雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

野田 佳彦さん

2011-08-31 10:17:42 | 政治

★衆、参両院で首相指名選挙が行われて、野田内閣総理大臣は決定である。

今まで、あまり野田さんを知らなかった。

昨日もうひとっつのブログにはこんな感想を述べた。

『代表選で、じっくりテレビを見ていた。
感想は?と言われると、
新聞報道やテレビのちょっとした討論会などから得られる印象と、ご自身が自分で語る15分のスピーチからは、全然違った印象になるものである。

前原さんはあまり変わらなかった。
馬淵さんの印象は変わった。
海江田さんは、違う意味で印象が変わった。自分の想いが述べられなかった。
野田さんは自然でよかった。一番今までの印象と違った。
鹿野さんは、よく解らなかったが、政治家のスピーチだなと思った。


野田さんの今後を見ないといけないが、
今まで思っていた野田さんよりは、much better であった。
いずれにしても、紙を見ずに自分の言葉で話されることが第一である。

海江田さんは、それが出来ていなかった。小沢さんの重圧だったのか?
気の毒であった。』

 

★そして、昨日のツイッターでは、

 

 とこんな感想を述べたのである。

『ノーサイド』 ホントにそんなことになるのなら、もう少し政治に期待感が出るのだが、どうなのだろう。

今このブログを書いている時点では、

野田さんは幹事長に輿石さんを推したというニュースが流れている。その通りになるかどうか別にして、一番最初に輿石さんに幹事長の打診をしたのは、野田さんらしいのかも知れない。

 

★野田さんをそんなに解っているわけではない。 ただ、野田さんを幾らかでも理解しようと、いろいろ調べてみた。

昭和32年生まれ、私が川崎航空機に入社した年である。 昭和51年に早稲田卒、55年に松下政経塾に入った第1期生である。

そう言う意味では、松下政経塾での初めての総理大臣なのである。

『野田よしひこ』というこんなホームページをお持ちである

そんな中に かわら版 がある。その最新号は8月15日の発行だが、その概略を抜粋する。

 

842  私の覚悟

英エコノミスト誌8月2日号を見て、衝撃を受けました。・・・・・・・ 「当面の危機が緩和したり回避されたとしても、真の危険は去らない。・・・・・・・・今から20年前、日本経済のバブルが弾けた。それ以降、日本の指導者たちは、やるべきことを先延ばしにし、見せかけのポーズを取ってきた。長年にわたる政治の麻痺は、・・・・・日本経済はほとんど成長せず、国内総生産に対する公的債務残高の比率は世界一高く、米国の2倍、イタリアと比べても2倍近くに上っている。」

「危機は時に大胆なリーダーシップを生み出す。残念ながら、今はそうなっていない。日本はこれまで大半の期間、合意形成を図ろうとする弱い指導者に率いられてきた。・・・問題は指導者の個性だけではなく、政治構造の中にもある。日本の政治の機能不全は、一党体制に根ざしていた。つまらない派閥争いは、2009年の自民党の選挙大敗や最近の津波を経てもなお生き延びている。日本の政治家には、針路を変える機会が無数にあった。そして、その実行を先延ばしにすればするほど、実行は難しくなっていった。・・・・・」

(以上は英エコノミストからの引用だが)

今、日本の国政に最も求められているのは、危機に際して「やるべき事」を実行することです。

民間の力を引き出し、政治家と官僚の英知を結集する仕組みを再構築することです。

政治家に求められているのは、現実を直視し、困難な課題から逃げない、先送りにしない姿勢です。

危機を乗り越え、新しい日本を立て直す姿勢です。

    時機が来れば、私はその先頭に立つ覚悟です。

平成23年8月15日                      野田よしひこ

   

このように書かれている。

そして東日本大震災の復興財源についても

『去る29日、東日本大震災復興対策本部において、復興の基本方針が決定されました。
  まず、復興期間については、10年間とし、復興需要が高まる当初の5年間を「集中復興期間」と位置づけています。
 その「集中復興期間」の事業規模について、国・地方合わせて、少なくとも19兆円程度としています。10年間の規模については、少なくとも23兆円程度と見込んでいます。
 この財源については、次の世代に負担を先送りすることなく、今を生きる世代全体で連帯し負担を分かち合うことを基本とします。』

この考え方も先の、困難な問題を先延ばししないという、考え方に立脚している。

増税よりは景気優先という考え方があるのは当然である。

 

★こんな難しい話は、素人には解はないが、リーダーの考え方や、コンセプトは一貫性があって然るべきである。

『ノーサイド』と言ったら、幹事長人事を真っ先に輿石さんに、話をした姿勢は評価できる。

明日、どうなっているか解らないが、『野田さんさん、なかなかいい』と思う。

 

★一夜明けて

少なくとも表面的には『ノ―サイド』は実現した。

野田よしひこ さん、これはプロだなと思った。

久しぶりにプロの政治家に出会った感じである。松下政経塾でダテに学んでいたわけでもなさそうだ。

増税も上手にやるだろう。

多数決の政治世界だが、『まともな意見』が最初から多数派などは取れないのである。

『追い風の流れ』を造ればいい。

多分野田さんは、そんな流れを造るのではないか?

 

全くのカンなのだが、そんな感じがする。

新聞はいろいろ言っているが・・・・・・・

 

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昭和63(1988)年10月 新しい職務についた 55歳

2011-08-30 05:38:52 | 自分史

★この年の10月、3度目の国内担当になった。

1回目はまだ30代の若いころから10年間の出向で、地方の代理店管理も、都会の大市場の第1線も経験した。

2回目は、国内グループの赤字脱却に加えて累損消去の経営対策であった。

3回目は、急激な円高から輸出主体のカワサキの事業構造からも国内の強化拡大は事業の構造改革上MUST条件だったのである。

そんな国内市場を担当するカワサキオートバイ販売の専務としての就任なのであった。 社長は事業本部長の高橋鉄郎さんの兼務で、高橋さんとは生涯幾度目かのコンビを組むことになるのである。

国内強化のための目標7万台の販売は、以前からずっと組まれていたのだが、全体の中大型車の市場が縮小する中での拡販はそんなに簡単ではなかったのである。

そんな表面の目標とは別に、高橋さんとは国内市場から得られる事業本部の限界利益額を100億円まで拡大しアメリカと並ぶ主力市場とするなどという非常に難しい課題をお約束しての就任だったのである。 事業本部の完成車担当も兼務だった。

 

★55歳という年齢から言っても、この大きな目標を持っての担当は、最後の会社での仕事になると思ったし、目標実現のための基本方策は自分自身で明確に設定すべきだと思ったのである。

就任が10月1日ということもあって、この年残る3ヶ月の間にその明確な方向付けを確立しようと思った。

7万台という目標達成に自信があったわけではないが、7万台を達成するための基本コンセプトは自らが創ることだけは決めていたのである。

カワサキの国内市場は、かって経営の赤字体質からの脱却という命題に対策した過去の経緯から言って、非常にきっちりとした体質になっていたのである。それ自体も自分がその基礎を造ったので、長所も欠点もよく解っていた。 国内市場を私以上に熟知している人ははいない、それだけは自信があったし、トップである自分で判断せざるを得なかったのである。

そのままの構造体質ではとても7万台などの目標など夢のまた夢だと思ったのである。

損益重視の堅苦しい経営から、

『自由奔放なイメージ戦略を基盤とした、新しいカワサキのイメージ展開が必要』 だと思った。

その仕組みの骨格を12月までの3ヶ月の間に確率するということでスタートしている。

 

★10月1日に就任して、警察庁や銀行筋などの挨拶もそこそこにまず最初に手掛けたのが、

カワサキファクトリーチームの創立25周年記念のOB会の開催が、最初の仕事だったのである。

10月15日、芦屋のジャイアンツの定宿で有名な竹園旅館(当時の名前)で一泊どまりで、豪勢に開催したのである。

カワサキのレースの黎明期を支えたメンバーが、まさしくカワサキの二輪事業も支えたのである。もっと大げさにいえば後川崎重工業をを支えたといってもいい。

この写真に写っているメンバーは、兵庫メグロの西海さん、川重の副社長を引退したばかりの山田さん、当時は事業本部長で後川重の」副社長を務められた高橋さん、私や田崎さんの上司でもあった苧野さん、カワサキ最初の青野ケ原のモトクロスを引っ張った中村さん、

Z1の開発責任者でもあり初代ロードレースの監督も務めた大槻さん、私の横は川重の社長も務めた田崎さん、その横が有名な平井さんなどなどである。

ライダー連中も、創成期の、ロードは安良岡、和田、金谷、モトクロスは山本、歳森、岡部、梅津、OBライダーの末席が星野、清原という豪華メンバーで、東京から何社も取材があったのである。

星野は4輪ではまだ現役パリパリの『日本一早い男』と言われていた頃なのだが、この写真でも最後尾に写っているのは如何にも星野らしい。

現役ライダーとしては宗和、多田などが出席している。 

この人がいなかったらカワサキのレースも、F21Mも世に存在していない。設計図もなく勝手に造り上げた名メカニック松尾勇さんもいる。

 

