにご覧になるのでしょうか?

 

 

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長田高校 甲子園大健闘!

2016-03-25 06:28:03 | スポーツ

 

★21世紀枠で甲子園に出場した長田高校と長崎海星高校の試合のテレビを観ていた。

長田高校は、兵庫県でもトップクラスの進学校である。

昔の神戸三中である。

 

われわれの時代は兵庫県は私立よりは公立高校のほうがむしろ強くて、神戸一中も神戸二中も甲子園に出場したし、鳴尾高校、明石高校も、芦屋高校は全国優勝などもしたのである。

 

★どんなレベルかなと思ってみていたが、園田投手が素晴らしく9回まで3-2の接戦で、9回表もし抜けていたら逆転という飛球を好捕されて惜しくも敗退したが、期待以上の大健闘と言っていいだろう。

 

その9回の攻撃の動画である。

 

 

★野球というスポーツは、何といってもピッチャーである。

私たちの時代の明石高校も強かったが、同期の溝畑圭一郎というピッチャーがよかったので、1、2点にピッチャーが抑えてくれたら、何とかなるのである。

溝畑は灘校相手にパーフェクトゲームもやってのけたりした。卒業後は神戸製鋼のエースとして活躍し、当時の都市対抗には勝っても負けても補強選手に選ばれて毎年出場していたのである。

 

 

昨今の野球学校のようなチームに比べたら、チーム全体のレベルは如何にも『進学校』という感じではあったが、 園田投手が抜群だった。

海星をヒット3本に抑えているのだが、前半エラーが3つも重なって3点を取られたのが痛かった。

ピッチャーで4番という昔のようなチームで、久しぶりに昔の高校野球を見ているような気分で応援していたのだが、もう一歩のところで惜しかった。

甲子園で大差で負けたら、『可哀想だな』と思いながら見ていたので、これは大健闘である。

胸を張って凱旋すればいい。

 

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水曜マルシェ

2016-03-23 17:44:57 |  燦々 Sun Sun

 

★昨日は、水曜マルシェでした。

毎週水曜日、三木緑が丘の『さんさん広場』に常連さんを中心にいろんな方が顔を見せます。 

土林水庵のうどんもいいのですが、そこで交わされる会話がいいと思ってます。

それに『情報発信』の質と、何よりもその速さです

 

  

  

 家に戻ったら、今日来てた殿界寿子さんのブログ『とのさま日記なるもの☆』には、既に

こんなブログやほかにも二つアップされてました。

  http://blog.goo.ne.jp/mikisanro-do0501

 

『愚図は嫌い』と広言する殿界さんならではの速さです。

多分、日本で一番早い展開だと思っています。

 

 

 こちらも、負けずに夕方5時半にはFacebook にアップした 私の動画です。

 

  

 

 

その雰囲気は、動画でお確かめください。

 

 

 

 

★すっかり春らしくなりました。

 今年の地域活性化プロジェクト燦々SunSunの目玉は、『健康食品』になるかも知れません。

垂井健さんがリーダーで進めておられる『オオムギのこな』は、三木でのオオムギの栽培が無農薬で始まりましたし、T&Aフレンズ の山野草もいいと思います。

殿界さんのこんなブログで紹介されていますし、どちらも三木緑ヶ丘のサンロード商店街の『ふきのとう』で売られています。

 http://blog.goo.ne.jp/mikisanro-do0501/e/99c0423b6eff892e43713cfb08645ad7

 

特に『オオムギのこな』 http://www3.hp-ez.com/hp/konaya3/page1

は今年から三木の戸田地区で無農薬栽培が始まりましたし、その後の製粉も商品化もすべて三木で行います。

そして、それは全国どこでも買えるものではありません。

緑が丘に来られたら『ふきのとう』でお求めになれるという、今年の地域活性化の目玉商品なのです。

 

三木はどんどんオモシロくなりそうです。

 

 

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三木市が消滅する???

