雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

今年 葡萄はなるのかな?

2017-01-31 06:13:33 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★昨年、ふと思い立って『葡萄の苗』を買ってきた。

 こんなブログをその時、アップしているのである。

 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/8095f35ddf8d1c30cce0fb4537645a4a

 

 その時、買ってきた苗である。

 

  

 

   巨峰 と マスカット もし成ったとしたら、立派な葡萄なのだが、その葡萄が一冬目を迎えているのである。

   いまは、冬場で葉が落ちて、写真にとっても何の面白みもないこんな状況なのである。

 

   

   

   

 

  いろいろとネットで『葡萄の育て方』を調べてみると、1年でこんな作業が待っている。

 

    

 

葡萄をやる気になったのは、家にいっぱい育てている『薔薇』特に『蔓バラ』と同じような種類の手入れでいいので、何とかなるのではないかと思ったのである。

冬の時期、今はバラと同じく『選定の時期』なのである。

上の写真も、何にもしていないように見えるがちゃんと『剪定』をした後の写真なのである。

 

   

  葡萄の苗を植え付けて、その後はこのように育てるのだが、

 

     

 

  今は『1年目の冬』なのか?『2年目の冬』なのかが、もう一つはっきりしなくて、葡萄がなるには、こんなことにならないとダメなので、果たして今年は『実がなるのか、どうか』が関心事なのである。

 

    

  

    こんな 育て方の説明が出ているのだが、読んでみてももう一つよく解らないのである。

 

  

 

   それなのに、こんなブログに『アップ』しているのは、自分の勉強と、春以降作業をする際に、自分のために見やすいように『纏めている』のである。

私のカンとしては、『今年は少なくても実がなるのでは』と思っているので、実がなった時にまた見直せるようにと思っているのだが・・・

 

 果たして 『今年 葡萄はなるのかな?』 と思っているのである。

 

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蔡英文 のツイッター 雑感

2017-01-30 07:30:42 | 発想$感想

★ トランプさんのツイッター以来、『ツイッター』の話題も多い。

マスコミは、140字の・・などといろいろ文句をつけているが、現実は従来の新聞などの発信力以上の『情報発信力』に既になっている。

橋下徹さんのTwilog などは、『140字の制限』など無関係に長文で『ご自身の意見』を述べている。

 http://twilog.org/t_ishin/asc

 

 

 

ツイッタ₋ーも、上手く使えば幾らでもいろいろと発信できるし、何よりも即座に世界に向かって発信できるそのスピードがいい。

 

 

★こんな 台湾総統蔡英文さんの ツイッターのニュースが流れて、びっくりした。

  

   

 

 

そのツイッターをちょっと調べてみた。

   https://twitter.com/iingwen

 

2010年にスタートしたツイッターだが、2014年を最後に休んでいたのに、『2017年1月15日』から突然再開したのである。

それも、2014年までは中国語でアップされていたが、今年からはそれが英文と日本語で呟かれるようになっているのである。

明らかに、台湾は中国からこの機会に脱皮しようとしているのであろうか?

英語と日本語で書かれていて、中国語が消えてしまっているのである。

 

     

 

  かって、中国語でアップされていた2014年代のツイッターとは、その注目度の差は歴然なのである。

 

     

 

 ★橋下徹さん、小池百合子さん、トランプさんと、 世界の新しいリーダーたちが、競って使うようになった『ツイッター』はマスコミがどのように言おうとも、『新しい流れ』になりつつある。

新聞を意味する『新しい情報』が今では『旧聞』になってしまっているのは、どうしようもない事実なのである。

そんな新しい時代の『情報発信システム』を政治家が利用するのも『時代の流れ』なのだろう。

安倍さんも蓮舫さんも、多くの政治家のみなさんがツイッターを発信されているのに、何故か実業の世界の大企業のトップの方たちは、こんなネットの世界に背を向けているのは、自らの言葉で、自らの信念や想いを、世に発信する自信をお持ちでないのだろうか? と思ったりもするのである。

 

★何はともあれ、今年は年初からいろいろあってオモシロそうである。

そんな流れの中で、『いい・わるい』は別として、ツイッターに代表される『スピード感』が、素晴らしいと思っている。

トランプさんの物事を決めるスピード』 それは例え『拙速』と言われても、遅いよりは速いほうがいい。

コスト』で一番大きなものは『時間』ではないかと思ったりする。

今までの例えば行政の市長や、大企業の社長の物事の実現目標は4年ぐらいの周期で考えられていたが、これがそもそも間違いで、今の世の中、4年も経つと世の中は変わってしまっているのである。

 

私自身も、『スピード』については、結構自信はあるのだが、どんどん早くなる世の中の変化に負けぬように頑張って生きたいと思っている。

『ツイッター』も結構ちゃんとやっています。

 

 

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アメリカとメキシコの国境の壁

2017-01-29 06:30:19 | 発想$感想

アメリカとメキシコの国境に壁を造る。

 トランプさんのこんなニュースが流れている。

 

 

 

 いい・悪い は別にして、どんなところにどんな壁を造ろうとしているのか?

 いま はどんな状況なのか?

 暇に、任せて調べてみた。

 

    国境に壁 と言ってもこの広さである。

 かって『万里の長城』なども築かれたから、不可能ではないのだろうが・・・

 

    

 

   そして、ざっとこんな自然環境なのである。

   

 

太平洋から大西洋まで、ホントに出来るのだろうか?

そんな発想が出るということは、それだけ『不法移民問題』やそれに付随する問題が、アメリカにとって大変だということなのだろう。

アメリカとメキシコの国境では、『テイファナ』が有名で、サンデイエゴのちょっと南、5号線を下っていけば テイファナには簡単に行けるが、そこにもすでに壁はできているのである

Google Map でチェックすると、左の海は太平洋、壁を造っても海を泳いでいけば隣はアメリカなのだが、警備が厳しいのだろう。

 

  

  

  そんな壁は、東に続いているが、この壁を乗り越えてメキシカンは、アメリカにやってくるらしい。

  

  

 

  もう少し東に行くとメキシコ側の道沿いに沿って、こんな壁がある。

 向う側は、広大な荒れ地だから壁は低いのかも知れない。

  

  

 

  さらに東に行けば、途中までは、こんな壁がある。

  既にある、これらの壁の費用は、アメリカ・メキシコ、どのような負担だったのだろう。

  

   

 

  どんどん、東に行くと、壁は作られていない

 

  

 

 こんな感じだが、ここは歩いて渡っても、そこから先の自然が大変なのかも知れない。

 

 こんなところもあった。

 

 

 

 ここなら、車でも通れるのだが、検問か何かがあるのだろう。

 

 どんどん東に行くと、アメリカとメキシコの境界線は、リオ・グランテ川 になる。

 いまは、そこには壁はない。

 

  

 

 こんな感じのところもあって、

 

 

 最後の大西洋に注ぐところはこのようになっている。

 

  

 

★海に囲まれている日本は、壁を造らなければならないような国境はないが、世界のほとんどの国には国境がある。

 ヨーロッパの移民問題も、アメリカのメキシカンの不法移民問題も、いろんな考え方があって、その対応は大変だと思う。

 日本も、国境はないが、少子高齢化がどんどん進むと、『移民問題に近い』いろんな課題が、出てくるのだと思う。

 アメリカのこの問題、今年中に果たしてどんなところまで進むのだろうか?

 

 

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6次産業・大丹波ふるさとプロジェクト  雑感

2017-01-28 06:55:13 | 発想$感想

中山和子さんから、突然こんなご挨拶を頂いたのは、今年の1月6日のことである。

 

新年のご挨拶を申し上げます。中山わこと申します。 

「農と食と観光」の6次産業化による地域活性化事業を立ち上げるべく南丹市は美山で泊まれて食べれて、体験・交流できる場づくり、サロン・ド・ビオを創設します。そこで同じ釜の飯を食ってそれぞれの思いを活かせる起業する仲間を求めています。説明会を企画します。今後ともよろしくお願いします。

 

実は明日の日曜日に『現地を見ようか』ということになっているのである。

未だ1ヶ月も経っていないが、ひょっとするとこのままどんどん進むかも分からないのである。

 明日現場を観て今後の進め方など私なりに考えてみたい と思っている。

 美山町と三木との距離は、100キロ以上離れているが、篠山経由で行こうかなと思っている。

明日朝、10時にJR園部駅で、京都から電車で来られる中山和子さんと待ち合わせなのである。

 

   

 

このプロジェクトの趣旨に賛同されている、京都女子大の先生やその学生さんなども、参加されるようだし、三木からは燦々SunSun 事務局長の殿界寿子さん、神戸からは神戸ベンチャー研究会で何度もお会いしている濱本恵美子さんもご一緒なのである。

丹波ふるさとプロジェクト というネーミングもなかなかいいし、『かやぶきの里』で有名な立地もいい。

 

  

 

  行って見ないと解らないが、大体この辺りで、美山かやぶきの里のすぐ近くのはずである。

 

  

 

 

こんな古民家がいっぱいあるので、こんな古民家を拠点に、『いろんなことを』『いろんな人と』一緒にやろうというのである。

今年の6月くらいまでにその目途を立てようとされているので、若し順調に進めばどんどん進行すると思っている。

 

 『6次産業』と言われているが、『6次産業』とは、

 

  

 

  こんなことを言うのだそうで、農水省が応援しているようである。

 何となく、オモシロそうだとは思いませんか?