みんな、私の誇るべき仲間たちなのである。

(もう20年以上も前のことで、故人になられた方もいらっしゃる。心からご冥福を祈りたい。)

 

★翌月11月には、建設中のサーキットSPA直入の運営にかこつけて、末端ユーザーとダイレクトに繋がる、ソフト会社株)ケイスポーツシステムの設立について動き出している。

いつも難しい仕事には常に片棒を担いでくれた南昌吾君が担当、それを支えてくれたのが、いまNPO The Good Times の副理事長をしてくれている渡部達也君であり、経理を担当してくれている吉田君である。

この7万台の挑戦に時代の核は、ケイスポーツシステムだったのである。

このソフト会社がなかったら、多分目標達成は難しかったと思っている。

『遊び半分ではいい遊びは出来ない』と会社を設立して遊びに挑戦した。

 

当時既にKAZE はあったのだが、熱烈なカワサキ販売店のメンバーがその熱烈なカワサキファン2000名ほどで形成されていた。

12月15日に、有馬温泉中の坊瑞苑でKAZEの全国会理事会を販売店の理事さんをを集めて開催している。

中の坊瑞苑は、有馬の最高級の旅館である。

子ども連れは泊めてくれない。普通で泊ったら10万円近くするのかも知れない。ここはカワサキチームフランスなどで知られたカワサキフランスにいた伊藤忠の人の実家で、幾らか安くしてもらったが、それでも相当の出費だったのである。

ここで何をやったのかというと従来のKAZEの組織の解散会をやったのである。

熱烈なカワサキファンばかりを何人集めても、拡販にプラスになったりはしない。「カワサキを買うな」と言ったら困ってしまうような人たちばかりなのである。

新しいKAZEの組織は、新しい組織のソフト会社が担当して、少なくとも万の会員を集めようとしたのである。そのためには、今までのファンクラブKAZEは発展的に解散せざるを得なかったのである。

集まっていたメンバーは、大阪の吉永さんや、仙台の服部君など私の個人的に親しい人たちばっかりだったので、今までの努力や苦労に報いるためにも最大限のもてなしをしたかったのである。

みんな旅館の素晴らしさや料理のすごさにビックリして何の文句も出ないままに終わったのである。

 

★こんな遊びだけではなしに、もう1点翌年度の価格体系を全く新しいものにした。これも業界初めてのようなオモシロイものにした。

この検討は富永、森、谷沢君などのカワ販の頭脳軍団が機能したし、1月1日からの人事組織も決定した。

私自身は、今後の拡販の核になるジェットスキーの専門会社KJSの社長や、ケイスポーツシステムの社長は兼務することにした。難しいところは全て陣頭指揮の体制をとったのである。

たった3ヶ月だけだったが、やろうとしたことは100%出来た。

カワ販グループの全員の意識も100%変わってきたと言っていい。

準備段階は、本当に上手く行ったのである。

 結果は最高に上手く展開したのである。

 数年後、こんな冊子にまとめられて英文も創られて世界のKawasaki に配られたし、当時の川重の大庭社長以下全役員にも配られたのである。

この講演会を起案されたのは高橋さん、講演を担当したのは私と、ケイスポーツシステムの南君、レースのチームグリーン監督重本君、そして広告宣伝担当の小林君。

この冊子を造ってくれたのは岩崎茂樹君など7万台販売の達成を支えた人たちである。

 

またいつかこの冊子の内容は、ご披露する機会があるかも知れない。

まさに当時のグループ経営の中身が集大成されたものに仕上がっている。

私のほかに、3人が喋ったが、事前に一切の打ち合わせなどしていない。ぶっつけ本番だったのである。

本人に自由に喋らせて大丈夫という自信があった。 それくらい基本コンセプトについては徹底されていたのである。

副題にあるように、『新しいカワサキのイメージ戦略』が主役なのである。

 

 

★20年以上も前の話だが、引退した今も同じようなことを考えている。

NPO The Good Times は、この年創ろうと計画した株)ケイスポーツシステムのシステムをネットを利用して更に発展させたシステムである。

 

今週9月1日には、孫文記念館の関係のファンクラブについて、今回理事長になった田崎さんと組んで、久しぶりにオモシロイことをやろうとしている。

今の目標は、『新しい公共』である。

20年以上経っても人の発想は変わらない。

孫文記念館も、三木社会福祉協議会の『NETラーニングバー』もこの当時と同じテンポで動きだした。

 

異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しい時を繋ごう。

世界が繋がっていけばオモシロイ。

 

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総理は『エライ人』でないと国民は困る

2011-08-29 05:29:08 | 発想$感想

★昨日のブログは、『総理とはエライ人なのか?』という題で書き、

そしてツイッターでは

 

★どうも、基本的にリーダーの選び方が間違っている。

極論だが、サルでも暴力団でもリーダーの選び方はそれなりにちゃんとしている。 問われるのは、それぞれの集団に相応しい資質なのである。

企業の社長、行政の長、世の中には沢山のリーダーが存在する。それぞれの団体、集団で、『それに相応しい資質が違っていて当然』だと思う。

総理大臣は日本国を纏めるリーダーなのである。

それに求められる『相応しい資質』は、マスコミのつまらぬ質問に上手に応えるような、会社の面接のようなものとは全く異質なもののような気がする。

ほんの何分ぐらいしか発言機会のない民放の番組などには『私は出演しない』となぜ言いきれないのだろう。

民放自体も、視聴率を挙げるために仕組んでいるに過ぎないような気がする。

『たかじんのそこまで言って委員会』には自民党の元総理経験者、安倍晋三、麻生太郎が出演していた。

総理在職時、ボロかすに言われた麻生太郎さんだが、菅さんを見てしまったからそう思うのかも知れないが、それなりの風格があり、やはり『エライ人』と言えるだろう。

 

★たかじんのそこまで言って委員会に出ていた人たちの発言内容も、いろいろあったが、概ね私は納得した。

大体、総理大臣になりたくてなるから、おかしくなってしまうのだと思う。

総理大臣になって『何をやりたいのか』

政治家になって『何がしたいのか』

その意識が一般に希薄である。

その政治姿勢を評価され、推されて総理や政治家になるぐらいの人はいないのかなと思う。

 

安倍さんはよかったなと思っている。

あらためて『安倍総理の功績』で検索するとこんなに並んだ

敢えてリンクはしないが、同じように『菅総理の功績、とか評価』で検索してみると差は歴然である。

 

★今回、立候補する中のどなたでもいいが、

『私の次の総理は、国民の手で選べるような仕組みにする』と公約して立候補するぐらいの人がおればいいのにと思ったりする。

増税が先か、景気浮揚かなどの話は、幾らやってみても大した話ではないのである。

今の政治構造や、社会の構造が、今の時代にそぐわない旧いものになってしまっている。

電力問題も、総理の選び方も、すべて仕組みをやり直す必要がある。そんな基本認識だけが、総理にちゃんとあれば後は専門部門の大臣に任せて大丈夫である。

政治主導が出来なかったのは、全体の構造を改革するという強いリーダーシップが、リーダーに欠如していて、自民党時代の政治と殆ど変らなかった結果になってしまっている。

 

いろんな意味で、総理は『エライ人』でないと国民は困るのである。

 

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総理大臣とはエライ人なのか?

2011-08-28 05:14:33 | 政治

★日本の総理大臣をずっと見てきたが、自分が若いころ=自分より総理大臣の方が年上のころは、

総理大臣でも、大企業の社長でもみんなエライ人に見えたし、「偉かった方」が多かったような気がしている。

だんだんと自分が年をとって、企業の社長も、市長も、自分の年齢より若い人がなるようになって、これらの職位がそんなにエライとは思わなくなってしまったのが実感なのである。

ただ、社長や市長さんたちにはそんな思いもあったが、総理大臣だけはやはりエライなと思っていたのである。

自民党時代、確かにダメな人もいたが、やはり総理はそれなりの風格を持っていたように思う。

 

民主党時代にまって、総理は鳩山さん、菅さんになった。

実際に政権運営をする与党のトップと、ヨコから文句ばかり言っていても通る野党との違いが歴然で、

特に野党時代の菅さんのイメージから一変した菅さんを見て、総理大臣も大してエラクないなと思いだしたのである。

国会での厳しい野党の質問を上手に切り抜ける術は、政治家としては流石だなとは思うが、それは口先の技術であったて

そこに総理の信念はあまり感じられなかった。

 

写真は『草花の詩 藤田真さん』からお借りしました。

 

★今回の民主党の代表選の顔触れ5人が決まったが、この人たちの中から日本の総理が生まれるのである。

これを見る限り、総理も普通一般の代議士のような気がする。 どう見ても、総理の器には見えないのである。

 

若いからダメだとは決して思わないが、もう少しエライなと思える人はいないのだろうか?

前原さんはいいとは思うが、小沢さんとの確執があって、ホントに全員野球が出来るのか?ホントに国民の方に目が向くのだろうか?

実力者だとは思うのだが、『エライ』とは感じられないのである。

後はよく解らないが、海江田さんなどは小沢さんの掌の上で踊る総理になるような気がする。

それでも、全く小沢さんの言うとおりに動くのなら、それはそれでいいのかも知れない。

 

では日本には本当に人材はいないのか?

