雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

よそのまちの市長選挙

2008-11-30 04:16:26 | 樋渡啓祐さんのこと
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どうも昔から選挙は好きになれない。
明石に住んでいたころ、昔からの家の付き合いなどが多すぎて、
特に市会議員の選挙などはあちこちに頼まれて、誰に入れていいのか解らずに棄権することも多かった。

選挙のときだけ頼みにきたり、ぺこぺこする先生方もイヤだった。

また、選挙好きで無茶苦茶関心を持って、自分のことのように応援する人を見るのも、あまり好きではなかった。



今回の武雄市の市長選挙には、非常に関心があるのである。
自分の町でもないのに、なぜか?

樋渡さんのような独特の新しい行政スタイルが消えてしまうのが惜しいし、若しそんなことになれば寂しいと思うからだと思う。
大阪の橋下さんの府政もそうだが、その人にしか出来ない『よさ』みたいなのがあって、そんな行政に関心があるからだと思う。
日本の今までの政治手法と差別化されていて、全く違っているのがいい。

まだまだ、日本の行政は、昔のままの旧い慣習に縛られて、自分のホンネを言わないことが多すぎると思うのである。
所謂『政治家』が普通一般の人からは遠い特殊な人種が多すぎるし、慣習を重んじすぎる政治スタイルからは、日本がよくなったりはしないだろう。

今は時代も変わって、今の日本にあった新しい政治スタイルが要求されているのだと思うのである。



今回の武雄市の市長選挙は、市民病院問題でのリコール、辞職、再出馬である。
まだ、対立候補も出ていない時点だが、樋渡さんの独特の行政運営はまだその続きを見てみたいと思うのである。
一昨日だったか、その市民病院問題での公約をブログでも発表された

解り易過ぎて、大丈夫かなと思ってしまうほど具体的である。
樋渡さんらしいのである。

選挙の結果は12月28日には解る。
新しい年を、『おめでとうございます』と祝える新春であって欲しいと思っている。

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カワサキ馬鹿の繋がり

2008-11-29 04:12:28 | カワサキワールド
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この月の始め、『忍者の伊藤さん』というブログをアップした。
西明石の飲み屋から電話があったのである。


一昨日の晩、寝ていたがまた電話がなって起こされた。
伊藤さんである。
ただ、今回は思わぬ場所からの電話であった。

『金谷の店で飲んでます』というのである。
金谷、あの金谷秀夫である。

なぜ、伊藤さんが金谷と繋がっているのか不思議だったが、
もう出来上がっていて、
『六甲山で金谷にバイクの走り方を教えたのは私です』などと言い出すのである。

話ぶりからして、結構親しそうである。
いつも私が『金谷、金谷と言うものだから』と
もっと『伊藤、伊藤』と言えと言わんばかりの口ぶりで、ご機嫌である。

伊藤さんの交友関係は、なかなかのものなのである。
レース関係では、あのスズキの現レース総監督の吉村太一ちゃんや、
鈴鹿ツインサーキットの斉藤さんなど、なぜかこの世界の有名人とウマが合うのである。
金谷ともこんなに親しいとは思わなかった。
不思議なことに、伊藤さんがウマが合う連中は私も結構ご縁が深いのである。

金谷秀夫君がライダーとして世界的に名を馳せたのはヤマハの時代なのだが、
ホンの短かったカワサキとの関係なのに、
SPA直入のオープンの時には、清さんや宗和などカワサキのライダーと駆けつけてくれたし、今もカワサキの歴代のレース関係者も多数集まるゴルフコンペ『Z1会』のメンバーでもある。

一昨日は何かカワサキの新車発表会がホテルオオクラであって、その流れのようだった。
電話には、金谷も出てきたし、大阪から九州までの西日本を担当しているカワサキの安藤支店長も一緒だった。
その席には、名前はよく聞くのだが九州の能塚モータースWITHさんも居たようで賑やかだった。

どちらのホームページにもSPA直入のレースや走行会の写真があって懐かしかった。


先日も、別の『カワサキ馬鹿のグループ』との会合があったが、バイクやレースで繋がっている連中は楽しく面白い。
普通の業界なら、売り手とお客の関係なのだが、そんな堅苦しい関係ではないのである。

そんな二輪の世界で生きてこれたことが幸せだったし、
寝ていたところを起こされても、決して気分を害したりはしないのである。
『今回もかに送ります』と言ってくれたので、期待して待つことにしよう。

40年のお付き合いである、伊藤さんも、金谷も本当にいい男である。
安藤君ももうカワサキのトップ陣の一翼を担っている。
それだけ、年月が流れたということか。
新しい若いカワサキの連中が、また『新しいカワサキ馬鹿の繋がり』を作っていって欲しいと願っている。

  『Kawasaki let the good times roll』

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google と Yahoo と あるブログ

2008-11-28 04:37:32 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
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検索をされるときに、Google と Yahoo とどちらを使われますか?
或いは、使い分けられますか?