 

 

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昨今の二輪・四輪の商売 雑感

2017-01-27 07:47:38 | 発想$感想

★ 先日近くの駐車場に止めていたら、いつの間にかバックミラーに当てられて、カバーが取れてしまったので、その交換のために、明石のBMWの修理工場まで行ってきた。

昔と違って、日本市場でも4輪の売れ行きは『もう一つ』だという。若い人の『クルマ離れ』が進んでいるのだという。

カバーが取れてしまったので、カバーだけの取り換えが出来るのかなと思ったのだが、それが出来ないのである。バックミラー本体セット交換で、カバーは改めて塗装屋に頼むそうである。だから、それまで1週間ほど待たねばならないのである。

カバーだけなら『安い』のだろうが、左のバックミラーセットで交換すると、10万円をちょっと超えるのである。保険を使うと手続きが面倒だし、仮に安くなっても保険料が上がるから、使う気にもならないのである。

それにしても『10万円』は高いなと思う。

つい最近、トモダチが新しく中古の軽4を買っていたが、12万円だと言っていた。バックミラー片一方とほぼ同じ値段である。

 

★正規のデーラーに行くと大体、こんな感じである。

実は2年ほど前に、右のバックミラーが、同じようにカバーが取れて、その時は平井稔男さんの関係で兵庫メグロ関連の修理屋さんに頼んだのだが、その時はカバーだけどこかで探してくれて、確か2万円ぐらいで直してくれたのである。

今回も、『頼もうか』と思ったのだが、頼むと親切にやってくれるのだが、大した額でもないのに手間ばかりかかって『面倒』だろうから、今回は正規デーラーに行ったのである。

10万円は高いなと思うが、デーラーの経営としてはそれくらいにしないと『大変』なのかな?と思ってしまうのである。

 年金生活で高齢者になると、ホントに金を使う機会がなくなってしまって、私などの場合は1万円札を使うことが殆どない生活になってしまっているので、たまには社会のために10万円ぐらい支出すべきかとも思うのだが、一括で払うのももう一つなので、ある程度の分割にして貰ってきた。

現役の頃、二輪のデーラーの面倒をよく見ていたので、こんな『デーラー経営』の関連事項になると、いろいろと思うところがあるのである。

 

    

 

 

 

★このバックミラーの交換をやってる待ち時間に、近くにある Kawasaki のメーちゃん経営の Kawasaki Entry を時間つぶしに覗いてみた。

このお店は初めてだし、勿論従業員の方も初対面だが、約40分ほど気楽な雑談を楽しんできた。結構私なりにいろんな新しい情報も仕込めたし、私の持ってるいろんな情報もお渡ししてきた。入社2年目だと言ってたから、カワサキのことなら私のほうが情報いっぱいなのである。

でも、『最近ヤマハの250がよく売れてる』というので『なぜ?』と聞いたら、流石だなと思うような『ちゃんとした答えをくれた』のである。そんなホントに末端の意見が大事だし、それに即対応するスピードが要るのだが・・・末端のマーケットには、そんな貴重な『ソフトや情報』がいっぱい眠っているのである。

こんな若い方と気楽に雑談できるのは私の特技なのである。でも、これは簡単なようでなかなかムツカシイのである。

今回メーちゃんは、カワサキの新しい販売網政策のために、新しく創る店の場所など既に借りているのだが、その場所なども教えてもらってきた。その店をスタートしたら、この店はどうするのだろう? と思ったりしたが、まあいろいろと大変である。

販売店も大変だな』と思った。

大体今の二輪の新車の売り上げ台数ぐらいでは、新車中心では、とても店の経営など成り立たないのである。二輪も4輪も何とか成り立っているのは、中古車や部品や修理があるからで、新車など大した比率などにはならないのだが、新しい客を呼ぶには新車も必要かな? というぐらいの感じなのだろう。

 

     

 

 

★ 今のような世の中になると、

私がお付き合いのある KAWASAKI Z1 FAN CLUB の登山道夫さんなどの商売のやり方が、今の世の中で『実質最先端』を走っているのだと思っている

   http://z1fc.com/    こんなホームページ

   http://seaz.exblog.jp/  こんなブログ や

 https://twitter.com/SEAZ_BIKE  こんなツイッター をお持ちだが

   

世界を相手のご商売なのに、正規の従業員などは一人もいなくてネットがベース なのである。

特に広告なども打たないけど、そのショールームというか事務局というかお店には、放っておいても人は自然に集まり、集まった人たちは、そこで雑談し、新しいバイクの知識や情報を糧にして満足して戻ってゆく

遊んで、雑談していたら、何となく商売に繋がっている。

最近は Kiyokazu Tada くんなどもしょっちゅう来るらしいし、この業界のプロ『モリワキ』さんなどとは親交がある。

 

   

 

  カワサキのZ1を中心に、最近はハーレーも扱っている。

 

   

 

   山本隆くんが理事長を務める、NPO The Good Times の事務局長でもある。

         自然に上手に、ご自身の商売に取り入れている。

 

 

    

   

 二輪など『遊びの道具』なのだから、基本に『遊び心』がないと、『真面目一筋』ではダメなのだろう。

 いまの世の中、無料で使える『ネット』があって、これが世界展開だから『三木の田舎』からでもその情報は世界に向かって発信されるし、ある時はホントに『世界の中心』になったりする。 

登山さんのところには、不思議なほど世界から有名人が勝手に集まるし、勿論日本人も、全国各地からやってくる。来週は東京から清水さんや関君もやってくるのである。

そんな時、『私が必要な時だけ』ちゃんとお声が掛かるのである。そういうメリハリがちゃんとつくから、従業員など一人もいなくても大丈夫なのである。 呼んで貰えるということは、現代の最先端の営業システムの中でも、私も未だ使い道があるということだと勝手に満足しているのである。

世の中、そんなソフトを中心にした展開をすれば二輪業界なども もう少しオモシロい展開になるのだと思うのだが、そんな末端のオモシロい状況が自然に入ってくるような動きになればいいのだが・・・

 

新車と旧車の違いはあるが、同じバイクなのである。ハーレーでも、カワサキの旧車でも、部品というか、特別のパーツは、二輪が遊び道具だけに、奥が深いなと思いながら見ているのである。

いずれにしても、プロというか専門家のレベルにならないと、今のソフトやネットが進んだ世の中では、なかなか機能し難いのかなと思っている。

カワサキも20年以上も前には、『機能別ARK』として、そんな専門家の方向を目指したのに、いつの間にか『汎用店=普通の店』の方向に戻ってしまっているところも多いように思ったりする。

登山さんのところに『人が集まる』のは、『プロに通用するソフトがある』からなのである。

 

★NPO  The Good Times のホ―ムページです

★三木 緑が丘 サンロードを愛する人のカイ!のホームページです

★燦々Sun Sun です。

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カワサキの二輪事業と私 その37  昭和41年(1966)

2017-01-26 06:47:51 | 自分史

★ 昭和41年は、私にとっては広告宣伝課、レース担当最後の年である。

世の中では、羽田空港で飛行機の事故があったり、日本にビートルズがやってきたそんな年なのである。

私にとっては、『大変なことが連続の年』だたっと云えるし、勿論広告宣伝の業務もやっていたのだが、振り返ってみると『レース関連事項』が連続して続いているのである。『レース関連』で大きな出来事と言えば、『カワサキが初めてGPレースに出場した年』 『FISCO で初めて日本グランプリが開催された年』でもあるのだが、ホントにいろんなことがあったのである。

 

★ カワサキがレースに参画して、それはモトクロスからスタートしたのだが、そのモトクロスに関しては、カワサキがトップを極めた年だと言ってもいいのではないかと思っている。

とはいうものの、春先のMFJ日本グランプリでも、もう一ついい成績は出ずにRHのスズキなどに名を成さしめていたのだが、この年の7月に、前年からレース監督を引き継いだ安藤佶郎さんが238ccの新エンジンを提供してくれたのである。それをモトクロス職場でマシンに創り上げたのは、松尾勇さんなのだが、出来たマシンがF21M なのである。

 

  

 

  これは、その後技術部が正規に造ったF21Mだと思うが、当初作ったマシンは、当時のヘリコプターからクロモリのパイプを貰ってきて、それに砂を詰めて、松尾さんが創ったベニヤ板の上に書いた図面に釘を打ってその通りにフレームを造り、当時では珍しかったセリアーニ タイプフロントフォーク、21インチの前輪など、めちゃくちゃ軽くつくられた本格的なマシンだったのである。

これを7月の青森県津軽の岩木山麓で行われたMCFAJ全日本に持ち込んで、それ以降の日本のモトクロス界を席巻したのである。

 三橋・安良岡・梅津・岡部・山本・歳森 のセニアたちと共に、星野一義・木村夏也などがまだノービスだが、大活躍した年である。

 

 青森のMCFAJ全日本モトクロスの時の写真である。

 当時のライダーやメカニックたち懐かしい顔が見える。

アメちゃんは多分当時青森の三沢基地ではモトクロスが盛んだったから、そこの人たちではなかろうか? 関東の厚木九州の雁の巣など、日本のレースは米軍基地の周辺からスタートしているのである。

 

  

  

 

  これ以降、カワサキは250㏄クラスでは、上位独占の連戦連勝の時代が続くのである。

 この年ぐらいから、カワサキのエースライダーとして頭角を現した山本隆は、この年の2月27日に結婚式を挙げるのだが、私はその1ヶ月前の1月26日に突然山本から仲人を頼まれて、結局は引き受けることになるのだが、私自身が新婚早々の時代で、今から思うと、頼むほうも頼むほうだが、引き受けるほうも引き受けるほうである。

その頃は、山本隆も未だ若手と思われていた時代で、後こんなに有名になるとも思わなかったのだが、今となっては仲人をやったので山本隆にはなんでも言える立場にあるのである。

これがこの年の『大変なこと』の一番軽かった出来事である。

 

★ この年からカワサキは本格的なロードレース参画の時代に入り、技術部では当時の山田煕明技術部長などが125ccのGPレーサーの開発に入っていて、初出の日に突然私は藤井敏雄くんの訪問を受け、その契約内容の検討に入ることになるのである。藤井くんは元スズキのライダーだったのだが、どういう交渉の結果カワサキに来たのかは私は解らない。GP関係のライダー交渉は技術部で契約担当を私が担当していたのである。

