雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

トランプさん と橋下さん 

2018-05-31 04:46:07 | 私の生き方、考え方&意見

★世の中の人は一般に『何になりたいか?』を目標にして生きているのではなかろうか?

こどもの頃から『将来何になりたいですか?』という設問が一般的なのを見ても、そうなんだろうと思う。

私自身の85年間の人生を振り返ってみて、『何になりたい』と思ったことは、子供の頃からホントに一度もないのである。

結果としては、小学校の頃は級長にもなったし、運動部では主将監督も経験した。

現役時代には 会長・社長・専務・常務・母店長・部長・課長・所長などなど一応は社会の肩書という肩書は殆ど経験したし、退職してからは、理事長・相談役などという職位も頂いたりしたが、自然に『やりたいように』生きていただけで、決して自分がそれを望んだわけではないのである。

 85歳の今は『Furuyaに出会えば いい時間が過ごせる』ような生き方をしたいなと思っているのである。

Kawasaki. Let the Good Times roll! (Kawasakiに出会う人がハッピーになるような活動を展開し続けます)

という Kawasaki の基本コンセプトのKawasaki の部分を『Furuya』に置き換えているだけなのである

      

 

       

 

 

★私自身が『変わっている』と思っていたら、もっと変わっている『橋下徹』さんに出会って、世の中にこんな人もいるのだとびっくりしたのである。

テレビのタレントから、大阪府知事にはなったのだが、『知事になりたかった』のではなく『大阪都構想』など『政治のシステムを変えたい』ので知事になったのだろうと思う。

市長から知事を目指すのが普通なのに、『都構想』をやるために『知事から格下の市長』を目指した人を初めて見たのである。『大阪維新の会』を立ち上げたりしたのだが、『日本の総理』などの声が出だすと、突如政治の世界から降りてしまったのである。

橋下さんの頭の中には、今更国会議員になってみても、その発言力は『一新人議員のレベル』になってしまって、『安倍さんとサシで話せる』=『発言力を維持する』のは役職を辞めて『一市民』になるのが一番と思ったに違いないのである。

その後は、橋下さんのそんな『仮説通りの進展』になっていて、今でも世の中に対して『大きな発言力』を有しているのである。

 

 

     

 

 

★ところが、世界にはもっと変わった人がいた

 ドナルド・トランプさんである。

 この人も自分の想いを成し遂げるために、『何をやりたいか』と明確にその想いを持ってことに当たっている。

アメリカファースト』もう一度強いアメリカをという『想いの実現』のために、第45代アメリカ大統領になったのが2017年1月20日だから、未だ1年とちょっとしか経っていないのである。

 実業家で政治経験など全くないのだが『何かをやりたい・実現したい』という想いは強烈である。

 自分がやると決めたことは躊躇なく実行する。

 

   

 

 『何になりたいか』という常識の世界で生きてきた一般的な『評論家や大学教授』の人たちの思いとは、発想の次元が違うので評論家の指摘はみんな後追いばかりで、『中間選挙を意識して』などの一般的な評論ばかりになってしまうのである。

大統領になること』もそれが目標ではなくて、自分のやりたいことをやるための手段なので、オバマさんなどとは全く違う手法だし、どうも『オバマさんと反対のこと』をやれば、『物事が実現する』と思っている節がある。

 そんな差別化戦略が即『大統領の職位の維持に繋がる』との仮説が自然に身に付いているのだろう。

ドナルド・トランプ Wikipedia』を初めて読んでみた。 いろんなことが解ってオモシロい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97

  ちょっと長いが是非ご一読を。

 

★いま世界の注目を集めている『北朝鮮問題』のスタートは『原子力空母がオーストラリアに向かう予定を変更し、朝鮮半島へ向けて出港した2017年4月8日だが、未だ1年ちょっとなのである。

アレだけ何も動かなかった北朝鮮が1年でこれだけ変わると思った人は、殆ど皆無だったと思うのだが、現実にここまで来たのである。

北朝鮮の非核化』は多分『短い期間で実現する』と私が勝手にそう思っているのは、それが『トランプさんがやりたい目標』で、その目標実現に向けて『トランプさんの仮説』は組み立てられていると思っているからである。

つい先日の突如の『会談中止宣言』も、そうすることが現実に『一番の近道』だと思ったからだろうし、その時点で私は正解だと思ったのだが、現実にそうなった。

 そんな『トランプ戦略』の中で『安倍晋三』はこの1年間一貫して中心的な核であったし、今後もその位置づけは変わらないだろう。『日本は蚊帳の外』などという人もいるが、そんなことは無い。トランプさんでも自らの戦略に賛成してくれる『心強い味方』は必要で、『世界の誰とでも話ができる安倍晋三』はその戦略の一つの重要な核であることは間違いないのである。

 

 今、既にアメリカ大統領の地位にいるトランプさんは、そんな地位に固執する従来の政治家の手法ではなくて、『自分のやりたいこと』を実現していけば、自然にその地位は安泰になることはよく解っているし、仮に大統領の地位を去っても、ご本人は何の問題もないはずである。

 その時困るのはアメリカ国民であり、世界の人たちだと思うようになれば『トランプ戦略の成功』なのだろう。

 

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日大アメフト事件

2018-05-30 06:58:03 | 発想$感想

★日大アメフト問題について、関東学生連盟は臨時理事会を開き、日大の内田正人前監督と井上前コーチを永久追放に相当する「除名」処分にしたが、今後、警察の調査・対応もあり、果たしてどんな推移を辿るのだろう?

 この問題について昨日こんな意見があった。     

    https://diamond.jp/articles/-/171105?page=3

 

 

  こんな見出しが躍っていて、『企業も同じだ』と書かれていて、日本の企業などの『リーダーの責任感の希薄』を指摘している。

 アメフトの定期戦で起きたこの問題を分解すると、実は、企業でもよく起こりがちなコアな問題に行き着く。不適切事例が起きたときに問題を放置したり責任の所在を明確にしなかったりして、責任者が謝罪や改善のための行動をしない。部下に責任転嫁した揚げ句、逃げ切れなければ、最後は責任者の辞任や担当者の更迭で幕引きを図る。これでは再発防止はできない。しかし、逃げ回って事をうやむやにすることが処世術だと勘違いしているビジネスパーソンがいかに多いことか。

 

 いろんな不祥事が起こった時に、まず考えるのが『問題の本質的な対策』ではなくて、組織の防衛』であり『TOP経営者を守る』ことで、その目的のために『トカゲのしっぽ切り』が行われるのが一般的である。

 

★今回の問題は、単なる大学の運動部の問題かと思っていたら、実はそうではなくて『日本大学』という日本で最大の『大学企業』の中で起こった問題だから、大学側が最も重要視しているのは起こった問題の対策ではなくて、『日本大学という巨大な組織構造とそのTOPたち』を最優先に守ろうとしているのである。

 

     

 

 内田正人前監督は単なるアメフト部の監督かと思ったら、日大の5人の常務理事の一人で次期理事長の最有力候補だというのである。

 先日、大学学長の記者会見があったので、学長がTOPかと思ったら、TOPは理事長で、大学学長とは『日本大学という企業』の中の、まあ言えば『日本大学』という子会社の社長みたいなものでその資格は理事、所謂企業における社長や役員に当たるのは、理事長や常務理事で、内田常務は、単なる監督というよりも、組織の中ではNO.2 の大物であるらしい。

 従って一貫して、その『常務理事の座』を守ることが、問題解決よりは先に考えられているようである。

 

      

そして、この日本大学という大企業の組織・構造がどうも前時代的で、その理事長も暴力団との交際があるとか言われているし、常務理事トップの内田正人前監督の指導方針は暴力的だが、全体の人事権も握っていて20人近くいるアメフト部のコーチたちも『日大職員への道』やその地位など完全に左右されるので、内田前監督への服従以外の道は全くなかったようである。

 然し、今後の根本的な問題解決、日本大学再生のためには、内田正人前監督は『日本大学の組織』の中に残ってはいけない人で、ここでも『除名』が必要と思うが、日大側に任しておけば、そのまま居座ることになるのだろう。

それを防げるのは、立ち上がろうとしている『学生』やそれを支持する『世論』だと思う。

 

★これはもう、大学運動部の問題ではなくて、『日本大学』という大企業の組織・体質の問題なのだと思うが、このような問題を解決する場合は、その組織のTOP が変わらない限りダメだと思うのだが、果たしてどんなことになるのだろうか?