2016-03-23 07:06:14 | 私の生き方、考え方&意見

★ 少子高齢化で、このままだと日本の人口は減り続けて、大問題だと言われている。

本当にそうかな? と思って先日『日本の人口問題 雑感』 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/3cbfa858985f4f7ab3bb38f54f748950

というこんなブログをアップした。

 

日本人は、どうも『大変だ、大変だ』というのが大好きである。

マスコミがそう言うのか、日本の社会の体質なのか?

大企業の年頭挨拶なども、『今年は希望溢れる』などよりも『経営環境は厳しくて・・』というのが毎年繰り返される定番なのである。

大体『賢い』と思われている官僚など、アタマだけは賢い人言いたがるセリフなのである。

私のように常に『楽観的で』何が起こっても『大丈夫』というネアカなのは、バカに近いと思われるし、ホントに少数派なのである。

ブログにも書いたが、ホントに世の中にそんなに大変なことなどない』のである。

 

★人口減少は問題かも知れぬが、めちゃめちゃ極端で、ホントに真面目にそんなこと思っているのだろうか?

『消滅都市』 というのがあって、私が住んでいる『三木市』は、兵庫県の中でも『消滅するトップクラス』に位置している。

三木市長の薮本さんの手法も、『大変だ、大変だと』大したことでもないのに今にも財政破綻するようなことを言っておいて、それが回避されたので『自分の手柄』にするような賢い官僚のやり方だから、『消滅都市』に指定されるのも満更でもないのかも知れぬが、三木市が消滅してしまうなどどう考えても、そんなこと起こるわけがないのである。

 

★急に、こんなこと 言ってるのは、お彼岸の墓参りに明石市に行ったら、『明石市の人口はV字回復』という垂れ幕が懸かっているのを見たので、ちょっと調べてみたのである。

明石は、生まれ故郷だし、長く住んだこともあって、どんなまちなのかよく解っているのだが、明石市のホームページにはこんなグラフが載っていた。

 

   

 これは確かに、V字回復である。

 グラフの目盛りの取り方で、ちょっと極端には出ているが、増えていることは間違いない。

 

  

 

 周辺都市の状況は、こんな感じで、この地域も全体で捉えると、減少しているのは明らかである。

だが、人口が減少しても、その都市が消滅するなど、どう考えてもあり得ないことを、なぜ『消滅都市』などと言う造語を作ったりするのだろうか?

 

日本の過疎など、世界のレベルから言えば知れている

過疎とは、面積当たりの人口のことだとするならば、 アメリカなど『過疎』もいいところである。

 

たまたまだが、昨日アメリカの娘婿が、日本から遊びに来た孫のトモダチをサンフランシスコのほうまで迎えに行ってロスまで、約1000キロのドライブの動画を、Facebook にアップしていた。

 https://www.facebook.com/tad.kadono/posts/1249118998450428?notif_t=close_friend_activity

 

              

 

              

 

               

 

 この道は、私も一度走ったことがあるが、鳥取県や島根県が10も20も入るような広さだが、人など殆ど住んでなくて、人より間違いなく牛のほうが多いのである

日本の田舎は、間違ってもこうはならない ように思う。

 

 『三木市が消滅する??』 ホントにまじめにそんなこと 思ってるのだろうか?

 

  

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いろんな生き方があるんだ

2016-03-22 06:56:36 | 発想$感想

★この2日間ほど、定年退職をした1999年から2001年までの日記を読み返して、その間何をしていたのか調べてみた。

一番印象に残ったのは、『人間の記憶は頼りない』ということである。

勿論、覚えていることもいっぱいあるのだが、忘れてしまっていることもまたいっぱいあるのである。

それに、仮に覚えていても、その年次が非常に不確かなのである。

 

人は人生を振り返るとき、子どもの頃なら小学何年生、そして中学、高校、大学など客観的に年次が解るものが横についているので、それと合わせて思い出の日時が思いだせるのだと思う。

社会に出てからは、4年に一度ぐらい職場の異動があったものだから、その職歴と合わせて年次を覚えているのである

それが定年後の生活になると基本的にずっと同じ環境だから、そのこと自体は覚えていてもその年度がさっぱりはっきりしないのである。

 

