昨年5月、小池博信君から「豪華川崎GTO青春物語」と題する自分史第1部が送られてきた。
この冊子に詳しく述べられているが、彼は1966年4月輸出部に転籍している。
国内だけの販売から海外へ本格的に動き出したのはこの頃なのだろう。
その動きは二つの流れがあって、
一つは浜脇さんが旗を振ったアメリカ市場でこれは、自ら現地に事業を展開する方向でスタートした。
そして、その後のカワサキの二輪事業を支えたのである。
もう一つが中南米やアジア、中東市場だったが、この地域はアメリカ市場のように順調に推移したとは言えなかった。1975年頃まで苦しい時代が続いている。
これは営業の問題よりもこの地域に合う商品がなかったことが、一番大きかったのだと思う。
アメリカ市場も陰りの見え始めた1976年5月に、
東南アジア調査団による市場調査が行われ、11月には高橋鉄郎さんを長とする市場開発室が新たに組織され、CKD事業への本格的な参入がスタートするのである。
このプロジェクトには、私も企画担当として参画し調査団にも加わり、いろんな経緯はあったようだが、結果は市場開発室にも参加することとなったのである。
市場開発室では、企画と具体的な市場担当としてタイプロジェクトを小池君たちと担当することとなった。
私にとっては、初めての海外であったし英語を喋らなければならぬのも、勿論はじめての経験であった。
この頃の話は、本当にいろいろあって面白いのだが、とても1回や2回では、書きれない。
大型車の、スポーツ車のカワサキばかりが世に紹介されて一般的であるが、
小池君の冊子のネーミングが 「豪華川崎GTO物語」 となっているように、本当にビックリするような展開になるのである。
そんな時代、何の知識もなかったのだが、ただ一心に小池君たちと、日商岩井さんの協力も得て、
はじめてカワサキがCKDの合弁会社をタイに立ち上げることが出来たのである。
そして、小池君の言う「豪華GTO」の時代が訪れるのである。
個々の話はまた別の機会に。