雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

KAZE

2012-02-29 06:33:01 | ジェットスキー&KAZE

★ KAZEの機関誌が送られてきた。

二輪車の方がVOL .220   JET SKIは、VOL. 206 である。

 

カワサキの現役を離れて、もう10数年にもなるが、時代もどんどん変わって、当時にあったものもどんどんなくなってしまった。

今残っているものは、と言えば何があるのだろう?

SPA直入 と 岡山のショールーム、 玉津の部品庫、ぐらいなのかも知れない。

仙台や大阪などの営業所なども、残ってはいるのだろうが建物は新しいものに変わっている。

 

そんな中で、殆ど昔のままの形で残っているのが、KAZEの機関誌だと言ってもいい。

VOL.200 をいずれも越えたということは、もう20年以上も経ったのだろう。

 二輪車の方は未だに現役のKAZE会員で、ちゃんと年会費を払っている。

ジェットスキーの方は、KMJのご好意に甘えて贈って貰っている。

 

★Kawasaki Amusing Zone for Everybody の頭文字を取って『KAZE』なのだが、

誰が名付けたのか、よく覚えてはいない。

年会費3000円を頂く、会員カードは、JCBカードとの提携にしよう というのは私自身の発案だからよく覚えている。

なぜ、そんなことを考えたのか?

 

当時、ホンダさんのHARTは、公称10万人の会員と言われていたのだが、『そんなにいるはずはない』と私は思っていた。

年会費を取る限り、1年後には必ず期限が来る。10万人も会員がいたら1ヶ月に1万人近い会員の期限が来るのだから、その月に1万人を集めない限り10万人は維持できないはずである。そんなことは、如何にホンダさんと言えども、無理だと思ったのである。

JCBカードにしたら、『止め難いはずだ』という仮説でJCBと提携をしたので、カッコよさもあったが、実質的な会員確保対策だったのである。

その後の実績は、期限が来ても止める人は10%で、90%は自動更新だったから、実質的に最高55000人まで増え続けたのである。それ以上は行かなかったのは、月500人を集めるのが精いっぱいだったのである。

当時の4メーカーでKAZEの会員数はダントツのトップで、どんなイベントをしても圧倒的にカワサキだったのである。

 

★この会員数確保のノウハウは、年会費を徴集する限り、会員数の確保には限度があることが解っているので、

現在関係しているNPO The Good Times の会員さんは、入会金だけで年会費は頂いていない。

会員数は増える一方で、終身会員だから減ることはないのである。

今、7000人ぐらいだが、今年中には万になり、いつかKAZE会員よりは多くなるのだろうと思っている。

年会費を頂かなくてもやっていけるのは、NPO法人であるということと、徹底的なネット利用だから『経費が発生しない仕組み』だからである。

 

こちらが二輪車で、W800が表紙を飾っている。

 

そして、こちらがジェットスキーの機関誌の中身である。

 

★なぜ突然、KAZEなのか?

実は、さるとるさんが、突然『みき』はライムグリーンが似合うまち などと言いだしたのである。

そしてどこで見たのか、『KAZEの機関誌がどうの、こうの』などと言うものだから、ちょっと思いだしたのである。

 

さるとるさんは、今回5月20日にある

BERT主催の『笑って遊ぼうミキランド』の実行委員長など引き受けて、今そのバトンリレーなど手伝っているので、

ひょっとしたらバイクにかぶれたのかも?

何でも繋いで考える人だから『風車で発電できましたよね?』などと電話をかけてきた。

その風と KAZEをどうやら連想しているようである。

そして潮流発電などと言いだした。

確かにノヴァエネルギーの鈴木清美さんは、風車の発電も手掛けておられるのである。

 

何はともあれ、『笑って遊ぼうミキランド』なのである。

結構、いいメンバーが集まっている、

 

 

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人の進路

2012-02-28 06:53:21 | 発想$感想

★入学試験の季節である。

息子の方の孫が大学入試で、なんにも言って来ないので、どうなっているのかと思っていた。

息子や娘の入試の時も、その成否に不思議なほど関心がなくて、『何とかなるだろう』と思っていたし、

若し、『何とかならなくても』そんなことは『大したことでははない』とも思っていた。

 

人の進路はいろいろあって、大学でも入社でも、それによって『方向』が幾らか変わるかも知れぬが、

ちゃんと生きていれば、『ちゃんとなるものだ』と思っている。

『結婚』なども、『ご縁』とか『運命』がそうなっているのだと思う。

そんなこともあって、息子や娘の進路も殆ど構った事はない。

 

★そんな孫から、昨日電話があって、『通った』という。

『どこに?』と聞いたら、いろいろ幾つも言うのである。

『そんなに受けたのか?』と聞いたら、大体9校が平均で、自分は8校だから平均よりは少ないのだと言う。

昨日の段階で、私立校は第1志望が通ったのだが、国公立の発表が未だだから、それに通ったらどちらに行くか検討するのだと言う。

昨年のことを考えたら『贅沢』なことである。

 

高校は日大三校に行っていたので、日大に行けばそのまま行けたのに、他を受けてダメで一浪していたのである。

昨年受けてダメだったところを、幾つも通ったということは、それだけ1年の間に実力が付いたということなのだろう。

大体、大学に入ってしまえば勉強をしないのが普通だから、1年間確り勉強をしたことは、よかったのかも知れない。

 

★人間、そんな環境にならないと勉強しないものである。

自分のことで言うなら、運がよかったのか、通るような環境にあったのかは定かではないが、『試験』と言うもので落ちた経験はない。

大学も1校しか受けなかったし、受験勉強も、父が正月に亡くなって1月半ばから始めたので通る訳がナイと思っていたのに通ったのである。

大学を卒業するときに、先生に『なぜ通ったのか解らない』と言ったら、『君は県会議長が頼みに来た』などと言われるので、

『県会議長が頼みに来たらみんな通るのですか?』と聞いたら、『そんなことはないけど、当落線上ではね・・・』などと言われていた。

そんな時代だったのである。まあ運が良かったと思った方がいい。

 

そんな自分の人生で、勉強をした時期は、

小学校の時、戦時中だったが外地に居て空襲も、疎開もなかったから、ちゃんと勉強をした。

中学校も、神戸一中に何となく無試験で入れて貰って、父が『入れてやったのだからちゃんと勉強せ』ときつく言うものだから、この2年間は、猛烈に勉強した。

学年で50番以内を『特』と言っていたのだが、常に『特』だったし、10番以内にいたこともある。

 

学校で勉強したのはこの時期までで、中学3年は男女共学のいなって、高校は学区制で転校したら、レベルが全然違って、大学を含めて野球はしたけど勉強は一切していない。

だから、自分の学歴は『中学卒』だと思っている。

だから『大学卒』などという経歴には一切拘らずに、会社の仕事や人事などやってきた。

不思議なくらい『大学卒』より『高校卒』の人の方が実力が会ったような気がする。

 

商大なのに授業に出ないと単位の取れない『簿記』は取らずに卒業したが、

会社に入ってからは、結構勉強した方である。学問の知識も要るなと思った。

何故か?『他人が言っていること』が解らなかったからである。 『不勉強』はダメだなと、つくづくそう思った。

 

だから、そんな環境に置かれたら、人は勉強するものである。

孫も、1年浪人して、勉強する期間があってよかったなと、ホントにそう思っている。

去年そのまま通っていたら、その程度の力しかついていなかったはずである。

 

★人の進路は、運みたいなものである。

何が、よかったのか悪かったのかは、解らないのである。

置かれた環境の中で、最善を尽くしていれば、おのずから運は拓けるのではないかと思う。

息子の孫は鎌倉だが、

娘の孫たちはアメリカである。

 