★1999年から2001年の3年間のうち、最初の年の半年はまだ現役で、札幌に単身赴任していたからそこまでのことは意外にちゃんと覚えているのだが、それ以降の16年間は定年後の生活では基本的には同じ環境なので、時系列がはっきりしないことが今回初めて解ったのである。

退職した翌年2000年の5月に、初めて『薔薇』に出会っているのだが、私の感覚ではバラをやり出したのは72歳ぐらいなってからだと思っていた。

また、いま毎日10時間もお世話になっている『パソコン』は、これも70歳の前半に始めたとばかり思っていて、ブログなどにも『パソコンに出会ったのは70歳の前半』と何度も記述しているのだが、今回はっきりしたのは、我が家にパソコンがやってきたのは、2001年7月8日68歳の時なのである。

娘婿が会社で一括購入し斡旋したパソコンが余ったから買って欲しいと持ち込んできたのだが、その事実はその通りよく覚えているのだが、それが2001年の7月だとは全く思いもよらなかったのである。

 

     

 

それには、それなりの理由もあって、パソコンを買ってから、このブログをスタートしたのが2006年9月9日だから、その2年前2004年ぐらいにスタートしたのだろうと、勝手に逆算していたのである。

ブログを始めるまでに5年も掛かっているのだが、その間どんな使い方をしていただろう?

それはさっぱり覚えていないのである。

 

★ 1999年からの16年間も『結構楽しく、気分よく』過ごしているのだが、その最初の3年間は、バラを始めたり、家内とあちこち出歩いたり、パソコンを始めたり、腰や膝を痛めてストレッチを始めたりいろいろやっているのだが、いずれも大したことではないのである。

それでも『何の不満』もなかったのである。

人生振り返って、特に現役時代など、自分のやってることは『会社の大事なこと』で『それなりに価値のあること』と、自分自身そう思っていたのだが、いま思うとそれも『そんなに大したこと』ではないのである。

丁度1999年からの3年間は、『ホントに大したこと』など何もないのだが、逆に『ストレッチ』をやりかけて16年間、腰痛も膝の痛みも消え失せて、『薔薇』で毎年その成長を楽しんでることの方が、ホントはこちらのほうが人の生き方』として価値があるのかも知れない などと思ったりもしているのである。

 

★ 2009年度からはひょんなことから NPO The Good Times というNPO法人を立ち上げて、新しいことにチャレンジし、昨年あたりからは『地域活性化のプロジェクト燦々SunSun』に注力し、今年はさらに関西国際大学の学生さんとその授業の一環としてやろうなどということは、『結構大きなこと』だと勝手にそう思っているのだが、 これも現役時代の『会社の仕事』と一緒で、そんなに『大したこと』でもないのかも知れない。

 まあ、83年生きてきて、『人の生き方』にはいろいろあるんだということだけはよく解った。そういう意味で割り切って、兎に角毎日が『楽しく、気分よく』過ごせたらいい。

いろんな生き方があるんだ』と改めて考えたこの2日間だった。

 

 

 

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我が家の薔薇のスタート

2016-03-21 07:21:33 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 昨日から、1999年退職後、どのように過ごしてきたのか日記をひっくり返してチェックしているのだが、本当に人間の記憶は頼りないものである

もう何年もバラを育ててはいるのだが、退職して数年後にバラに出会ったとばかり思いこんでいた。少なくとも70歳を越えてから始めたと思っていた。

ところがである。

日記をチェックしていると2000年の4月22日にバラを買ったという記述があり5月のシーズンに多分花のついたバラを買ってきたのだろう。

5月20日には、前庭の柘植を抜いて薔薇を植えている。

 

 

 

このスペースのことである。一番手前の薔薇が我が家で一番旧い薔薇なのだが、それが16年も経っているとは、思いもしなかったのである。

その年から、一生懸命になってバラの本なども何冊も買っているし、翌年には蔓バラにも手を伸ばしていろいろと揃えているのである。

 

14種のバラを買った』という記述がある。バラは結構枯れたりもするのだが少なくともそのうちの7種類ぐらいは今でも残っているし、挿し木で増やしているので、今は70本近くのバラがある。

 

 

  

 