私は、いつも二つとも見るのですが、あまりその違いを感じずにきました。
どちらかと言えば、『ブログのこと』は、Googleのほうが詳しいかなとぐらい思っていました。



今回、『西宮ガーデンズ』 を検索してみて、YahooとGoogleでは、どうも編集方針が違っているように思う。
どう言えばいいのか、どちらも『西宮ガーデンズ』に関する事柄なのは当然だが、
Yahoo は、西宮ガーデンズに関係のある直接関係のあるものを集めている。
それに対して、
Google は、『西宮ガーデンズ』という言葉の入ったブログそのものの比重が多いのではないかと思ったりしている。

昨日発信した、私のブログなどは、西宮ガーデンズについては、直接触れては居ないのに、1ページ目に現れるたりするのである。

(ここまでは、昨日書いた文章である。( )のなかは今朝挿入である。昨日のブログに670ほどのアクセスがあった。阪急西宮ガーデンズ関連の検索からである。
世の中の関心の高さであろう。明日はどうなるであろうか?)



そんな軽々しい私のブログとは比較にならない、
YahooにもGoogleにも1ページに登場するビックリするようなブログを見つけた。

『オキラクウサギ』 というブログである。
そのブログにある一つのカテゴリー『西宮ガーデン観察日記』は115回もアップされていて、そのスタートは昨年の2月4日である。
鉄道や鉄道おもちゃのカテゴリーも140回以上もあって、詳しい。

ちょっと見る積りが引きずりこまれて、何時間も見てしまった。
西宮球場あとはこんな風に変わっていったのである。


当初計画では2008年3月完成であったのが半年伸びて、
2008年8月になり、
更に遅れて11月の完成になったようである。

この1年半を写真つきで、定点観測で追い続けている。
それにしてもよく追い続けられたものである。
こんなに根気の要ることをこんなに続けられるのは、本当に尊敬に値する。
貴重な記録だと思う。


時系列に並べてみた、こんな風に変わっていったのである。

観察日記ブログスタート、2007年2月4日

2007年9月ごろはまだこんな状態であった。

11月には工事らしきものが始まっている。

そして、今年の4月には。

9月はもう完成間近かです。

最後の定点観測はこちらです。

それにしても、ほんとに凄いですね。




こんなにして、完成した『西宮ガーデンズ』ですが、
そのコンセプト通りに、集客するのでしょうか?
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西宮北口阪急西宮ガーデンズ前

2008-11-27 04:58:11 | 発想$感想
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『阪急西宮北口』、阪急電鉄の駅の名前である。
西宮北口といえば西宮球場というイメージであった。
高校生の頃、よく乗り降りしたところで懐かしい。
『西宮北口阪急西宮球場前』とアナウンスされていた。

私が高校生の頃と言えば、1950年前後、もう60年も前の話である。
当時、兵庫県の夏の予選が西宮球場で行われていたのである。
予選どころか夏の全国大会復活の初年度、平古場を擁した浪商が優勝した球場は確か西宮球場である。


よく試合もしたし、想い出もいっぱいある。
中学のときは神戸の中学に通っていたのだが、
その頃、明石高校が夏の予選で明石は雨だったので明石駅で解散したら西宮は晴れていて不戦敗。当時も明石は優勝候補の筆頭であった。

高校は学区制でその明石に移った。
その後、明石の伝統は雨でも嵐でも現地まで行くことになっていて、
ジェーン台風の最中、京都での練習試合に出かけて、大阪を出たところで終日電車の中で過ごしたこともあったりした。


西宮球場といえば、
関西に遠征してきた広島の盈進高校、(後国鉄のショートをした箱田がピッチャーで強かった)との練習試合も覚えている。
そのときは四国からは、後ジャイアンツに行った藤田投手の愛媛からの参加もあって、大阪のどこかの高校と4校での強化試合であった。
その当日、『朝鮮で戦争が始まりました』との場内放送があったのを覚えている。
予選前の6月ごろのことだった。

また、この年の夏の予選、同期の溝畑投手が
『この試合は完全試合でした』とアナウンスされたのも西宮球場であった。
完全試合とは何か? そんなことは解らなかった時代であった。
相手はあの進学校、灘高校、確か5-0だったとチームメートのジャッキに聞いたのはずっと後のことである。あんまり意識もしていなかったし、大したこととも当時は思わなかった。若しもっと点を入れて7点以上になっていればコールドで、パフェクトにはならなかったなとも話たりした。

この夏、明石は全国大会に出場している。昭和25年(1950年)の夏である。

そんな思い出のある、『西宮北口、阪急西宮球場前』 である。



昨日の朝日の夕刊にこんな記事が1面に出たので、西宮球場を思い出したのである。
クリックすると更に大きくなります。

この『西宮ガーデンズのコンセプト』は面白くて、最初はそのことを書く積りだったのだが、
こんなホームページの中の「なるほどガーデンズ」に、『西宮北口,阪急西宮ガーデンズ前』とアナウンスされますなどとあるものだから、(お暇な方は見つけてください)
どんどん野球の話になってしまったのである。

この西宮ガーデンズ、電車の中で
『西宮北口、阪急西宮ガーデンズ前』 と60年前の「阪急西宮球場前」に変わって正規に呼称されるそうである。

阪急ブレーブス、名監督が率いて強かった。
今のオリックスの前身である。

あの西宮球場、競輪場になったときは少しがっかりしたが、
『阪急西宮ガーデンズ』 は much better である。
新しい西宮北口のイメージが創造されるかも知れない。
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競争のない社会?