彼との契約交渉の結果は、藤井くんの希望で『マシンの貸与契約』とし8月までヨーロッパを転戦した結果で日本GP 前に『ライダー契約』を結んで欲しいということでスタートし、4月以降予定通りの欧州転戦が始まったのだが、最終戦のマン島TTレースで、8月27日の公開練習中に転倒死亡するという事故が起こるのである。

事故の一報は、FISCOでのレースチームの練習中に中村治道さんから私に電話があり、東京の『藤井敏雄の自宅に行ってその旨を伝えるよう』に指示を受けるのである。その役自体が大変なことだったが、それから9月3日の告別式までの1週間、これは大変だったのである。

マン島から遺体を送り出してくれたのは、当時ドイツに留学中でたまたまマン島の現地に行っておられた大槻幸雄さんで、その棺を羽田で受け取ったのはなのである。

日本モーターサイクルの夜明け』というスズキの中野広之さんが纏められたサイトhttp://www.iom1960.com/profile.html の中にこんな私と大槻さんの話が掲載されているのだが、 http://www.iom1960.com/kennsannkai/fujii-tosio-kawasaki.html  

  そこから転載します。

 

カワサキOBさんからの「藤井敏雄くんの思い出」

 カワサキのOB furuyaさんの思い出文(http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/8a687ff9d7c79c07988ad41cbf008117 のコメント欄)

【2007-02-01】

 1966年8月27日、FISCOでマシンテスト中に電話が入り、藤井敏雄君のマン島での事故死のニュースを聞きました。そこから直ぐ、三橋実君の弟さんの運転で、赤羽の藤井くんご自宅に報告に行きました。
 ご遺体が羽田に着いたのは9月1日、夕方の6時15分のことでした。その間、全てのことが、はじめての経験で、その日の日記に「遺体が着いてほっとした」との記述があります。「本当に着くのだろうか」と心配していました。
 マン島の視察に行っていた大槻幸雄さんが、英国側での手続きをやってくれたのですが、いろいろスズキさんにお世話になったようで有難う御座いました。
 昨年、片山義美君に会ったとき藤井君の話になり転倒後、話をしたとか言っていたと思います。
 この後、すぐにデグナーのFISCOでテスト中の事故(9月29日)があり、本当に心配でした。
 藤井君のついては、契約は担当しましたが、GP関係は技術部担当でしたので、どんな経緯でカワサキに来たのか詳しいことは解りません。
 はじめて藤井君に会ったのは、1965年秋のモータショーの会場で、久保和夫君が私に紹介してくれました。単に城北ライダースのメンバーとばかり思っておりました。
 その少し後、MFJの運営委員会の席上で、スズキの岡野さんから「うちの藤井から辞表が出た。会社の従業員ライダーだから、引き抜きは困る。」という発言がありましたが、「うちは関係ない」「多分BSだろう」と思っていたのですが、ひょっとするとそのころ既に話があったのかも知れません。
1966年1月5日に藤井君が明石に来て終日契約の話をしています。
 非常に真面目な人柄だと言う印象を強く受けました。カワサキとの契約は、「ライダーとしての契約は、マン島から帰ってからにして欲しい」という、ご本人の強い希望でマシンの貸与契約とGPマシンの技術改良に関する内容でした。
 その後、量産車のキャブセッテングで困っていた時、藤井君が診て即座に直ったことがあり、契約外のことでしたが、事業部長から金一封が出たりしました。技術的な経験豊富という印象を受けました。
 私にとって、藤井君は辛い思い出です。中野さんとの接点が出来て、藤井君のことを書く気持ちになりました。心よりご冥福をお祈りします。


カワサキのOB 大槻幸雄さんの思い出文(http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/173b4e301f78cc7cd94128f8cbe440b2 のコメント欄)

【2007-02-05 】

・・・・藤井君がマン島で事故死されたが、転倒後病院にに駆けつけ、医者に聞いたところ、彼は元気でピンピンしているとのことで、安心したホテルに帰って食事をとり、病院に出掛けようと思っていたら、「Sorry, He was killed]と言われ愕然とした。後に分かったのであるがヘルメットが割れていて、デグナーの経験から脳内出血と分かり、適切な手術が行われていたら救えたのではないかと痛感する。有名なマン島の医者でも誠に頼りないと、憤りとともに痛感する。

この年の藤井敏雄の事故は私のレース担当で一番悲しい出来事だったのである。

 

 

★この年の日本GPには、カワサキはあの『鈴鹿のデグナーカーブデグナー』藤井敏雄の二人のライダーをメインに据えて戦うように計画されていたのだが、その二人ともレース出場は叶わなかったのである。

藤井の事故のあと9月の初めには、デグナーとの契約書の検討に入るのだが、当時の川崎航空機の中で、外人それもライダーという特殊な人の契約など誰も経験がないのである。その担当は私ということで社内で聞き回ったが誰も教えてくれないので、思い余ってMFJの運営委員会で面識のあったホンダの前川さんに電話して『教えて頂けませんか』と9月10日の朝電話したら『鈴鹿まで来て頂けるのなら』と仰って頂いて、その日の2時に鈴鹿に前川さんを訪ねて、いろいろ具体的に教えて頂いたのである。

それを持ち帰って、まず日本文の契約書を造り、それを英文化して頂いたのは当時の山田煕明技術部長(後川重副社長)なのである。

9月23日には、そのデグナーが神戸にやってきて、朝ホテルまで迎えに行ったのだが、ホテルでグッド・モーニングと挨拶しただけで明石まで一言も喋らずに戻ってきた。当時は『英語など通訳が喋るものだ』と思っていたのである。

そのデグナーも9月29日のFISCOの練習中に転倒し頭部を打ち、その後明石までは戻ってきたのだが、容態が急変して生死の境を彷徨い結果は助かったのだが大変だったのである。

この辺りのことは『カワサキのデグナーの想い出』 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/8a687ff9d7c79c07988ad41cbf008117 の中に記述してある。

藤井敏雄がいなくなったので、急遽ホンダの谷口尚己さんと契約することになり、それはこの忙しい間を縫って9月19日に東京で契約交渉を行っているのである。

 

★そんないろいろあったカワサキが初出場の日本GPだが、10月15、16の両日、FISCOで開催される初めての日本GPとして行われたのである。このGPには、『第1コーナーの須走落としと言われた下りカーブが危険』という理由でホンダが参加を見合わせた大会となったのである。

この大会に臨んだカワサキチームのメンバーは総監督中村治道・助監督渡辺準一 GPチーム監督大槻幸雄 JRチーム監督安藤佶郎 マネージャー 古谷錬太郎 で全体を総括されていたのは 山田煕明さんなのである。

ライダーはGP 関係は、シモンズ・谷口尚己・安良岡健  ジュニアチームは 三橋実・金谷秀夫・歳森康師などだった。

このレースで歳森康師は転倒して鎖骨を折ったりしたのだが、その歳森に私が掛けた言葉は『よかったな』だったのである。ホントにこの年のライダーの転倒は年初の鈴鹿での三橋実の転倒入院に始まっての大事故ばかりで、『鎖骨でよかった』というのは私の偽らざる実感だったのである。

 

★このレースの当日、GPでは入賞は果たせなかったが、ジュニアの250ccではA1R に乗る金谷英夫が、ヤマハのガリー・ニクソンと壮絶なバトルを展開したのである。 金谷がレースをスタートして2年目のことなのである。

この写真はFacebook にアップされた古澤幸二さんからお借りしたものである。

 

   

 

 当時は私は広告宣伝課にいて、ライダーたちの契約金なども広告宣伝費の中から捻出していたのだが、ライダーたちはすべて広告宣伝課の嘱託という身分だったのである。そんなこともあって当時のライダーたちは広告宣伝写真のモデルにもなってくれたし、A1の開発に当たっては当時の名神高速でのテストに参加して、いろんな意見なども言ったりしていたのである。

A1のレーサー開発もレース運営委員会でその開発が決定され、当時は日本では敵なしの状態だったのだがこのレースにはヤマハがアメリカのトップライダーガリー・ニクソンを連れてきたのである。当時のヨーロッパ中心のライダー規定では、多分アメリカのトップライダーたちもジュニアの資格で走れたのではないかと思うのである。 当時はGPライダーたちはみんな真っ黒の皮つなぎだったのだが、ガリ―・ニクソンだけが赤いつなぎで異様な感じだったのである。

流石に速かったが、金谷とは壮絶なトップ争いを展開し、このレースのベストラップは、ニクソンと金谷が同タイムで二人が記録しているのである。3位の三室とのタイム差を見ると如何に二人が速かったのかが分かるのである。

レース2年目にしてアメリカのプロライダーと互角に渡り合った金谷の快挙だと思う。ホントに金谷は『世界で一番早いライダー』だったかも知れないと思ったりしている。

 

   

 

 ★ 『世界の金谷』と言われた金谷秀夫だが、『金谷秀夫 』で画像検索するとこんな画面が現れる。

  https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%82%B5%E3%82%AD%E3%80%80OB&biw=1314&bih=717&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjHkfCT6dzRAhULxbwKHTtZB0IQ_AUIBigB#tbm=isch&q=%E9%87%91%E8%B0%B7%E7%A7%80%E5%A4%AB

 

 

 

金谷秀夫とカワサキの関係は、特別なものがあったのである

 金谷がカワサキに入ってきたのはこの前年で、この年はカワサキ2年目の金谷なのだが、この10月の日本GPを走った時点では、金谷は『保釈中の身』だったのである

この年の4月17日、金谷は突然神戸葺合署に逮捕されるのである。

カワサキに入ってくるずっと以前の事件があって、それにちょっと関係したとあっての逮捕だったのである。彼の恩師神戸木の実の片山義美さんにも『何とか彼が走れるように』と頼まれて、私は当時のレース関係の中村さんなど先輩に相談すると、日ごろの金谷の態度がよかったからだと思う。みんな『何とかしてやれ』と仰るのである。

何とかする』と言っても何ともする方法が見つからないのだが、一か八か、神戸地方検察局に担当検事を 当時のレース監督の安藤さんと二人で、訪ねたのである。『その事件のことはともかく、現在は金谷はいい奴だから何とかなりませんか』と言ったら『君はどこに来て何を言ってるのか解っているのか』とボロカスに怒られたのだが、帰り際に検事はポツリと一言『嘆願書を出せ』と言ってくれたのである。

金谷の嘆願書は、当時の塚本副本部長筆頭名義で製造部門の人たちなど100名以上の名を連ねたものになったのである。当時の川崎航空機の上の方はいま思っても偉かったなと思うのである。工場の方たちの署名が多く集まったのは、守田工場長が『助けてやれ』と言って頂いたからだし、塚本さんもその筆頭に署名をして頂いたのである。

普通のサラリーマン社会では、なかなかこうはならないのではなかろうか?