 つい先日は、レスリングでも同じような問題があった。

 相撲界でも暴力事件があったのは記憶に新しい。

 スポーツという明るくなければならぬ世界が、単に実績優先のみを目指すところに問題はあるのだが、『優勝』という成績がその監督の企業・団体の職位にそのまま直結するという、日本独特?かどうかは知らぬが、スポーツの世界がどうも不純になってきているように思えてならないのである。

この日大アメフト事件の推移はいまからが本番かも知れぬが、これを機会に日本のスポーツ界がいい方向に発展することを切に願うものである。

 

 

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二輪車新聞社便り  カワサキ創成期を支えた人たち -2

2018-05-29 06:42:48 | カワサキ単車の昔話

 

★二輪車新聞社の衛藤誠さんが連載で書かれている『カワサキ創成期を支えた人たち』の連載第2回がアップされたのでご紹介してみよう。

 

 

 

 

このB8の全国MX1〜6位独占に一つの秘話があるという。

それはモトクロス大会が開かれる1年前の62年11月、鈴鹿サーキットがオープンし、その開幕レースが開かれた。これにカワサキの代理店であった兵庫メグロ販売の西海義治社長(元プロレーサー)が見学会の実施を呼びかけ、当時、単車事業現場で中心的なメンバーだったた高橋鐵郎氏をはじめ、中村治道氏、川崎芳夫氏、田崎雅元氏、古谷錬太郎氏など、20人近くがバスを仕立てて参加した。

この鈴鹿サーキットのレース見学会に触発され「うちでもレースに取り組もう」ということになった。しかし、考えてみると、当時のカワサキにはレースマシンの開発に詳しい人がいなかった。このため西海社長が、社長子飼いのメカニックの松尾勇氏を、兵庫メグロ販売からカワサキにトレードすることにし、発動機事業部製造部に転籍した。

とりあえずモトクロスから始めることにし、B8をべースにしたモトクロスレーサーの開発にあたった。1年間に渡る懸命なマシン造りで、約10台のモトクロス車が完成。青野ヶ原(兵庫県下)のMFJ第1回全国モトクロス大会に出場し、6台全車が1〜6位を独占する快挙となったものである。

後に、川崎重工業副社長となった高橋鐵郎氏は「あのとき、青野ヶ原のモトクロス大会に出場していなければ、現在のカワサキはなかった。さらに言うなら、ホンダさんが鈴鹿サーキットを建設していなければ、現在のカワサキはなかった。つまり、現在のカワサキは鈴鹿サーキットのおかげとも言える」とおっしゃっていた。ともあれ、カワサキの単車づくりは継続されることになって、64年1月、それまで発動機事業部の中にあった単車事業は、新しく「単車事業部」として独立し本格的な体制が確立された。

この事業部スタートの条件として、「広告宣伝課の設置」があり、向こう3年間に渡り「本社(川崎航空機)の開発費の中から、毎年年間1億2000万円の予算を与える」ことになった。

新設の「広告宣伝課」や「販売推進課」では、この年間1億2000万円の広告宣伝予算割に頭を痛めた。当時のカワサキには東京・大阪・名古屋など大都市での需要は低く、“カワサキは登坂力のある実用車”のイメージが強く、九州や東北、北陸などでの需要が高かった。そのため、テレビなどを使った宣伝では“費用対効果”を出せない。

結局、ジェットエンジン事業部から、下取りのヘリコプターを約1000万円で購入して、地方を中心に全国各地で“ヘリコプター体験搭乗会”を開き、カワサキのブランドイメージを高めた。あらかじめ各地で、ヘリコプター搭乗希望者を募り、その現場では製品展示会などのイベントも開いて、効果を高めた。この企画は全国各地で人気となり、大成功だったようである。

そうして65年には、単車事業本部に格上げとなり、本部長には本社の常務取締役の役職にある岩城良三氏が就任した。この岩城本部長により米国現地生産の“リンカーン工場”建設が進められた。さらに、カワサキはこの後69年に、グループ3社(川崎重工業・川崎航空機事業・川崎車両)合併もあり、また、単車事業も順調に発展。カワサキが本格生産を始めて10年が過ぎた1972年秋には、カワサキ“Z”が発売され新たな飛躍の時代へと進んだ。(つづく)

二輪車新聞 大阪支社顧問 衛藤誠


米国でカワサキ車を現地生産するため「リンカーン工場」の建設を進めた。右から2人目が、この建設を指揮した川崎航空機事業・常務取締役単車事業本部長の岩城良三氏。その左隣が同単車事業本部企画室課長の浜脇洋二氏(川崎重工業退職後にBMW・ジャパン社長に転じ、BMWの二・四輪販売網を全国に確立するなど大きく貢献した)。一番左はカワサキの米国現地法人・KMC市場開発担当の杉沼浩氏(川崎重工退職後にMFJに転じ長らく常務理事としてMFJの体制強化に貢献した)

 

★ 衛藤誠さんの記事は、このように詳しいのだが、若干事実と違っているところもある。

 鈴鹿のレースを観戦した人の中に私の名前もあるのだが、私は鈴鹿には行っていない。私は当時は新しく出来た単車営業課に在籍はしていて、既に衛藤誠さんとはお会いしていたのだが、青野ヶ原モトクロスにも行っていないし、レースが何たるやも全く解っていなかったのだが、私の係の川合寿一さんがチームのマネージャー的役割をやっていて、当時の小野助治次長の指示で残業時の『パン代』など幾らかの負担を営業の経費で負担するなどのお手伝いはしていたのである。

 広告宣伝課は私が担当して、衛藤さんとはより密接にお付き合いすることになったのだが、記事にあるヘリコプターを広告宣伝課で持っていたのも事実で、各地でのヘリの搭乗会はホントに人気があったのだが、当時のヘリの新品の値段が1000万円で、広告宣伝課で持っていたのは下取りのヘリだから、簿価200万円ぐらいで、その運営費を広告宣伝費で負担していたのである。

 衛藤さんの取材は、現役時代からずっと受け続けていたし、衛藤さんは歴代のカワサキ二輪事業を担当した人たちとは親しいのだが、特に国内市場を長く担当した、髙橋鐵郎さんや私は懇意にして頂いたのである。

 

 

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大槻さんと田崎さん

2018-05-28 06:28:07 | カワサキ単車の昔話

★今朝一番にかってのカワサキのレース仲間の大槻幸雄さんと田崎雅元さんからメールが入った。

 お二人はカワサキの初めて会社が正規に認めた鈴鹿のジュニアロードレースの監督・助監督コンビなのである。

   

そのアマチュア6時間耐久レースの写真(これも田崎さんが私に送ってくれた)

このレースが歳森康師とのコンビで金谷秀夫のレースデビュー戦でもあった。

お二人とは、そんな昔のレース仲間の関係もあって、いまも尚いろんな形で繋がっているのである。

 

 

田崎さんからは、昨今新聞を賑わした話題の二つからのメッセージを頂いた。

 

まずはヴィッセル神戸に入団した『イニエスタ』のことである。

 

・・・・ユニフォームの背面の Kawasaki がテレビ、新聞など主要メディアに大きくアピールされ計り知れない恩恵を受けたようです。・・・Kawasaki-Rakuten のコンビを強化するチャンスだと思います。過去に、GPレースのスポンサーをお願いした事がありますが、時期尚早という事で実現しませんでした。楽天が欧州進出を計っている今、Kawasaki ブランドとのタイアップは非常に有効でインパクトがあると思いますので、この機にもう一度MOTO GP のスポンサーをお願いしてはどうかな・・・・

 

  

 

この機会にもう一度 MOTO GPのスポンサーをお願いしたらと思っているようなのである。

これは実現したらなかなかオモシロいなと思っている。

         

  

 三木谷さん、明石高校出身のようで、面識はないが後輩にあたる。明石高校も大物を産んだものである。

 

 

 

★ もう一つは、最近マレーシアのマハテイールさんが92歳で首相に返り咲いたというニュースが流れたが、これに関してこんなメッセージが写真と共に送られてきた。

 ・・・・ご存知のとうり、マハティール首相と川重は親密な関係にあり、私もモーターサイクルのマレーシア国産プロジェクトで、何度もお会いしています。大庭さんが、よく「俺とマハティール、サッチャーは同じ年の生まれだ」と云っていました。