2008-11-26 06:51:13 | 大阪維新の会、橋下徹氏
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日教組がよくないという話をよく聞くが、日教組の人に会ったこともないし、直接どんなものか見たこともなかった。
一般の人が日教組の人たちと同じ場所で議論することなどなかったのである。


大阪の橋下知事の教育を語る討論会が開催されて、
日教組の人たちと一般の市民とが同席する会合だったので、余計に日教組の異常さが際立ったのかも知れない。
前回のほうがはるかにひどかったであろうことは、記事を見ると直ぐわかる。

今回はその2回目である。
1回目の異常さで世の関心を招いたのか、今回は1700人もの人が集まった討論会となったようである。
その記事を読むと、やはりいろいろあったようだが、前回と比べるとだいぶましだったようである


この記事は産経なので、少しは右よりなのかも知れぬが、
今の小学校の教育で問題だと思うことが二つある。

一つは国歌国旗の問題である。
単純に、国歌を歌わない、国旗掲揚や国歌斉唱に起立しないでは、
国際人として落第である。常識として通用しないのである。
そんな国は、世界のどこにもない。
歌詞がどうこうという言う次元の問題ではないと思う。
今、定められている国旗は日の丸、国歌は君が代である。

もう一つが、『競争の否定』である。
なぜそんな途方もない発想になるのだろうか?
競争をあおることはないが、社会は競争社会なのである。
その中でみんな生きていくのが、普通である。
小学校の『徒競走』まで否定する感覚が解らない。
徒競走でびりの子でも、他の何か得意なことで上位を目指せばいいと思う。


こんなことを言っていたら、日教組は一般市民には受け入れられないと思う。
今回の討論会でも、拍手の大きさに野次がかき消されたとあったが、
日教組のなかで育った一般市民でも感覚的な常識は備わってゆくということだと思う。

思想、信条は自由だが、世界や世の中の常識から遠く外れたようなことだけは、通用しないということを知るべきである。
そういう意味でも市民と一緒の討論会は日教組の先生方にもいい教育の場なのかも知れない。

日教組だけではないが、
医師会でも、道路族でも、各種業界でも、内輪の会合はしゃんしゃんで済むが、
世の中には、常識があるということを忘れてはいけない。


橋下さんは、弁護士だがあまり常識があるとも思えない弁護士会に批判的なのは、
一般社会にそれだけ近いもかも知れない。
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カワサキ馬鹿の集まり

2008-11-25 04:29:26 | カワサキワールド
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昨夜の会合に使った宝寿司は、私の住んでいる緑ヶ丘にあるのだが、
35年も住んでいるのに初めて行くお店である。



何の会合と言えばいいのだろうか。
8人集まったのだが、そのうちの4人の方は初対面である。

カワサキのバイクに関係があり、ひょこむのメンバーが殆どである。
参加者の一人、カバン屋さんは、
楽しかった『ひょこむミーテイングin緑ヶ丘』と題して、昨夜は9時に散会したのだが、
30分後にはこのブログをアップされている。

私にとっては、マイスターのモリチャンを除けばみんなこの1,2年にブログを通じて知り合った仲間である。
みんなブログやバイクを通じては関係があるのだが、お会いしたのは初めてなのである。

私はハードはからっきしダメでもう一つよく解らないのだが、
カワサキZ1000J系のクラブ『J'Lime』 と言う全国から100人ほどが所属しているクラブのメンバーが3人。



1000Jとはこんなバイクである。
ホームページの中のTAKさんのバイクの写真をお借りしたが、
この綺麗なホームページをご自身で作られた専門家のTAKさんと、四国の緑亀349さんと大崎さんである。
このクラブの来年春のの総会をグリーンピア三木でやることになっていて、そのときカワサキの工場見学を計画しているのである。

緑亀349さんが、なぜかharadaさんを知っていて、
姫路でカワサキのレースチームを持っているharadaさんたちがジョインした。

このharadaさんとカバン屋さんは、どちらも故岩崎茂樹君のことを書いた私のブログに、
『岩崎さんにはお世話になりました』とコメントを頂いて繋がったのである。


「カワサキ馬鹿」みたいな集まりだから、初対面でも話は幾らでも通じるのである。
いろんな名前が飛び交ったが、不思議なことにみんな何かで繋がっているのである。

流石に、ハードの話には、私はまったく付いていけない。
なぜ、こんなに詳しいのかと思うほど詳しい人たちばかりなのである。



来春の総会には全国から多くのクラブ員が参加されて賑やかだろうと思う。
マイスター同好会ともコラブレートした何か楽しい企画を練りたいと思っている。
どんなことになるのだろうか?