そんなことはない。もっとほかに若くてもいい人がいるように思えてならない。

少々奇人変人でも、大阪の橋下さんのような、とてもあの人には敵わないというような迫力が欲しいのである。

石原慎太郎などもいろいろ言われるが、やはりエライなと思う。若い時からそう思っていた。

小泉さんも、みなとかく仰るが、素晴らしいところがあった。

 

 

★ただ、日本の今の選挙制度では、なかなかそのような人たちだ出て来れないのである。

まず第一に、総理大臣は国民は人気投票は出来ても、直接1票を投じられない。この制度を直すべきである。

多分、そう思っている人は多いと思うのだが、なぜそうならないのだろうか?

それに立候補しようと思えば20人の推薦人がいる。これがダメだと思う。

これは派閥政治を自ら認めたようなものである。

一国のリーダーは立候補するまでは、自分の意思だけで立候補し自分の意見を述べたうえで、それに賛同する人たちが投票するのが筋だと思う。

 

大阪の橋下さんでも、タレント時代にはそんなに立派な知事さんになるとは思えなかった。

立候補して橋下さんの話を聞いてこれはいいなと思う人が多く出たのではなかろうか?

 

 

★民主党の今の候補者を見ていると、みんな頼りなくて、企業で言えば部長クラスの大臣は出来ても、総理大臣は?

と思ってしまうのである。

タダもうここまできたら、5人の誰かが総理になる。

誰がなっても、そんなにエライ人という感じはない。

ホントに政治家が小物になったのか?

自分が年をとり過ぎて、若い人には遠慮なくズケズケ、上級生には兎に角従うという運動部育ちの悪いところが出てきているのかもしれない。

 

やはり、早い時期に総理の選び方を変えて欲しいと願っている。

 

 

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三木の地域活性化を考えるラーニングバー

2011-08-27 06:44:43 | みっきぃふるさとふれあい公園

★昨日は『三木の地域活性化を考えるラーニングバー』の第1回の会合がボランタリー活動プラザみきで行われた。

『ラーニングバー』については、先日ブログでアップしたが、

私自身はひょっとしたら、三木の地域活性化実現へのスタートになるかもと秘かに大きな期待を持って望んだのである。

 

三木という町は、何故か市民は非常に活発に個々には動いている。

ご多分にもれず行政も地域活性化は仰る。

然し、個々の活動はいろいろと活発に行われても、『地域活性化の実現』には繋がっていないのが現実である。

 

理由はいろいろあるのだろうが、

一番の問題は、『地域活性化の実現に向けて、口では言うが実際の行動で旗を振る人』が居ないこと。

もう一つは、『それを実現する、具体的な仕組みがないこと』 仮にあったとしても『それを積極的に利用しようとしないこと』だと思っていた。

 

★昨日夜、7時から2時間、初めての『ラーニング』を終わっての感想は、

●非常にいい会合であった

●『地域活性化に向けて動き出すだろう』という予感

2時間のラーニングの間に、『地域活性化を考えるラーニングバー』というFacebookのファンページが具体的に立ち上がったのである

既に8人の仲間たちが『いいね』と参加している。25人になれば正規に動きだす、これは画期的なことである。

 

三木社協の『ボランタリー活動プラザみき』が昨年末、NPO The Good Timesの団体会員に参加されたころから、こんな話はあった。

半年以上かかったが、機が熟していたのかも知れない。

昨日参加された10人ほどのメンバーのうちお二人を除いてはNPO のメンバーたちである。そう言う意味ではお互い信頼感もあったし、

何よりも、ネットに詳しいCUSTOM INFECTION の綿谷直樹さんをこのメンバーに呼んだことで、具体的に一気に動いたのである。

 

会議室の入り口に置かれた表示板一つを見ても、主催者ボランタリー活動プラザみきの意気込みみたいなものを感じた。

 ラーニングバーに相応しくこんなカウンターもセットされた。

こんな雰囲気の中で話は進んだ。

ラーニングバーの進行をリードしたのは、ボランタリープラザの稲見所長。

儀銃的な難しいことを全ててきぱきと処理した綿谷直樹さん。

 

★第1回は、『地域活性化を考えるラーニングバー』というFacebookのファンページがスタートしたことで大成功であった。

第2回目は、9月4日のNPO The Good Times の理事会の後、ボランタリープラザの場所を借りて、綿谷さんに、

Facebook やツイッターなどネット関連の講習会を理事さん連中にする予定だったのだが、そのミーテングに昨日のメンバーが合流して開催することに変更された。

綿谷さんは先月末にNPOに参加されたばかりである。今月の理事会にオブザーバーで出席されて、来月の理事会の後、講習会を開くことにな田tのである。

そして今週は東京に『星野インパル』を訪ね、更に関東総括の大和屋嘉平さんらとも繋がって神戸に戻ってきたばかりである。

60おじさん、山本隆君を取材して、そんなご縁でNPOに参加されたのだが、めちゃ活動的である。

来月の理事会には『アドバイザー』として正規にNPOメンバーに加わるように提案しようと思っている。

 

★明日は、よかたんで、やはりNPOのアドバイザーをお願いしている『さるとるさん』が主宰する『よかたんぶどうまつり』がある。

これなども、Facebook 三木市にも登場するし、ブログでも、ツイッターでも賑やかである。

彼が提案し三木市長表彰を受けた

『みっきぃふるさとふれあい公園』は、いよいよ具体的に動きだすのかも知れない。

 

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いろんな災害があるが、原発災害は人災

2011-08-26 06:21:21 | 発想$感想

★昼の番組で東京の津波の被害予想みたいなのをやっていた。

3月11日のあの津波の映像を実際に見るまでは、地震の津波であんなことになるなどとは、それこそ想定もしなかったと思う。

あんなレベルの津波が来たら、仮に東京でどんな対策をしてみても、安心などしておれないし、個人では有用な対策などとてもできないだろう。

世界では、いろんなことがある。

先日のロンドンの暴動なども、日本では想像できないし、

昨今のリビアの状況も、また大変なことである。

 

★人間誰でも、平和で安心して暮らせることを望むのだろうが、

そう言う意味では、いろいろ言われるが、日本は安全は国であり、どこに住んでも基本的にはそんな心配はしなくていい。

つい先日、アメリカから日本に遊びに来ていた孫は、安全な日本の治安について特に言っていた。

地震は、日本の場合はどこにいても起こる危険性はあるが、特に東海沖などはずっと言われてその対策も進んでいるのだろうが、今回のような規模の津波が来たのでは、多分対策は間にあっていないのだろう。

三陸海岸などは、現実に津波対策は行ってきたのだが、それは全然と言っていいほど役に立たなかったのっである。

 

★この津波は、確かに想定を超えるレベルのものであった。いろんなところで打たれた対策では全然役に立たなかったのである。

昨日だったか、何処かの原子力の先生がテレビに出て、将来のためにも原発は要ると仰っていたのだが、一度やられたら放射能の影響がこんなに大きく甚大で、その影響が何十年も残るような原発はもうたくさんと思うのは、普通の人の発想だろう。

今後の民主党の総理は、菅さんの発想を受け継ぐのだろうか? それともあれは菅さんの個人的な考えだというのだろうか?

それはともかく、今日あたりはしきりと雨の被害などを伝えている。

地震や津波はそんなに起こるものではないが、台風や大雨はしょっちゅう、日常茶飯事である。

水害や土砂崩れも危険である。

 

★三木に住んで40年になるが、自然災害にあったことは皆無である。

雨などを見ていても、九州や和歌山県などは、いつの大雨の通過地域のように思えてならない。

今年も大雨で大きな被害が出たが、この地域ではまず大雨など殆どない。何故かなと不思議にさえ思えてくる。

仮に1時間に何百ミリの雨が振ったとしても、大丈夫な地形である。水は低いところに向かって流れるから、なだらかな丘陵地帯に留まったりはしないのである。

この町は大丈夫だが美嚢川の流れる旧三木の市街は少しは危険があるのだろうが、大雨があまりないのである。

 そんな立地に住んでいることは幸せである。

 

今後地震や津波対策も、国が基本的な対策を打っていくだろう。

ただ、エネルギー問題から、原発問題は危険という観点を超えて、経済政策からも必ずしも『脱原発』の方向に向かうとは限らない。

然し、今回の災害は津波もあるが、原発災害こそまさに想定外である。幾ら対策しても何十年も掛るのでは大変である。

『いろんな災害があるが、原発災害は人災である』ような気がしてならない。

もっと人間は、自然に戻るべきである。

 

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MIYAKO HYBRID HOTEL in CARIFORNIA

2011-08-25 05:53:45 | NPO The Good Times

 ★新たにNPO The Good Times の仲間に入られたロスの都ホテルのことをブログにアップしたのは7月末のことだった。

 