そんな環境は、自分が背負った運なんだから、その中で頑張ればいいと思う。

鎌倉の孫は、何となく英語が好きでそんな方面を学びたいようなのだが、

アメリカの孫たちは、英語の社会の中に居るので小学校で英検2級を取ったりしていたが、それもまた環境なのである。

 

いずれにしても、人生の進路が決まっているわけではない。

自分で今歩いている道を、確りと歩けばいいのである。

 

★私自身、あと3日で79歳になる。

こんな歳になってもまだ、これからの自分の進路は、よく解らない。

昨日、電話をかけてきた孫が、大学の入試に小論文があったので、『私のブログ』から選んで書いたとか言っていた。

『何を、どのように書いた』のかは知らぬが、その大学に通ったのでよかったと思っている。

ただ、まだどこに行くのかは決めていないらしい。

 

私が、全然構わなかったので、そんなものと思っているのかも知れぬが、

息子は孫の進路など一切関心を示さずに任せ切りのようである。

 

3月中旬に鎌倉に遊びに行くことになっているが、そのころまでにはどこに行くのかぐらいは決めているのだろう。

呑気な事を言っているが、二浪にならなくてよかったと思っているのは本心である。

一番喜んでいるのは、ノンちゃんに違いない。

おめでとうございました。

 

 

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昨日の散歩

2012-02-27 06:51:38 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★先日、『高質な?わがまち緑が丘』と題して、散歩のブログをアップした。

最近、一念発起して、1時間の散歩にチャレンジしている。

78歳もあと4日ほどだし、少しだけ体重を落とした方がいいかなと思っているのである。

今体重は81キロ台までは落ちた。2キロほどは落ちたのである。

 

100キロを超す巨漢のカバン屋さんが、最近は散歩だカロリーだと言ってるので、『幾ら落ちました?』と聞いたら5キロ減ったそうである。

 

★気持ちよく歩ける場所はいっぱいあって、

昨日は、カバン屋さんが行くという、『緑が丘の最高地点』まで行ってみたのである。

上の地図で言えば、

左上の関西国際大学な左の道、神戸市との境界線の辺りまでである。

家からの往路はなだらかな登りである。ちょうど35分かかった。

 

こんななだらかな登り道、ここは緑が丘ではなくて、隣町の青山なのだがどこが境界なのかよく解らない。

この道は、国体の時に天皇陛下が通られた道である。

登りつめた分水嶺のところが関西国際大学である。

この道を同じ場所で振り返るともう山なのである。

そして100メートルも行くと、こんな看板がある。

ホントにイノシシなど出るのだろうか?

キツネはいっぱいいるようだが。

そして、そこから200メートルほど歩けば、カバン屋さんの言う『最高点』である。

そこからの眺めは、

 

こちらは、三木の方向、

真っ正面の高い建物が、グリーンピア三木の展望台である。

多分、ここよりは高いだろう。

そこからの眺望は抜群である。

ご覧になりたい方はこちらをどうぞ。ちょっと普通では観ることのできない眺めである

 ちょっと寄り道したが、こちらは海の方向、天気がもう一つだったので解り難いが、山の上にうっすらと見えるのは、明石大橋である。

右上の山は明石海峡の向こうの淡路島である。

 

そしてこちらは、神戸の方向、向こうの山が、六甲山である。

 

こんな標識が埋められていた。

 

帰り道は、一方的な下り道、すぐこんな町の中に出た。

 

直ぐヨコに信号待ちで止まっていた神姫バスの三ノ宮直行便、ここから40分ほどで三ノ宮に着く。

 

昨日は1時間と10分ほどの散歩だった。

 

 

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カワサキワールドな1日でした

2012-02-26 06:34:02 | カワサキワールド

★昨日は、カワサキワールドな1日でした。

朝から、三木のまちを、thiraiさんとカバン屋さんの3人で出発して、神戸、灘の金谷秀夫のお店『山ぼうし』を訪ねることから始まりました。

スタートから最後まで、写真のアルバムは、こちらです

 

土曜日はお休みなのに、特別に店を開けて頂いて、こちらで昼ご飯を。

登山さんは一度お店をお邪魔したしたことはあるそうですが、確り繋がったのは今回初めてのようでした。

平井さんがいると、休みでも店を開いて貰えるなど、得な性分です。

金谷とも久しぶりで、いい話いっぱい出来ました。

 

昼ご飯を頂いて、カワサキワールドへ、こちらはその事務所です。

責任者の三浪さんに、シャッターを押して頂きました。

三浪さんのお父さんにはお世話になりました。三浪さんのホントにまだ子どものころから知ってます。

 

金谷がカワサキにいたころ、レーシングチームのメカニックをしていた、吉田義正くん。たまたま説明員の当番日で。

お二人とも、何十年ぶりの再会です。 私がいなければ、解らなかったのかも知れません。

 

これもまた、たまたまですが、

『孫文を語る会』の事務局長中村君も来ていました。

これは、Z1会でご一緒の顔馴染みです。

一番左が三浪さん。

 

 

肝心のカワサキワールド、レーシングフェアには、

グリーンなマシンばかりを集めて、懐かしいマシンや写真がいっぱいでした。

 

 

MotoGP で活躍した中野真矢選手のサイン会は長蛇の列の出来る盛況でした。

その列の最後尾から、ちゃんと並んでサインを貰った往年のスターライダー世界の金谷秀夫。

長い時間並んで、自らのジャンパーを脱いで、サインをして貰っていました。

簡単なようで、なかなか出来ないことだと思います。

こんな金谷が好きなのです。

 

会場には、平井さんが来ると言うことで愛弟子、腰山峰子さんもやってきました

腰山峰子さん、かっては鈴鹿サーキットを、時代もマシンも違うとはいえ、金谷が持っていた記録2分40秒前後で走りきったとか、

今は関西では有名な人間国宝です。

その横のSonoko Kusumotoさん

今はアールエスタイチにお勤めで営業を担当だとか。

多分昨年の『カワサキの想い出、そして未来』ではお会いしたのでしょう。

ツイッターでも、Facebookでも毎日お会いしています。

BERTを手伝っていて、今回の『笑って遊ぼうミキランド』ではお二人とも実行委員に名を連ねておられます。

 

★カワサキワールドのぼけちんさんこと吉田さんとも久しぶりに会えたし、

なかなかいい『カワサキワールド』の広がったいい1日でした。

 

昨今の有名ライダー中野真矢さんとも会えたし、これを機会にまたどんな未来が待っているかも。

 

★最後に、カワサキワールドで出会ったファンの方。

金谷秀夫と平井稔男、お二人のサインを貰ってご機嫌です。

お二人とも、まだまだ『有名人』です。

ちゃんと、サインの字になっています。

 

平井さんのブログはレーシングフェア3連ちゃんです

 

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高質な?「わがまち」緑が丘

2012-02-25 06:27:15 | みっきぃふるさとふれあい公園

★三木の緑が丘町に住んで、もう40年にもなる。

全国の方からみると。『三木って、どこ?』という感じだろうが、神戸と一番長く境界線を接している神戸の隣町なのである。

今から40年も前に、大和ハウスが一帯の丘陵地を造成して広大な宅地を造ったのである。

造成をするときは、水利権があって、以前の山水が流れた通りに勾配を造らねばならぬようで、平らなところは殆どないなだらかな坂道の住宅街である。

そんなカーブと坂道が独特の雰囲気を醸し出して、地価も決して高くはないので、高級住宅地とは決して言えないが、間違いなく『高質住宅街』なのである。

マンションが規制されているから、アメリカのまちのように一戸建てばかりなのである。

 