 

大庭浩・髙橋鐵郎・田崎雅元さんの3人が揃って写っている。この時は大庭川重社長時代だと思うが、私は大庭浩単車事業本部長・髙橋鐵郎副本部長時代の番頭役を務めていたので、大庭さんのあの独特の性格が思い出されて懐かしい。

大庭さんはサッチャーさんでも、マハティールさんでも、物怖じせず自然に近づいて行かれる独特の性格をお持ちなのである。

 

      

 

 田崎さん、元気になられたので、川重の現役諸君も三木谷さんにも、マハテイールさんにも気軽に話のできる田崎さんを大いに利用されたらいいと思う。

 その田崎さんは、ごく最近オートポリスのレース観戦にも行かれたとか、こんなメールも頂いているのである。

 5月12日(土)~13日(日)は、12年ぶりに大分に飛び、翡翠之庄で広瀬知事夫妻と懇親会、翌日はオートポリスのレース観戦というスケジュールでした。・・・朝から霧と雨で開催が危ぶまれたJSB1000Rd.3の決勝。11:00頃から奇跡的に雨が止み、霧が晴れて、レースが始まり、結果はカワサキの1,2フィニッシュで関係者は久々の快挙に大喜びでした。 カワサキがレイン用タイヤをつけず、後半の路面の乾きで一挙にスピードを上げ、10位ぐらいのところから、ごぼう抜きで1,2位を得するという戦略的な勝利でした。・・・93年にNYから帰国後、夫婦で観戦したスズカ8耐で初めて優勝した事を思い出しました。・・・・

 最後に書かれている93年の鈴鹿8耐は私も一緒だったし、岩城滉一と一緒に会食したのもこの時のことなのである。

 田崎さん、結構ちゃんとバイクに乗れるのは彼の自慢である。こんな写真を一緒に送ってくれたのである。

      

 

 

★現在は、こんなカワサキの二輪事業の展開だが、昭和37年当時は大変だったのである。

ごく最近私のブログに、大槻さんからこんなコメントを頂いたのである。

  Yukio Otsuki 極東空軍のジェットエンジンのオーバーホールでいち早く、ジェットエンジンの仕事を始めたが、仕事が減って将来がなく、単車事業に将来を期して、昭和35年に本格的に事業を開始したが、早くも昭和37年にB7のクレームなどで、撤退を真剣に検討していた時代を想起します。撤退とは何事だと憤慨したことを思い出します。

 

  

 

 ホントにあの頃は大変だったのである。

 川崎航空機はエンジンは専門で、エンジン技術者はプロがいっぱいだったし、アメリカ空軍のジェットエンジン・オーバーホールをやっていて、その生産管理方式は、最先端のアメリカの生産システムノウハウを持っていたのだが、車体設計だけは素人で最初の125ccB7はその車体欠陥で返品が相次ぎ大変だったのである。 

そんなこともあって、『この事業を続けるべきか否か』日本能率協会が調査に入っていたのが昭和37年なのである。

その当時の人たちは、みんな血気盛んだったように思うのだが、その最先端が技術部の人たちで『撤退とは何事だと憤慨したことを思い出します。』 とコメントで書かれているように、こんな係長総意の文章もあったようである。 

当時を現わす貴重な資料だと思うので大槻さんから、わざわざお送り頂いたので、ご紹介しますのでご一読下さい。

当時の技術部の若手の熱っぽさがよく出ているし、その後再開されたカワサキの二輪事業は、こんな人たちの熱意の下に展開され、『カワサキ独特のブランドイメージ』に繋がっていくのである。

 

 昭和37年5月20日 単車製造削減方針に対する意見書草案

今回、我々は当社の基本方針が単車製造を大幅に削減するという報せを受け、その意義が余りにも大きく、且つ我々が受けた精神的打撃が測り知れざるものであることをご認識頂きたく、甚だ僭越ではありますが、我々の所感の一端を述べ、経営者の方々のご批判を仰ぐ次第でございます。

顧みれば2年前当社の生い立ちから当然のことですが、民需部門拡大の第一歩として敢えて競争激烈なオートバイ界に乗り出すべく、単車製造の大方針が打ち出され、社の主力が結集されました。そしてその任に当たる我々は仕事の重大性を充分認識してより良きものの生産に全力を傾けて努力邁進した次第です。

不幸にして我々の設計した単車はあまりにも速い技術的進歩の故に、はっきり申しまして現在市場で多売されているものに比して劣ったものであったことは認めざるを得ず、その責任や誠に重大なものであり、”クレームが出て売れない”という言葉を耳にするにつけ、「今に見ておれ」と身を切る思いで歯を食いしばって来た次第です。

 技術的な問題については、我々は決して責任を回避し、弁明するものではありません。然しながら”ローマは1日にしては成らず”の譬えのごとく、成果は蓄積された技術の集積によるものであり、僅か1年や2年の設計期間にて、この激しい競争に打ち勝って他社より優れたものを作るのは不可能なこと、今や我々の研鑽は実を結び、早くも世間並みの線に達し、近い将来設計開発するものは、間違いなく他社を圧倒するものであり、その前途や見るべきものがあると思います。そして我々は単車製造が当社の重大な仕事であることを充分認識するが故に臥薪嘗胆必ずや他社を圧倒する製品を設計して見せます。又設計しなければならない決意と責任に燃えている状態です。

かくの如く漸くにして他社を圧倒する製品を設計し得る状態に達したその時に、単車削減の方針となり新規開発は全て中止の理解し難きことでございます。若しここで新規開発を止めんか、わが社は単車界の物笑いとなって消滅しなければならないでしょう。ひいては永久に民需部門に乗り出す機会を見出すことが出来ず企業界からも消滅する運命を辿らざるを得ないでしょう。

一方、販売網の弱体を見聞するに及び我々一人一人が単車を連ねて販売店を廻り”売り込み、売って見せる”の意気に燃え、石に噛り付いても単車製造を成功に導くべく決意に燃えている次第です。

単車製造は極めて厳しい競争場裏に飛び込むことであり、2,3年は現在の如き業績不振が起こることを覚悟して而も尚単車製造によって民需部門進出の第一歩とされたことを思えば、現在の状況に陥ることは当然のことであり、今ここに単車製造の方針を撤回されるということは誠に理解に苦しむところであります。

かくの如き事情を改めてご考慮下され、今回の処置に対して敢えてご再考のほどお願い申しあげます。

                                          係長一同

   

 

  この日本能率協会の調査が行われたのは、昭和37年(1962)のことだがこの年新発売された125B8が好評で、青野ヶ原のレースで 好運にも恵まれ1位~6位独占で、事業部内の意気が上がり、昭和38年1月に『単車再建宣言』が出され、日本能率協会の再建の条件の一つの『広告宣伝課』の設置が決められて、私はその担当をすることになるのである。

 それから3年間、本社開発費で年間1億2000万円の広告予算が与えられ、その中での『レース運営』でもあったのである。

 ホントに懐かしい時代で、みんな若かったが熱っぽかったのも間違いないのである。

 

 

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仮説を立てることが出来ない人と出来る人

2018-05-27 06:58:53 | 私の生き方、考え方&意見

流通業とは「自分の仮説の正当性を問うビジネスである。」消費者の変化の本質を掴み、変化をどう自己の対策に置き換えるかと言うことが問われている。

と言われたのは服部吉伸先生である。

流通業の世界に40年間『仮説を立てる』ことが身に付いてしまっている私だが、世の中では『仮説を立てることが出来ない』人の方が多いのが、現実ではなかろうか?