みんなひょこむのメンバーなのだが、
先日、『ひょこむミーテイングinバンコック』があって、私も誘われたのだが行けなかった。
zosanさん、カバン屋さん、なべさん、月光さんなどが参加されて楽しかったようである。
タイのピテイさんなどの話も出て、昔々タイプロジェクトを担当した私には懐かしい話いっぱいであった。


ブログもいいが、実際に顔を合わせての会話にはとても叶わない。
素晴らしいあっという間の2時間であった。













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カワサキの4輪プロジェクト

2008-11-24 06:18:46 | カワサキ単車の昔話
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先日、胡蝶さんがカワサキの4輪車の写真つきのブログをアップした。

私も初めて見たのである。
胡蝶さんのブログには、昭和35年に開発着手し39年に完成とあるが、私はもう少し前ではなかったかと思った。



そうだ浜さんの本に何かあったはずだと、
浜脇洋二さんの著書 『45歳までにあなたもトップになれる』 をひっくり返してみた。

この4輪プロジェクトの当時の起案者である。
何年に始めたのかは記述がないのだが、本の中から関連するところを抜粋してご紹介する。



『エンジンを活用した仕事というなら、何と言っても花形は乗用車である。やがて道路網が整備されるだろう。そこにカワサキのエンブレムをつけた車を走らせたい。』

『昭和30年トヨタはトヨペットクラウンを発売した。
大衆を巻き込んだ乗用車産業の勃興は昭和33年に発売されたスバル360からといえるだろう。』

『私はその頃、調査部員の立場で明石や岐阜の工場で、乗用車市場進出の夢を語っていた。それぞれの工場では私の話に耳を傾けてくれる人は多かった』

『私は上司に膝詰めで乗用車の夢を語った。そして役員会で提案して貰うから、企画書を纏めるようにと指示が出た。』

『このプロジェクトは、役員会の受けもよく、直ぐ試作の予算が認められた。当時の砂野社長の発案でこのプロジェクトは「KZプロジェクト」と命名された。
カワサキのZ旗であるという意味を込められた命名である。」

『岐阜で車体を、明石でエンジンを試作、私は来るべき販売体制の検討に着手していた。』

『ところが事業化の検討に入ったとき、三菱500とマツダクーペ360の販売開始が発表された。これから設備投資という段階の川崎が一歩出遅れたことは明白だった。
デイーラーなど一切持っていなかった川崎航空機にとってこの出遅れは致命的となった。首脳部は一転事業の中止を決定した。
昭和34年(1955)のことである。』


この本の記述によれば、昭和34年にこのプロジェクトは終わっている。
多分、私のおぼろげな記憶からも、こんな時期であったと思う。



浜脇さんは、このあとブラジルの市場調査、更にはアメリカの二輪市場の調査から、アメリカでのバイク事業の提案をし、自らアメリカに渡ってKMCのスタートが切られるのである。

浜さんは、私より3年ほど先輩である。
入社当時は、本社企画が明石にあったりしたので、よく話もしたし碁を打ったりした。
スケールが大きくて、今までに『この人にはとても叶わない』と思った何人かの人たちの一人である。

後、浜脇さんは川崎を止めてBMWジャパンの社長などもされたので、
いろいろな見方はあるが、
カワサキの二輪事業が今あるのは、
『浜さんがアメリカ市場の開拓をしたからだ』と思っている。

そんな浜さんの若い頃の、四輪プロジェクトであったのだが、
私は、何となく『やらなかったのは正解』と思っている。
若い頃、夢見た四輪事業、メーカーはドイツのBMWではあったが、
BMWの日本市場の開拓に尽力される機会があってよかったと思っている。

私は、今もBMWに乗っているのだが、最初に購入したのは浜さんがBMWジャパンの社長をされた時期からである。


浜脇さんとは、Z1会のゴルフでもお会いしたりする
そんないろいろのことを思い出させてくれた、「四輪プロジェクト」であった。





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今年のプロ野球と来年のWBC

2008-11-23 04:27:46 | スポーツ
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今年のプロ野球は、西武のアジアチャンピオン獲得ですべて終わった。

来シーズンに向けての秋季キャンピやFA、トレードなどに話題が移っているが、
来季のWBCにはみんな関心はありのだろう。


原監督が指揮を執るWBCチームにどんなメンバーが選ばれるのかは、関心事である。

今は候補45選手とか言われているが、誰が入っているのか解らない。
当然、どんなメンバーかということは、関心事なのである。
そんな疑問に『教えてスポニチ』はこう答えている。
解ったような、解らぬ答えのようにも思うのだが。

中日とロッテが、回答をしなかったと問題になっているが、大したことではないと思う。
ロッテのバレンタインは、こういう意見である。
中日の落合監督もこう答えている。如何にも落合らしいと思う。

ヤンキースの松井選手については、ダメというのと、
松井選手を含め大リーグは全員OKという二つに分かれた。

大リーグの選手は、全員出たいと言ったら選ぶのだろうか?
原監督は、若手にもいいのが居ると言っている。


全体の動きについては、NHKヤフーがそれぞれこんな風に言っている。

デイリースポーツは、流石に阪神のことに触れているのだが、
今年のセリーグベストナインにダントツで選ばれた、鳥谷の名前がないのが不思議である。


好きだから、勝手にやっているのだが、これだけ探してリンクするのも、面白いが結構手間である。
ご関心のある方は、是非、ご覧下さい。

NHKによれば、来月15日にはハッキリするそうです。
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落日か日の出か