★最近、一念発起して、この町の中をあちこち毎日1時間ほどの散歩をしている。

昨日は、このブログに書くために、コースを決めて歩いてきた。ちょうど予定通り1時間の散歩だった。

 

★神戸電鉄の緑が丘駅の地図である。

我が家は駅からちょうど1キロの緑が丘西町なのである。

今日の散歩は、我が家から廣野ゴルフ場の方へ行って、緑が丘駅を回って戻ってきた。

それでちょうど1時間かかった。この町が結構広いのがお解り頂けると思う。

この地図に載っている住宅街だけで多分3万人近いのではと思う。

 

周囲に緑の部分が多いが、それだけ自然が多いと言っていい。

歩いた通りに写真で紹介してみたい。

まず、我が家から三木のまちの方に向かってなだらかな下り坂である。ずっと遠くに見えているのが志染のまちである。

 

トーホーのある交差点、このあたりが緑が丘の最低点だと思う。大雨が降ると水はここに流れてくるが、決して貯まったりはしない。

 

交差点から坂道を登りきったところにある楠である。

開拓をしたときに植えたそうである。40年の月日を経てこんなに立派になった。記念樹にして碑を建てようと言う動きもあると言う。

植えた人たちにとっては懐かしい想い出なのだと思う。

 

楠の横の階段を登りきったところからである。 春にはこのカーブの桜も綺麗である。

 

そして踏切を渡ったところにある『ときわ病院』  三木は大きな病院の多いまちで近くに数えただけでも6つもある。

だから、市民病院の経営が難しいのかも知れない。

 

そして、ここが廣野ゴルフ場前駅である。いまどき電車に乗ってゴルフ場に来る人もいないのだろうが、

ゴルフ場が出来た当時は車など持っている人は、少なかったのだと思う。少なかったと言うよりもいなかったのかも知れない。

ちなみに開場は昭和7年(1932)、私の生まれる1年前、80年も前なのである。

 

駅を写した同じ位置から振り返って見た、廣野ゴルフ場である。

流石の風格である。

 

そして、同じ位置から神戸三木線、この道にそってゴルフ場がある。

この位置まで、家から歩いて15分であった。家から一番近いゴルフ場なのだが、残念ながら今は行く機会が全くといいほどない。

 

廃線が言われている、『神戸電鉄粟生線』も道と並んで走っている。

 

この道から、今は、フェアウエイが見えたりするほど、整備されている。

70歳になったっ時に、あまりに草ぼうぼうで汚いので、廣野の乾理事長あて、『社会に面しているところは、もう少し整備されるのが、社会的責任』と手紙したら、

鄭重なご返事を頂いて、それ以降毎年非常に綺麗に手入れされているのである。

 

廣野ゴルフ場駅の次が緑が丘駅で、最初の地図もこの駅前広場の掲示板なのである。

ここまでが、家から35分ばかり、ここから坂を下って家まで20分ぐらいである。

 

これは、緑が丘駅前の山本医院さん。

NPO The Good Times の団体会員さんだし

『粟生線の未来を考える会』の世話人代表をして頂いているので、ちょっと広報を。

若し、神戸電鉄が廃線になったりしたら、駅前立地が台無しなのである。

 

ここからは、坂道を下っていく。

最近は、シャッターが下りているところもあるが、商店街なのである。

 

そして、坂道を下ったところがコープ。

その駐車場横のトイレ、カラ―に塗られているが、まちの芸術家『かよちん』さんと、中学生たちの作品なのである。

 

   2008年12月とサイン入りである。

そして、ひと廻りして戻ってきた。

ちょっと見えにくいが右にある『SSS進学塾』、NPO The Good Times の団体会員さんである。

 

★ 一回り、ちょうど1時間だった、毎日同じルートではなくいろんな道を通っている。

車とはまた違った目線になるので新たな発見もあるし、寄り道も出来たりする。

さんさんギャラリーでは、『ザグのステンドガラス展』をやっていたが、これはまた明日、別のブログで・・・

まあ、こんなまちなのである。

私自身は、結構気に入っている。

住めば都とはよく言ったものである。

三木もいいが、緑が丘は中でも一番いいなどと思ったりしているのである。

 

 

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日本一美しいまちをめざして(2006年、自分史)  

2012-02-24 06:55:12 | 自分史

★昨日に続いて2006年73歳の自分史である。

6年前のことだからこのころのことになると日記を頼らずともよく覚えている。

この年三木に新しいし薮本吉秀市長が生まれた。

三木に住んで35年を越えてはいたが、それまでは三木市の行政など一切関心なく、三木市はまさにベッドタウンで夜寝るために戻ってくる町であった。

ずっと市長の名前すら知らなかったし、新しい市長に投票したわけでもない。市長選挙も市会議員選挙も行ったことがなかった。

4月に三木市の広報に新市長の方針が載っていて、

1.健全財政

2.市民参画

3.ビジョン、三木のイメージ向上

の3つが示されていたのである。

 

健全財政や、流行の市民参画などどこの市でも言うことだから何の関心もなかったのだが、

3番目の『三木市のイメージの向上』に大いに興味、関心を持ったのである。

 

★『イメージの向上』は私自身現役で『二輪車のイメージ向上』に何十年も取り組んできたテーマなのである。

『イメージ向上』は数値目標などの『出来た』と言える簡単な課題ではなくて、自分では評価することの出来ない『他人の評価』なのである。

そんな難しい課題を目標に上げる市長はよほど自信があるのか、真面目なのか?

大体日本のトップは『出来た』と言うことのできない理念やイメージなど目標に上げる人は少なくて、『出来た』と言うことが出来る『数値目標』などが好きなのである。

 

特に『イメージ向上』については、自分なりに積み上げてきたノウハウもあるし、

新市長さんがそんな高次元の目標を掲げるのなら、お手伝いをしようかと思って、4月の半ばに市長メールを差し上げたのである。

丁寧なご返事を頂いて、5月に入って、『イメージ向上』と言うには、『あまりにも三木市のホームページはお粗末である』という市長メールを送ったのである。

そのメールにも具体的な反応があって、これは続くなと思ったので、3通目からはNO.3とNOを付してお送りしたのである。

 

その後、いろんな経緯はあったが、市長メールはNO.150を越えたのだが、途中から薮本さんでは『実現不可能』と諦めてしまったのである。

7月の初めまでにNO.40にもなったのだが、だんだんと解ってくると、これではダメだなと思ったので、

その理由を書いて、実現の可能性もないので、『もうやめる』と書いたのである。

 

★それに対して、薮本市長直々のメールが来て、

平成18年7月31日の庁内会議で、

『私の市長メール』に絞っての真剣な討議がなされたのである。

これがその議事録である。 どれだけ熱心であったかお解り頂けると思う

その議事録にはこのように書かれて、会議が進行しているのである。

 明日から8月。薮本市長が就任して、6か月が経ち、この庁内会議も軌道に乗ってきました。
またこの間、市民の皆様からは、タウンミーティングや市長デスク、市長メールで市政の改善に関する数多くのご意見や叱咤激励をいただきました。
そこで、薮本市政の6か月を振り返り、これからの市政の運営に当っての夢・ビジョンづくり、トップマネジメント層の責務について協議をしました。

市長就任に際し、「①財政改革、②市民参画、③夢・ビジョンづくり」の3つの大きな目標を掲げて市政を進めてきました。
・・・・・・・・・・夢・ビジョンを市民の皆様にお示しし、これを共有していくことは、とても難しいことですが、・・・・・・・・・・・・
ホームページをリニューアルしていきます。市政情報をお伝えするもう一つの手段としてホームページがありますが、・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・