 

    

 

行き当たりばったり』で、問題が起こってからもその後の展開を考えずに場当たり的な対応をする人たちが殆どで、『日大アメフト部の監督』などはその典型だろう。

ああいうことをするとどうなるか』というヨミが全くないままの行動だから、一端問題が起こるとそれは深まるばかりなのである。

 

 

★『仮説が立てることができるる』政治家や経営者こそが本物で、橋下徹さんなどはその最右翼であろう。

 

    

 

 その橋下さん、今回の『日大アメフト問題』に対してはこんな見解である。

まず即座の責任者会見の設定。メディアの状況から日本中で大騒ぎになることを素早く察知して(仮説を立てて)大学のトップである学長とアメフト部監督共同記者会見の設定は最初に絶対に必要だよね。アメフト部の問題にとどまらず、大学全体の問題だと認識して学長が乗り出すことが必要な事案。ここに気付かなければ、危機管理の指揮官として失格。

 昨日になって会見した学長も果たして、『あの会見の位置づけと仮説』をちゃんと持っていたとはとても思えないのである。

 

トランプ大統領は、政治は素人かも知れぬが『物事が実現しないと意味がない』実業の世界で生きてきた経験から、常に確りとした『仮説に基づいた行動』で、殆どのマスコミの予想に反しての当選だった。

今世界が注目する北朝鮮問題をここまで持ってきた手腕は私は見事だと思っている。評論家諸氏やマスコミはいろいろ言うが、1年でここまで来るとは思ってはいなかったはずである。

 

   

 

Yahooの意識調査では、殆どの人が『核廃棄は実現できない』としていたが・・・・私は、『早期に実現できる』と思ったのは、金正恩が相手にするのは『トランプさん』だと言うのがその理由なのである。

    

  

完全な非核化を早期に実現』という目標に向かって、『トランプさん独特の仮説』の下での展開だと思ったからである。

順調に進んできた6月12日のシンガポールでの会談を昨日は突如中止した。

このまま会談を開催するのと、一端中止を宣言するのとどちらが『早期の非核化実現』に繋がるのか? というトランプさん独特の仮説に基づいた戦略で、私はこの中止宣言は正解かなと思っている

  北朝鮮は『会談中止宣言』に驚いて態度一変のようで、ひょっとしたら元通り6月12日に会談が開催されるかも・・

今後どのように動くのかは解らないが、結構早く『北朝鮮の非核化実現』というのが私自身の仮説で、そんな仮説を立てることで、楽しんでいるのである。

 

5月初めのYahooの意識調査では、殆どの人が『核廃棄は実現できない』としていたが・・・・実現できない』と言われた80%の方は多分『仮説など立てられない』方たちばかりなのだろう。

 

金正恩さんも、なかなかの戦略家で間違いなく仮説に基づいた行動なのだが、今回はその仮説がちょっと間違った。

    

 ただ、すぐ新しい仮説を立てて『方向の修正』をするところは流石である。

  昨日、独自会見をおやりになった日大学長さんは、どんな仮説を持って昨日の会見に臨まれたのか?

  なんだか、『行き当たりばったり』の行動だったような気もするのである。

 

     

 

   ところで、あなたは『仮説を立てる』習慣がおありですか?

 

 

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 我が家の庭の花たち

2018-05-26 10:53:03 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★5月ももう終わりに近い。

 我が家の庭の花たちも薔薇だけでなく、いろいろ咲き出した。

  京鹿の子 これは風情があってなかなかいい。

 

    

 

  この二つは昨年妹がくれた花である。

  名前がもう一つ解らないが、初めて咲く花もいい。

    

 

    

 

   薔薇は二度目が咲き出した。

   

 

   

   

   

 

   コレ、新種かな?

   ピエールドロンサールの赤い花、蔓バラで四季咲きなのである。

   

 

   いっぱい蕾が付くが、数を減らさないと、なかなか花開かない。

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忍者Ninjya の伊藤彰さんから水茄子

2018-05-26 06:57:01 | 発想$感想

★昨日は二輪車新聞の衛藤誠さんのことを書いたのだが、二輪関係の旧い方とは今でも現役当時と同じようなお付き合いが続いていることが多く、突然電話が掛かってくることなども多いのである。

もう当時とは何十年の経っているのだが、昨日はこんなメッセージと共に、堺の忍者Ninjyaの伊藤彰さんから、『水なす』が送られてきたのである。

 伊藤さんとは、未だ『伊藤モータース』時代の小さな店の時代から、一緒に『カワサキの特約店制』を創り上げた仲間みたいな関係で、衛藤誠さんなどもよくご存じだが、一徹極まるところもあるのだが、何となくトーンが合うので、今でも突然飲み屋から電話が掛かって来たり、何だかんだと贈ってきていただけるのである。

 

 

    

 

   

   

 

  『泉州の水なす』はいろいろあって有名だが、今回はこんなところのものである。

 

  

 

★送って頂いたので、早速お礼の電話をしたのだが、ちょうど不在で息子さんや、奥さんにお礼を申し上げたのだが、息子さんとも奥さんとも面識があって親しくお話ができるのである。

 これは、簡単なようでなかなかムツカシイことで、例えば今のカワサキの現役の方で、家族の方たちと親しく話ができる関係がどれくらい作られているのか? この辺のところと繋がっていないと『末端のホントの話』や『情報』はなかなか解らないものである。

私は、息子さんとは直接お会いしたのは2回ほどだが、電話で結構親しく話もできる関係で、そんな雑談の中にいろんな情報がいっぱいなのである。

今問題になってる日大の内田前監督など『選手と話もしたことがない』というようなことでは、『ホントの意味』でのチーム掌握など出来ないのではと思うのだが、どうも日本の『タテ社会』はこんなことが多くて、『今のカワサキ』も案外似ているのではと思ってしまうのである。

留守だった伊藤さんは、病院に血液検査に行っていたようで、そのあと電話が掛かってきて、30分以上いろんな雑談をしていたのだが、伊藤さんと話していると、当然『今のカワサキ』についても、いろいろと仰るのである。

『30分』も電話で喋っていると、その中味はどんどん広がって、結構広範囲にお互いいろんな情報交換ができるのである。ブログも読んでくれているようで、白石勇樹くんのことも知っていて、そのH2Ninjaの中古車が八尾カワサキにいいのがあるなどの話になると、八尾カワサキさんが先日忍者に来られたというような話の展開になっていくのである。例えばそんな話は今のカワサキの現役の耳には勿論入っていない話なのである。

彼の場合は『ホンネの正論』が多いのだが結構『厳しい』のでその対応はなかなかムツカシイのかも知れない。 然し従来から『伊藤さんとちゃんと話せる』人を何人も知ってるので、カワサキももう少しそんな話し合いが出来ればいいのだが、日大の場合もそうであるように今回のような問題が表に出ないと、なかなか上層部までは伝わらないのが日本のタテ社会なのかも知れない。

簡単なようでムツカシイ問題なのである。

 

★ 伊藤さん、もう74歳になったとかと言ってたが、メッセージにあるように『元気でバイクで走っている』とか言っていた。彼の走るのは想像以上の距離で、先週も鹿児島まで走ってきたそうである。 

 お元気で何よりである。二輪関係もいろいろやっていて『カワサキバイクマガジンの6月号』にオリジナルバイクのことが出るから見て下さいとか言っていた。

今までも伊藤彰さんのことは何度も書いたな、と思って調べてみると、こんなに何度も書いている。

https://www.google.co.jp/search?ei=kp4HW-7fE4in8AWIzImYBg&q=%E5%BF%8D%E8%80%85%E4%BC%8A%E8%97%A4%E3%81%95%E3%82%93%E3%80%80%E3%80%80%E9%9B%91%E6%84%9F%E6%97%A5%E8%A8%98&oq=%E5%BF%8D%E8%80%85%E4%BC%8A%E8%97%A4%E3%81%95%E3%82%93%E3%80%80%E3%80%80%E9%9B%91%E6%84%9F%E6%97%A5%E8%A8%98&gs_l=psy-ab.12...1392.15499.0.19674.37.37.0.0.0.0.221.3547.25j10j1.37.0....0...1c.1j4.64.psy-ab..0.14.1595.0..0j0i30k1j0i5i30k1j0i4i37k1j0i67k1j0i131i67k1j0i131k1j0i4k1.70.kxYOqAvyeuM

 何度も書いてるということは、何度もいいろいろと贈ってくれたり、接触があったということなのである。

 

 

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二輪車新聞社便り

2018-05-25 06:24:35 | カワサキワールド

 ★ 業界紙二輪車新聞にこんなネット版が存在する。  http://www.nirin.co.jp/column/0059/

 いろんな記者さんが、交代でいろんなコラムを書かれている。

 その中の一人に衛藤誠さんがおられて、カワサキに関する記事などを手掛けておられる。

 衛藤さんとは私はもう60年近いお付き合いで、衛藤さんはカワサキが二輪事業の一貫生産を1960年(昭和35年)にスタートさせた頃から、すでにカワサキ担当だったし今も尚『二輪車新聞社大阪支社』の顧問でカワサキを担当される現役記者さんなのである。