 こんな立派なホテル なのである。

アメリカにいる娘一家が、DANTHREE というネット主体のソフト会社を立ち上げて、

日本のNPO の仲間たちと、いろんな取り組みを開始しようとしている。

今ホームページも作成中で、このくらいのところまでに来ているのである

まだ途中だがら、リンクなど機能していない、英文になっていないところもあるが、

アメリカの仲間たちの2番目に入っているのが、

MIYAKO HYBRID HOTEL TORRANCE in CARIFORNIA なのである。

日本からは、大和屋嘉平さんと、雷神マッハさんが既に参加表明されている。

 

DANTHREE AMERICA
 
 

★いま家内はアメリカの娘のところに遊びに行っている。毎年同じパターンでもう3年も続いている。

娘は、 Danthree in Carifornia というブログを書いているので、大体の様子はみな解るようになっている。

昨日のブログは Miyako Hotel だった

何だかんだと理由を付けて、一家でホテルご一泊とは結構なことである。

いつものことだが、お父さんは写真にいない。

次男が大きくなっていて、一瞬「カドチン」かと思った。

私も独り留守番だが、旦那はなかなか主役にはなれない。主人などというのはその呼び名だけが残っているようなものである。

お風呂が本格的な日本風でよかったし、

アメリカのホテルで初めyてスリッパがあったと喜んでいた。

 

★この『都ホテル』さん、NPO The Good Times のアメリカでは2番目の団体会員さんだが、

先日、ハーレーを仕入れに行ったNPOの事務局長のカバン屋さんが、このホテルに泊まったそうである。

(株)シーズカンパニー
 

『よかったですよ』とこんなツイッターを発信している。 どうして見つけたの?と聞いたら得意の検索で、『日本食のあるホテル』から探したそうである。

 

いずれにしても、『都ホテルさん』いろいろお世話になってありがとうございました。

日本からのお客さん集めに、また協力させて頂きます。

NPO The Good Times の会員の皆さんロスに行かれた時はどうぞ。 会員特別優待サービスが付いています。

 

 

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民主党代表選

2011-08-24 05:41:03 | 政治

★前原さんが立候補を表明して、俄然民主党の代表選は、現実味を帯びてきた感じである。

今まで立候補を表明していた人たちは、どなたが総理になってももう一つという感じであったのは、国民の人気投票の結果を見ても明らかである。

若し国民が投票するのであれば、前原さんの40%が圧倒的である。

 

だが、日本の総理の選び方は、国民はいろいろ意見を言ってみても、じっと横で眺めているだけしか出来ないのである。

どのマスコミの論調を見ても、党内での多数の議員を纏めている小沢派がどのように動くのかが大きな焦点のようである。

候補者は、小沢グループの票田の支援を狙っての『小沢参り』が続いていた。

これはある意味仕方がないのかも知れぬが、どうも割り切れない感じはする。

 

前原さん立候補のニュースにも『小沢』という文字があちこちに見られる

産経新聞などは、耳疑う小沢氏処分解除と報じている。

 

別に、小沢さんをよく知った上で言っているのではないが、

私は、何となく小沢一郎が好きである。

その政治手法とか、理念でどうこう言っているのではなくて、

何故か『存在感があるし、ただの政治家ではない』 好きとか嫌いかというのは、そんなにちゃんとした理由がなくてもそう思っていたりするものである。

普通、今の小沢さんの環境になったら、人はみんな離れてしまって当然である。

それなのに、100人以上の議員が、党員資格停止の小沢一郎のもとに集まっているのは、それなりにいいところがあるのだろう。

 今回小沢さんが、積極的に動いたりはしていない。候補者が勝手に挨拶に来て、勝手に処分を解くなどと言っているのである。

100を超える票の影響があれば、選挙だから仕方がないのかもしれない。

 

★今回の選挙の結果は、どうなるのか解らないが、

前原さんか、或いは徹底的に小沢さんを大事にするどなたかになって欲しい。

 

前原さんの場合は、小沢さん敵視するのではなくて、そんなことに関係なく、自分の思う通りの政策をやって欲しい。前原さんらしい国政はそれなりに魅力である。野党も外国人からの寄付金などつまらぬことを追求するのは止めて欲しいものである。

小沢グループの推す人が通るのかどうかはわからぬが、若し通った時は。小沢さんは、もっと表舞台に出て日本を引っ張るべきでだと思う。

何故か一般の国民には人気がないのだが、一番近くにいてよく知っている議員さんたちがあんなに群がるのだから、間違いなく魅力があるはずである。

今回は、ホントに日本の危機だから、前原さんか小沢さんがいずれも表舞台で、堂々と動いて欲しいのである。

その他の人は、大臣ぐらいならともかく、一国の総理としては、『物足りない』というか、迫力がぜんぜん感じられないのである。

 

いろいろ言ってみても、いま言われている人たちの中から、次の総理が生まれるのは間違いない。

若し私が議員で投票権があったなら、小沢さんが推す候補に入れるだろう。

この国難の時期にこそ、小沢さんの政治を見てみたい。

 

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男の料理

2011-08-23 05:48:45 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 昨日から10月1日まで、独りの生活、私の夏休みである。

家内は毎年のことで、日本に遊びに来ていた孫と一緒にアメリカに遊びに行った。

あちらは間違いなく夏休みだが、こちらは独りで留守番というべきか、少し無理して自由な夏休みと言うべきか?

元々あまり些細なことには拘らない性格だから、自分で『いい』と思えば『いいように』思えてくるから不思議である。

 

何事も、100%全ていいなどということは、世の中には存在しないのである。

境遇でも、運命でも、なんでも身の周りに起こること全てに、『まあそこそこいい私はツイテル』と思って生きてきた。

1ヶ月独りで過ごせることは、『いいことも』沢山あるのである。

 

★今朝、孫文記念館のことで田崎さんと電話をしていたら、『ところで飯はどうしてる?』というのである。

最近は、飯ぐらいホントにどうでもなるのである。大体世の中の昔は『テンヤモン』と言われていたものが、結構旨いし、食材も多彩でいろいろある。。何を買おうかと迷うほどである。

1年目は40日間、一度も弁当を買わなかったし、外食もしなかった。半ば意地みたいになって、自分で料理を造って食っていた。

これがまた結構イケルのだが、一番困るのは量の調節である。一人前きっちりと造るのはなかなか難しい。

 

自分で造る料理にも、間違いなく『差別化の精神』は入っていて、ややこしい味付けをするぐらいなら、メーカーが専門に研究して仕上げたモノを利用するのが、失敗しないコツである。

麺類、うどんなどは好きな方だが、うどんの出汁をを造るのが大層である。

 

そこで利用しているのが、こんなスープの素である。

冷凍うどんを溶かして炊きあげて、このスープの素で取ったダシの中にうどんを入れたら、ちょっと他では味わえない『うどん』が簡単に出来上がる。

間違いなく、普通一般のうどんとは違うが、普通一般のうどんよりは、旨いかもしれない。

味が若し悪ければ、私が悪いのではなくて、メーカーさんがだらしないのである。 そんなことはないから一度試してご覧になればいい。

 

こんな簡単で、アイデアあふれる料理は、結構いっぱいあるのだが、今までやったことがなかったのが、魚の煮つけである。

今晩はそれに挑戦することにした。

朝、スーパーに行ったらこんな鯛を見つけた。はまちもあって一瞬どちらにするか迷ったが、タイにした。

128円は安いと思いませんか?

そこで今夜は鯛の『かぶと煮』と決めたのである。

どのようにするのかは、全く解っていなかったが、間違いなく検索で調べたら大丈夫だと思ったのである。

 

★午後、このブログをアップするまでに調べた検索。

まず、最初に 『板前はなぜ男なのか?』

鯛のかぶと煮はいっぱいあって、・・・・・こんなのや、  こんなのも

そして極めつけは、鯛の兜煮のYou Tube があった。

まあ、これだけ三つ見たらkey は何か、ぐらいのことはよく解った。そんなに心配しなくてもチャンンと喉を通るぐらいのモノは造れる自信みたいなのが湧いてきたのである。

 

大体解ったので、明日朝のブログも書けたし、兜煮も何とかなりそうなので、今から夕方まで、『バラの夏肥』とそのあと時間があったら碁を打つことにする。

そんな気楽な生活なのである。

 

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スターに戻った山本隆

2011-08-22 05:31:28 | M/Cレース

★こんなツイッターを山本隆君が発信した。 今日はモトクロススクールを利用しての『CM 撮影』だというのである。

 

Mr.モトクロス山本 隆
 
 

 ★ 60おじさんと称しているが、もう65歳は過ぎているのだが、

ご自身のブログを見ても、マシンに乗っている時の山本隆君は間違いなく元気溌剌なのである。

そんなことで、CMの撮影現場、三木アネックスパークに出かけてみた。

山本隆君のピット、いつもとちょっとだけ雰囲気がちがう。 CMの撮影スタッフらしき人たちに囲まれていて、

すぐ紹介して頂いたが、

頂いた名刺はプロデュ―サ―だとか、電通テレビ局ののコミユニケーションデザイナ―など、これはちゃんとしたスタッフなのである。

最近はサプリメントのコマーシャルがあちこちに出回っているが、その一環なのだという。

あるメーカーのサプリメントのCMに、『元気な年寄り』を探していたら、山本隆が見つかったようである。

マシンに乗せたら、間違いなくそこらの年寄りとはケタ違いの元気さだし、

かって3年連続モトクロス全日本チャンピオンの肩書も『サプリメントのCM素材』としては、申し分ないのである。

 