市長メールには貴重な提言をいただいています。その中で、ある市民の方から、ここ3か月に44件の市長メールをいただきました。中立公平な視点で、民間の経営感覚をもとに、建設的で斬新な提言をいただいております。・・・・・・・・・・・・

 

★このような会議が開催されたので、『気を取り直して』もう一度提言を続けることにしたのである。

この会議で決まったのが、

『日本一美しいまちをめざす 』という基本コンセプトなのである。

このフレーズも、私の提言の中に入っている。

これは私が発案したのではなくて当時薮本市長が言われていたのは、

『旧いまち、新しいまち、や合併した吉川町との調和、旧い伝統と新しい発想との調和』などを言われていたので、

『美しい』と言う日本語の意味にある『調和』から、心の問題、人の生きる姿勢、『美しい行政』を目指して、

更には、兵庫県のスローガンは『美しい兵庫』を何年も掲げてきているので、県庁から来られた薮本さんの目指す方向としてはいいと思って提言したのである。

 

殆どの方が、よく間違われるのは、『美しい』という言葉と『綺麗』を一緒にしてしまうことである。

『美しい』は『綺麗』=美観などとは全く異なる、人の心、生き方の態度の問題なのだと思っている。

 

★そんな経緯もあって、

この年の9月にブログをスタートした時、一番最初に書いたブログが『美しい』と題した4行のブログからスタートしているのである。

 

あれから6年の月日が流れて、

三木市長の薮本さんとは、今は完全に離れてしまっている。

あの頃の、薮本さんはどこに行ってしまわれたのか?

『美しくない行政』には、私はどうしてもついていけないのである。

 

昨日、いつもこのブログを読んで頂いている、『ぼっけもんの修さん』から、

Facebookでも、こちらのブログのコメントにも、

藤田 修司 おはようございます。バンコクからコメントしています。
行政にたよらずに三木のイメージ向上の取り組みをぶれずに進められてますね。その効果が少しずつ出てきているのではないでしょうか。そう感じます。
三木というエリアというか空間の質の高さが受け止められてきたのではと思います。
 
こんなコメントを頂いた。
 
 
『日本一美しいまちをめざして』
『三木のイメージの向上をめざして』
 
今でも、仲間たちと頑張っているのである。
そんなスタートの年の2006年だったのである。
 
 
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2006年(平成18年)73歳、この年から生活のパターンが変わった。

2012-02-23 07:18:05 | 自分史

★2006年、73歳。

今から6年前である。

この年から、私の生活が新しく始まったと言ってもいい。

現在の日常生活のパターンはこの年の延長線上にある。

カワサキ時代からお付き合いの仲間たちは除いて、今いろんなところで関係している人たちは、すべて2006年以降にご縁が出来て出会った人たちである。

疎遠になっていた昔の仲間たちとの交際も復活して、今は不思議なくらい日々が活発なのである。

 

★2006年とは、どんな年だったのか?

1月にはホリエモンのライブドア問題が発生した。

ホリエモンは逮捕され、ライブドアは上場廃止に追い込まれた。

株などやったこともなかったのに、ホリエモンのファンだったので前の年に7000株ほど買い込んで、めちゃ儲かったと思ってたら、紙切れ同然になってしまった。

処分などは一切考えず、記念に今でも持っている。

 

2月に『ひかり』にしたら、旧いパソコンはそのスピードについていけずに、2台目のノ―トパソコンを買っている。

そのころは、検索専門みたいなもので何もやっていなかったが、

5月からはメール、

9月からは、ブログにハマって、現在の生活に繋がるパターンとなったのである。

 

3月には、WBC 第1回世界チャンピオンシップがあって、決勝でキューバを破って優勝している。

松坂はMVPに選ばれたりしている。

 

★生活のパターンが変わったきっかけは5月からである。

なぜそんなことになっていったのか?

その詳細は、改めて書くとして、

時系列に追っかけてみると、

 

● 4月の中旬、三木市の薮本吉秀さんの市長メールに投稿したのである。

何事も何かのきっかけでハマってしまう性格で、5月2日には2度目のメールを出し、これは続くなと、思ったものだから3通目からはNO.003とNOをふって、いろんな提言をしたりした。

その後いろいろあったが、7月初めまでにNO.40までになったのである。

 

●8月からは全国各地の行政など調べていたら、高槻市に出会って、(その時には既に武雄市長になられていなのだが)市長公室長だった樋渡啓祐さんに出会ったのである。

樋渡啓祐さんに出会っていなかったら、ブログなどは始めていなかったかも知れない。

 

● 2006年9月9日、『美しい』と言う表題で、たった4行のブログを、それこそ『おそるおそる発信』したのである。

9月中に1000のアクセスがあったり、10月20日には初めてアクセスが100を超えたりして、

カワサキの昔話など書いたら、『ダ―トヌポーツ』などにリンクされて一気に700近いアクセスが来たりして舞いあがってしまったのである。

 

●更に、11月25日には、武雄市長に既になっておられた樋渡啓祐さんから、ブログにコメントが来たりして、その後武雄とも繋がっていくことになるのである。

 

★ざっと言うと、そんな年であった。

ベースにあったのはネットの世界なのである。

その具体的な中味はどんなことだったのか?

 

このきっかけになったのは、

三木市長の薮本吉秀さんである。

『三木市のイメージ向上』などと言う難しい目標を掲げるものだから、手伝おうと言う気になったのだが・・・

6年経った今、三木市は全然おかしな方向になってしまった。

 

この年の薮本さんなら、何とかなると思ったのは、やはり錯覚だったのかも知れない。

 

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民意とか、世論調査とか

2012-02-22 09:20:16 | 発想$感想

★選挙の結果は民意だという。 だから個別問題も民意で認められたものである。

橋下さんもそう言われているが、橋下さんは好きなのだが、その論理にはちょっと違和感がある。

 

私は、選挙はあまり好きではない。

その理由は、仮にA と B の人が争ったら、10:O でどちらかに入れるか棄権するしか選択肢がないからである。

橋下さんと、平松さんだったら、間違いなく橋下さんに入れるが、それは!0:0ではないのである。然し結果は10:0になってしまうのである。

なぜかというと、『橋下徹』が好きだったからで、その一つ一つの政策がちゃんと解って投票したわけではないと思う。

 

★昨日、朝日新聞に大阪の世論調査の結果が出ていた。

橋下さん支持が71%あったとか、数字としては順当なところだと思う。

自分でも、個別の質問に一つ一つ答えてみた結果は、すべての質問で、一番多い項目に合致したのだが、

なぜ? という理由には殆ど当てはまらないのである。

極端に言うと、そんな理由などどっちでもいい。橋下徹に政治を託したと言うような感じで、100%任せても、多分大丈夫だと思ってしまうのである。

 

★こんな数字の結果を『民意』だなんていうものだから、民意が直ぐ変わってしまうのだと思う。

一番変わるのが、内閣支持率である。

あまりよく解っていないのに、どちらかに入れてしまうので、直ぐ変わってしまうのだと思う。

 

私自身は、政策などはあまりよく解らないので、人を見て決めてしまう、そんないい加減な支持の仕方なのである。

今の野田内閣はめちゃくちゃいいとは思わぬが、菅さんよりはmuch betterで『支持する』と言ってきたから、今でも未だ『支持する』のだと思う。

逆に、野田さんとは政策的に相容れない小沢一郎さんが総理になったら、躊躇なく支持すると思う。

政策ではなく、小沢さんに『やらしてみたい』と思うのである。

 