2008-11-22 04:45:47 | 樋渡啓祐さんのこと
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武雄市の樋渡啓祐氏が、市民病院問題でのリコールで辞職し改めて信を問うことになった。


私は今まで、
『武雄市&樋渡啓祐氏』というカテゴリーで50を越すブログを発信してきた。
なぜ、そんなことになったのか?
少し、振り返って整理してみたい。


ふとしたことから、高槻市のホームページで、樋渡啓祐市長公室長に出会ったのは、
高槻市のホームページが広報コンクールで日本一に輝いた2006年の5月頃か直後のことである。



そのホームページの「こちら部長室」の第1回に
日本一のホームページをめざすと宣言されたのが、樋渡啓祐さんであった。
武雄市長になられてからだが、高槻市のホームページが日本一に輝いた報告に使われた写真は雲ひとつない『日本晴れ』である。


そのコラムに書かれる発想に共感したのである。
これは『物事が実現できる発想でありスタンス』だと直感した。
広報に関心があることも、広報を正確に理解されていることにも、注目をしたのである。

そんな人がブログを始めたこと、また小泉さんの広報戦略を担当した世耕弘成さんもブログを始めたことが、私がブログを始めた直接のきっかけなのである。

高槻から総務省に戻られたのは解っていたが、武雄市長になっておられることは知らぬままに、
書いたブログ『市長公室長樋渡啓祐氏のこと』に武雄市長の樋渡さんからコメントが来て、
直接繋がったのが、私がブログを始めて2ヶ月目の2006年11月のことである。

BIGLOBEサーチの『樋渡啓祐』検索、4640件の中の6番目の『市長公室長樋渡啓祐氏のこと』がそのブログである。
そのブログにはたった一つ、次のようなコメントが寄せられている。
私はまだその頃は、コメントに返信することすら解らなかった、ブログ初心者の頃である。

『 感謝 (樋渡啓祐) 2006-11-24 22:11:26

文中の前・高槻市市長公室長の樋渡啓祐です。
今日、グーグルの配信メールで、「雑感日記」のことを知りました。

私も、挙げていただいた二つの記事は今でもお気に入りですし、今では市長という立場から、同僚職員に同じことを伝達しています。

そのためには自分自身が書いた記事そのものでなければならず、自戒しながら頑張っております。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。 』




樋渡さんの武雄市長になられてからの活躍は、誰もが認めるところなのだろうが、
それでもリコールなどが出るのが政治の世界の難しさであろう。

ブログをおやりの行政の長は今では多いが、
現実にこれほど具体的な事柄を動かしたのは、樋渡さんが第一人者だと思う。
がばいばあちゃんもレモングラスもその他いろんなことも、『武雄市長物語』が果たした役割は大きかったと思う。
そういう意味で、樋渡さんにとっても、武雄市にとっても『ブログの存在』は大きいものだったと思うのである。



樋渡さんのブログのスタートはの2005年5月12日、高槻市の『企画部長物語』である。



その後、その時々で名前も少しずつ変わったが、
これは市長選投票直前の『感動物語』の最終編である
これはそのとき使われている写真の一つである。
なぜか、その変わり目には、太陽や空の写真が使われることが多い。



少しの間『武雄市長物語』という名前とはお別れであろう。
(と思っていたら『前、武雄市長物語』のネーミングとなった。)
『落日か日の出か』
市長最後のブログの写真からは、お日様が消えたが、
いずれにしても、消えてなくなったりはしない。また日は昇るのである。
新たな輝きを持って、みんなを照らしてくれることは間違いないものと信じている。




投票権のないのが歯がゆいのだが、多分今回の選挙も前回の市長選同様、80%を越す投票率という関心の高さを示すであろう。

武雄市民の賢明な選択に期待したい。

樋渡さん、頑張って下さい。
武雄以外でも応援する人たちはいっぱいいます。

(写真はすべて、樋渡さんのブログからお借りしました)
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川航空機工業-2

2008-11-21 04:32:54 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
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昨日、さるとる君のブログで、川航空機工業のことを思い出したと書いたのだが、

丁度、同じころやはり当時の川航を思い出させてくれる、こんなブログが発信された。

胡蝶さんが、「KZ360」と題して、こんな3枚の写真つきで発信されたのである。



実は、私も写真でその形を見たのははじめてである。
カワサキの旧い人でも、こんな写真を見るのは初めてだろうと思う。

これが、川航空機で私が入社当時言われていた『四輪車』なのである。

この記事によると、昭和35年開発着手39年に試作完成とある。
もう少し早かったのではと、思っていたが、丁度この時期は単車をやるかやらぬか、決めかねていた時期でもある。
昭和39年に正式に『単車再建宣言』が永野社長から発せられたのである。

そのときには、確かこの4輪プロジェクトは中止が決まっていたと思う。
初めて、形を見たが結構『イケテル』と思う。

60おじさんが,こんなコメントを寄せている。

『お久しぶりです!
素晴らしい出来栄えですね、カッコいいです。
前方開きのツードアー、リヤーエンジン4人乗り、今風ですね!
トヨタのIQとかスズキの新型(名前忘れた)の様にギリギリ四人乗りの小型車が09年の流行です。
発売していたら、面白かったでしょうね、どうでしょうかね?』