5月9日に金谷は保釈になり、それ以降のレースは保釈の身で出場していたのである。そしてその年の11月8日神戸地方裁判所第5法廷で行われた裁判の証人として私は法廷に立ったのである。傍聴席には中村治道さんが来られていた。

多分、『嘆願書』が効いて、裁判の結果は『執行猶予』となったのだが、カワサキにいる間は執行猶予期間中で、海外のレースには出られなかったのである。

金谷はホントに『いい奴』だった。短い間のレース担当でライダーたちともいろいろ付き合ったが、金谷とは特別だったし、彼はそんなこともあって、SPA直入のオープンの日には、ヤマハさんの予定を断って大分県の直入町まで足を運んでくれたりしたし、晩年の金谷秀夫はカワサキのZ1会のゴルフコンペのメンバーでもあったし、写真にあるようにカワサキの昔の連中と一緒にいる機会が多かったのである。

私も金谷と一緒に過ごす時間がいっぱいあってよかったなと思ったのだが、あまりにも早く逝ってしまったのである。

 

★この年、昭和41年が『大変な年』だったことはお分かり頂いたと思うが、10月の日本GPが終わって、カワサキのレース体制も創成期の第1期が終わり、新体制に生まれ変わるのである。

大槻さんは、市販車の開発も担当されるようになったし、安藤さんはアメリカ市場に、私も10月末に東北6県を統括する仙台事務所を新設するようにと異動の内示があったのである。

11月には本来の広告宣伝業務の東京モーターショーなどもあったのだが、そこに連戦連勝のF21Mの展示をすると言ったら、安藤佶郎さんが、『やめとけよ』と仰るのである。『なぜ?』と聞いたら、そのエンジンを開発した安藤さんとしては、あれは『125BIの市販車のエンジン』がベースで、それを150㏄にボアアップしていたのを、『さらに238ccのレーサーのエンジンにしてなお持ってる』というのは、最初の125ccのエンジンがいかに『過剰品質設計』だということなので、設計屋としてはカッコ悪いというのである。

安藤佶郎さん、と言えば『怒って怖い』という印象が強いのだが、そんな繊細な一面もお持ちだったのである。

 

★私が会社勤めの中で『技術屋』さんと親しくお付き合いをしたのも、ライダーと出会ったのも、広告代理店の優秀な本社メンバーから『マーケッテング』を教えて貰ったのも、この広告宣伝課を担当した4年間だったのである。それは私のその後の仕事をする上で、他の方が経験されなかった分野だけに、非常によかったと思っている。

マーケッテングの基本コンセプト『差別化』を自分の生き方にしようと思ったのもこの時期だし、カワサキの二輪事業のブランドイメージも、間違いなく他の3社と『差別化』された独特のものになっているのは、この時期を支えた方たちが、みんな『差別化』された、ちょっと変わった独特の方たちで構成されていたからだと思っている。

 

カワサキの二輪事業は、この年海外のアメリカ市場では、シカゴにAmerican Kawasaki が設立され、アメリカ市場向けのA1発売で意気上がっていた年である。当時シカゴにいたのは田崎雅元さんだし、所謂世に言われる『7人の侍』の時代なのである。

そして翌年からは、技術メンバーとして、これもレースチームから安藤佶郎さんが新しく参加されることになるのである。

 

 

★ その歴史ー「カワサキ二輪事業と私」を最初からすべて纏めて頂いています

https://www.facebook.com/%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-662464933798991/

 

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昔のことは覚えているのに・・・・

2017-01-25 06:12:51 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 昨日は、今年はいろいろあってオモシロそうだとツイッターにはこんなにエラそうに呟いたのだが・・・

 

 

 

   昔のことはよく覚えているのに、 至極最近の話はころっと忘れてしまうことが多いのである。

  

★ つい最近も、パソコン用の眼鏡がどこかに行ってしまって、どこに置いたのかを、覚えていないのである。

 全然覚えていないのではなくて、鉢の植木に水やりをしていた時、眼鏡が邪魔になって、その時『どこかに置いたのだ・・・』と思うのだが、そこから先が、幾ら考えても分らなくて、未だに出てこないのである。

そんなに立派な眼鏡でもないし、出てこなくても特にどうということはないのだが、どうも気分が悪いのである。

 

これは、『認知症』ではないのだが、年を取ると、どうもこういうことが多くなるのである。

この話は、大した話ではないので『よかった』のだが、昨日実は大変なことがあって、これはホントに大変だったのである。

私は、3月2日が誕生日で、今年は『運転免許証』の更新なのである。

その免許更新が、誕生日の1ヶ月前の2月2日から可能です、という通知のはがきを頂いたのである。

70歳以上は、免許の更新に『自動車教習所』で事前講習』を受けることが義務付けられていて、それは既に昨年受けているのである。 その『高齢者講習修了証』を持参しなければならないのだが、それをどこに保管したのかを忘れてしまって、通常大事なものを保管している引き出しやら、カバンなど探してみたが『ナイ』のである。

そんな大事なものだから、『ちゃんと保管』している筈なのだが、半日ほど探し回ったのだが出てこないのである。これには困ってしまって、『紛失したらどうすべき』なのか、自動車教習場に再発行でもお願いすべきだと思ったりしていたのだが・・

 

結果的には、『見つかった』のである。

 

なぜ見つからなかったのかというと、その『高齢者講習修了証』は、『葉書大かそれくらいの大きさのモノ』と勝手に思い込んでしまって、それくらいのものが入るところばかりを捜していたのである。

実際は、『A4の大きさの1枚の紙』なのである。 大事なものだから、折り目などつかないようにA4の紙が入る『ファイル』の中に保管していたのだが、その『大きさ』をすっかり忘れてしまって、『もっと小さい』と勝手に思い込んでいるものだから、探す場所が、間違っているのである。

これは、ホントにほっとしているのである。

 

★高齢者のクルマの事故の多発から、『高齢者事前講習』の中でも『認知症』の兆候の検査などいろいろあるのだが、高齢者特有のいろんな症状は、現れるのであまり自信ばかり持たずに、いろんなことに気をつけて生きていかぬといけないと思うのである。

なぜ、こんなブログをアップしているのかというと、これくらい書いておけば、次回は大丈夫だと思うからである。

高齢者講習修了証』は、A4 と同じ大きさの紙なのである

 

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今年は、どんな生き方になるのだろう

2017-01-24 07:51:28 | 発想$感想

 ★ 今年は酉年、私は年男の年である。

   テレビでこんなことを言っていた。

 

   

 

犬猿の仲といわれる、犬と猿、ホントに仲が悪いのかどうかは解らぬが、その間に鶏がいて、まあまあと酉年の人はその仲を取り持つのだという。

 

年初からアメリカ大統領のトランプさんなど出現して、世界が『混沌』としていることは間違いない。

そんな世界情勢などとは関係なく生きている今年84歳になる私だが、世間一般の84歳の方よりは元気に生きているし、自分でも体力的には、現役時代の還暦の頃よりは『元気かな』と実感しているのである。

当時はまだ会社勤めで、『カワサキ』や『二輪の世界』という狭い世界の中で生きていたし、現在と全く違うのは『ネットの世界』がなかったことである。

私の退職後の人生は、70歳を過ぎてから覚えた『パソコン』と『ネットの世界』に出会って、それ以前とは全く異なった『広い世界』の中で今は生きているのである。

 

★今年もその延長線上で『生きる』ことになるのだろうが、

新春早々の1月から、『全く新しい方』からも、『旧いトモダチ』からも、『この数年に出会った方』からも、具体的にお声が掛かっていることが、なかなかいいと思っているのである。

その内容もなかなかなのである。ひょっとしたら、今年はまた『非常に活発』な年になるかも知れないのである。

 

● まずは『全く新しい方

 これはつい先日も、取り上げた『大丹波ふるさとネット』の中山和子さんのプロジェクトである。

大丹波』と名付けているのは、京都だけではなく兵庫も含めての大きな丹波が昔は存在したというのである。

 

 

 

 

  

次の1月29日の日曜日に、 南丹市の美山吉田地区に、このプロジェクトに関心があり、且つ核になるであろう人が集まることになったのである。

このプロジェクトを『手伝ってほしい』と突然中山和子さんからご挨拶を頂いたのは この新春なのである。

中山和子さんとは2015年の1月に私が大阪ベンチャー会でのスピーカーを務めたときにお会いして以来なのである。全く不思議なご縁だが、忘れずに『声を掛けて頂いたら』私は決して断ったりはしないのである。

 

 

このプロジェクト構想はなかなか壮大だし、お金もかかるが『クラウドファンデアイング』でそれを調達しようとしているし、ここに集まる人たちも、京都女子大の名誉教授の先生など多彩で、私にとっては初対面の方たちが殆どなのである。

多分、この大きなプロジェクトを『大丹波ふるさとネットを愛するヒトの会』としてトータルシステムを創って展開することになるのだろうが、そんなトータル・システムと広報・情報発信の分野をお手伝いしようかなと思っているのである。

 

● 『旧いトモダチ

 と言えば、それはカワサキの二輪関連の方が圧倒的に多いのだが、この1月に突然4年間休眠していた、元川崎重工業社長の田崎雅元さんから、2回も電話を頂いて、それぞれ1時間以上の長電話だったのである。 