今は間違いなく『無党派層』だが、ずっと昔は『自民党支持』であった。

そのころは、自民党がよかったのではなくて、何でも反対する『社会党』がイヤだったから、結果的に『自民党支持』になっていただけで、その政策がいいとは思っていたわけでもない。

個別の政策については、今でもそうだが論評するほど、よく解っていないのである。

 

 

★個別政策は、よく解らないが、

今橋下さんが言っている『政治の仕組み』については、結構ちゃんと解っている積りである。

今の仕組みと、橋下さんが言う『新しい仕組み』は明らかに、橋下さんの言う方が今後の時代に適合すると思うし、

参議院が要るか要らぬかと言う個別問題には、入っていけないが、

参議院に代わる『地方院制』という仕組みの話なら、これは間違いなく、地方主権を主張している橋下さんたちのコンセプトに合う制度だと思うのである。

 

基本的なコンセプトの問題なら、それなりにちゃんと理解できるし、それに見合う『仕組み』と言われたら判断も出来るのだが、

今の世論調査は、どうでもいいことばかりを聞いているような気がしてならない。

教育基本法がどうだこうだというような難しい問題を、みんなちゃんと解って答えているのだろうか?

少なくとも私は、それを判断できる確りとした知識など持ち合わせてはいないのである。

 

★いい加減で、誠に申し訳ないが、

今なら、橋下さんの言うことには、よほどのことがない限り賛成である。

今の国の政治は、維新の会の斬新さに比べたら、かっての『社会党がダメ』だったように、

今の政治の『やり方に』には、もう『飽き飽きしている』のである。

 

まあ、なるようにしかならないのだが、『新しい流れ』が出来つつあることは評価できる。

そんな『流れ』を後押しする意味では、世論調査も役に立つのかも知れない。

 

 

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強い市長の権限

2012-02-21 06:23:16 | 大阪維新の会、橋下徹氏

★行政の中に入った経験もないし、よく解っているわけではないのだが、

『市長の権限』とは無茶苦茶強いのではないかと推測する。

昨日の朝日の夕刊には

『橋下流メリハリ予算』

『子育て・教育に172億円』、『補助金653億円分凍結』

「収入の範囲」徹底」

との見出しが大きく踊っている。

 

凍結される予算の中には「赤バス」や、巷でいろんな議論のある、文楽や大阪フィルハ―モニ―協会への助成なども含まれてはいるのだが、653億円と言う大きな金額が、

市長一人の判断で切り捨てられるということである。

ここではその是非はともかく、平松さんでは出来なかったことが、橋下さんでは出来るということなのである。

 

そういう意味では、市長の権限は、絶大だなと思うのである。

同じ朝日の11面には

『橋下予算大なた悲鳴』   …「とんでもんさい状況」

とある。

朝日新聞だから、否定的な論調かと思ったら、そうでもなくて冷静に客観的に報じている。

 

★『市長の権限』とはこんなに大きくて、やろうと思えば何でもできるのに、

なぜ、どこの市長も前例を重んじ、前年度の予算通りを引き継いで行くのだろうか?

それどころか、無難にことを進めるために『要らぬ人』に金を払ってまでも、ことを進めるのであろうか?

 

昨日のexciteのブログで、『神戸電鉄粟生線のシンポジューム』のことを取り上げた。

『粟生線の存続問題』は私の住む三木市にとっても大きな問題ではある。

それゆえに『シンポジューム』を開いて、市民のこの問題の意識の向上、理解を求めたのだとは思うが、

『シンポジューム』とは有識者にご自身の自由な意見を話して貰って、問題の本質みたいなものを浮き彫りにするのかなと思っていたが、そうでもないのかも知れない。

行政の判断が間違っているとは言わぬが、行政の都合のいいように、スタートする前に『仕組まれている』と言うのである。

 

その経緯は、昨日の私のブログを読んで頂ければよくお解り頂けると思うのである

私が言っているのではなくて、シンポジュームのパネラーに出られた方が、

ご自身のブログに書かれて、更にFacebookにアップされたので、私がそれを見つけたまでのことである。

私の『情報収集力の範囲』の中にあったのである。

間に入ったコンサルから、パワーポイントの内容について変更要望があったりして、そんな経験は初めてだったから、ちょっとむっとしたけれども、
日本のこういう場合の仕組みは、事実上行政には鉄道や交通の専門家は存在せず、コンサルが事実上企画をするのである
ただコンサルには権限がないから限界があるのも事実だ。

今日のシンポでは、な、なんとリハーサルまでやっていた、これには驚いた。
そしてシンポの進行、運営は完璧なのである。

しかし本当はそんな事に精力を注ぐなら、もっとやるべきことがあるだろうとも思った。

などと書かれてあった。

 

シンポジュームなどでこのようなことがあるのが、普通なのかも知れない。

何処かの原発関連でも似たり寄ったりのことがあったりした。

然し確かに、もっとほかにやるべきことはあるのにと思ったし、

少し茶化して

無難にやらぬと殿様が怒るのかも知れない

と書いたりしたのだが、

聞いた話では、三木市役所の中で、『シンポジューム』のために大変な時間を割いたようである。

ホントに殿様が怖かったのかも知れない。

 

★確かに『市長の権限』は強大で、職員さんはそれに反抗できないようである。

三木市の場合、一番問題なのは、職員のやる気が無くなっていることである

 大阪の橋下さんも、予算は削ったが、職員がやる気をなくしてしまったら、予算を削った以上の損失になることは忘れないで欲しい。

人はコストではなく価値創造者なのである

 

市長の権限が大きいことは、悪いことではない。

是非、その強大な権限を、いい方向に使って欲しいものである。

人のコストも確かに大きいのだが、一番大きいのは『時間』だと思う。

何の役にも立たない、シンポジュームの予行演習など、小学生の演芸会ではないのだから、

『市長権限』でそんなこと遣らすのは止めて欲しいと思うのである。

 

『市長命令』があったかどうかは不明だが、

ひょっとしたら三木市長なら『やりかねないな』と思われるところがダメなのである。

橋下さんが、『そんな予行演習をやらしたらしい』と言ったら、多分10人が10人『そんなことはナイだろう』と言うに違いないのである。

 

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神戸電鉄粟生線活性化シンポジューム

2012-02-20 06:24:26 | 発想$感想

★『神戸電鉄粟生線活性化シンポジューム』

昨日の日曜日、1時から4時まで三木市文化会館小ホールで開催された。

正直なところ、どうしようかなと迷っていたのだが、『行ってよかった』と言うのがその感想である。

 

 

神戸電鉄活性化協議会、 という粟生線問題を検討する組織があって、熱心に検討されてはきた。

昨年末、県も入って今後の対策も協議し、一定の方向は結論が出ているのだが、『粟生線存続』が決まったわけではない。

そんな環境の中で開催された、『神戸電鉄粟生線活性化シンポジューム』だったのである。

 

★京都大学の土井先生の基調講演から始まった。

小野高校の放送部の『線路はどこまでも続かない』は全国コンクールで2位入賞のモノだけに、非常によかったと思った。

三木東高の取り組みについても、実践的でなかなかよかったと思われた。

NPO法人RACDAの岡理事長の話は、スピーチよりも、

シンポジュームの方で、実際に行動されているだけに極めて迫力も説得力もあったのである。

そのホームページはこちらである

それなりの活動実績もあり、内容も流石なのである。

 

 

★この会の始まる前に、

『粟生線の未来を考える市民の会』仲間たちが、この会場前でこのチラシを配ったのである。

 