  

 

 これは昨年の5月だが、冬は寂しいバラも5月にはこんな感じになる

 

 

★私は、何でもやりだすと直ぐはまってしまう

当時は鯉も飼っていてむしろそちらの方が一生懸命だったのだが、鯉は鯉ヘルペスで全滅して一挙にやる気をなくして池も埋めてしまったのである。

今年はまた、バラにちょっと熱心になっている

挿し木も復活したし、挿し木だけでも10本以上今のところ育っている。

 

それにしても薔薇づくりを始めて16年にもなるとは思わなかった。

今年は16年目でもあるのだから『それなりにちゃんと育てたい』と改めて思っている昨日今日である。

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子どもの育て方 雑感

2016-03-20 08:11:39 | 私の生き方、考え方&意見

 ★大阪の鶴見区の中学校の寺井寿男校長先生

子供は二人以上

これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります』 という訓示に大きな反響があったようである。

 

マスコミのテレビなどでの評論家の意見などを聞いていると、その殆どが批判的な発言で、そんな思想の人ばかりを集めているのかなと思ったりした。

いろんな意見があることは別に問題はないのだが、『こんなまともな発言』を肯定する評論家が一人もいないでは、テレビは偏っていると言われても仕方がないと思ったのである。

 

 新聞に載っていた発言の紹介である。言われていることは『極めてまとも』なことだと思う。

 

今から日本の将来にとって、とても大事な話をします。特に女子の人は、まず顔を上げて良く聴いてください。女性にとって最も大切なことは、こどもを2人以上生むことです。これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります。

なぜなら、こどもが生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。しかも、女性しか、こどもを産むことができません。男性には不可能なことです。

 「女性が、こどもを2人以上産み、育て上げると、無料で国立大学の望む学部を能力に応じて入学し、卒業できる権利を与えたら良い」と言った人がいますが、私も賛成です。子育てのあと、大学で学び医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けば良いのです。子育ては、それほど価値のあることなのです。

 もし、体の具合で、こどもに恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれないこどもを里親になって育てることはできます。

 次に男子の人も特に良く聴いてください。子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです。女性だけの仕事ではありません。

 人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てをすることが、親に対する恩返しです。

 子育てをしたら、それで終わりではありません。その後、勉強をいつでも再開できるよう、中学生の間にしっかり勉強しておくことです。少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。

 やっぱり結論は、「今しっかり勉強しなさい」ということになります。

 

今朝の朝日新聞はこの問題を特集していたが、勿論反対意見もあるのだが、『賛成意見も多数』と書いていた。

私は勿論賛成だし、私の周りの人たちは、この問題に対して殆どの人が『賛成、肯定』の立場なのである。

ごく最近『保育園つくれよ』というブログが国会で取り上げられたりもした。 

いずれも、子どもを産み如何に子供を育てるかという問題なのである。

人間社会が続いてきた『原点』みたいな問題である。

 

 

★ 当たり前の話だが、人間社会は男性と女性で成り立っている。

男女同権でない時代や、世界があったりはしたが、今は当然のことながら『男女同権』の方向なのである。

『男女同権』と男と女は同じだということは『ちょっと違う』と思っている。

男の得意とする分野と、『女にしか出来ない分野』がある。

『子供を産む』ということは、女性にしか出来ない『女性の特権』なのである。

子供を育てる』ということも、特に『幼児を育てる女性のやり方』を見ていると、これは男性にはとても真似のできない独特なものを持っている。男性は子育てを手伝うことは出来ても、女性と同じようにすることは『できない』と言いきれるそんな女性独特のものを、本来持っているのだと思っている。

 

そう言う意味では『社会での仕事』など、男性でも女性でも、出来ることだからこの分野に女性が進出することは結構なことで、これを止めて『子育てに専念』などとは言うつもりもないが、特に『幼児時代の子育て』については、女性にとって社会の仕事以上に『価値のある大仕事』であると私は思っている。

いま『保育所つくれ』と叫ばれている時代に、敢えてこんなことを言うと問題であることを百も承知で言うならば、『保育所での子育て』と『母親の子育て』では、『子供にとって全然違う質』のものではなかろうか?