何をそんなに話してたのか?と言われたら、『私と田崎さん』以外では話せないような二人での独特の話をしていたのである。これは昔の仲間の特権で、そんな『共通の想い出を共有』しているから仲間と呼べるのだと思っている。

そんな仲間は『いっぱいいて』昨日は突然東京の清水さんと関初太郎さんが、関西に来るので会いたいと仰るのである。何事かと思ったら、これも昔の仲間の月木レーシングの月木さんのところに用事があって、そのついでに三木までやってくるというのである。その親文格の平井稔男さんからも電話があって、2月11日に三木の登山道夫さんのところでお会いすることになっている。

さらには、野田浩志さんから久しぶりに灘の旨い酒でも飲もうと、桑畑・北村・大前・井川さんなどに加えてかって本社で二輪を手伝ってくれた阿二さんも入れて、2月にやろうと言っていたのだが、酔心館が2月は修理中でダメだというので、3月に延びたらしい。

旧いトモダチとの昔話は、この齢になるとなかなか楽しいものである。これにも田崎さん、復活しないかなと思っている。

 

● 『この数年に出会った方

 というのは、ネットで繋がった方、7年前にスタートしたNPO The Good Times 関連の方が多いのだが、このNPO法人も7年前の1月末に、ひょんなことから思い立ちその年の6月に新しくたち上がったのだが、今年はどうもその年の再現のような感じの動きなのである。

 

   

 

昨日の朝、これも突然なのだが、関西国際大学の松本茂樹先生から、

『2月4日の午前中に私のゼミ生1年生に講義をお願いできませんでしょうか。昨年よりも増えて51名になりました。地域活性化に興味のある学生が多いことに驚きます。まず1部で川崎重工でのお話。2部でThe Good Timesのお話でお願いします。殿界さん、垂井さんにもお願いしたいと思います。』

 というのである。

 松本茂樹先生は、関西国際大学の経営学科長をされているのだが、私などに講義の依頼をされるなど、大学の先生としてはちょっと異質なのである。 神戸ベンチャー研究会を主宰されているし、元々銀行の支店長もされていて、実業の世界をご存じだから、発想がなかなかユニークで、NPO The Good Times の理事も、その地域活性化のプロジェクト燦々SunSun の世話人代表もお願いしている仲なのである。

 正直、現役の頃から、人前で喋る機会は多かったのだが、原稿など創ったことは一度もない。常にぶっつけ本番なのである。

今回も松本先生に『テーマ』だけはお聞きしたのだが、『一部でカワサキの話、2部でNPO The Good Times の話を』と仰るので、そんなテーマなら、殆ど準備など要らないので気楽である。 

松本先生はFacebook で『カワサキ二輪事業と私』を読んでおられるし、NPO The Good Times がどんな基本コンセプトなのかもよくご存じなので、そのご希望に沿うようなお話が出来ればと思っている。

お話をする相手は大学生と言っても、ちょうど孫の世代の若い方である。そんな若い人たちに、短い時間だがお話をする機会は、私にとっても貴重である。いつものことだがその中の何人かとは教室だけでなくFacebookのトモダチとして繋がっているのである。

 

今年の元旦、今年の予定表には『墓参り』ぐらいしか入っていなかったのに、今は結構予定が埋まってきた。

何はともあれ『お声が掛かる』ということは嬉しい限りなのである。
今年も、『頑張って、前を向いて生きれる』かも知れないのである。
 
 
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メデイア や インテリ評論家は はちょっとおかしい

2017-01-23 07:56:17 | 発想$感想

 

★アメリカのトランプ大統領が誕生した。

あくまでも、アメリカの大統領だから、トランプさんがどのような政策をとっても、『日本はそれにどう対応するか』を考えたらいいので、口先で『批判してみても』どうしようもないのだが、なぜ日本のマスコミや評論家たちは、尤もらしくいろいろと言うのだろう。

そして、その人たちの殆どはヒラリー・クリントンの勝利を言ってたし、望んでいた人たちで、自らの意見が完全に間違っていたのは、ごく最近の話なのに臆面もなくまた同じようなことを言いだすのである

口先だけで、『何かを実際にやった経験のない人たち』は、一見賢そうで尤もらしいことを言うが、実際には何もできない人が多いのである。

賢いと言われる中央の官僚でも、大企業の経営者と言って威張っていても、平穏無事の時代はイイが、東電のように一端問題が起きると、全然対応能力がないのである。

私はどうも、そういう人たちとは肌が合わないものだから、口先だけの人たちは『嫌い』なのである。勿論、政治家でも、会社の経営者でも、実行力のある人は沢山いるが、その人たちは理論だけではなくて実力が伴っているし、言ってることが実現しているのである。いろいろ言う人に限って何も出来ない人が多いのである

 

この一両日、テレビ番組など見ていても、インテリ評論家みたいな人が、解ったようなことを言うので『むしゃくしゃする』ことが多かったので、逆にマスコミやネットの情報発信の中でちょっと違った意見みたいなものを探して見つけたので、ご紹介してみたい。

 

★まずは、大統領の就任式に集まった人たちの数などが、オバマさんの時に比べて、『格段に少なかった』などと言ってるが、

 

 

 

今朝の朝日も、こんなつまらぬことを結構大きな記事で取り上げている。

この写真を見る限り、そんなに少なかったとは言い切れないのだろう。小雨の降る中大変な人である。

 そのことをトランプさんは、新しく始めた『President Trump』というツイターの中で言っている。

 https://twitter.com/PresidentTrump_

 こちらがそのツイッターだが、従来のフォロワーは2100万人もいたが、未だ今は4万人ぐらいである。

 

   

 

トランプ氏はCIAでの演説で聴衆が25万人にとどまったとする報道があったと指摘し、「嘘だ」と断言。「演説をしたときに見たが、100万人か150万人はいるようようだった」と述べた。』

 他愛もない話だが、トランプさんのいうほうが正しいだろう。

 

 

  

 

橋下徹さんのツイッターから、トランプ大統領のくだりを、ピックアップすると、

●案の上中身のないトンラプ氏の演説。でも素直。口よりも行動重視の政治家の演説の特徴。就任式でこれからスタートなんだから、こんなところで格調ばかり高い小難しい演説をやっても無意味。かっこつけ口だけ政治家は演説の格調ばかり気にする。トランプ氏は行動重視。

●就任演説のポイントは2つ。1アメリカ第一主義、口ではなく行動重視 政治家は文学者じゃない。賛否はともかく政治家は大きな方向性を示すことが全て。専門家が今回の演説をもっとらしく分析しても無意味。

もう1つは既得権の打破。ワシントン政治家やメディアや自称インテリが跋扈する政治からの決別。そしていきなりTPP離脱。世界が何と言おうとも離脱。オバマ氏も就任前はNAFTA再交渉と言ってたのに就任と同時にあっさり尻すぼみ。日本の政治家もトランプのおっちゃんには心してかかって欲しいね

 ●格調を気にした小難しい表現の演説は、自称インテリの評価を気にしたもの。トランプのおっちゃんの演説は、完全に普通の国民向け。自称インテリは無視。これをもってレベルが低い演説と言う人こそレベルが低いね。普段綺麗ごとを言う人ほど、バカだ、教育レベルが低いと平気で言う。

  政治をやったことのない自称インテリは政治家の演説を異常に重視する。演説なんて所詮言うだけのこと。さらっと聞き流せばいい。政治家は実行、結果が全て。言葉尻に振り回されてはいけない。何を実際にやるかだ。

 

 いつもながら、橋下さんのツイッターは小気味いい。だから、好きだし応援してるのである。

 

    

  

 ★評論家と言えるのかどうか、ちょっと異質なアメリカ人の弁護士、ケント・ギルバートさんがこんなことを言っているが、的を得ていると私は思っている。

『2016年11月8日に投開票された米大統領選で、米国メディアの大半は、民主党のヒラリー・クリントン元国務長官を支持すると堂々と主張した。ヒラリー氏当選のために、彼らは度重なる偏向報道を行ったが、この不利な状況を見事はね返して、共和党のドナルド・トランプ氏が当選した。日本のメディアの多くも米国メディアにならって、いまだに「トランプ下げ」の報道を行っているが、はっきり言って見苦しい

トランプ氏の当確が出た後の街頭インタビューを見ていると、「不安だ」と話す日本人が多い。確かにトランプ氏は、今後、何をやらかすのか私にも想像できない。不安を抱く気持ちも分かる。不安が高じたのか、「米国人はバカだ!」とツイッターなどで憤る人がいるが、「バカに国防を依存する日本人はもっとバカだ!」と言い返そう。

 トランプ氏は「日本人は自分の国を自分の力で守れ」と当たり前のことを主張している。トランプ大統領誕生をきっかけに、「憲法9条のおかげで日本は平和だった」などという夢物語から日本人が覚醒し、憲法改正の議論が一気に進むことを期待している。』

 

 

★ケント・ギルバードに、『見苦しい』と言われているメデイアの中でも、ちゃんとした意見を言っているところもある。

産経の編集長の乾正人さんの意見だが、朝日新聞の人たちの中には、同じような意見の方は、一人もいないのだろうか?

