そんな中でも、特に印象に残っている方がいるものである。
「行く道は風なり、オープンくるま生活」と題する、
綺麗なブログをアップされている弁天小僧さんも、そんな中のお一人である。
リンクしたブログの中にも紹介されているが、
初めての繋がりは、名文で綴られた「カワサキゼファーの終焉」であり、
続いて「三宅島の公道レース」でまたご縁が出来たのである。
その弁天小僧さんの、3年間のブログの回顧に、
また「雑感日記」をリンクして頂いて、そこから何人かの方がアクセス頂いたのである。
懐かしくて、「ひょこむ」にお誘いをしてみたら、早速丁寧なメールを頂いた。
一部割愛して、ご紹介したい。
コミユニテイのお誘い有難うございます。
『行く道は風なり…』のブログ管理者 弁天小僧です。
『ひょこむ』の存在は以前よりrfuruya1さんの雑感日記をを拝見していて、その存在は知っておりました。そしてお誘い頂き恐縮です。
私は16歳でカワサキAR50にはじまり、Z400FX。そしてザッパー系の空冷GPZ750を2台乗り継ぎ今の750ターボ…とカワサキのクルマを乗り継いできました。
私のオートバイの楽しみのひとつに自由と冒険心。
4輪では味わえない非日常の世界。
太陽の光を全身に受けながらはしる歓び。
時に、悪天候のなかずぶ濡れになって走るあの悲惨さ。
だけどそのどれもが私にとっての大きな実体験。
移り行く季節の匂いを感じ
自然と対話を楽しむための道具としてのオートバイ。
その走りにはいつも自己責任と自己管理が問われます。
そんな厳しさが私の心を捉えて離しません。
そして、もっと別の意味で
オートバイの持っている無限の可能性を信じる
きっかけになった出来事が…あの阪神淡路大震災でした。
震災直後、すぐに芦屋に住む両親に電話をかけ
安否を確認するとともに
東京からカワサキの荷台に食料と水をしこたま積んで
すぐに東京から現場にかけつけました。
尼崎をすぎて西宮に入る辺りから見た瓦礫と化したビルや家屋の悲惨な光景。
その変わり果てた姿にただ呆然とし、震えが止まりませんでした。
国道2号線は交通規制がかかっていて一般車両は締め出し。
支援物資を運ぶために交通規制が敷かれているなか
幹線道路から外れて裏道を西に突き進み
瓦礫で埋まった道路をなんとかかきわけ
両親の住む実家までたどり着きました。
幸い大きなケガもなく元気な二人の顔を確認すると
ご近所の倒壊した家の救出作業に加わりました。
その時改めて実感したのが
災害直後の混乱した現場で救命活動を行うには
2輪車でなければとても無理だろうということです。
その機動力と俊敏さに無限の可能性を秘めていると。
オートバイは私達の心を豊かにするし人の命を守ることもあるんですね。
その時、心からオートバイ乗りでいて良かったっと。
あれから13年。
あの時、命の水を運んだ84年式のカワサキGPzは
今はもう手元にありませんが
私にとって忘れることの出来ない想い出の愛車です。
今年で5歳になる息子がおりますが
ようやく補助輪がとれて今、自転車に夢中です。
いつか…『オートバイが欲しい』と言う年齢になったら
この震災の時の話しと
オートバイの話しを聞かせてあげようと思っています。
もちろん親子で『カワサキ』です。
港町・神戸にSLの汽笛。
震災の面影はもう少なくなりましたが
神戸に新しい息吹をもたらしてくれそうな
壮大な計画ですね。
私も影ながら応援させて頂きます。
お誘いありがとうございました。
「ひょこむ」での私のトモダチも100人を越えた。
こんなにオートバイに愛情を注いでいる弁天小僧さんんにも、昨日ジョインして頂いた。
『カワサキワールド』の楽しく素晴らしい世界をみんなと一緒に、造り上げたいと思っている今日この頃である。