スタッフとの記念撮影である。

スタッフの人と雑談していたが、レースなど初めてのようだし、

この何の変哲もない『おじん』が如何にこの世界では別格の人だということがおいおい解ってくるのだろう。

この時点では、まだまだよく解っていないようである。

この日の会場には、ON ANY SANDAの常連の貴島さんや、

元カワサキファクトリーの立脇君などもモトクロス教室の先生役で顔を見せていた。

バーベキューに余念のないのは、関西オトキチクラブ会長高下さんである

 

そのバーべキューの食事風景ぐらいから、撮影は始まった。

食事が終わって、

山本隆のモトクロス教室である。

かって『講釈師』と呼ばれていた山本隆君、そのライディング理論も話術も天下一品なのである。

この教室は、ぶっつけ本番だったが何の問題もなく使えるだろう。

にこやかに、和やかにスタートしたが、

山本が話しだすと、聞く人たちの顔が変わった。

まさに真剣そのものなのである。

カワサキファクトリーの後輩の立脇や野宮君も真剣に聞いていた。

その昔は、お弟子さんの星野一義が山本のそばを離れずにずっと、テクニックを教えてもらっていたのである。

(余談だが、今週は山本隆とのご縁で繋がった、Custom Infection の綿谷さんが、星野インパルの星野、金子を訪ねることになっている)

そしてそのあと、行われた模擬レーススタート直後だが、一般の人たちは既にこれだけ引き離されている。

下が乾いていたらこんなに差は出ないと思うがコンディションが、より以上の差をつけてしまうのである。

トップを走っているのが山本隆、右後方にテレビCMの撮影の人たちが居る。

トップで戻ってきた。

チェッカーフラッグを受けてからの、インタビュー。

雨でぬかるんでいたが、泥をかぶった姿も迫力があっていいだろう。

撮影は1回で全て上手くいきました、ということだった。

 

山本隆君、いつものことだが、マシンに跨っている限りは、誠に颯爽として元気なのである。

『サプリメントCM』 としても申し分がないと思う。

多分、スタッフの人たちも65歳を超えた『おじん』が、まさかこんなに圧倒的に速いなどとは思っていなかったに違いない。

プロとアマチュアは、それくらいの差はあるのだろうが、山本隆はまた別格である。

 

出来れば、ちゃんと『サプリメント』を飲んで、普段でももう少し『腰を伸ばして』歩いて欲しいものである。

そんなになったら、私もその効果を認めて、それを飲むようになるかもしれない。

 

ところで、いつ頃からのCMですか?と電通の人に訊ねたら、秋以降、来年ぐらいからなどと言ってたのでだいぶ先のことである。

 

 ● Facebook のアルバムに写真纏めました

 

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高所恐怖症と宇宙のホテル

2011-08-21 05:16:16 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★自分は結構無鉄砲で矢鱈と好奇心は旺盛なのだが、意外と恐がり屋である。

特に高いところと、スピードは嫌いである。小学生のころは自転車もうまく乗れたし、クルマの運転も至って好きだから、若しスピードが怖くなかったら、

レ―サ―などに直ぐ憧れたと思うが、どうもスピードは苦手である。300キロ以上で走るなどとてもではないのである。

逆にスピードの出せないカーブや雪道の運転は大好きである。仙台のいた時しょっちゅう走った蔵王エコーラインや峠道などは懐かしい。

 

自分で体験したスピードは、ドイツのアウトバーンを人に乗せてもらって200キロで2時間ほど走ったことがあるが、あまり気持ちのいいものではなかった。

フランクフルトからスイス国境のボーデン湖まで300キロぐらいあったと思うが、『2時間も掛りませんよ』と言われて、ホントに2時間は掛らずに着いたりした。

自分で運転したバイクの最高速は200キロちょっとである。一般道路の混合交通の中ではとても走れない。

矢田部の高速試験場のテストコースの中の直線で、別にフルスロットルにしなくても、200キロは直ぐ出たのである。コースは広いし風圧もないし、メーターがなければもっと走れたかも知れぬが、メーターの針が200キロを指したらそれ以上グリップは開けられなかった。

 

★スピード以上に怖いのが高いところである。飛行機は慣れてしまって何ともないのだが、ダムの堤防など或いはつり橋など考えただけでイヤである。

だから、遊園地の乗り物にはいまだかって乗ったことがない。

高いお金を払って乗るなど、トンデモナイのである。

 

ライダーになる人たちは、そんな感覚が特殊なのであろうか?

60おじさん、山本隆くんは、かっての同僚ライダー加藤文博くんとこんな空中遊泳を楽しんでいた。

ライダーになるような人は、みんな高さもスピードも平気なのだろう。思っただけでもイヤである。

 

★昨日のGigazine に『宇宙から地球を見下ろせるホテルが2016年にオープン予定』という記事が出ていた。

ロシアの企業「Orbit Technologies」が高度約350kmの宇宙から地球を見下ろせるホテル「Commercial Space Station」を建設する計画を立てていることが明らかになりました。ホテルは2016年までにオープンする予定とのこと。

これが宇宙ホテル「Commercial Space Station」のイメージ。定員は7名で客室は4部屋。

ホテルは、地球からロシアの宇宙船「ソユーズ」のロケットに乗って2日かかる場所に建設されるとのこと。

なお、宿泊費はソユーズによる交通費と5日間の滞在費を合わせて約7600万円となっています。

と報じている。

7600万円もすれば、泊ることが出来ないのでかえって安心だが、そんなにまでして泊りたい人が居るのだろうか?

 

この部屋のどこが快適というのか知らぬが、

ターゲットは世界の富裕層だという。

 

 

一般の人はこんなツイートである。

 

masalfi
2011-08-20 13:10
貯金はしようと思ったこともないが、これのためなら…!「なお、宿泊費はソユーズによる交通費と5日間の滞在費を合わせて約7600万円」/宇宙から地球を見下ろせるホテルが2016年にオープン予定 http://t.co/YIri5Cz
wild_pasta
2011-08-20 13:03
リスクが高すぎる。RT @michiro_: !!! RT @harumiK: すごーい!RT @KAINA0912: い き た い RT @amass_jp: 宇宙から地球を見下ろせるホテルが2016年にオープン予定 - GIGAZINE http://j.mp/r5yS2h
 
okamura1980
2011-08-20 12:57
これを目標に頑張ろうと思う。絶対に行く!宇宙から地球を見下ろせるホテルが2016年にオープン予定 5泊交通費込みで7600万円 http://t.co/TsT7Ttd
harabaco
2011-08-20 12:39
宇宙から地球を見下ろせるホテルが2016年にオープン予定 - GIGAZINE http://t.co/TUU5x1Z http://t.co/rTHWQVa #tbjp
sanbonsuge1986
2011-08-20 12:38
宇宙から地球を見下ろせるホテルが2016年にオープン予定http://t.co/Mngpkcc超行きたい!!!
yukalovebear
2011-08-20 12:34
気になるけど、庶民には無理かなぁ。FYI 『宇宙から地球を見下ろせるホテルが2016年にオープン予定 - GIGAZINE』 http://t.co/mIZwQIq
nerowiz
2011-08-20 12:16
4年後に7600万円で宇宙ホテルに泊まれるようになるなら、2,30年後には数百万円くらいまで値下がりしててもなんら不思議じゃないよな。http://t.co/6WS0KbJ
ftbdnk
2011-08-20 12:16
危険が 色々ありそうですwRT @gosaku_don チェックイン&チェックアウトが怖いです。RT @ftbdnk 宇宙から地球を見下ろせるホテルか。ろまんちっくですねぇ。お値段は7600万円wソユーズに乗れるだけでもワクワクですよ。http://t.co/Evi7PTW
perch818
2011-08-20 12:08
宇宙から地球を見下ろせるホテルが2016年にオープン予定 - GIGAZINE http://ow.ly/6866S : 当然宇宙放射線による被爆を気にしない人たちが対象なんでしょうね。。。。
yknonyk
2011-08-20 12:04
すごすぎる“@taiju55_69: ここに宿泊することを人生の一つの目標にしよう:宇宙から地球を見下ろせるホテルが2016年にオープン予定 5泊交通費込みで7600万円 http://t.co/U4CiYPy”
una_kun
2011-08-20 12:00
|ω・`) 7600万かぁ… 宇宙から地球を見下ろせるホテルが2016年にオープン予定 - GIGAZINE http://t.co/yR4X4Kx
tk_4
2011-08-20 11:57
お金さえあれば夢が叶う時代かRT @rikei_recruit: 宇宙旅行が夢じゃなくなったのか!これはほんとにすごいと思うのはオレだけなのか? http://j.mp/o5zcH8
hikohikochan
2011-08-20 11:56
価格が下がったら行きたいなぁ~(*^^*) RT @TKMiVJ: 宇宙から地球を見下ろせるホテルが2016年にオープン予定 http://j.mp/pxA2Qt
 