そんなことはない、そう思っていても正面切って言えないような構造・体質なのだろう

これは、政治でも、官僚でも、大企業でも大なり小なりそんな温い体質の中に染まってしまっているのだろう。そういう意味では、『トランプ旋風』も少しは吹き荒れるほうが日本のためになるのだろう。

 

乾正人さんはこのように言っている。その通りだと思う。

『言葉のセンスや抑揚、身ぶり手ぶりと前大統領はトランプ大統領よりはるかに巧みだったが、残念ながら演説だけでは、世界は動かなかった。それに引きかえ、「アメリカ・ファースト」のたった一言で、トランプ大統領はさっそく世界を動かしている

 英国のEU完全離脱が現実化しつつあるいま、世界は行き過ぎたグローバリズムの調整期に入った。世界で最も豊かな8人が貧しい36億人分の資産を保有している世界は、明らかに異常だ。同じ金持ちでも「俺たちの気持ちがわかる」と労働者に信じさせたトランプ氏が米大統領になったのは何の不思議もない。

 では、「トランプ時代」に日本はどう対処すべきなのか。 今さらヒラリー・クリントンの方がましだったと嘆いても、TPPの効用を新大統領に説いても時間のムダ。 政権の行方をじっくりと見定めてから、と悠長に構えていては、たちまち「米国第一」にのみ込まれる。

米国第一」主義には「日本第一」主義で対抗するしかない日本で商売したいなら、この国に投資するのは当たり前。日本人は日本でつくった製品を買い、この国の農産物を食べよう。安全保障も米国におんぶにだっこではなく、もっと防衛力を整備しよう。もちろん、装備品は国産が原則だ。

各国が自国中心主義で突き進めば、摩擦は必ず増大する。そこではじめて「外交」という名の「取引」が始まる。日本は好むと好まざるとにかかわらず、「戦後」のその先の時代に突入したのである。

 

インテリぶった、学者やテレビのコメンテーターは、『いい加減』にして欲しい。

 

 

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大丹波ふるさとネット

2017-01-22 06:23:44 | 発想$感想

★今年の正月に、突然ご挨拶を頂いて、『大丹波ふるさとネット』なる中山和子さんが先頭を走るプロジェクトに、引きずり込まれてしまった感がある。

 

  

 

 https://www.facebook.com/biofarmTamba/?pnref=lhc

 『大丹波ふるさとネット』というFacebook は、いつスタートしたのか?今年になってからの発信回数も半端ではない。中山さんはどんどん走ってしまうので、すぐ後姿を見失ってしまうのである。

私が『そのようにいうのだから中山和子さんの疾走ぶりがお解り頂けると思う

 

来週の日曜日に、一度これに携わるメンバーで、とにかく現地を見てみようということになった。

大体、中山さんの構想はこんなところじゃないかと思っているのだが、次の日曜日に行く仲間のために私なりに少し纏めてみようかと思って書いている。

今度の日曜日に現地に集まる人は6人なのだが、中山和子さんを除いてはみんな現地は初めての方ばかりなのである。

 

リーダーは中山和子さん 御年70歳のこの方である。

42,195キロのフルマラソンだとすれば、彼女一人がすでに中間点を越えて、走っているぐらいの感じである。

われわれも、離され過ぎないように追走しなければならない。

 

 

そんな中山さんのこのプロジェクトに寄せる情熱にほだされて熱心なのが、濱本恵美子さん、

 

 

 

 神戸ベンチャー研究会で何度かお会いしてるのだが、元川崎重工にいた小林宏至さんの甲南アセットにお勤めである。

 

それに、ずっと 燦々SunSun で一緒の私といろんなことをやってる殿界寿子さん

この3人は三木から私の車で一緒に行こうということになっている。

あと3人は電車組で、京都のほうから来られるのでJR園部駅でお会いしましょうということになっている。

中山和子さんのほかに、清水康郎さん。

 

  

 私は3年前に会社員を卒業し、街の農地を活用した体験農園を地主さんの運営協力しております。かつて私が途上国での生活で感じた手間暇かける楽しさを価値にできないか、そして生産と消費の乖離を縮められないか活動しております。現在はささやかながら利用者をはじめ、地域の保育園、デイサービス、商店会との繋がりができてきたところです。また、高槻のNPOでのお手伝いもしており、地域づくり、コミュニティビジネスに関心を持っております。中山さんとは、ソーシャルビジネスのセミナーや見学会で知り合いになりました。 

 
 とこんな方で、学生時代はカワサキのエルミネーターに乗ってたと仰っている。
 
この5人でと言っていたら、今日また突然、京都の大学の先生がぜひ行きたいと仰るのでと、もう一人増えてこの6人に、現地に『井戸屋』さんが直接参加されるというのである。
 
 
 
 
★ところで京都の南丹市美山『吉田地区』とはこんなところだが、
 
 
 
 
 
この地区のこんな古民家を買い取って、都会の人たちや特に海外から日本にやってくる人たちを、呼び込もうというのである。
 
 
   
 
 
 
ただの宿屋をやるだけではなくて、ここでいろんな野菜などの栽培もやりたいのだが、とりわけいま熱心なのが『水わさび』の栽培で、すでにそれをおやりの名古屋の方に弟子入りしていろいろノウハウを教わっているらしい。
 
今度の日曜日に、井戸屋さんが来るのは、井戸を掘って水が出るかのチェックだそうである。
 
こんなに、手広くやって、70歳の女性が大丈夫かと思ったら、軌道に乗りかけたら想いのある若い人に譲っていこうと仰っているのである。
 
そんなにウマくいくのかな? と思ったら、
 
こんな若い『起業の専門グループ』との具体的な繋がりもあり、この方たちも京都の美山には関心をお持ちのようだとか・・・
 
 
   
 
 
 
 ことほど左様に、中山さんの周りは、想いのある人たちでいっぱいなのである。
 
余りにも元気すぎて、今は広がるところいっぱいに広がっているので、これをどのようにトータルシステムとして仕組んでいくか?
 
異種・異質・異地域をみんな繋いでいい時を過ごそう』というコンセプトのNPO The Good Times の中には、燦々SunSun
という地域活性化専門プロジェクトもあって、その世話人代表は、中山さんも、濱本さんもよくご存じの神戸ベンチャー研究会の代表でもあり関西国際大学の経営学科長の松本茂樹先生なのである。
 
 
そんなご縁で、私にはお声が掛かったようなので、殿界さんと一緒にその仕組み創りと広報関係・情報発信を担当してお手伝いでもするかと思っているのである。
 
 
 でも、コレ結構お金かかりそうだな、と思ってたらすでに『クラウドファンデイング』はこんなところまでは進んでいて、近く最終の具体的な計画や、現地の紹介動画などを創ってスタートしようとされているのである。
 
 
  
 
 
 
 
 ★これなかなか 壮大で、基本コンセプトもいいでしょう。
 
 いまから、来週から具体的に動き出してみようかな、と思っています。
 
 来週の日曜日、まずは今回『集まるメンバー』でよく現場を観て、今後の進め方を決めたいと思っているのです。
 
 『とにかく、想いがあって、中山和子さんのスピードについていける』そんな人たちを集めて進めたいと思います。
 
 今年の6月末に、どんな形になっているのでしょうか?
 
 オモシロい展開になるかも知れません。
 
 
 
 
 
 
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トランプ新大統領就任演説

2017-01-21 09:31:59 | 発想$感想

★ちょうど 夜中の2時に目が覚めた。

トランプ新大統領の就任演説やら、パレードを観ていたのでちょっと寝不足である。

 

 

 

    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170121/k10010847631000.html

 

    就任演説全文である。

 

今後、いろんな評論家たちが、いろんなことを言うのだろうが、私はトランプが真っ先に言った、今までの政治家が言わなかった、言えなかったこのような言葉こそが、トランプの政治に対する『基本コンセプト』でここから『新しい時代の政治』が始まるのだと期待したいのである。

 

  

 

 これは日本の政治、日本の大企業などでも『従来の発想』の中には、『国民・都民・市民・大衆』への視点が抜け落ちていたのである。

こんな従来の常識・発想が、昨年は英国のEU離脱に始まり、東京都知事選の小池百合子さんのチャレンジなどあって、今回のトランプの勝利に繋がり、このスピーチに繋がっている。

もう少し前から、大阪の橋下徹さんの大阪、さらに少し前の佐賀県武雄の樋渡啓祐市長など、私はずっと応援していたのだが、それがまさに世界で花咲こうとしているのである。

 

  

 

 

★多分まだ、世界の人たちは、『トランプの発想』について行けないかも知れない。

今回、ワシントンに集まった人たちは、オバマの時よりは少ないかも知れない。しかしこの『トランプの就任演説』に関心を持った世界の人たちは、支持する人、反対する人を含め、今回のほうが圧倒的に多かったはずである。

そんな世界が『注目する立場』に今トランプさんは立っている。

本当に意味で、『国民・都民・市民・大衆』への視点での政治に世界が転換するように、日本の安倍政権も協働すべきだと思うし、安倍さんは間違いなく、そのような方向を採ると思う。

そうすることが、日本を世界のキー国とする方向だと思うのである。

 

服部吉伸先生のこんな言葉がある。

新しいことにチャレンジすると、必ずこういうことになるのである。

 

『通用する発想とは正しく現状を捉え説得力があり、やがて多くの人の賛同を得られる考え方を指している。
ここでやがてという言葉を使っているのは、正しい考え方が最初から多数派である筈がないからである。』

 

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2017 年1月20日

2017-01-20 19:48:04 | 発想$感想

★ 2017年1月20日アメリカのワシントンでは、正午12時を期して、『トランプ新大統領』が誕生する記念すべき日なのである。

日本時間では、その前日に当たり、日本時間の21日午前2時がその時間に当たるらしい。

NHK初め、夜中にその実況放送が組まれている。

若し、目が覚めていたらその実況の一瞬を見たいなとも思っているが、そんな夜中に起きているのかどうかも疑わしいし、今日はその宣誓とスピーチが行われるワシントンの場所などを、Google Mapで検索などしていた。

その画面がこちらである。

 テレビなどで紹介されているが、右端の United State Capitol で宣誓とスピーチが行われ、左端のホワイトハウスまで向かうようである。

 

  

  

  そのちょうど中間地点に トランプインターナショナルがあるという立地である。

 

  

 

  それを人の視線で見ると こんな感じなのである。

 

  

 

  ここから人が埋め尽くす広場である。

 

  

  

  横から見るとこんな感じで、

 

  

 

  こちらが トランプ・インターナショナル なのである。

 

  

 