 1960にスタートしたカワサキの二輪事業の当初から2018年の現在に至るまで、『継続して解っている人』はカワサキの人ではなくて、衛藤誠さんかも知れないのである。

 私は若い頃、広報を担当していたこともあって、今でもお付き合いは続いているし、実は昨日衛藤さんから『カワサキ創成期を支えた人たち』を何回かの連載で書くのでお読みくださいという電話を頂いたのである。

 

 こんな記事だった。

 

 

二輪車新聞社便り

 

2018-05-21

カワサキ創成期を支えた人たち 今なお、強い絆で会合続ける①

現在の「カワサキ」が、本格的な一貫生産を開始したのは、1960年(昭和35年)からだと思う。当時は川崎航空機工業の発動機事業部。これより2年前の58年(同33年)に「単車生産準備室(当時、カワサキでは二輪車を“単車”と呼んでいた)」が、設置された。弊紙創刊の1年前である。

それ以前のカワサキは、発動機事業部で生産した二輪車用エンジンを、東京の「明発工業」に供給して“メイハツ”というオートバイを生産していた。“メイハツ”(明発)は、明石で造られたエンジンから由来する。

このオートバイをベースにして、発動機事業部の明石工場で一貫生産しようという計画。

そこでまず「単車生産準備室」を設置し、組み付け部品(OEM)や資材の調達対策、人材の確保、二輪車生産ラインの建設など準備を進め、約2年後の1960年、遂に単車一貫生産のスタートをみたのである。

これを支えた人材は、生産技術関係は主にジェットエンジン事業部から、その他発動機事業の営業部や勤労部からなど、言うならば“寄せ集め”人事であった。前回当コラムに書いた「販売網づくり」をはじめ、営業部門はメイハツの販売営業をベースに、新しく「カワサキ自動車販売(カワ販/発動機事業部の営業部と表裏一体)を設立した(現KMJの前身/明発工業は後に吸収合併した)。

一貫生産を開始したが、なかなか軌道に乗らなかった。特に致命的だったのは、“B7”(125cc)のフレーム欠陥によるクレームで、連日返品が続き、当時あった物品税の戻入管理で営業担当者はてんてこ舞いしていた(B7のフレームは、スタート時にフレーム開発の人材が少なく。外注していたという)。こうした状況から川崎航空機の本社では、“単車事業の存続”を検討し始めた。

そうして1962年には外部の経営診断機関(日本能率協会だったと思う)に、「今後、単車事業を継続すべきか、中止するか」の診断を仰いでいた。

ところが、63年に奇跡が起こった。それは、兵庫県下・青野ヶ原でMFJ第1回全国モトクロス大会が開かれ、欠陥車B7の次に開発した“B8”がなんと1〜6位を独占したのだ。

この快挙に発動機事業部の志気が一気に高揚し、これを見て経営診断をしていた日本能率協会は、「単車事業部を続けるべし」の答えを出し、単車事業の再建が図られることになったという。余談だが、モトクロス当日は大雨で、他銘柄の有力マシンの多くがリタイヤし、雨に強かったB8が勝ち残ったという。(つづく)

二輪車新聞 大阪支社顧問 衛藤誠


カワサキの再建を決定付けたMFJ第1回全国モトクロス大会で1〜6位を独占した「B8」とライダーたち

 

★ 二輪事業の明石工場での一貫生産は記事にあるように

 ● 生産準備に必要な資材部門の単車生産準備室が、私が入社した翌年の昭和33年(1958)からスタートし、

 ● 明石工場で125B7の生産がスタートしたのが昭和35年で、

 ● 発動機事業部の営業部門に新たに単車営業部が出来た昭和36年の12月に、私は単車営業に異動したのである。

そこで二輪車新聞の衛藤誠記者とも初めてお会いしたのである。

 

   

 

  実は昨日は、衛藤さんの記事にある『青野ヶ原のモトクロス』のことをよく知ってる3人がある会合で会食したのだが、真ん中の山本隆さんは、この大会では未だカワサキではなくて、プライベートのヤマハでレースに出場しているし、左の平井稔男さんはメイハツのを経て既に私の前から、当時のカワサキ自販にいたのである。

この『青野ヶ原のモトクロス』は、私が営業部門に異動した1年後の出来事で、その影の仕掛け人は兵庫メグロの西海義治社長なのだが、平井さんさんは定年後兵庫メグロの社長などもされたのである。

 そんなこともあって、昨夜も帰りの車の中で『青野ヶ原の話』になり、『西海さんの指示で雨対策を完全にした』のが西海さんの自慢だったという話になったのである。

 カワサキのモトクロスレース出場の初戦でなぜ『1位から6位まで独占』出来たのか? それは他メーカーのマシンは水に浸かってみんなエンジンが止まってしまって、独りカワサキだけが雨の中を全車完走して、こんな結果になったのである。

 このレースに出場していた山本隆さんも、マシンが止まってしまったようである。

 

 当時は『二輪事業の継続』が検討されていた時期で、この快挙で「単車事業を続けるべし」の決定となったのである。

 

★そういう意味ではカワサキにとって『恵みの雨』だったのだが、この何年か後、鈴鹿ロードレースにカワサキとして初めて出場したライダーが山本隆さんなのである。

 

     

 

青野ヶ原から2年後昭和40年5月3日のことだが、カワサキは初出場ながら、ホンダ・ホンダ・カワサキと山本隆は3位入賞を果たしたのである。

 当日雨になり全体のタイムが落ちて、山本隆くんは3位BS滋野のすぐ後ろをスリップストリームで追跡しゴール直前に交わしての3位入賞だったというので、ここでも『恵みの雨』だったのである。

 その時のことを書いたブログである。  https://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/8356d318b5dc414c15dd1b7488a09f63

 

 衛藤さんの連載、次回はどんなことになるのだろう。

 

  

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『日大アメフト問題』の本質

2018-05-24 06:30:38 | 発想$感想

 ★昨日のテレビや新聞報道の一面でこの『日大アメフト問題』が大きく取り上げられた。

 ひょっとすると、『刑事事件』になるかも知れないという報道もある。

 その取り上げ方の殆ど全てが、前日の『宮川泰介くんの記者会見』に対して、記者会見を行った姿勢並びにその一言一言に理解を示したし、「ひるおび」に出演した元アメフト日本代表の 近藤祐司さんは、宮川泰介くんの心情を察して本番中に涙したりしたのである。

 世の中に数ある『お詫び会見』でこんなに共感を感じた会見はなかったし、宮川泰介くんの心情は見る人の心に突き刺さったのである。

 

  

 

★『日大アメフト問題の本質にある「ゆがんだ構図」』という日経新聞の記事の中ではこのように述べている。

 技術や道具、トレーニング方法の進化で、ほぼすべての競技で以前よりレベルは上がっている自身の現役時代をはるかに上回るパフォーマンスができる選手に対しても、こうしたタイプの指導者は常に「上から目線」で支配しようとする。結果が出れば、それがまた「厳しい指導のたまもの」と評価され、「名伯楽」などと持ち上げられるから始末が悪い。「自分が育てた」「自分のおかげ」という雰囲気をまきちらす指導者がなんと目立つことか。  

今の日本のスポーツ界の水準はどんどん上がって、かっては名選手などよりも、今の現役はそれ以上の水準に達しているのである。そんな環境の中での指導者は「指導者としてのプロ」でなければならないのに『上から目線』からだけの厳しい指導を課す過ちを犯してはいないか? かっての名選手たちのコメントなど聞いていても、特に『大谷翔平』などに対しても『上から目線』で論評するかっての名選手も多いのだが、どちらが上なのかは明らかなのである。

 

★ 橋下徹 さんもこの問題にこのように言及されている。

 

 

状況判断・現状認識』が甘くて、『自らの仮説』が立てられていないから、即『危機管理』が出来ていない。

 

 ・・・・では、日本大学が最初にとるべきだった対応とはどんなものか。

まず即座の責任者会見の設定。メディアの状況から日本中で大騒ぎになることを素早く察知して、大学のトップである学長とアメフト部監督共同記者会見の設定は最初に絶対に必要だよね。アメフト部の問題にとどまらず、大学全体の問題だと認識して学長が乗り出すことが必要な事案。ここに気付かなければ、危機管理の指揮官として失格。このようなことは危機管理学部の授業では「リスクコミュニケーション」として授業が行われる分野かな。でも大学では小難しい抽象論ばかりやっているから、いざ実践では役立たないんだよ。簡単に言えば、メディアの状況を見て、どれだけの騒ぎになるかを察知する能力。日本大学にはこの能力が欠けていたね。