専門家でもないのでよく解らぬが、私はこの時期『母親が育ててこそ、ホントにいい子が育つ』ような気がしてならないのである。 保育所は専門家が育てるのだが『所詮はよそのおばさん』なのである。

 

すべての女性にそうすべきだなどと言うつもりはない。

然し、今の時代にも確りと子育てに専念している母親を、何人も知っている。

女親だけが出来る』そんな子育ては、『女性にとって大事業』なのである。

寺井校長先生は、そう言うことを正直に云いたかっただけのことなのだろう。

教育者らしい、私は小学校時代の先生方を思いだしたのである。先生は、『職業』以前に『教育者』だから、自分の信念が言えないような人はダメだと思う。

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今から17年前、1999年

2016-03-20 07:15:28 | 自分史

 

★ 今から17年前、1999年5月31日現役最後の出社日だった。

翌日、6月1日から退職後の生活が始まるのである

現役時代のことは結構覚えているのだが、定年後のことは記憶が曖昧なので一度ちゃんと調べてみようと当時の日記をひっくり返してチェックを始めてみたのである。

日記帳からノートに毎月の日々の事柄を拾って行ったら1日でちょうど1年分が記録できたのである

ちゃんと覚えていることもあるし、『そうだったんだ』と思うこともある。

 

このブログの記事の材料になる事柄もいっぱい出てきたのである。

 

 

    

 

 

★定年後の有り余る自由な時間をどのように過ごすべきか。

未だはっきり解ってもいないし、今現在のようにネットも何もやっていないのである。

当時はまだ2年間顧問として結構な顧問料も頂いていたし、何もしなくても所得のある人生で一番優雅な時代であったのかも知れない。

 

1999年と2000年、年齢は66歳~67歳当時である

未だパソコンは始めていないし、当然ながらネットなど何もやっていない無縁のものだった。

辞めるきっかけになった1998年3月のくも膜下出血の検査に札幌の病院まで何か月ごとに行っていた。「もう大丈夫」と言われたのが2000年の5月なのである。

家では、園芸やバラの育成をはじめたり、家内とあちこち出歩いたりしている。

腰や膝が痛くてずっと整形外科に通ってハリやマッサージなどやっていた。整形外科の先生に『こんな治療していても基本的には治りませんよ。筋肉は何歳になっても付くからストレッチでもやられたほうがいい』と言われたのが2000年の4月24日だから、ストレッチも17年間やってることになる。

 

このあたりの時系列の記憶が全然違っていた。

定年になったのは68歳ぐらいだったかな、と思っていたのは2年間は何だかんだと札幌まで出張扱いでよく行っていたし、北海道川重建機の経営の相談にもよく乗って、毎月顧問料も頂いていたのでそんな気になっていたのだろう。

ストレッチを始めたのは70歳になってからだと勝手にそう思っていた。毎朝1時間近くやるのだが、まさか16年も続いているとは思わなかったのである。

当時はまだも飼っていたし、Tom Love という2匹の柴犬もいたし、この世話に結構時間を費やしている。

そこに庭仕事の園芸とバラを始めたりしているのである。バラを庭に植えたのが2000年の5月だからこれも15年以上にもなるのだが、ストレッチと同じく10年ぐらいかなという感じなのである

 

人間の記憶はいい加減なものである。

私は日記など付けてるので、振り返ってみたら何でも明確に解るのだが、感じだけでは全然違っているのである。

 

 

 

    

 

 

 

    

 

 この1本の樹に2種類の花が咲く珍しい椿を宝塚で買ったとばかり思っていたのだが、これは2000年の4月13日に 清荒神で娘の安産祈願に行って買っているのである。

ホントに小さな苗だったから、もう16年も経っているのである。

未だその当時は、男の子とも女の子とも解っていなくて、上二人が男だから『女の子だったらいいな』と思ったりしてたのだが、末っ子も男の子だったのである。

 

 