 こんな画面が Google Map を自分で操作していたら、撮れるところが素晴らしい。

 Google Car が通れる先進国の道のサイドは、どこでもこんな画像が見れるので、世界をパソコンで見れるそんな時代なのである。

 アメリカの1月20日は、これらの様相が一変して、マスコミで報道されるはずである。

 これくらい、『事前調査』をしておけば、実際にテレビで流れる画面も、また違った感覚で見ることが出来るはずである。

 

 

★丁度、その1日前の1月20日は、昼から燦々SunSun の殿界事務局長と、多分29日に訪ねることになるであろう。

京都の南但市美山吉田 のこんな地区のこんなおうちの話をしたりしていたのである。

   

 

 今年になってスタートしている新しい話だが、中山和子さんやその仲間たちと、こんなお家を拠点にいろいろと、オモシロいことが出来ないかなという話なのである。

水ワサビの栽培などもやりたいとか仰っている。

現場を見ないと、もう一つイメージは湧かないので、一度行って見ようかと言ってるのだが、行く前にこれくらいのところまでは何とかわかるのが、現代のネット社会なのである。

 

   

  

 こういうことをやってみるのは、『マーケッテング・マインド』というか私の身に付いてしまっている習性からで、アンケートをとってみて初めて解るというのでは、仮設などとても立てられないし、『ホリエモン』のように『想定内です』とはとても言えないのだが、なかなかこのような事前のマーケッテングをする人は少ないのである。

 

 

★ 夕方、先日話した田崎雅元さんから、また電話があって1時間余り先日の続きを話していた。

 先日の田崎さんとの話は、こんなブログにもアップし、http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/a0a993f6e5b25f1a6b2bcd96ea3affbf

 

Facebook にも流したら、沢山の方から、『いいね』を頂いたし、最高級のハートマークの『超いいね』を多くのカワサキファンから頂いているのである。

こんな積み重ねがホントの意味の『カワサキのブランドイメージ』の高質化に繋がるのである。

イメージ』とは身内の評価ではなく『他人の評価』であることが解っていない人が多くて困るのだが・・・ともすれば身内の意見を重視してしまうからダメなのである。

 

  

 

さらにツイッター  https://twitter.com/rfuruya1 でも 非常に好評価で沢山の『リツイート』がなされているのである。 『リツイート』などよほど『いい』と共感しない限り、一般の方(他人)がやったりはしないのである。

田崎さん、私のブログも読んでいたし、いろいろ検索していろいろ知っていた。ツイッターのフォロワー57万人については流石にびっくりしていた。

いつの間にかGood Times Concept が消えてしまったのは、国内とアメリカで復活したのが私と田崎さんだっただけにちょっと残念だったようである。田崎さんとそんな末端のユーザーを意識した、かっての単車事業部時代の話などいろいろなことが延々と続いたのだが、彼が川重の社長時代に一番頭にあった『重工業から柔工業』へとの体質的な構造改革など、なかなか解ったようで本質的なことは解らぬ『ムツカシイ話』だなと思う昨今なのである。

でも、そんな話がそのまま通じる『田崎さんが元気になって』本当によかったと思っている。

カワサキの職位で言えば田崎さんだが、田崎さんと髙橋鐵郎さん私と田崎さんとの関係は、ずっと昔の関係が自然に続いていて、それぞれがお互い敬意を払いながらのお付き合いが出来ているところがいい、所謂『仲間』なのである。

近いうちに一度会おうか』ということで電話を切ったのである。 

 

2017年1月20日は、アメリカでは、『トランプ新大統領』がスタートするが、日本の1月20日も、なかなかオモシロい 1日だったのである。

 

 

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Sento Towel 銭湯タオル

2017-01-20 07:13:17 | 発想$感想

★ Gigazine の記事は、なかなか詳しくてオモシロいのでよく見るのだが、昨日は Sento Towel(銭湯タオル)の話だたのでちょっとご紹介してみる。

クラウドファンデイング』の話題でもあったりする。

http://gigazine.net/news/20170119-sento-towel/

こんな感じで始まっている。

 

  

 

  すぐそのあとに、3分ほどの動画があるのだが、その内容を懇切丁寧に紹介しているのである。

それは私が、リンクした  http://gigazine.net/news/20170119-sento-towel/

こちらをクリックさえすれば見れるのだが、殆ど100%に近い人がそのリンクをクリックして中身を見ようとはしないのだと思う。

Gigazineは、それをよく解っていて、その動画を分解して説明しているのである。

これくらい丁寧にしても、見ない人は見ないのだと思うが、それを馬鹿みたいにさらに解説して、ブログにアップしようという暇人も世の中にはいるのである。

そういう『好奇心』のある人のところには、ホントの情報が集まるものだと思っている。

何も、努力もしない。好奇心もないでは、こんなに情報満載の現代でも『いい情報』など集まるはずはないのである。

この『Sento Towel』を創るべく『クラウドファンデイング』で100万円ほどの資金を集めようとしたら、2月8日の締め切り日を前に、既に4200万円も 集まっている人気だという。

Sento Towel 銭湯タオル』で 日本の綿を100%というから、当然日本の会社だと思ったら、それがオーストラリアだというのである。

 以下Gigazine を抜粋してご紹介するので、サラーっとご覧ください。

 もしご関心があれば、リンクをクリックされると、すべて見ることが出来るのだが・・・・・・

 

 

 

「手ぬぐいは日本文化の中で、とても重要な位置を占めています」という日本語の説明と共にムービーはスタート。

ばっちり「手ぬぐい」と言っていることから、Sento Towelが手ぬぐいであることがわかります。



侍や大名、将軍などが、16世紀ごろから取り入れていました」


「100年以上たった今日でも、すばらしい手ぬぐいを作る伝統は伝わっています」

 

 ということで、これが「世界で最も素晴らしいバスタオル」こと、Sento Towel。

 

 

 


100%日本製の綿を使用。

 


「3倍速で乾く」
「オーガニックの繊維を使用」

 

 


「日本の職人の技が美しさと喜びを伝えます」


ムービーを見ると、どことなくDHMOの例話のような雰囲気がありますが、Kickstarterのページ内では、さらにSento Towelについて説明されています。


なお、Sento Towelは記事作成現在、商品化を目指して出資を募っている最中で、目標額が約103万円のところ、既に4200万円以上を集めることに成功しています。

約3360円出資すると好きな色のバスタオルが1つゲットでき、約4220円でバスタオル・ハンドタオル・フェイスタオルのセットを、約47400円でバスシートをゲットできるなど、出資額に応じてゲットできるアイテムが変化します。

日本への発送が行われる場合であっても送料は無料とのこと。


なお、締切は日本時間で2017年2月8日(水)21時39分となっています。

 

最後に1分34秒ほどの動画を つけておきます。

 果たして何人ぐらいの方が『この動画』をご覧になるのだろうか?



 

 

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カワサキの二輪事業と私 その36 昭和40年(1965)

2017-01-19 07:01:02 | 自分史

★昭和40年(1965)はカワサキの二輪事業にとって、本格的なスタートを切った年だと言い切っていいと思う。

その中心が当時の川崎航空機工業の岩城良三常務で、自ら単車事業本部長となりカワサキ自販の社長を兼務されたのである。時あたかも濱脇洋二さんが、アメリカ市場開拓をスタートされた年でもあった。

下の写真は、真ん中におられるのが岩城良三さん、その左が浜脇洋二さん、そしてマセック、一番左はアメリカ市場開拓に最初から参加された Fred Suginuma 杉沼浩さんである。(後年MFJの常務理事などされたし、Facebookもおやりだからトモダチの方もおられるかも知れない。)

  

    

 

 カワサキの二輪事業は、岩城本部長が国内並びに新しい市場アメリカでTOPとして旗を振る姿勢を明確に示されたのである。

隣国の兵は大なり、その武器は豊なり、その武勇は優れたり、然れども指揮の一点譲るべからず』で始まる岩城さんの訓示は迫力に満ち溢れたものだった。

単なる組織人事を行っただけではなくて、実質的な経営展開を川崎航空機が行う決意の表れとして、販売促進部門のメンバーのカワサキ自販への出向を決められて、私もカワサキ自販の広告宣伝課長を任命されることになったのである。 まだ川航では係長にもなっていないのに平社員から一挙に課長という職位を頂くことになったのである。

従来のカワサキ自動車販売という社名から『カワサキオートバイ販売』へ、岩城社長自らの提案で社名変更がなされたのである。

 

 ★40年会社勤めをして私は上司に怒られた経験が殆どない。

唯一怒られた方が岩城良三さんである。係長にもなっていない若手を子会社とはいえ『課長に抜擢』して頂いたが、非常に厳しかったのである。当時の億の単位の広告宣伝費は、間違いなく大きな額であったし、広告宣伝そのものが会社でも経験のない分野で大変だったのである。

広告宣伝費の報告はお前が直接俺のところに来い』ということになって毎回、岩城常務に直接報告をすることになったのである。

当時は、アメリカの浜脇さんがアメリカ市場をどんどん拡張していろんなことをどんどんおやりになるのである。そんなこともあってアメリカの予算がちょっと超過してしまうことがあったのだが、その報告に行ったときに突然雷が落ちたのである。

『今期の予算の決定は俺とお前の二人でコレでやると決めた。伊達や酔狂で古谷の印を押しているのか。輸出部がどうのとかの言い訳は俺は許さん。岩城に任されて開発費を見る以上、最後まで責任を持て!』『オコラレテ非常に気持ちがよかった。会社に入って怒られたのは初めてである。』

これはこの年の6月18日の日記にそう書いている。

 

   

 

  広告宣伝課のあと、岩城さん自らの東北出張で地元の代理店社長たちのの要請に応えて新しく『仙台事務所』を創ることになり私は赴任することになるのだが、その時岩城さんはわざわざ私の机のところまでこられて『ご苦労だが、頼むぞ』と仰ったのである。

会社の上司で、一番印象に残っている岩城良三さんである。

 