 
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私と家内の夏休み

2011-08-20 04:50:46 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★いま8月19日、午後3時である。

昼前に伊丹までアメリカに戻る孫と、アメリカに行く家内を伊丹の空港まで送りに行った。

今から10月1日まで、私と家内のそれぞれ夏休みである。

1ヶ月とちょっと、昨年はもう少し長かったが、3年続いているパターンである。

 

アメリカの夏休みは長い。毎年3人いる孫のうち何人かが日本に遊びに来る。そして家内を連れてアメリカに戻っていく。

世のなか一般に『おばあちゃんの方が孫の受けはいい』ように思う。

何か無茶苦茶可愛がるのと、もう一つお金を握っているのが強みである。何かねだる時は必ずおばあちゃんである。

まだ、小学校の頃、川に魚を取りに行ったころまでは、そこらあたりで差別化出来ていたが、中学生、高校生ともなると、なかなか相手はしてくれないのである。

今年遊びに来ていたのは、長男で今回は奈良や京都や東京まで独りで足をのばし、大学のキャンパスなども幾つか見てきた、そんな年ごろにもなってしまった。

 

★最近は関空からロス直行便がなくなって成田経由である。

★夏休みで国内線はこんなに混んでいた。

トイレに行って戻ってきたら、孫と家内はこの混雑の真っ只中にいた。

成田経由アメリカなら国際線ではないかと思ったが、成田までなら国内線かと思ったりしたが、これは乗り継ぎの荷物もあるのだから、間違いなく国際線窓口のはずである。

最近は海外旅行など全くご無沙汰だが、これはそのはずだと、掛りの人に聞いたら、その通りなのである。

国際線の乗り継ぎ手続きのカウンターはちょうど逆のところだが、

こんなにガラガラなのである。

ちょうど東京は雨で、羽田行きは1時間遅れだが、成田は何とかなるだろうと思って戻ってきた。

さっき、JALの運行状況を調べたら、成田行きは既に出発済みになっていたので、間違いなく成田に向かって飛んでいる。

 

★とこのブログをアップしていたら、アメリカの娘から電話が掛ってきた。ちゃんと乗れたか?と心配しているのである。

ところで今朝、孫が 『Skype』 なる世界中電話無料サービスのシステムに登録してくれた。 

娘婿もそれに登録しているようで、こちらのIDを伝えたら、即座にパソコンの画面に、アメリカ アーヴァインの娘や孫たちが登場したのである。

向こうの部屋の様子も解るし画面いっぱいに4人が写っている。

あちらのパソコンはノートパソコンだから、あちこちに持ってゆくと家じゅうどうなっているか解るのである。

musu 

所謂テレビ電話である。 娘婿がその画面をメールで送ってくれた。

幾ら話していてもタダだというのは不思議である。

パソコンにカメラやマイクの機能が付いているのは、先日孫に指摘されて解ったのだが、こんな事にも使えるのである。

 

これは先日、東京のNPO のホームページを担当してくれている『まっしま』さんも入っていて、初めてアメリカとSkypeを使って話したそうである。

これは、登録は簡単だからみんな仲間になれば3人でも話せるようだし、その時の画面を写真に撮ることも出来るそうである。

 

★このブログを明日、アップする頃には、家内は多分、娘の家に着いているだろうから、

この『Skype』を使って電話を掛けてくるに違いない。

電話代がタダだとなると、家内の夏休み中もしょっちゅう掛ってくる可能性もある。

後40日ほど、私の夏休みはどんなことになるのだろうか?

 

とここまで書いたら電話、今度は息子の嫁のノンちゃんからである。

日大三高が勝って明日優勝戦だから甲子園まで応援に来るという、『一緒にどうですか?』とのお誘いである。

息子の方の孫は、もう卒業はしてしまったが日大三高卒なので、それで応援に来るのである。今生憎足の筋肉を痛めて歩き難いので、お断りをした。

『Skype』の話をしたら、知っていた。孫がやっているようである。

孫のパソコンには、カメラやマイクがなくて、付属品として買い足したそうである。なるほど多機能も使えば役に立つのである。

 

ホントに不思議で便利な世の中になったものである。

電話をかけたりいろいろやってたら、4時半になってしまった。

 

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Custom Infection

2011-08-19 05:52:30 | NPO The Good Times

★もう先月になるのだろうか。

神戸のCustom Infection NPO The Good Times に参加されて、綿谷さんという方と2度お会いをした。

まだ30代の好青年だが最初は2時間ほどお話をし、トーンがあったので月はじめの理事会に出席されますかとお誘いしたらすぐ出席された。、

ネットのことがやけに詳しいので、来月の理事会の日には、三木でFacebook とツイッターの講習会をやって貰うことにした。

更に、26日にある、三木社協主催の『ラーニングバー』にお誘いしたらこれにも出席なさることになったのである。

 

何度か今やっておられることの内容をお聞きしたのだが、もう一つよく解ってはいない。

4輪と2輪のCustom 関連のモノではなくて、Customを愛好するユーザーやお店を集めて、『ネットの世界でコ―デイネ―トしておられるらしい』ぐうらいしか解っていないのである。

然し、なかなか多彩で、足が軽いし積極的でオモシロイのである。

いろんな情報はお持ちのようで、昨日のツイッターには、こんなニュースが流れたのである。

 

 rfuruya1がリツイート
 
55分前神戸・阪神間のブログポータルサイト ko-co から  

 

 

 

アウディ ジャパンは、2011 年FIFA 女子ワールドカップドイツ大会で日本サッカー史上初の優勝という歴史的な快挙を成し遂げた、なでしこジャパン(サッカー日本女子代表)に Audi A1 を使用して頂くこととした。
“なでしこジャパン”の活躍に敬意を評し、Audi A1 の魅力を、監督をはじめ代表メンバー全員に体感していただけるよう、22 台の車両を3 年間無償リースにて提供させていただきます。
と発表したようである。
昨日15:00 よりアウディフォーラム東京で行われたセレモニーには、佐々木則夫監督をはじめ15名の“なでしこジャパン”のメンバーが参加、監督および代表メンバーがステージ上のAudi A1 のボンネットにサインしたようである。

 

★これはなかなかの快挙だが、このニュースをいち早くツイッターで流したのもまた快挙である。

私がリツイートした途端に更にリツイートされたのである。

そんな綿谷さんだが、来週は東京に取材に行くので、ぜひ東京のNPO The Good Times の仲間たちにお会いをし取材をしたいので紹介して欲しいというお申し出なのである、

そんなことで、まず関東総括の大和屋嘉平さん、インターナショナルトレ―ディングムラシマの村島さんに電話して雷神マッハの蘇原さんなどとの連絡調整などお願いしたのである。

ぜひ、『星野インパル』も取材したいと仰るので、金子豊くんに電話をしたら、快く引き受けてくれて、

『星野も空いてるから、一緒にお会いするようにしましょう』と言ってくれた。

昔のレース仲間は、いつまで経っても昔のままで気持ちがいい。

 

星野一義も、金子豊ももカワサキコンバットのチームメートなのである。

 

★実は昨日、栗山潤二 なる方から、『1960年代のカワサキのレース記録』というブログに、

『初めまして。わたくし栗山寿の長男です。  現在父は横浜で土建業を営んでおります。かねてから父から色々とカワサキストーリーについて聞いておりましたのでこちらのブログを見たときはすぐさま父に報告しました。

現在父も64歳になりましたが、おかげさまで元気にしております。私といたしましても是非またビンテージモトクロスレースで参加させたいのですが、きっかけがつかめず現在にいたります。近い将来に是非乗せてあげたいと思っております。』というコメントを頂いたのである。

『もしかして、カワサキコンバットで星野たちと一緒に走っていた栗山君の息子さんですか?』 と聞いてみたら、

お返事ありがとうございます。はい、私 カワサキコンバットに所属してました栗山の長男です。父も私も当時活躍していた2輪レーサーや4輪レーサを陰ながら応援させてもらってました。
インパルの金子様とは私はお会いしたことがありませんが、以前静岡に住んでいた頃1度だけ星野様とお会いしたことがありました。当時私は小学3年生でしたが当時すでに活躍なさってた星野様に会えて非常に楽しかったことを今でも覚えています。小生41になりますが、10代の頃は父の影響でモトクロスを3年程やってました。その後20代後半にサテライトチームですがスバルでラリーをやり、主に海外ラリーに参戦してました。』 などとコメントを頂いているのである。

この話、金子君にするのを忘れたが、星野、栗山などコンバットの若手で活躍したメンバーなのである。

 

★こんな風に、どんどん繋がるのが、ネットの世界の特徴で、

今回の綿谷さんの東京出張から、またなにが生まれるのか?