大学の先生方の話の中にも、

『市民の活動協力で』とか、『ファンクラブ、サポータークラブで』と言う一般論が語られているのに、

『粟生線の未来を考える市民の会』の活動のことをご存じないのだろうか? と思った。

 (私が若しパネラーの立場だったら、まずマーケッテングは完璧にする。『活性化協議会のほかにどんなグループ、団体、あるいは個人などがあるか』など当然解るし、そんな動きをバックアップすることが、一番早道なのだから、必ず言及したはずである。)

 

大学の先生方も、或いは神戸電鉄の常務さんも、パネラーのみなさんも

当然関心のあるはずの『粟生線問題』なのに、世の中の動きすらご存じないのかも知れない。

現場を知らないというべきか、マーケッテングマインドがナイと言うべきか、

世の中の動きを全然ご存じでなくて、ただ学術的に交通問題の研究とか、行政や企業の立場(ご自身の立場)からの発想ばかりなのである。

だから、『シンポジューム』も『基調講演』も無難にこなせても、神戸電鉄の存続問題の具体的な解決には程遠くなってしまうのだと思う。

 

少々手厳し過ぎるかも知れぬが、

ホントの目的を実現するためには、マーケットの動きを知ったうえで、『それなりの具体的な動きがナイとダメ』なのである。

これは、昨日Facebookに書かれた、メンバーの一人河島美奈さんのご意見なのだが、確かにパネリストより高校生の方がもっとオモシロい意見が出たかも知れない。

 『粟生線活性化シンポジウムに行ってきました。アンケートで「あなたは粟生線の存続のために何ができる?」とあったので、フェイスブックや議会などあらゆるところで必要性を発言していきたいと書いておきました。 講演していただいた先生や、パネリストの方たちもおしゃっていましたが、できないことを論ずるよりも行動せよ。ということ本当にそうだ。ためになる有意義な時間だったが、私的には発表だけじゃなくてパネリストの中に高校生や大学生も入れてほしかったな。』

 

 ★家に戻ってから、今日ご出席のパネラーのことは直ぐ調べてみた。

パネラーと言っても、時代の最先端のFacebookをおやりの方は3人だけである。

 岡さんと土井先生はFBをやっておられるので、すぐトモダチ申請をしたのだが、どんなことになるのだろうか?

岡さんは流石に早い。既に繋がったし『粟生線の未来を考える市民の会』にも投稿して頂いた。

 

今日の会合には、『粟生線の未来を考える市民の会』の事務局長の小巻健さんやほかの仲間たちも出席していた。

その活動は、単にチラシを配り、シンポジュームで勉強するという、世の中一般のレベルをはるかに超えていると言っていい。

 小巻さんは早速、

●『粟生線の未来を考える市民の会』のFacebookページに情報報告している。

●シンポジュームの状況は、Ustreamで収録している

●それは、FBだけでなく、ツイッターでもツイートされている。

●私は、それをFBではシェアしているし、

●ツイッターではNPO The Good Times の公式ツイッターで『リツイート』しているので、全世界21万人に向けて情報発信されているのである。

 

なぜ小巻さんが、Ustを撮ったのか。それは・・・

舞台の上から「今日の会のことを周りに伝えて下さい」と言われたので、急遽後半からUst中継してみました。準備してなかったので途中で電池がきれてしまったのは残念でした。次回からの課題です。

世の中は、少なくとも私の周囲の人たちは、こんなスピードで動いているのである。

 

 

★粟生線問題で言われている『上下分離方式』

今まであまりそのことがよく解っていなかったが、昨日の土井先生の説明でよく解った。

これは、粗っぽく言えば、『道路を国や県や市』などの行政が管理をしているように、

鉄道の線路についても行政が維持管理する方向にならないかと言うことだそうである。

 

これは、地方の鉄道を維持していく方向としては、非常にいい方向だと思う。

鉄道が廃止されたりすると、道路に対する建設、維持管理費用は、非常に大きくなるはずで、それを避けるためにもこのような方向はいいと思うのだが、

今回のように『粟生線だけの個別問題で論じる』ものだから、神戸電鉄が放り出してしまったような印象を受けるのである。

少子高齢化に向かう世の中での『交通全般の仕組み』として、論じられるべきだと思う。

 

このシンポジュームの中でも、岡さんから『もっと大人の議論を、大人の知恵を』と言う発言があったが、・・・

一番印象に残った言葉である。

いろんな意味で、昨日の『粟生線活性化シンポジューム、『行ってよかった』と思っている。

 

こちらは、その岡さんから『シンポジュームの裏話』まで教えて頂いた

 

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昔のこと

2012-02-19 06:21:18 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 自分自身も78歳にもなって、子どもの頃の話などは昔話の範疇に入るのだろうが、

小学校から中学校の頃、伯父に昔の話をよく聞かされたものである。

不思議なほど、父はそんな話は一切しなかったのである。

 

長男と次男、本家と新宅の違いなのか、性格なのか、

当時は未だ本家に跡取りが居なくて、私に家を継がせようと思っていたからなのだとも思うが、

よく長寿院の先代の和尚さんのところにも連れていかれて、いろんな話を聞かされたものである。

その明石の長寿院から春の彼岸の通知と一緒にこんな冊子が送られてきた。

★こんなのが送られてきたのは初めてのことである。

いろんなことが書いてあったが、その中の明石のお殿様の話しで、

『松平のお殿様は福井から来られて、それについて明石に来たのだ』とは聞いていたのだが、

その辺のことが詳しく書かれている。

そんな話は、子どもにも話したことはないし、これからも話などすることはないだろうが、

ここに残しておけば、ひょっとして読むかも知れないので、ちょっと写しておこうと思うのである。

 

『明石城の築城は、二代将軍徳川秀忠の命により小笠原忠真が元和5年(1619)正月から着手しました。明石海峡と山陽道を抑えるために、姫路と明石は戦略上極めて重要な場所でした。そのため築城工事は幕府の直轄工事で始まり小笠原家の私工事へと引き継がれました。城下町の設計を、当時小笠原家の家臣であった宮本武蔵が担当したと言われています。

明石城跡は現在は明石公園となっています。二基の櫓、石垣、内堀などが残っています。

明石城の城主は小笠原氏から始まり七代の本多氏まで目まぐるしく交替しました。然し八代の松平直明公から」城主が松平家に安定し約190年続くことになります。

松平家は1682年に越前国大野から明石に移って来られました。直明公の父、直良公が越前木本上司の時、越前に長寿院と言うお寺を建立しました。直明公が明石に移る時に長寿院の住職も一緒に明石に移り、長寿院が松平家の菩提寺となりました。現在の明石の長寿院は元々名前も宗派も別のものでしたが八代城主松平直明公の時に現在のものに改めました。

その後明治維新まで松平家が明石藩を治め家臣や領民から慕われて行きました。』

などと書かれている。

 

長寿院はちょうど明石の天文科学館のすぐ下にある。

これが松平家の代々の墓である。

明石駅のすぐ北側、明石城の外堀である。

 

★ずっと昔、戦前のまだ子どもの頃、お盆には松平のお殿様の子孫の方が、墓参りに来られて、

伯父の家に泊まられていた。当時は未だホントにお殿様扱いで、子ども心に大変だなと思ったものである。

私自身は、どうも父に似ているのか、大層な付き合いなどはどうも苦手で、

そんなこともあって明石から三木に新天地を求めてやってきたようなものである。

 

長寿院には、先祖のお墓がいっぱいあって、大変だったのだが、阪神大震災の時に旧いお墓はみんな崩れてしまって、

お寺さんがそのあたりは全部整理をされてしまったので、今は祖父、祖母からの本家の墓と、父の墓の二つになってしまった。

最近は、こんな先祖の話など、大体何代前ぐらいまで解っているのだろうか?