 全くその通りだと思うのだが、現実は数日間、内田正人監督は雲隠れだったし、『初期動作』を完全に間違ってしまったのである。

 

★そんな世間の批判に耐え切れなかったのか、関西学院への文書回答を前に、内田監督と井上コーチが急遽『記者会見』を行ったのである。

 

 

 『人の言葉』は真実を語るときは人の心に突き刺さるような鋭い力を持っているのに、『同じ言葉』でも言い訳に終始し、何とか誤魔化そうとする時には、何も人の心に訴えるものが残らないのである。

宮川泰介くんの会見に心打たれた人たちの『すべて』が、昨夜の内田監督・井上コーチの『弁解会見はウソ』と思ったに違いないのである。

そこには「弁解に終始」するだけで、想いのカケラもないものだった。この場に及んでも尚弁解に終始し、自らの身を何とか守ろうとする内田正人監督のために、井上コーチが従来の構造・体質を引きずったまま『嘘を言わされている』ことは、その言葉を聞けば明白なのである。

 問題の本質が全く解っていない『バカな大人の典型』を見るようで、若しこんな人が大学の常務理事に居座るようなら、若しそれを許すような日本大学なら、世の中の人々の評価はさらに厳しいものになっていくであろう。

 こんな状況の下で出される関西学院大学への回答書は、間違いなく今回も納得されないのではなかろうか。

 

 

 

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宮川泰介くんの記者会見を見て

2018-05-23 06:41:58 | 発想$感想

★昨日の午後は、日大アメフトの『宮川泰介くんの記者会見』を約1時間観ていた。

会場は満席の状況で、この問題に対する関心の高さがうかがえた。

 

     

 

 どのような記事になり、どのような評価になるのかは解らないが、少なくともこの会見で彼が語ったことには『嘘がない』ということだけは、この番組を見た人も、取材記者たちも感じたに違いない。

 警察に被害届が提出されているというから、『宮川泰介くん』はその『加害者の当人』であることは間違いないのだが、そうせざるを得なかった事情や、それを何度も指示した内田正人監督が一番悪いというか、日本のスポーツ界の『チームの勝利最優先』の体質・構造が今回は行き過ぎた形での指示になり、その犠牲者に『宮川泰介くん』がなってしまったと感じた人が殆どだと思う。

 

 

   

 

 この会見を聞いていても、最悪の人は内田正人監督でその指示も内田監督から出たものだが、それをフォローした井上コーチも、実行加害者となった『宮川泰介くん』も、ある意味日本の運動部の構造・体質の犠牲者であったというのが、この事件の本質なのだろう。

何かやくざの世界というか、暴力団の親分・若いもん頭・子分・手先と同じような組織・構造が『日本大学アメフト部』にあるのではないかと思ったりした。

大親分・内田正人には誰も逆らえないし、言われるままに行動しなければならない、どうしようもない世界なのである。

現実にはどのような進行になるのだろうか?

 

 

   

 

 今20歳という宮川泰介くん、現在も日本代表にも呼ばれている日本を代表する優秀選手なのである。

 今回一躍有名になって既に、こんな詳しいブログがアップされている。 https://wolf-log.com/archives/12121#i-2

 それによると、高校時代からアメフトをやっていたようで、今回の件でアメフトを辞めると言っているが本当に残念である。

 そんな若い人のこれからの人生を狂わすことになるかも知れない原因を作ったのが、内田正人監督なのである。

 『秋の甲子園ボールで関学に勝つために、相手のQBを潰してこい』という作戦はどう考えても許されるものではない。

 

★私にはたまたまアメリカに『宮川泰介くんと同世代』の孫が二人いてサッカーをやっているのだが、アメリカのスポーツ選手の育て方は、日本とは全く違っていて、大学のトップレベルの運動部でも、勿論チームの勝利も目指すのだが、それ以上に『個人を育てる』というシステムが完全に出来上がっているのである。

大学のサッカー部に入部する方法は推薦入学だけで、個人が希望しても入部できないし、部員は20人ちょっとで構成されているのである。そして、大学サッカーのルールそのものが、特別ルールでバスケットのように選手の出し入れ自由なのである。例えば前半に3-0などのスコアになると、どんどん控えの選手が出てきて3-1になったりするとまたそれに見合った選手が出てくるなど、選手が試合を経験でき易いシステムになっているのである。

そして高校生の年代の選手たちは、全米にUS Soccer Developm't Academy  http://www.ussoccerda.com/home.php   という組織があって、そこに属したトップレベルの選手だけが大学チームへの推薦入学や、プロへの道が開かれているし、大学チームからもプロを目指すのが普通になっているし、『プロを目指せる』ような育て方がなされているのである。

試合に出さない』などは怪我でもしない限り基本的に考えられないし、日本の強豪チームのように部員の半分は応援団のようなシステムとは全く異なるのである。

 

日本の学生スポーツのシステムも、もう少し『チーム最優先』から『個人の育成への視点』に移していってもいいのではなかろうか?

 

  一夜明けて、今朝のニュースからの抜粋である。

    

  

 

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スポーツの世界 いろいろ

2018-05-22 06:17:17 | スポーツ

★昨今の 日本のスポーツ界 は素晴らしい。

日本で行われているスポーツの種類は『世界でも最多』と言ってもいいと思うが、その水準も世界レベルに達しているものが、ホントに多くなった。

 野球・ソフトボール・体操・テニス・スキー・スケート・水泳・柔道などなどこれらはホントに世界のトップレベルと言ってもいい。

 サッカーもラグビーも盛んだが世界に通じるにはもう一息か? アメフトは??

 

野球では、大リーグ帰りの松坂が、昨年までは振るわなかったが、今年は一転なかなかの活躍である。

 マルチ安打はプロの世界で20年振りとか。

 高校時代の『4番ピッチャー松坂』甲子園時代が懐かしい。

 甲子園のマウンドに立つ松坂に期待したいが、松坂の登板は名古屋ということなのだろうか?

 プロだから、球団としては観客動員の観点からは、やはり地元でということになるのは仕方がないのかな?

  ところで、緒方監督が『オールスターに松坂を』などと言ってたのでひょっとするとオールスターの松坂が見られるかも。

 

  

 

 ★ 今年のプロ野球最大の話題は、何といっても大谷翔平

  昨日は4勝目を挙げて、チームの連敗を救った。  

  ホントに世界一の大リーグでも最先端を走っている。

 

     

 

 

 ★ 世界一の体操の世界での内村航平の10連覇は素晴らしい。

  今年は若手にその座を譲るのか、と思っていたが流石である。

 

    

 

 

 ★ 最近になって、テレビを観だした大相撲だが、この数場所の栃ノ心の相撲は見事である。

  今場所は、大関は勿論、優勝を目指して欲しい

  その取り口を見ると『応援したくなる』真剣さが満ち溢れている。

 

    

 

  

★ そんなスポーツの世界だが、この話題だけはどう考えても頂けない

 監督辞任は当然だが、こんな人が教育界の常務理事という要職にいること自体が問題である。

 こちらの方も辞めて当然。

 若しそのまま居座ることを許すようなら『日大自体の評価やイメージ』を大きく損ない『その程度の大学』ということになってしまうだろう。

 けがをした関学大の男子学生側が警察に被害届を提出したようだ。決してこのままでは終わらないだろう。

 成り行きを見守りたいと思う。

 

   

 

  

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人の運命と寿命

2018-05-21 05:14:43 | 私の生き方、考え方&意見

★人には夫々その人についている運命みたいなものがあって、自分では左右できないいろんなものを背負って生きている。

寿命なども決まっているのではないかと思っている。

85歳までも生きることができて『私の人生はなかなか幸運だった』と思ってはいるのだが、考えようでは『不運であった』かも?  ものは考えようなのである。

子供の頃は今の韓国のソウル京城で育った。戦時中も何不自由なこともなく平穏に暮らしていたが、戦争で日本は負けて、当時中学1年だったが朝鮮京城から身一つで引き揚げてきた。父はふとしたことから病になって52歳で亡くなってしまった。私が高校3年の1月2日のことである。