綿谷さん、先月加古川の60おじさん、山本隆君を取材したご縁から、ホントに急速に繋がっているのである。

まさにInfection である。

 

 

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Stage Action Rock Festival 2011 in 三木山森林公園 森の小劇場

2011-08-18 06:19:36 | NPO The Good Times

★ Facebookに「三木市」という 公開グループサイトがある。

つい先日、伊藤智寿くんが造ったばかりだが、三木市の人たちを中心に30人近くが集まっている。

こんなFacebook だが、『覗いてみようと思います』と投稿したら、沢山の方からコメント頂いて、

イベントが終わってからも、主催の伊藤智寿くんから皆さんに丁寧なお礼のコメントを頂いたのである。

 

世の中に、いっぱいイベントはあるけれど、なかなかこのようにイベントの前も、イベントの最中も、そしてイベントが終わってからも、

こんなにコメントが行き交うイベントは珍しい。

コピーしてみたら貼り付けられたので、ご覧ください。

 

今年が第1回だそうですから観に行こうと思っています。https://www.facebook.com/event .php?eid=227701797266588
 
場所: 県立三木山森林公園
時間: ‎2011年8月15日 11:30
 
河田 明彦 わたしも行きたいのですが…体調の関係で、迷っています 
  •  
    大西 秀樹 僕も行きまーす。
  • 古谷錬太郎 河田さん、大西さん、お会いできてよかったです。
  • 井上 章二 今日でしたね。残念ながら半分仕事な今日は無理でした。
  • 古谷錬太郎 コメント頂けて、最高です。
  • 山田 和広 久々にお会いできるかと思いましたが、軽い熱中症でダウ ンしていました。残念です。
  • 大西 秀樹 伊藤くん、今日はアリガトーです。
    家族で楽しい時間を過ごすことが出来ました。
    又、皆さんのエネルギーを、た~くさん頂くことが出来感 謝してます。
    特に、伊藤くんのエネルギーを一杯もらってきました。
    又、みんなでお茶しような~。

    お疲れ様。
    アリガトーございました。
  • <form class="live_190976950968445_131325686911214 commentable_item autoexpand_mode" action="/ajax/ufi/modify.php" enctype="application/x-www-form-urlencoded" method="post">
     
      • 伊藤 智寿 みなさんありがとうございました。
        至らないところも多く、来年のための材料をたくさん頂き ました。会場でのwifi電波が乏しく、webを利用し た配信が思うように進まなかったのが残念で仕方ありませ ん。でも結果的に「やる意義」を少しでも垣間見れた気が してエネルギーを頂きました。
        これも皆さんのおかげです。
        来年・再来年とこの先何年も続くような気長な活動にした いと思いますので成長を見守ってやってください。
        来年はさらに、皆さんにとって素敵な時間を共有できる場 所を作りたいと思います。
        どうぞ宜しくお願いします。
      •  
        伊藤 智寿 大西さん
        こちらこそありがとうございました☆
        たくさんの方に来場して頂いて、ほんとに感謝感謝です。
        出演者からも「出演できて良かった」と最高の褒めコトバ を頂きました。ホント、やってよかったです。
        これから活動のまとめ作業に掛かります。
        またワイワイガヤガヤ、話聞いてください^^
        貴重な時間、ありがとうございました!
      •  
        伊藤 智寿 古谷さん
        最後まで見て頂いて、ありがとうございました。
        まだ走り出したばかりのイベントで、予定通りにいかなか ったところもたくさんあり、あまり話ができなかったこと が残念です。すいませんでした!音楽・パフォーマンスを 通じて楽しんで頂けたなら幸いです☆
        これだけ公園がたくさんある三木市において、野外を活用 して野外の魅力を生かしたイベントをこれからも続けて、 成長していきたいと思います。さるとるさんの「三木市を 大きな公園として捉える」という概念を古谷さんに教えて 頂いて、正直「これだっっ!」と思いました☆
        またさるとるさんも交えてお話できれば嬉しいなと思いま す。
        ほんと、貴重な時間をありがとうございましたm(_ _)m
      • 伊藤 智寿 河田さん
        体調が優れない中、見に来て頂いてありがとうございまし た!
        スタッフ業に追われてしまい、ゆっくりお話できずにすみませんでした。僕も元々西2丁目ということもあり、これも何かの縁なのかなと思っています。
        暑い中での過酷な環境ですが、そんな中でもたくさんの方が来場してくれたことに感謝しています。
        こうやって真夏に野外で何かをするというのは皆さん、嫌がるかと思いますが、涼しい環境では得られない「夏らしさ」を感じるきっかけになれば幸いです。またゆっくりお話できる場でお会いしましょう。
        暑い中、来場して頂いてありがとうございました!
      •  
        伊藤 智寿 山田さん
        当日は連絡も頂いて、ありがとうございました。また一緒に面白いこと企画させてください^^
      •  
        伊藤 智寿 井上さん
        コメントありがとうございます☆
        また来年もやりますので、よければ見に来てやってください。
        これからyoutubeにも模様をアップしていきますので、掲載できればFacebook上で連絡します^^
      •  
        伊藤 智寿 小巻さん
        暑い中来場して頂いてありがとうございました!
        初めてお会いして、もっとゆっくりお話したかったのですが、バタバタしてしまい、何かと申し訳ありませんでした。。1年目のスタートは小さいながら皆さんの後押しもあり、規模なりにいいイベントになったかと思います☆これから反省会を開き、来年に向けてさらなる向上を目指していきますので、辛口な指摘をお願いしますwまたご一緒にお話したいので、今後連絡させてもらいますが宜しくお願いします。
        記念すべき1回目、まだ小さなイベントですが貴重な時間を頂いてありがとうございました!
      •  
        小巻 健 伊藤智寿さま 先日はお疲れさまでした。こちらこそ短い時間でしたが楽しませていただきました。出演者がネットでつながるとは今を感じさせますね。ユニークです。またお出会いしてお話などできればと思いますが、普段は三木にいらっしゃるのですか?
      •  
        伊藤 智寿 小巻さん
        コメントありがとうございます。普段は西宮にいます。若干距離がありますが、2週間に1回くらいのペースで三木に帰っていますので、夜であれば比較的ゆっくりお話ができると思います^^
      •  
        小巻 健 伊藤智寿さま また三木に帰って来られるときがありましたら教えて下さい。私のほうは行事や会議などで夜は結構詰まることも多いですが、時間が合いましたらぜひお会いしたいと思います。

     

    ★ どんな風なイベントであったのかは、何となくお解り頂けると思う。そんなに沢山の方が押し寄せたわけでもない。

    集まった人たちは、舞台に立った人たちも含めてみんな仲間として繋がっているのである。

    そして、これを機会にまた来年と、1年間のブランクがあるのではなくて、これを契機に更にみんなの輪が広がるような、日常の活動に繋がることが素晴らしいと思っている。

     

    上にはFacebook のグループページ三木市をご紹介したが、Facebook だけではなくて、ツイッターでも、ブログでも、

    そして、NPO The Good Times のメンバーとしても、繋がっているのである。

     

    先日、このブログでご紹介した『ラーニングバー』には、上にコメントを頂いた人たちも、更に他の仲間たちも集まって、

    三木という地域の活性化を、SNSを通じて行おうと、8月26日の夜から5回に亘って開催されるのである。

    『みっきぃふるさとふれあい公園』という、三木市が提案したコンセプトだが、今は三木の一般市民たちが先頭に立って走りだそうとしているのである。

    こんな風に、横一線で自然に繋がっていこうとしているのは、三木ならではのことだと思う。

    また

    『異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しい時を過ごそう』

    という基本コンセプトのNPO The Good Times に参加してくれているメンバー達がその中心の役割を果たしてくれている。

     

    ★このイベントを主催された、伊藤英寿、伊藤智寿のご兄弟は、

    NPO The Good Times の仲間としては新しいのだが、そのまだ20代というそのバイタリ―ティーに大いに期待しているのである。

    弟さんのshirokuro のホームページ、まだ制作途中だが

    community engineering shirokuro

    シロクロは「想いを伝える」ことを事業にしました。

    誰かが誰かに想いを伝えることで世界は成り立っている。もっと素敵な日常を作りたい。
    想いを伝えるためのツールを開発しています。

    ・ホームページの制作

    ・空間設計・施工

    ・できごとの企画

    ・インタビューと発信

     代表 伊藤智寿

    という基本コンセプトに共感と期待を覚えているのである。

     

    ★NPO  The Good Times のホ―ムページです。(会員さんの のブログもツイッターもFacebookも見られます)

    ★Facebookのファンページです。

     

     

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    昭和63年(1988)何もかも一端区切りの年だったかも・・・55歳

    2011-08-17 05:09:12 | 自分史

    ★会社での職位や異動も、だんだんとややこしい時期が来る。

    自分だけではなくて周囲もそれを意識するし、自分でも意識せざるを得ない状況に追い込まれるものである。

    前年末に、理事に昇格して、一応サラリーマンとしての生活には区切りがついて、この年の初めに退職金を頂いた。多分我が家に初めて貯金なるものが出来たのだと思う。

    会社でも、事業本部では何番目かの位置にいて、自分よりもむしろ周囲の人たちの方が関心が高かったのかも知れない。

     