ネット社会になったから、こうして書いておけば、記録は残っているのだが、

雑感日記、長寿院』で検索すると、幾つものブログの記事が現れたりするのである。

 

明石の写真はこちらにいっぱい載っている

 

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いろんな考え方があってもいい-Ⅱ

2012-02-18 06:08:56 | 発想$感想

★ 昨日、

『いろんな考え方があってもいい』と言うブログを、もう一つのブログに書いた

 私は元来、八方美人なのですが、『どうしてもイヤな人』のことを今朝は書いています。 長い人生で、咄嗟に思いつく『どうしてもイヤな人』はたった二人なのですが・・・

などとツイッターで呟いたものだから、結構反響もあったようである。

『どうしてもイヤな人』と言うことで次の様に書いたのだが、

 

どんな人がイヤなのか?と言うと、

『権力をかさにきて威張りたがる人』
『自分の考えがあるようでない人』
『それでいて、自分に影響がある人には矢鱈とぺこぺこする人』
『真面目なようで不真面目、正直なようで嘘つき』


この一つ、一つぐらいを持っている人は、
世の中には沢山いるから、そんな人は嫌いにはならないのだが、
これらを同時にみんな持っている人がイヤなのである。

そんな人は、私が長い人生の中で出会った人で、
二人ぐらいしか思い出せないのである。


こんな風に、書いているように、殆どの人が好きなのである。

 

★逆に言うと

『権力をかさにきて威張らない』

『確りとした、自分の考えがある』

『上の人にぺこぺこしない』

『真面目で、正直な人』   は、大好きなのである。

 

ご自身の『考え方』さえ確りお持ちなら、それが自分の考えと合っているかどうかは、別にどうでもいいのである。

特に、現役を離れて

今、NPO The Good Times と言うNPO法人を主宰しているのだが、その理事さんたちは自然に上の4つの項目に当てはまる人が集まっているが、

才能、資質、性格などなど、極端に言えば、『考え方』も、異質な人が集まっている。

 趣味で遊ぶのならともかく、幾らかでも『仕事らしい』ことをするには、そんなメンバーでやるのがいいと思っている。

 

なぜそうなるのか解らないが、私が好んで付き合う人たちは、不思議なほど私が持っていないものを持っている。

この年になって、人生で親友と言える人の殆どが亡くなってしまったが、

『酒飲み』であったり、『勝負事が好き』だったリ、『めちゃくちゃ世話好き』だったり、自分にないものを持っていた。

 

★『異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しくいい時を過ごそう』

と明確にコンセプトを明示してNPO法人を立ち上げたのも、間違いなくその方が上手く行くはずだと思ったからである。

世の中は逆で『同種の人が群れたがる』傾向が強い。

趣味の世界ならそれでもいいのだろうが、実業の世界でそれを極端にやるのでおかしくなってしまうのである。

同じ世界にいる人=競争者なのにそんな人達が適正な競争もせずに、同業の世界の利益を求めたら、『利権』になってしまうのは当然で、そんな極端な仕組みが日本の社会をおかしくしているのだと、ずっと思っていた。

 

異種、異質な人の間でも、

主義、主張が違う、いろんな考えの人たちとでも、

『繋がって一緒にやろう』と思えることは幾らでもある。

『同種、同類』を集めるのではなく

『やりたいことをやりたい人で』集まれば、結構ウマく行くのがよく解った。

 

これは、ネットの世界とよく似ている。

いろんな人たちが集まっているネットの世界なのだが、

Facebookのように、『ある事柄』に対して、『いいね』と言う人が自然に繋がって集まっている。

それは『ある事柄』『ある意見』に対してであって、『すべてのこと』に意見があったりはしないのである。

 

『いろんな考え方があってもいい』

だから、二大政党などよほど大きな枠でくくらぬ限り、存立が難しいのではと思ったりもしている。

 

 

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2004年、5年、71~72歳

2012-02-17 06:39:02 | 自分史

★ 日記を読み返してみると、この2年間が一番健康的に過ごしていたような気がします。

新しくパソコンなど始めていますが、パソコン自体が自分でももの珍しく、写真なども撮ったこともなかったのにデジカメを初めて買って、パソコンに取り込めたのを無性に喜んだりしています。

この期間はネットの株取引を、株と言うよりは、ネット取引が面白くてやっているような時代です。

たまたま時代が良くて、株価はどんどん上がって220円で買った川重が440円になったり、ライブドアが500円が760円になったりして、儲かったなどとかわいいことを書いていますが、一転おかしなことになったのはいつだったのでしょうか。

ストレッチをやりかけて3年目に入り、膝も腰も順調で、ずっと水泳を続けていたりして、体重は74キロ体脂肪24%と今の82キロと比べると、非常に健康的な数値です。

ゴルフの回数もそんなに多くはなかったのですが、82,3で回れたことも2度ほどありましたし、こんな数値をみると今がどうなってしまったのだろうと思ったりします。

 

★未だブログもやっていなかったし、

1日のうちの時間配分は、水泳や庭仕事、それに3年目になっていたパンダ碁で、このころは二段格で打っています。

囲碁も確り考えて打てば、このくらいで打てるのかなとも思いますが、最近はじっくり考えるのが苦痛になっていますので、これは『年かな』と言うような気がします。

ゴルフも碁も、実績がダメなのが実力なのだと思います。

 

やはり時間的にも余裕があったのか、国内ですがあちこちと旅行などもしているのですが、

最近は、『どこに行っても同じ』 『何を食っても同じ』などと、発想がズボラになってしまったのかも知れません。

庭仕事は、いろいろやっていますが、特にバラには熱が入っています。

 

 

★2004年の前半までは、娘一家が西神にいて孫たちもしょっちゅう遊びに来ていて、魚を獲りに行ったり、カブトムシをいっぱい捕まえたりしてたのですが、

7月末にアメリカのIrvineに行ってしまって、夏休みには戻ってきたりはするのですが、

逆に家内が1ヶ月以上もアメリカ生活をエンジョイするようになったのは、2006年からもう何年も続いています。

もう8年にもなるのですから、孫たちも大きくなり、英語が話せるようになるのは当然です。

 

今朝のニュースでは中国人のアメリカ永住権の話が流れていましたが、どんなことになるのでしょうか?

住めば都とはよく言いますが、

アメリカ生活をエンジョイしているようにも思います。

 

★世の中は、小泉内閣時代で、郵政解散があったのが2005年です。

確かに遠い昔のような気もします。

小泉さん以降、日本の総理は何人変わったのでしょうか?