若し父が1月に亡くならなかったら、大学などには行かずにそのまま就職してただろうし、また『違った人生』を歩んだことになったのだろうと思っている。父は私のために1月2日に亡くなってくれたような気もするのである。

 

★これは全くの運命みたいなもので、それ以降の『新しい人生』がそれから始まったのである。そんなことで殆ど受験勉強などせずに、受験科目が少ないことを条件に選んだ大学だったが、たまたま運よく入学できて、大学時代は勉強はしなかったが結構野球には熱心で、1年延ばして5回生時は野球部監督などもやったのである。

川崎航空機に入社できたのも幸運だったし、スタートしたばかりの二輪事業の世界に出会えたのも『まさに幸運』であったと思っている。『レースという世界』の人たちや、『沢山の販売店主』の人たちにも出会えた。なかなかこんな人たちには普通の大企業のサラリーマンは会えないものである。何よりも『自分の思う通りのことが出来た』そんな時代を過ごせたのである。

二輪事業がカワサキにとって経験のない初めての事業であったために、上司に経験者が居なかったので当時の第1線に出た若い人たちは自ら考え自ら進むことしかなかったのである。そんな『自分のやりたいことをやる生き方』は85歳の今も尚続いているので、これは『幸運だった』と思っているのである。

 

★そして思ってもいなかった85歳まで生きているのだが、実は今まで二度ほど死んでいてもおかしくない人生を歩んでいるのである。

その一度目は20歳大学2回生の時に『肺浸潤』と言われたのだが、当時は野球に熱中していて、休まずに野球を続けてたら『肺結核』になり空洞ができたりした。その頃『死ぬかも知れないな』と思って書きだした日記なのだが、結果的にはそれが今でも続いている。

 入社してからも、診療所の先生には『野球はダメだ』と言われてたのに、ユニホーム姿を見つかって療養所に放り込まれてしまったのだが、不思議なことに1年の入院で空洞も消えて退院した時期に、たまたま二輪事業が新しくスタートして、二輪の営業部ができて『二輪事業担当』となったのである。

あの時診療所の先生に見つからなかったら、ホントに死んでいたかも知れないし、二輪の世界とも出会っているかどうかも解らないのである。この辺りは、ホントに『運がよかった』と思っているのである。

 

★現役最後の北海道の札幌で68歳の時、突然『くも膜下出血』になったのが死にかけた2度目である。

まさに突然の出来事で、駐車違反した車をレッカーで持っていかれてしまって、駐車違反は仕方がないが『なぜレッカーで移動した』と警察署の本署で文句を言ってたら頭に血が上って突然警察で倒れてしまったのである。

警察もびっくりしたと思うが、警察の本署だったので救急車がすぐ来て、10分後には札幌の脳外科専門病院『中村記念病院』に担ぎ込まれたのである。

   

 

  このビル全体が脳外科専門病院で、専門医が30人近くいる、ちょっと関西では考えられないような病院なのである。

  その時のことこんなブログにもアップしている。  https://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/aabd3d13418bf0bf90b291b36972e68c

 ムツカシイところが切れたので手術で失敗する危険もあったので、手術もせずに1ヶ月弱で退院して今まで元気にしているのである。当時の先生が仰るのに、『脳外科の先生が2.3人のほかの病院なら、必ず手術をしただろう。成功もあるだろうが失敗もあったかもしれない。「手術をしない=治療をしない?」はなかなかムツカシイ判断だが、専門医が沢山いるのでその合議で決めた。』と言われるのである。

 私が決めたわけではないのだが、そんな環境の病院に入院できたのは『運がよかった』というべきだろう。

  この二つの出来事で、『私の寿命は延びた』とも言えるのである。

 

★ それからの定年後、お蔭様で元気に生きれて、皆さんに『元気だ、元気だ』と言われてその気になっていたら、突然先週、定期的に診察を受けてる主治医に『心房細動』だと言われてしまったのである。心電図に今までそんな兆候はなかったのに突然そうなったのである。

心房細動』など聞いたことがなかったのだが、先生が仰るのに、小渕さんや長嶋の脳梗塞が心房細胞が原因だというのである。余談だが、中村記念病院の先生が『田中角栄さん、小渕さん、長嶋さんなどは、倒れてから病院に来るまでに時間が掛り過ぎていた。あなたは幸運にも10分後には病院にいた』と 警察で倒れたのも好運だったのかも知れない。

今週火曜日にもう一度主治医の先生の診断を受けるのだが、68歳の時にくも膜下出血をやったと言ったものだから、先生は「治療法」を1週間ちょっと考えてみると仰るのである。

今はそんな状況にいるので、こんなブログも書いているのである。

 この頃はネットに情報はいっぱいで『心房細動』と検索するといっぱい現れるのである。

 別に自覚症状がある訳でもないし、こんなチャートを辿ると、『心配なし』に到着するのである。

     

 

今週火曜日にはもう一度主治医の診断を受けるのだが、本音では『運がいいから今回も何とかなるだろう』と思っているのである。

 

● 『心房細動』は80歳以上の高齢者には多くみられる症状のようで、『心房細動5年後の死亡率』は確かに85歳あたりが一番高いのだがそれでも30%以下なので、そんなに心配することはない。90歳になると逆に減るのは、それ以外の原因で亡くなる人が多いからなのだろう。

   

● 周囲、特に子供たちは心配するだろうから、変に伝えるよりはこのブログにでも書いておけば何とか伝わるだろう。

● 高血圧などと同じで『脳梗塞になる』可能性はあるが、ならない人の方が多いのだろう。

などと呑気に思っていて、今朝もジムにも行ったし、公園でのジョッギングも続けている。

むしろ運動したほうがいいようで、運動はしても大丈夫と先生に言って貰えたので安心しているのである。

         

 今週火曜日にはもう一度診察があって『治療方法・薬』などを先生が決められるはずである。

まあ、私の場合は2回ほど死にかけたが運がよくて大丈夫だったので、今回も特に当方の意見は言わずに『先生の言われる』通りにしたいと思っているのである。

人間だれしも、その人についている運命と寿命があるのだから、バタバタせずに自然にしておけばいいと思っているのである。

多分私のことだから、このことで今までの生活態度が変わったりすることは間違いなくないだろう。

ひょっとしたら、『もうあまり余命もないから、毎日を大事に生きろ』と神様が教えてくれたのかも知れないのである。

 

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白石勇樹 プロジェクト  動きだした?

2018-05-20 07:17:09 | 発想$感想

★『白石勇樹くん』に初めてお会いしたのは5月12日のことで、翌日『白石勇樹くんのこと』というこんなブログをアップした。

  https://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/8efe39229a6de0faa8b995c0d02c142d

 

    

 

カワサキのH2Ninjya のエンジンを乗せた四輪車を作りたいという『途方もなくオモシロい』ことを仰るのだが、ホントに真面目に本気でその気のようだし、周囲の環境も実現性があるようにも感じたので、昨日はカワサキのH2Ninjya には密接に関係があり、かってX-11を直接担当した山田浩平さんをご紹介して、お二人を引き合わせたのである。

   

   

 

 約2時間、私は横で殆ど聞き役だったし、話の内容は技術的な高度な専門的なことが多くてさっぱり解らなかったが、山田浩平くんからもいろいろ具体的な提言もあって、非常に有意義な2時間だった。

私は何となく山田浩平くんとは合うのだが、彼は技術的な話には厳しくて興味のない話などに付き合ったりはしないはずだが、話が結構盛り上がったのは、ひょっとするとひょっとするかも知れないのである。

 白石勇樹くんからもこんなメッセージが届いたので、何とか動きそうなのである。

古谷さん今日は山田さんをご紹介頂きましてありがとうございました! 山田さんからリアルな話を聞けて、さらに具体性が出てきましたし、やる気にさせてもらえました。 先ほどトミーカイラーの富田社長に話をして、取り急ぎH2を1台購入して、進めようと言う話になりました。 ・・・ 1号機のテストカーに関しては新車のバイク(エンジン)である必要性が無いため中古車で動き出せます。・・』

 トミーカイラーとはこんな車で、白石くんはその開発ドライバーもやっているのである。

   http://tommykairazz.com/

   

   

 

H2Ninjyaは限定生産なので、中古車はあるかな? 