私も、同感である。
最後の 『どうでしょうかね?』 と続くのが、言い得て妙 である。

私も、60さんも、川航空機時代をよく知っている。
この記事を書いた『胡蝶さん』は、はたして川航空機時代があったのか、なかったのか?  微妙な年代ではあるが、川崎航空機の進取の気性を引き継いだエンジニアであることだけは確かである。

カワサキがサーキット専用の4輪車X-11の開発で、私は彼を知ったし、それ以来のお付き合いである。
最近では、250馬力のエンジンを搭載したULTRA250Xの開発設計者でもある。
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川航空機工業-1

2008-11-20 05:08:31 | カワサキ単車の昔話
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私は昭和32年(1957年)に川航空機工業に入社した。
まだ年号に西暦など誰も使わなかった時代である。

川重工業、川車両、川航空機の三社合併があったのは昭和45年(1970年)大阪万博のあった年だから、サラリーマンの最初の13年間を川航の社員として過ごした。


もともと川航空機は戦前からあった会社だったのだが、所謂軍需産業ということで戦後中断があり、昭和27,8年ごろは、ばらばらに疎開をしていたような会社が集まって、再開された会社であった。

そんな中断期間があったからだと思うが、
私が入社した頃の川航空機は、帳簿や台帳などは全然未整備で、配属された財産課では肝心の財産台帳など一切なかった。
計算書だけが存在しているような状況であった。

然し、何となく若さだけはある、今から思えば不思議な会社であった。
戦前からの機械類が山ほどあって、営業収入の足らない月は、その機械を財産課が売って繋いでゆくというまさに売り食いの企業状況でもあった。
その売買価格は、私より年下の同僚課員が戦前の簿価の再評価額から『エイッや』で決めたりしていたように思う。

今でも明石工場は結構広いのだが、私が入社した頃は今の倍ほどもあって敷地内に飛行場もあったり、西のほうはその境界線も定かでなかった。
そのあたりは、戦後、近くの人たちが、食料難で畑にしていて返して貰うのに補償料を払ったりした。
その土地もみんな売り食いして繋いでいたのである。
そして今、その半分ほどの土地があれだけあるのである。


然し一方では、東洋でただ一つのジェットエンジン工場を持ち、米軍も駐在していて、日本のどの企業も持っていなかったIBMもあったし、
『カフテリア』と称するタダで幾らでもコーヒーなどの飲めるアメちゃんのための喫茶店のようなところもあって、それが新入社員でも厚かましいのは入っていけるという自由な雰囲気もあったのである。
あんまり年取った上司もいなかったので、結構若々しいが幼稚な会社であったような気がする。

もともとは飛行機の、明石がエンジン、岐阜が機体を担当していたこともあって、
明石は汎用機のエンジン、ミッション、デイーゼルエンジン、そして単車のエンジンなどのエンジンを中心とした工場であった。


何故、急にこんなことを思い出したのかと言うと、
今朝のさるとるくんのブログに、カワサキロボットのことが載っていたからである。

更に、そのブログにコメントしたら、さるとるくんが返してくれたコメントは、

『rfuruyaさん
ロボットも作ってるんやぁ~とカワサキ技術に感激しました。』
とこうなんです。


あまり知られてはいないが(ホントに誰も解っていないが)、川崎航空機はロボットの先進メーカーなのである。
まだロボットなど、どこもやっていない頃から、生産型ロボットを手がけていた。
マツダやトヨタが、最初に工場ラインに採用したのは、みんな生産型のカワサキロボットであった。
ロボットにソフトの要素やいろんなことが組み込まれるようになるころから、それまでやっていなかったホンダのロボットなど楽しく面白いのが有名になってきた。
逆に川がロボットの先進メーカーであったことなど忘れられてしまったのである。

今、アクアラングに代表される酸素呼吸器などの分野でも、その開発は早かったのである。
ヒマラヤ登山に使われ酸素呼吸器は川製である。そこぐらいまでは知っていたが、アクアラングが幾らか関係があると聞いて自分でもビックリした。
今では病院の酸素呼吸器などで活躍しているようである。

兎に角、ジェットエンジンなどもそうだが、一番最初に手がけるのだが、そのうちに主役が誰かに代わってしまうのである。
ジェットエンジンなども川に勉強に来た石播のほうが主役になったりするのである。
そういう意味では、人がいいのかも知れない。
よく言えば、進取の気性だけは持っていたのである。

あまり企業としては賢いとは言えないのかも知れぬが
そんな自由なほかの大会社にない雰囲気を持っていたし、それが好きだった。


三社合併後の川崎重工業になってからも、造船などの重厚な落ち着いた雰囲気にはどうも最後まで馴染めなかったような気がする。
二輪車やジェットスキーというコンシューマープロダクトで、末端に繋がっていたこともあるが、
元はと言えば、『川航空機時代』の若々しいが少々軽い、イメージで会社生活を楽しめたのは幸いであったと思っている。

もう一つ、このブログのきっかけを作ってくれたブログがあるのだが、
それは明日のお楽しみに。


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大麻で逮捕するならタバコを禁止せよ

2008-11-19 06:09:34 | 発想$感想
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『大麻で逮捕するならタバコを禁止せよ』と題する池田信夫のブログ、
読んでみて各紙などマスコミの論調と全然違うのに驚いた。