    家庭でも、息子はもう就職していたし、春からは娘も就職することになって、お金が要らなくなったらお金が入るという巡り合わせなのである。

    結婚以来殆ど旅行など行ったことはなかったのだが、春には九州に、秋には北海道に家内を連れての旅行に行ったりしている。家内にとってはこれが初めての飛行機だった。

    そんな環境の中のこの年だったのだが、世は円高で、アメリカへの輸出が大きな比重を占めていた事業本部の中で、

    国内市場への増販や、ジェットスキー事業の充実、コストのドル化が叫ばれて、発動機のエンジン生産のアメリカ市場への移転などが、言われていた時代である。

     

    ★高橋鉄郎さんの後を継ぐのに最も近い位置にいたのが安藤さんで、6月の役員人事で安藤さんが昇格するかどうかが、注目の的だったのである。

    高橋さんとしては、何とか安藤さんをと思っておられたのだと思う。 初めての営業部門を担当させたのも、当時のカワ販の専務を任されたのも将来の事業部統括の経験上必要と思われたに違いないのである。

    ところが期待に反して6月人事で安藤さんの役員昇格が消えたために、そのあとの構想がまた難しくなったのは容易に想像が出来るそんな環境にあった。

     

    ★私自身は、3月に突如大分県の直入町対策から、ひょんなことにアタマを突っ込むことになったのである。

    10年以上も前の話だが、具体的にはZ1などの大型車の開発のために、テストコースが要るということで、大分の直入町に既に広大なテストコース用地を購入していたのである。ただ、その後の事業本部の経営悪化で、テストコース建設どころではない状況に追い込まれていたのである。

    よくある話だが、地元の直入町とは土地の購入の条件に町民の採用などいろいろ町への協力を約束していたのだが、コースが出来ないものだから、2カ月に一度ぐらいの頻度で交渉に訪れる直入町長以下の対応がまた大変で、本社の財産課以下その対応に困り果てていたのである。

    弱り果てた結果、モトクロスコースを造るなどの案が出て、レースの話なので、私に相談があったのが、3月8日のことだった。

    モトクロスコースは土を削れば出来るようなもので簡単だが、後のメンテナンスや運営から言っても即座にダメだと思ったのである。

    いっそのこと、ロードレースのサーキットを造っては? と言ったらそれで行こうということになってしまったのである。3月11日には本部長のOKも出て、『お前やれ』ということになってしまったのである。

    大体、無鉄砲にカンで言ってしまうのがいけないのだが、やれと言われたらやらざるを得ないし、岩崎茂樹君と二人で、何の経験もないサーキット建設のプロジェクトに突入してしまうのである。

    3月末には、岩崎君と二人で現地に乗り込んで、地形を見たり、どんなコースにするかを検討したのである。三井不動産が担当ということだったのだが、三井不動産自体もサーキットなど造ったこともないものだから、コース設計も基本コンセプトも全て岩崎と私で作りあげたのである。土地は幾らでもあったのだが、総工費は3億と勝手に決めてのスタートだった。

    俄か勉強であったが、こんなサーキットなどで、一番金の掛るのは、土の移動と水処理である。 コースは出来るだけ地形を利用して高低差をつけるような仕様の絵を1ヶ月で書きあげたのである。

     

    これは、4月末に、本社に説明した項目のメモみたいなものである。1ヶ月の間に各地のサーキットはマーケッテングしたし、何よりもレーサーレプリカみたいな車を世に出しながら走る場所を造りもせずに、『峠族』などという、暴走族まがいの呼び方をさせているメ―カーの姿勢がダメだ。

    『日本で初めての一般ユーザーが走れるサーキット』を造ると、大上段に振りかぶったのである。

    4月末の時点で本社の了解も取れたし一路邁進するのみであった。こんなにスムースにことが運んだのも、本社企画の阿ニさんがコンセプトに共感して、片棒を担いでくれたお陰である。

    本社財産課も直入町長などの対応に困り果てていたので、大いに賛同してくれたのである。川重で初めてのサーキット建設だったのに極めてスムースに実質1ヶ月ちょっとでその建設計画は軌道に乗ったのである。

    直入町長とも直ぐ仲良くなって、町のダムではジェットスキーのレンタルもやろう直入町に客を呼ぼうと、旗を挙げて一挙にいい関係に転じたのである。

    土地が自前であったこともあるが、大分県庁への認可申請も直入町長同伴で、当時の県知事さんに直接挨拶などして、このプロジェクトはスタート以来ちょうど2年の超特急で、

    2年後の4月に開場することになるのである。

     

    ●「SPA直入物話」として5回に亘って書いているが、こんなブログに纏めて下さった k_miya@ぐるぐるじゃぱん さんなる方がいる。 感謝。

     

    ★この年、もう一つのオモシロイプロジェクトが、ソウルオリンピックでの開会式当日のジェットスキーのデモンストレーションである。

    これはオリンピック委員会からの正式招聘で、オリンピック村の中で1週間を過ごしたのである。

    このチームの団長を引き受けたのである。

    折角のオリンピックのデモだから、単に選手を集めるのではなしに、

    アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、そして日本の『ジェットレースチャンピオン』たち男女をそれぞれ集めた構成にしたのである。

    具体的な段取りは当時のジェットスキー担当の鶴谷君がみんなやってくれて、初代JJSBAの会長の苧野さんや、ジェット市場の開発をやった藤田君、日本の実質1号店の福井君、今も確か何かおやりの大南君など日本のジェットスキー市場開拓の錚々たるメンバーが集まったのである。

     

     

    英語のスピーチなど、殆どやったことはないのだが、この時世界から集まってくれたメンバー達への「Wellcome Speech」である。

    こんなの忘れていたが、日記に挟んであった。英文は多分鶴谷君が作ってくれたのである。 Draft とわざわざ書いてくれていたが、これを読み上げたに違いない。

     

    1週間ほどの滞在であったが、私は子どものころをソウルで過ごした。

    世界で一番行ってみたかった町がソウルだった。2日目に苧野さんと現地の社長と一緒に住んでいた家を見つけてきた。初めは解らなかったのだが、桜ケ丘小学校を見つけてそこから道をたどったら、すぐ見つかった。

    オリンピック開会式の当日のデモも上手くいって、翌日はみんなオリンピックを観に行ったりしたのだが、私はもう一度独りでタクシーに乗ってもう一度家を見に行ったのである。

    そんなことで、オリンピック村に1週間近くもいたのに、オリンピックも見れたのに、何も見ずに帰ってきた。

     

    ★この年、こんな事ばかりやっていたわけではなくて、この数年間ずっと続けていたKMCの38Mドルもあった累損の消去の目途が立ったのである。

    期間損益の黒字化などという表面的なものではなくて、累損消去という誰にも指示されなかった、大庭さんですら『そんなこと聞いていない』と言われた、私自身の高い目標が達成できたのである。

    これで、『卒業出来た』と思った。

     

    7月には、安藤さんの後を引き継いでカワ販専務が決まった。

    社長の高橋鉄郎さんとのコンビで、何年も目標に掲げてきた国内市場の充実強化を直接担当することになるのである。

    営業総括の副という何となく頼りない職務もこの年の9月末で終わって、

    10月からは、高橋さんと『7万台』、国内から川重への『限界利益100億円』を約束して、また現場の旗振りに戻ったのである。

     

    ★家の方も、金の心配はなくなったし、ちょうど家のローンも終わって、ホントに気軽になった。

    元々家計のことなど家内に任せきりで、何の口出しもしてなかったのだが、

    ずっと会社に出入りしていた保険会社のおばちゃんに、いつもアイスキャンデーをもらってばかりで、不義理ばっかりだったので、退職金の一部700万円ほどをお任せして預けたのが、いま、2000万円ちょっとになっている。これは私が死んだときに受け取れる保険金だそうだが、今受け取れば1500万円ほどだとか・・・・今の保険会社の担当者が不思議に思うほどの金額になっているのである。

    そんなに贅沢はしなければ、毎月は年金で何とかなるので、これだけは残るだろう。私が一生で自分で金を動かしたのは、これくらいのことで結構成功の部類かなと思ったりしている。尤も受取人は家内だから、私の金ではないのだが。

    この年の夏、東京出張の時、息子に飯を食おうと誘ったら、2時間ほど待たされて、女の子と一緒に現れた。今の息子の嫁さんノンちゃんである。

    その時は、何も言わなかったが、秋には三木の家まで連れてきた。その時も特に何も言わなかったし、大体そんなことをすればどうしたいのかは聞かずとも、言わずとも解っていることだから、それに触れた話などしなかったと思う。

    会社の方も、家庭も一段落、ある意味卒業した感じの年でもあった。

    10月からカワ販の担当になることが決まって、5年ほど前に私を企画に引っ張って頂いた、山田さんに報告の手紙を書いている。あの時指示されたことは十分できたと思っている。

    それ以降二輪事業は順調に推移したと言えるだろう。

    二輪事業自体も、国内市場も、そして私自身も、新しい段階を迎えるのである。

     

    この後の10数年がオモシロかった。 そして今、NPO The Good Times にそのコンセプトは受け継がれている。

    お盆休みである。

    お盆が明けたら、ホントに久しぶりに、田崎さんとコンビで、また昔のように新しいことが、やれるかも知れない。

     

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