★ 1965年(昭和40年)単車事業がスタートした頃の話だが、
世の中はまだ映画が真っ盛りの時代で、
カワサキの東京の広告宣伝課が日活といろいろと提携し、
映画の中にカワサキを登場させていたので、
日活映画の招待券なども沢山手に入っていたのである。
そんな招待券で明石日活に『風と樹と空と』を観に行ったのは、
この年の7月12日のことなのだが、
7月14日にその明石日活に、この映画の主演俳優の浜田光夫が舞台挨拶に来るという情報を課の女子社員が言うのである。
全く突然の話で、何の約束もなかったのだが、
私は『ダメ元で』と明石日活に出掛けて、
浜田光夫のマネージャーに『カワサキの工場に見学に来ませんか』と言ったのだが、
何の問題もなく『伺います』というのである。
★『風と樹と空と』は、石坂洋次郎の小説で、
1964年に映画化されたのである。
その主演は、吉永小百合と浜田光夫の日活純愛路線で、
多くのファンの支持を集め爆発的人気となっていたのである。
そんな当代の大スターに突然「明石工場に来ませんか」と言ったら、
びっくりするほど簡単に『伺います』ということになって
浜田光夫と松原智恵子の二人がやって来たのである。
そんな突然の話だったが、当時の塚本本部長に対応して頂いて、
その録音を録ろうとしたのだが、録音器を持ち込むのがほんの少しだが遅れてしまって、既に始まっていたのだが、
浜田光夫は、全く自然に『最初の挨拶』から『やり直して』くれたりしたのである。
そんな対応が自然に出来るのは『流石だな』とその時そう思った。
浜田光夫は、全く自然に『最初の挨拶』から『やり直して』くれたりしたのである。
そんな対応が自然に出来るのは『流石だな』とその時そう思った。
そんな話の後、『テストコースで単車に乗りませんか?』と言ったら、
『乗ります』と言われて、テストコースにご案内したのだが、
『浜田光夫が来るらしい』とは、いろんなところに伝わっていたらしく、
テストコースはちょうど発動機工場の横だったのだが、
『浜田光夫が来るらしい』とは、いろんなところに伝わっていたらしく、
テストコースはちょうど発動機工場の横だったのだが、
発動機の女工さんたちがラインを離れて、群がって見に来たものだから、
発動機のラインが止まってしまったのである。
それくらいの人気スターだったのだが、
当時の勤労部長に「突然、浜田光夫など連れてきて」と文句を言われたのだが、
これは発動機の管理体制の問題で、私が文句を言われる筋合いはないと思ったりしたのである。
これは発動機の管理体制の問題で、私が文句を言われる筋合いはないと思ったりしたのである。
然し、今思うと『よくやったな』と思うし
浜田光夫も『よく単車に乗った』ものである。
若し、怪我でもしていたら大変なことだったかも知れぬが、
何の問題もなく上手くいって、
浜田光夫もテストコースで単車に乘れて喜んでいたのである。
どのように『お礼をしたらいいのか?』よく解らなかったが、
3万円を謝礼に包んでいる。
当代のスターにこの金額が妥当だったかどうかはよく解らない。
3万円か?と思われるかも知れぬが、
その年の私のボーナスが6万円の時代なのである。
そのあと、明石日活の劇場の壇上での本番では、
そのあと、明石日活の劇場の壇上での本番では、
浜田光夫は、カワサキのバイクの話を詳しく話してくれたし、
広報担当の私としては大満足の出来事だったのである。
★ 私の行動は、このように突然、直感で動くことが多いのだが、
その殆どの場合上手く行くのである。
そんな中でも、この『浜田光夫の1件』は今思うとよくやったなと思う。
ただ突然のことだったし、何の約束事もない出来事だったので、
この件の広報は一切やていない。
明石日活で浜田光夫が喋ってくれたのはよかったが、
これをカワサキが広報に使うのはダメだなと判断したのである。
外に広報したのは、このブログが初めてなのである。