下に、ご紹介したのは、ちょっと省略しているが、ほんの短いブログである。

『このところ「大麻汚染」についてのニュースが多いが、大麻の種を10粒もっていたぐらいで逮捕する国は、先進国にはない。

もちろん大麻に問題がないわけではない。しかし、その毒性も依存性も、アルコールやタバコより低い。大麻にこれほど大騒ぎするなら、日本も禁酒法をつくり、喫煙者を逮捕しなければ論理的におかしい。こんにゃくゼリーを禁止するなら、餅の販売も禁止すべきだ。ついでに、あなたを殺す最大のリスクである自動車も禁止すべきだ。

世の中にはさまざまなリスクがあり、それをゼロにすることは必要でも可能でもない。
タバコの社会的コストは5兆6000億円という推定もあり、大麻とは比較にならない。タバコのリスクを「自己責任」で認めるなら、同じ理由で大麻も合法化すべきだ。麻薬ですらない大麻で逮捕するのはナンセンスだ。』

という論調なのである。
20を超えるコメントは殆どが同調者で、異論を唱えている人はいない。

だからなのか、こんな風に追加コメントしている。

『誤解なきよう (池田信夫)
なぜかこの短い記事がすごいアクセスを集め、「はてなブックマーク」のトップを飾りましたが、私は大学生をかばっているわけではない。逮捕するほどの犯罪じゃないといっているのです。

メディアの取り上げ方も「大麻汚染」とか「一流大学生の転落」とか、センセーショナルなものが多い。警察が入ればどんなにたたいてもいいという記者クラブ根性で、大麻の毒性については何もふれない。大麻ぐらいで10年以下の懲役という異常な重罰にも疑問をもたない。救いがたいですね。 』



大麻について、殆ど知識を持っていなかったので、最初見たときは何故?と思ったりしたが、中味を見たり、コメントを読んでみると『なるほど』納得できる点もある。

それにしても、各紙もマスコミ全体が何故こうも同じ論調なのか不思議な気もする。
どこか1紙ぐらい、これに近い意見でもないものかと思ったりする。
一斉に悪者にして、よってたかって集中砲火を浴びせるのが、日本の風潮だが、それにしても一方通行過ぎるのかなと思ったりもする。


まあ、麻薬に近い部類なので、弁護するのは勇気がいると思うが、
せめて、田母神論文ぐらいの割れ方のほうが健全である。
だが、その『田母神論文』
63%もの人が「問題ない』と言う意見だったのには、驚いた。
私のような戦中派だけかと、思っていた。
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野球部OB会のゴルフ

2008-11-18 04:30:39 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
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週末のミニSLに続いて昨日は野球部のOB会のゴルフコンペであった。

最近は小野の播磨カントリークラブで行われることになっている。
先輩の鎌さんの顔で、料理関係が特別サービスである。

播磨は昔々、日米対抗のゴルフが何年か続けて行われた。
確かまだアメリカの若手であったワトソンが始めての優勝を飾ったコースである。
コースレコードは、その頃の青木功が持っている。
長くて難しいこのコースで、64か5である。どんなにしたらそんなスコアで上がれるのか不思議である。

私もゴルフを始めたころで、そんなこともあってこのコースのメンバーになったりした。
数年前に止めてしまったが、一生懸命ゴルフをしていたころのコースである。



絶好の好天でいいゴルフ日和であった。
9番をグリーン側から逆に見ている。
なかなか2オンが難しいのに、2オンしたので、記念に撮ってきた。
右10メートルほどにボールがあるのだが、よく見えない。

最近は、距離だけは結構飛んでスコアはもう一つであったが、どちらかと言えば私よりずっと若手の後輩たちを相手に、ドラコンが取れたので大満足である。
ストレッチが効いているのか、昔より今のほうが飛ぶ。
ただ、飛ぶだけが楽しみのゴルフになっている。



プレー後の懇親会では、先日のOB総会の話が出た。
どんな状況だったと、いろんな話になった。
『翌日ブログで写真つきで流した』と言ったら、それを見ると言うものだから、わざわざこのブログをアップしている。



そんなことで急いで、出席者の写真を撮ってきた。

多分、ブログなど見るのは初めてだろう。
そんなことでOB総会のブログを探し当てるのは至難の業であろうから、もう一度リンクを貼っておくことにした。

これがOB総会のブログです。

ここをクリックして、そのあと次々クリックされると、OB総会の全容が大体解るようになっています。

そんなことで、10人ほどの野球仲間の人たちのためにアップしたブログです。
ほんとに、見てくれるのだろうか?
コメントでもしてきたら、上出来ですが。


どうも他の方は、2度目のブログで、どうもすみません。

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カワサキワールド

2008-11-17 05:50:09 | カワサキワールド
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ミニ鉄道フェスタin神戸メリケンパークは無事終了した。
このイベントの主催をしてくれたのがカワサキワールドである。
そのお陰で、神戸メリケンパークと言う最高の場所をお借りして、開催することが出来た。