★この年のことを書くためにこの年の日記は全部読み直してみた。いろいろとあった年である。

● 2月には、川崎航空機として初めて新聞の全ページ広告を打っている。『実用車のカワサキ』時代で主力市場は東北や九州など、田舎ばかりで、東京・名古屋・大阪などは要らないというのである。普通は朝日・読売などに広告を打って地方紙の幾つかで補うのが通例なのだが、全国紙は止めて40紙もある地方紙ばかりに広告を打つという、広告業界ではあり得ないことをやったりしている。

● 3月にはその地方紙を含め新聞社50社を集めての明石工場見学をやっている。この時も岩城常務が先頭で纏めて頂いたのである。

● レース関係では2月に事件が起こった。山本隆・歳森康師の二人がBSに移籍すると仮契約を結んだと言うのである。この問題対策に引っ張り込まれて、初めてライダーと直接話をすることになり、神戸木の実の片山義美さんといろいろと話をしたのである。ライダーたちの言い分も尤もなことも多くて、今後『私が直接ライダー関係を見る』という条件で、山本・歳森には西海・片山さんのお二人が『カワサキに残れ』と言って頂いたのである。そんな事件が直接のレース関係を担当するきっかけなのである。

● そしてこの移籍問題の中でも、山本隆のロードレースへの参加希望があって、5月3日に行われた『鈴鹿ジュニアロードレース』への出場を決めて出場したのである。

詳しくは以前にアップした『カワサキが初めて鈴鹿を走った日』 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/8356d318b5dc414c15dd1b7488a09f63 をご覧ください。 

そのレースで、山本隆はホンダに次いで3位に入賞し、カワサキ内に一気にロードレース熱が燃え上がるのである。

● そしてその1ヶ月後の6月に、カワサキで初めて『鈴鹿アマチュア6時間耐久レース』に3チームが出場することになるのである。この時カワサキで初めてレース監督なるものが登場し『大槻幸雄監督・田崎雅元副監督』でレースに臨んだのである。

山本隆くんが前月の『ジュニア・ロードレース』に出場して『アマチュア』の資格がないので、歳森康師がパートナーに連れてきたのが『金谷秀夫』なのである。金谷のカワサキでの初めてのレースは、契約など何もなくて、こんな形で始まったのである。

出場したライダーたちの殆どがモトクロスライダーで転倒が多く、3時間あたりでは『加藤・飯原』のテストライダー組がトップを走っていたのだが、これも転倒で結局誰も入賞もしなかったが、カワサキの正規のロードレース第1戦である。

● モトクロスで特筆すべきは、前年度末和歌山で初めて走った星野一義が『ノービス』として春からデビューし、MFJの日本グランプリではぶっちぎっていたのだが、パンクで優勝を逃したが、MCFAJの全日本では見事90ccで優勝を果たしている。

この年スズキの「吉村太一」もデビューして、星野・吉村はどのレースでもトップを競い合ったのである。星野一義18歳で『太一ちゃん』も確か、同い年でその当時から親しくさせて頂いているのである。

● 当時はレースの世界では、まだMCFAJが主流みたいなところもあって、その事務局長をしていた、西山秀一さんには、カワサキはホントにいろいろお世話になったのである。

 

 

 

カワサキ関係者も、レースなど素人ばかりで、『レース界』のことなどいろいろ教えて頂いたのである。

Facebook で繋がってる Toshiki Nishiyamaさんは、https://www.facebook.com/toshiki.nishiyama.355 その息子さんだが当時はまだ中学生か高校生でカワサキのB8Mなど乗っておられたのではなかったか?

兎に角、二輪に関しては、みんな素人ばかりで、そんなに詳しい人などホントに少なかった時代なのである。

 ● MFJも組織が立ち上がって運営委員会なども出来たのだが、ホンダ前川さん、スズキ岡野さん、ヤマハ内藤さんなどは部長クラスの方だったのだが、カワサキは私、BSはさらに若い西川さんという構成で運営されていたのである。

この年7月31日には鈴鹿サーキットで『24時間耐久レース』が開催され、私はMFJの運営委員として現場にいたのである。27台が出場したが、その殆どがホンダで、ホンダのお祭りのような大会だったのである。夕方5時にスタートして夜を徹して走り、翌日の5時までの24時間、開会式の時に『走る距離は、鈴鹿から香港ぐらいまでの距離を走ります』という紹介をびっくりしながら聞いていたのを思いだすのである。

 ●カワサキもレースでは、ようやくGPレーサーの開発にも着手し、当時の山田熙明技術部長の下、大槻・渡辺さんなどが担当され、鈴鹿で安良岡・三橋・などがテストランを繰り返していた。まだまだ開発初期で125ccレーサーが鈴鹿で2分50秒が切れなかったそんな時代なのである。 神戸木の実の総帥、片山義美さんなども個人的にいろいろ提言してくれていた時期であった。

 

★昭和40年は、そんな年だったが、特筆すべきはアメリカ市場進出なのである。

レースチームからは田崎雅元さんが8月からアメリカに行くことになった。その時点では浜脇洋二さんの下に日本人ではトーハツから来た杉沼さん、財務担当の私と同期の久保勝平さん、浜脇さんの企画にいた渡辺くんに 田崎さんが加わったぐらいだったのではなかろうか。 杉沼さんを除いては英語も喋れないし、素人軍団だがよく頑張ったものである。田崎さんは日本でもバイク通勤していて、『W1でアメリカのハイウエイを始めて走った日本人』というのが自慢なのである。

カワサキは、ホンダ・スズキ・ヤマハのような二輪のプロがいなかったので、アメリカ人の二輪に詳しい人を経営トップ陣に据えるという『現地主義』を浜脇さんが採られたので、二輪に詳しい優秀なアメリカ人が集まり、W1以降のA1・H1・さらにはZ1と続く商品開発でもその主流がアメリカ人であったことが、カワサキのユニークな当時のスタイリングなどに繋がったのだと思っている。

ただ、エンジンに関しては航空機のエンジンをやりたいという本格的な『エンジニア』がいっぱいいたので、当時のカワサキのエンジンに関しては『相当な水準』だったのだろうと私は思っているのである。

このアメリカ市場の成功が、『カワサキの二輪事業』の成功に繋がっていったのは間違いない事実であり、昭和40年はそのスタートの1年目だったのだと思っている。

 

★ その歴史ー「カワサキ二輪事業と私」を最初からすべて纏めて頂いています

https://www.facebook.com/%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-662464933798991/

 

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阪神大震災の想い出

2017-01-18 06:51:03 | 発想$感想

 ★22年前、1995年1月17日阪神大震災当時は、私も未だ現役だった。

 その日の日記である。

 

   

 

 短い文章だが『これは本当に地震なのか? 何か近くで大爆発でも起こったのではないか?』と本当にそう思った。

とても『普通の地震の揺れ』とは思えなかったからである。

ただ、神戸の隣町なのだが、三木は家が倒れるなどの被害はなくて、停電になってしまったのでテレビのニュースなどは一切見れなかったのだが、納まってしまうとこの近所は特に何もなかったのである。いつもの通り犬の散歩もして、明石の会社に車で出かけたのである

 

★現代は常に溢れる情報社会の中に生きていて、人間の判断や、その行動はすべてそんな情報の中で自然に判断されて、具体的な行動になっているのだと思う。

停電になり、新聞はあっても地震の情報など皆無の状況では、神戸の状況など知る由もなかったのである。

朝家を出る時、停電になってしまったので『熱帯魚の水槽の水温』が20度を割らないようにと家内に頼んで家を出たのである。情報が何もない状況で私の一番の関心事は『熱帯魚の水温』だったのである。

175号線は、信号はついていなかったが、それ以外はいつもの通りで、当時の玉津の会社に出勤していたのだが、従業員はいつもの通り殆どの人が来ていて、みんな神戸の状況は解らない状況だったので、被害は倉庫の二輪車が倒れたぐらいのことだったのである。

そのあと川重の工場のほうにも出社してみたが、こちらは電車が止まっていて、出勤している人は少なかったのである。

そんな会社の状況を高橋鐵郎さんに報告すべく電話をしたら、『お前はいまどこにいるのか?』と仰るのである。高橋さんのお宅は芦屋の高台で、阪神地区の様子が一望できる立地なのである。私が出社しているなど考えられなかったのだと思う。『えらいことになってるぞ』と仰るのである。

それを聞いても未だ、どんな状況かは解らず、びっくりしたのは10時ごろ電気が通じて、テレビの映像を見て、仰天してしまったのである。

その状況は、とても推測できるレベルを遙かに超えていて、これはホントかなと思ったほどである。

 

 

 

 こんな状況は、間違いなく『想定外の状況』なのである。

 

★ 地震後の状況も、新幹線も、メイン道路も通れなかったし、新幹線が通じるまでは伊丹空港か、岡山空港からでないと東京出張も出来なかったし、伊丹空港に行くにも車ではダメで三田周りの電車に乗っての伊丹行きだったのである。

震災のあと、道路は寸断されて車ではなかなか動けない状況だったので、兵庫県警にバイクを30台ほど寄贈しようとしたのだが、普通のルートでそれを言うと『申請書を出して頂けますか』と仰るのである。流石に頭にきて明石署の署長さんに言って、申請書なしで受け取って貰ったりしたのである。

どんな状況になっても、お役所はなかなかムツカシイものである。

東北大震災の時も吉田純一さんが現地にバイクで支援に向かったのだが、その時にも確か宮城県知事からの依頼書があって初めて現地に入れたのである。

 

   

  

    

 

  この活動で吉田さんは表彰を受けられたが、そんな活動の一端を担えてよかったと思っている。

   http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/a6f76fe542728ac3bb7cec8cf2f83d14

 

★ 災害は、忘れたころに突然やってくる。

 いろんな情報を覚えておいて、それに対応することである。

 大変な出来事も、過ぎてしまえば、殆ど忘れてしまっている。

 

 

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