昨日は、そんなことで、ノート11ページ分ぐらいの事柄を書き写した。

別に急ぐこともないのだが、この1ヶ月ぐらいの間に、きっちりとこの17年間を纏めてみたいなと思っている。

パソコンを始めた年齢がもう一つよく覚えていない

このブログを始めたのが2006年9月だから、ちょうど10周年。その1年ほど前だと思うのだが・・・

 

 

★燦々Sun Sun です。

 

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仲間とは・・・

2016-03-19 06:33:58 | 私の生き方、考え方&意見

 

私の仲間の一人、殿界寿子さんがこんなブログをアップしていた。

  http://blog.goo.ne.jp/mikisanro-do0501/e/425d46725546c24f45f01e933cf2b4d1

     

       仲間

      これは一番ややこしい
      どこまでを仲間と言うのか?
      境界線がない

 

  私の 『仲間』という定義は、極めて明確だが世の中で言う『仲間』とは全然違う

知人も多いし、一緒に仕事をした同僚も多いが、そんな人たちをすべて『仲間』とは称してはいない。

私の云う『仲間とは、想い出を共有している人たち』 なのである。

 

 

 

もうずっと昔の私のブログだが、

 

 

片山義美君のこと

 

2006-11-11 09:39:25 | M/Cレース

 

昨日の夕方、高橋さんに電話した。
「レースの偉い仲間たち」 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/f8b15c0f3f92da2d0966c8c335060436
に勝手に名前を出したので、了承を頂くためだった。

「聞いた、聞いた。今日、会合があって、大槻さんが会うなり話をしてくれた。」
私流の仲間の解釈を,海兵出身の高橋さんに120%の賛意を示して頂いた。
同志という言葉も出た。同志は仲間より一段上のランクか。

私が、「想い出を共有する人たちを仲間という。」とはっきり認識し、外に対して発言したのは、片山義美君の引退パーテイの時だった。

ご存知の方も多いと思うが、日本を代表する世界に名を馳せた、二輪、四輪の名ライダーである。

当時、スズキ、マツダの契約レーサーで、カワサキと直接の契約はなかったのだが、彼の主宰する神戸木の実クラブのメンバーであった山本,歳森、金谷,星野がカワサキの契約ライダーであったので、いろいろ接触はあった。

この引退パーテイで、予想もしなかった開幕の主賓の挨拶を、突然頼まれた。

断ったが、どうしてもと言われて、「スズキさん、マツダさんを差し置いて、ご挨拶をすることになったのは、多分、沢山の想い出を共有する仲間として、一言喋れということだと思う。」と前置きして、挨拶をした。

司会を務めていたのは、金谷だった。

事実、片山と金谷と私の間には、忘れることの出来ない、一つの共通の思い出があった。
その時はじめて、とっさに、この言葉が出てきたのである。

私流の「仲間」という解釈は、片山と金谷がくれた言葉だと思っている

(このパーテイには岩崎茂樹君と2人で出席した。久しぶりに小島松久君とも会い旧交を温めた。確かヘリで来たなどと言っていた記憶があったが、先日片山義美君に会ったとき確かめたら、そうだった。)



つい先日、突然清原君から電話があり、「今、片山さんのところに来ている。飯でも食いませんか。」とわざわざ家まで迎えに来てくれて、ご馳走になった。

先ごろオートポリスで、往年の名ライダーが走った時、清原が片山にお世話になったお礼に来たのだという。

片山君は今、私も住んでいる三木市に店を持っていて、住まいも聞いてみると私と同じ町である。


たまに会っても、昨日のことのように思い出を語り合える仲間がいることは、本当に幸せである。
 
      
 
 
 
 
こんな 私流の『仲間』の解釈は、片山義美と金谷秀夫がくれた言葉だと思っている。
 
そんな金谷も逝ってしまった。
でも、私には『いい仲間』が、今も尚、増え続けていることも、嬉しいことである。
 
殿界寿子さんとは、ほんの1年ちょっとのお付き合いだが、間違いなく『想い出を共有する仲間』なのである。 
想い出』になるようなことを一緒にやらない限り、単なる『知人』で終わってしまうものである。
 
それは、ある意味、『ご縁』というようなものかも知れない。
 
 

 

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