と思ったのだが不思議なほどいっぱいあるようなので中古車を購入することは大丈夫のようだから、多分この『白石勇樹プロジェクト』は前に動き出すだろう。

    https://www.goobike.com/maker-kawasaki/car-ninja_h2/index.html

 

   

 

  物事は、出来る限りスピード感を持って『早く動かす』ことが実現のkeyである。

  私は、性格的に『遅い人』とはどうも付き合い切れないのだが、山田浩平くんも、白石勇樹くんも動きが早くて気持ちがいい。

  5月12日に白石くんに初めて会って、話を聞いてからちょうど1週間、結構いいところまで進んだ

 先日のブログの最後に、果たして半年先に、具体的にどんな展開になっているのだろうか? 若い白石勇樹くんの実行力に期待したいな、と思っているのである。』と書いたが、半年である程度の形にならぬものは、10年経っても実現しない というのが私の信条なのである。

 そういう意味では、順調に動き出したのかも知れない。

 

  

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ニュースいろいろ 雑感

2018-05-19 06:14:54 | 発想$感想

★毎日いろんなニュースが流れる。

 米朝首脳会談は、北朝鮮がまたややこしいことを言いだしたが、金正恩が直接言ってないので、何となく気球を打ち上げたのかも知れない。

 

 

  

 

 日大アメフト問題、これはちょっとビックリ。

 これは大問題に発展しそうな予感がする。

 

 

   

 

 

   麻生さん、また言った

 でも、ホントによく言う。 思っててもなかなか言えないものだが、正直なのだろうか?

 

    

 

 

 女性の議員比率の順位 159位・10.1%  は流石に低いと思うが、アメリカでも20%には達していないので、半分にはなかなかならないし、成らないほうがいいと思ったりする。

 

  

 

 

★そんなニュースがいろいろある中で、明石市長が文句を言ったというこの話はなかなかオモシロくて興味があったのでいろいろ調べてみた。

 兵庫県の神戸と姫路と東播磨地区を並べての兵庫県の観光コマーシャルだが、明石市長が明石市を東播磨に入れて『明石市』の名前が出ていないのが不服で中止を申し入れたという話なのである。

 

   

 

  テレビにも取り上げられたりして、それを観て、このことを知ったのである。

  

   

 私は『明石』が生まれで本籍も『明石』、当時は「名門明石」と言われた明石高校の野球部出身だし、

  勤めは川崎重工の単車事業部その世界のKawasakiの故郷は『明石工場』だったので、『明石』には特別の想いもあるし、

  明石市長が『加古川や高砂とは違う』と仰りたい気持ちも分らぬではない。

 『須磨・明石』と言われた景勝地でもあったし、どちらかというと『明石』は全国区で通用する名前なのである。

 でも、このコマーシャルは『神戸ちゃん・姫路ちゃん・東播磨ちゃん』という3人の女の子を起用してのコマーシャルだから、『明石ちゃん』とならないのも、また解らぬではないのである。

 

★ところで私は今は三木市に住んでいて『東播』とは三木市も入っているのだと思っていたらそうではないようで、三木は『北播』だそうである。

 

      

 

   東播磨地区というと確かに三木市は入っていないのだが、

 

   

 

 

 東・北播磨地区というこんな分類の地図もあって、兵庫県の観光案内をするのなら、神戸・姫路と共にこの地域を入れて、この3っの地域で三木市も小野市も入れてやればいいのに、と明石市長ではないが文句を言ってみたい気にもなるのである。

 明石も確かにいいが、三木にも世界一・日本一がいっぱいあって、PRするには格好の市だと思うのだが・・・

 この地図で観る限り、まさに神戸の隣町で絶好の立地なのである。

 

    

 

全然、違う観点から地域を見ると、

昔は播磨の国と摂津の国に分かれていて、いまの神戸市は須磨あたりが境界で、三木市は播磨の国の一番東に立地していたのである。

 

  

 

いろいろあったが『明石』もこんな騒動のお蔭で、幾らかでもマスコミに登場したので、『明石市長』さんも今は納得されているかのようである。

 

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カワサキのレースの昔話

2018-05-18 06:36:32 | M/Cレース

 ★来る7月7日に『カワサキ・モトクロスOB有志の会』という会合が予定されていて、出席するようにご案内を受けている。

 主宰をされるのはFacebook でもお付き合いのある大津信さんで、百合草三佐雄さんをはじめ山本隆さんや平井稔男さんなど約70名のレースOBたちが出席の予定のようである。

 大津さんが『旧い写真でもあれば、会場に張り出すので送ってください』と言われるので、何枚かの写真をお送りしたのだがその中にこんなレースとは全く関係のないような写真も入っているのである。

 

    

これは若き日のあのフィリッピンの小野田寛郎さんと小野田滋郎さん(左)ご兄弟だが、カワサキで一番最初にレースをスタートさせたのは間違いなく当時カワサキ自販におられた小野田滋郎さんで、カワサキのレースのスタートと言われている『1963年の125B8での青野ヶ原モトクロス』より早い125B7の時代にMCFAJの全日本にライダー三吉一行などで出場しているのである。

何年か前にヤマハの本橋さんから『カワサキのB7に乗ったことがありますよ。井手さんと言う方がおられました』と言う話を聞いて、ちょっとビックリしたのだが、井手哲也さんは確かに当時川崎航空機におられて、個人的にレースなどに非常に関心が高かった方なのである。

 カワサキ自販でレースに関係していたのは、当時の企画、宣伝課長の小野田滋郎さんで、私は広告宣伝関連を小野田さんから引き継いだのでレースも担当することになったのだが、小野田滋郎さんは青野ヶ原で大勝したとき、今までレースに大反対だった部長さんたちが競って記念写真に納まる様をみて『今までの苦労も知らずにーー』と言われたのを私はよく覚えている。
三橋実君をヤマハからカワサキに連れて来たのも小野田さんで、厚木に『カワサキコンバット』というチームを作ったのが、カワサキのレースのスタートなのである。

 『青野ヶ原で大勝』した後は、社内でもモトクロスが正規に認められて、カワサキコンバットを中心に、関西では片山義美さんが主宰されていた『神戸木の実クラブ』から歳森康師・山本隆とも契約してのレース活動が始まったのである。

カワサキが1963年に『青野ヶ原モトクロス』に出場するるきっかけになったのは、鈴鹿が開場した年の1962年11月の日本初の本格的ロードレースを製造部の人たちがバスを仕立てての観戦だったのだが、そのレースの250クラスの優勝者が三橋実350クラスの優勝者が片山義美(ともにヤマハ)とカワサキに密接に関係のあったお二人だったのである。

 

 ★これは1965年当時の契約ライダーたちである。

  左から安良岡健・三橋実・歳森康師・山本隆・岡部能夫・梅津次郎で、山本・歳森以外はカワサキコンバットのライダーたちである。

 

    

 

    同じ時の写真だが左から4人目が星野一義 未だ契約をしていないノービス時代の星野である。

    

 

 その頃、二輪のこともましてやレースのことなど全く解らなかったカワサキや私にいろいろと教えて頂いたのがMCFAJ初代事務局長西山秀一さんなのである。

 

    

 

 

 

    星野のお師匠さんが山本隆くんだったのである。

    二人とも若いな。

      

 

 

    1966年、青森弘前でのMCFAJ 全日本 カワサキF21M のデビュー戦でもあった。

    これ以降、カワサキのモトクロス黄金時代が続くのである。

    私がレースマネージメントを担当したのはこの年が最後である。

     

 

    そして、これは札幌でのMFJ全日本モトクロス、吉村太一・山本隆・星野一義・木村夏也

    みんな懐かしい。

 

      

 

 

 

    カワサキファクトリチーム結成25周年記念のパーテー

 

      

 

      その時参加してくれたライダーたちである。

 

        

 

      これはもうずっとあと、神戸木の実クラブの解散会である。

      なぜかライダーたちの中に私がいる。

 

      

 

 

    これは何年か前、『二輪文化を伝える会の第1回トークショー 山本・古谷』にこんなメンバーたちが集まった。

    

         

 

     そして、星野一義がかってのお師匠さんを高級焼き肉に誘ってくれたのである。

      

 

 

         これは私がFacebook に使っている写真だが、ホンダ・スズキ・ヤマハ・カワサキのご縁があったレース関係者ばかりである。

   私の人生の大きな部分を『レース』が占めているともいえるのである。

 

          

 

    一言で言うなら、かっての『やんちゃ坊主』たちは、みんな偉く立派になったものである。

 

  

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