 

未だTom & Love の2匹の柴がいて、既に老犬ではあったのですが、未だ散歩に毎日連れて行ってた時代でした。

子どものころからずっと家には犬がいたような気がします。

犬がいない生活は、終戦後の数年と、今だけののように思います。

でも昔と違って犬の飼い方が変わってしまいました。

子どものころは、犬は庭にいて『犬の散歩』などは、どこの家もしなかったように思います。

昔に比べて犬の寿命も長くなりましたし、犬の散歩などその世話をもうできないのでは、と思って今は諦めています。

まず、今から15年も生きれるかどうかを考えてしまいます。

 

★振り返ってみて、この2年間が一番平穏な静かな2年間だったような気がします。

この2年間のようなペースで終われば、私の人生も静かで、今とは違った道を歩いていたかも知れません。

 

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別冊モーターサイクリスト

2012-02-16 05:22:38 | M/Cレース

★私が二輪の世界に関係し出したのは、昭和35年(1960)のことだから、もう50年以上も前のことである。

それ以来、殆ど二輪の世界に関係しながら生きてきた。

モトクロスやロードレースの初期から、未だ自前の代理店が日本各地にあって、カワサキではアメリカ市場には進出していなかった時期である。

広告関連も専門的に担当したので、当時のオートバイ誌、とモータサイクリストの2誌しか専門誌はなかった時代にお付き合いがあった。

その後営業や、販売網や部品、東南アジアのCKD事業、アメリカ、欧州の直販会社なども担当したし、二輪の業界なども担当したりして、何かと広く解ってはいるのだが、バイクは自分では所有したこともなく、技術的な面は皆目解っていないし、各部品のの名前なども詳しく言われると付いていけないレベルなのである。

 

それなのに、昔からのご縁で、二輪車新聞も、ベタータイムスなどの専門誌に加えて、

ご紹介する別冊モーターサイクリストなど、KAZEの機関誌なども現役会員なので、自宅に送られてくるものだから何となく業界の動向だけは解っている。

昨日から、神戸のカワサキワールドで開催されている『モーターサイクルレーシングフェア』なども招待券をお送り頂いているので、期間中には寄せて頂こうとは思っている。

 

★ そんな現在の状況なのだが、

昨今の専門誌は、どんどんマニア向けになっていて、私のアマチュアレベルには、読んでも意味不明の部分も沢山あって、どちらかと言うと絵本のように、バイクのカッコ良さなどを楽しんでいるレベルなのである。

 

送られてきた『別冊モーターサイクリスト』の表紙は、トライアンフの写真である。

こんなヨーロッパの伝統のメーカーがあることは、勿論よく知ってはいたのだが、

私たちが現役のころは、日本の4メーカーの世界シェアが90%もあって、アメリカのハ―レ―が潰れるかどうかで、ダンピング訴訟が行われていた時代だったから、

日本の4メーカー以外は、特に関心もなかったし、事実殆ど影響力を持たなかった時代だったと言ってもいい。

専門誌の表紙に日本車以外が来るなど、想像も出来なかった時代であった。

 

 

送られてきた雑誌の中味は、いろいろあるのだが、

『伝統の旧車イベント』として1978年から31回続いたという、このレースのことも、実は初めて知ったのである。

その写真をみると、

昔々のレーサーの姿があってなつかしい。

 

 

このページに出てくる伊藤光夫や生沢徹、更には滋野靖穂などは懐かしいし、特に滋野はBSにいてカワサキの小型車のレースでは目の上のタンコブ的存在で、幾度苦汁を飲まされたかしれない。

このレースのレギュレーションが、1961年以前のマシンと言うことらしいので、カワサキのマシンは1台もない。

1961年は未だカワサキはモトクロスだけでロードレースには参入していなかったのである。

ホンダはこんな赤タンクのマシンで走っていた。

黒一色のつなぎ、おわん形のヘルメットも懐かしい。

 

カワサキのマシンも紹介されていた。

今年発表のニューモデルNinja-14XR  ,ZZR1400

10000回転、200馬力以上、となると、どんな世界なのかよく解らないのである。

こちらの機種のロードインプレッション記事は、松田大樹さんの記事である。

ちょうど1年前、カワサキの想い出、そして未来以降のお付き合いである。

ツイッターなどもちょいちょいリツイートさして頂いている。

 

 

そして、裏表紙は、たまたまなのか、カワサキの定位置なのか知らぬが、

今回は、カワサキのW800だった。

メグロがカワサキになって、カワサキとして初めてつけた記号が

W1で、その当時は大阪の営業にいた。

日本では名車と言われたが、アメリカのハイウエイでは、もう一つだったようである。

アレから40年、W800として生まれ変わって、よく売れているとか聞いている。

40年前、確か35万円ぐらいだったのだが、今は85万円だとか。

 

昔のW1の中古車は、一体どのくらいの値が付いているのだろう?

新車で42万円ほどだったZ2の中古車は多分それ以上するのだと思う。

 

 

性能や、技術的なことはサッパリだが、

こんな昔話なら、幾らか語れるのである。

 

 

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新しい政治の幕開けになるのか?

2012-02-15 05:58:28 | 政治

★ 『新しい政治の幕開けになるのか?』

昨日は、大阪の維新の会の船中八策にマスコミは湧いた。

 

ホントに8つに纏めている。

その一つ一つの中味の是非などについては、ちゃんと語れるほどの知識もないが、

兎に角、スピードと言うか、テンポの速さが並みではない。

つい先頃まで巷で言われていた『大阪都構想』などの文字はない。

地方を主体に、そんな流れの中で一気にここまで来た勢いは、今までの政治にはなかったスピードと迫力である。

 

★いろんな政党が、いろんなコメントを出してはいるが、

質問をされると応えないわけにはいかないので、あんな答えになっているだけで、内心はこの迫力に押されっぱなしなのだろう。

 

昨日、もう一つのブログでもちょっと触れたが 

 ● 朝日新聞の橋下さんの番記者達が、『朝日新聞、橋下番』というツイッターを立ち上げたのをご存じだろうか?

 「リセット」は、橋下氏が昨秋の市長選後、たびたび使っている言葉です。既成のシステムを一から変えるという意味を込めているようです。似た言葉として「不連続への挑戦」という言葉も再三使っています。既成の勢力・体制とは一線を画す、と強調する意味でしょう。

 こんな呟きが、何分に1回などの頻度で発信されたりする。

橋下さんのツイッターを受けて、朝日新聞独特の反論でもするのかと思ったら、単なる紹介記事が殆どで、拍子抜けである。

 

 

● もう一つが、高橋昭一さんに関する記事である。

たまたま、存じ上げてる方だけど、一躍 『高橋昭一』の名前は全国区になった。

最近は、Facebook等に熱心でちょっとご無沙汰だった、ご自身のブログにこのように書かれている

最後の方に

  ・・・・今回の「勉強会」への参加を「一申込者」としていたしました。

・・・私は民主党を離党しません。・・・・・

もし、「維新の会候補者募集」であれば、私は申し込んでいません。民主党を次のステップへすすめるために、あえて申し込みを行いました。

 

『現職議員はご遠慮ください』は、想定外だったのかも知れないが・・・・

 

★首相公選制などは、解りやすいのだが、これとて『憲法改正』がMUST条件で、実現性はなかなか難しいのだが、

そんな『決めることが出来ない』

政治のシステムの改革こそが、最優先の課題で、それゆえに船中八策の冒頭に、

 このように書かれているのだと思う。(朝日新聞、橋下番の呟きから)

 

いずれにしても、今のタラタラした日本の政治に新風を吹き込んで欲しい。

それは、党利、党略からの発想ではなくて、

どんな日本を創るのか?

どんな政治にするのか?

という高い理念から進めて欲しい。

 

 

★参院廃止と言う提案も

『第2院』の創設と言う案もあるようだ

 

これは武雄の樋渡啓祐市長が提言されていた地方院構想案と、同じような方向である。

これを樋渡さんが言われたのは、一昨年の8月のことで、

その当時ずっと、私の最大の関心事であったのである。

そのままの構想かどうかは解らぬが、ほぼ同じコンセプトで、船中八策の中に盛り込まているのかも知れない。

若しそうなら、突如として現れた発想ではないのでなかろうか?

 

このような新しい発想のできる、新しい柔軟な発想の持ち主が、

日本の政治を変えて欲しいと思うのである。

自民党や、民主党と言う従来の枠を超えて、

ホントに、口先だけでなく、『新しい日本を創りたい』という人は、いっぱいいるはずである。

 

 

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