ただ、今年は初めての経験だったので、鉄道マニアたちの経験者にカワサキワールドが協力応援をする形であった。
ミニSLの乗車券はカワサキワールドの館内でということにしたので、
このイベントもカワサキにも神戸市にも幾らかの貢献は出来たと思っている。
そんなコラボレートイベントだったのである。

ミニSLなどに乗車される方は、何がしかの費用負担にはなったのだが、
カワサキワールドに入られた方の感想は、みんな予想以上だったはずで『よかった』という感想をみんなお持ちのはずである。

最初に私自身が入館したときもそうだった。
展示台の上に二輪車が並んでいるぐらいにしか思っていなかったのである。


今回のイベントに来られた,ひょこむのトモダチのカバン屋さん はこんな風に、


『到着後、まずはカワサキワールドに突撃しました!

「凄い!スゴイ!すんごい!」です♪ 
あれだけ立派な施設と展示物だとは知りませんでしたよー。

大人目線で気になるのは、やっぱり「カワサキのバイク」展示コーナー♪
いや~まさに神々しい輝きを放ってましたねー!!

次にジェットスキー♪ これが噂の250馬力か!って感動です。
でっかくて、カッコ良かったですー。

新幹線も良かったですねー。なんか椅子が狭いように感じましたが・・私が太ったせいですかね?

そして、鉄道模型コーナー♪
これ結構、子供には一番受けてましたよ。
その横には椅子も有って、子供ハシャイで釘付け&親は椅子で休憩♪
なんともナイスコンビネーションでした。

あと、実体験できるコーナーも良いですねー。

いやはやココまでの素晴らしい内容だとは、正直思っていませんでしたよー。
これからも知り合いが来たら、是非案内しようと思います♪  』



そして、昨日来てくれたさるとるさんは、こんな具合に
『チケットの取得方法を教えてもらいました。
取得方法とは、神戸海洋博物館の中にあるカワサキワールドに入って、その中にチケットがあるということ。

ありゃ。入場料がいる。大人500円、子供250円。
・・・。

ま、いいか。(大変失礼な感想を持って入場したことお詫び申し上げます。)

ところが、入るなり、子供の目も変わるし、僕の目も変わるし、かみ(神)さんの目も変わるのでした。


カワサキワールドは、一言でいうならば、交通博物館のような感じ。
今日のブログ予告は、カワサキワールドの休憩室からです。

子どもが、はまってしまって、カワサキワールドから出ようと言わないのです。

嫌がる子どもの首根っこを捕まえて外へ出て、いざ、「ミニSL」に乗車。
と思いきや、乗車したのは、N700系の新幹線。ーーーーー    』


お二人とも、予想外の感想をお持ちのことはありありです。

『カワサキにもこんな施設が出来るカワサキになった』と言うのが私の偽らざる感想です。

今回のイベント、そのカワサキワールドにボランテイアで説明員を勤めているOBたちが、乗降者たちの誘導をして手伝ってくれました。

来年からは是非、文字通りカワサキワールド主催の神戸の人気イベントに育って欲しいと願っています。


当日の神戸メリケンパーク、いろんな催し物で賑わいました。


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ミニ鉄道フェスタin神戸メリケンパーク(速報)

2008-11-16 04:17:48 | カワサキワールド
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速報の速報がありました。
会場でお会いしたカバン屋さん、早速ひょこむのブログにアップして頂きました。
動画もコメントもついています。
持つべきものはトモダチです。
有難うございました。



このイベントは今年の1月半ば、鉄道マニアでもある福井君に神戸の町にホンモノのSLを走らせたいという話を聞いたのがそのスタートである。
夢のある話、夢みたいな話』だったのである。

可能性は??だが面白そうなので、川重会長の田崎さんに繋いで、直ぐ神戸市の宇崎副市長に繋がって、
ホンモノのSLの前に、『ミニSLで』、『神戸フルーツフラワーパークで』、と言うことになって6月に実施した
『ミニSLフェスタin神戸フルーツフラワーパーク』は大成功であった。

全国各地で開催されているフェスタだが、海の直ぐヨコメリケンパークで、
今回は、神戸海洋博物館、カワサキワールドとも明日は日伯100周年を記念するサンバイベントなどともコラボレートしての開催となったのである。

朝早く300メートルの線路を敷くところから始まった。
午前中は準備、
12時にスタート、心配された天気も、大丈夫で、こんなに楽しいミニ鉄道フェスタでした。

朝の準備風景です。



午後の乗車風景です。



こんな方に出会いました。カワサキの方はよくお解かりと思います。
左から、このイベントの発起人みたいなジェットスキープラザの福井君、
知りませんでしたが、彼が発動機時代の直接の上司、丹波さん、今本部長です。
そしてこのイベントの線路設計も担当している古橋さん、単車の技術本部副本部長なんですが、息子さんも一家揃っての鉄道マニアでもあります。



今日もう一日です。



今、日曜日の朝4時半である。
まだ、雨が降っている。
昼ごろまで続くそうだが、何とか止んで欲しい。

今日は、話題の人兵庫県知事井戸さんも、お見えになるとか聞いている。
是非、晴れてくれることを祈っている。



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