雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

大晦日に思っていること

2008-12-31 03:25:19 | 発想$感想
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とうとう今年も今日で終わりである。
明日からはまた新しい年が始まる。

この年になると、もう20回もこんな年越しの機会を持つのは無理だなと自然に思う。
一方で、後10回ぐらいは大丈夫だろうと勝手に思ったりもする。
しかし、本当は明日の運命もわからずに生きているのである。

結構面白い人生を好きなように歩めたのがよかったと思っているのだが、
世の中には、なぜか、『好きなように』歩めている人は少ないようにも見える。
聞いてみると、みんな、不満を持っているように見えるので、そう思うのである。



世の中、自分の思うようには動かない。
これは確かである。
常に与えられた環境立場の中で、
出来ることを好きなようにたって生きるのが一番だと思っている。

75年生きてきて、いろんなことを、いろんな環境を経験したが、
ただの一度も自分の立場に『不満を持ったことはない』

好きなように生きる秘訣は、『何になりたい』とか『お金を儲けよう』などとは思わずに、
『与えられた環境、職務、立場の中で』自分が思うとおりに行動することだと思っている。

それ以上のことを欲張って望むのが、『不満の源泉』になるのだと思うのである。
企業でも、どんな組織でも、与えられたことをちゃんとやればいい。
どれがよくてどれが悪いなど、ないのである。
職位で言えば、社長でも、平でもホンとは仕事の面白さはそんなに変わらないのだと思っている。

歩いた経験から言えば、職位の低い時のほうが好き勝手にやれるのである。
平のときに面白くやれない人は、社長になってもそんなに面白くは、過ごせないものである。


とここまで書いて、カバン屋さんのブログを見つけました。私と同じスタンスです。
これは、このHPには載っていないひょこむのブログですが、こんな風に、今年を締めくくっておられます。その一部をご紹介します。

『 思い返して見ますと・・・今年も「良い年」でした♪
そう考えてみますと・・・生まれてからずっと「良い年」のような気がします。
これは、きっと「嫌な事柄は直ぐに忘れる!」カバン屋の性格が影響してると思います。

また今年は「ひょこむ」のブログのおかげで、随分と良い息抜きが出来ました。
いわゆる「ひょこむ内」だけへの公開ブログですので・・遠慮なく記事を書けます。
これは、本当に良い息抜きと言いますか、ストレス解消になりました。
おかげ様で、沢山のお知り合いが出来、またバンコクひょこむミーティングにも参加し、
ひょこむを通じて、楽しいことが盛り沢山だった1年でした♪
ひょこまーの皆様、本当にありがとうございました。』

と、勝手にひょこむ内の記事を世界に発信しています。
ひょっとして、『いやな気がしても』直ぐに忘れていただけると思うので安心です。


(加古川の川原から沈む夕日を)

この2年ほど、ブログやSNSのお陰だが、また新しいいろんな人との出会いがあった。
楽しく、面白い人に数多く出会えた、
社会的に地位の高い市長さんにも、
来年社会人になるという学生さんにも、
いろんな人との新たな出会いが、自然に私の立場を作ってくれて、その中で勝手気ままに、好きなように動いてきた。
それなりに、面白いことが出来ている。


1年経って、その間の実績が、また新しい環境を作ってくれる。
この1年、みんなと一緒に作ってきた私の環境は間違いなく昨年よりは進歩した。
これはみんなとの協働作品なのである。
それをベースにまた来年、面白いことが好きなように出来ればと思っている。

今年の大晦日を迎えて、お付き合い頂いた皆さんに、
突き進む勇気を与えてくれた、ブログの読者の皆さんに、感謝である。

皆さん、いいお年をお迎え下さい。


こんな風にも思っていました。
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残り少なくなりました

2008-12-30 04:14:41 | 発想$感想
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今年も本当に残り少なくなりました。

今年は、春に例の『後期高齢者』になりました。
クルマにもみじマークを貼りました。
どちらも、年寄りいじめのような感じで、世の中には受け取られたようですが、
私はどちらも、すらっとそのまま受け止めて、特にいろいろ言われている感じは全然なかったというのが正直なところです。

自分で75才になったという、実感がないからだと思います。



今年は特に、若い人たちと一緒に行動しましたし、
久しぶりに、自分でイベントを起案したり,実際に実行したりして、本当に若返っていたのだと思います。

1月に話の出た、鉄道マニアたちとのお付き合いは、その準備のための神戸市との交渉に始まって、3月、5月、6月、11月と大小取り混ぜたミニSLのイベントに何となく関わったりしましたが、全国のマニアが集まったり、久しぶりに川重やカワサキワールドとも関係が出来て、ハリがありました。

4月にこれは自分で企画主宰をした『どこ竹の竹とんぼを飛ばそう会』もいろんな人たちとの新しい出会いも出来て、そんな人間関係がまた来年に繋がろうとしています。

ブログも3年目に入りましたが、毎年読者も増えて最近は400を割る日は殆どないそんな状態になっています。
バイク関係が、やはり多いのかなと思ったりしますが、検索ワードなどを見ると、横へ広がった感じがします。

SNSは、実際に動いたのは、今年からですが、前半はカワサキ関係、後半は三木関連が多くなりました。
これは間違いなく来年につながりそうです。

非常に不思議なのですが、ゴルフはスコアはもう一つだったのですが、ドライバーはゴルフをやりかけて、一番安定していますし、距離も出ていると思います。
アプローチとパットをいい加減にしているのを直せば、スコアはよくなると勝手に思っているのですが、集中力がないのは、やはり年のせいかも知れません。
ショットがいいのはストレッチのお陰です。
これは間違いなく、今が生涯で一番身体が柔らかい状態です。



そんなことで、結構若い気持ちでいますし、
この年末、来年への向けての想いもいろいろと、具体的にあって、非常に充実した新年を迎えることが出来そうです。

こんなブログを書いていますが、1月10日、ひょこむの仲間が集まって『新年会』を開きます。
『新年会』など、引退して以来初めてです。7,8年忘れていました。

来年は、何かが期待できる充実した年になるかも知れません。
そんな年末の感想です。 年齢はあまり関係がありません。
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樋渡さん、おめでとうございます。

2008-12-29 04:32:34 | 樋渡啓祐さんのこと
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一足先に、新春、新しい年を迎えたような心境です。

樋渡さんおめでとうございました。
日本全国の樋渡さんファンともども喜びを分かち合いたいと思います。



また日は昇りました。

得票差があまりなかったのが、遠くから眺めているものにとっては、ちょっと意外であったのが実感です。
対立候補者の古庄さんを存じ上げないからでしょう。
今回古庄さんを応援された方たちも、
戦いが終わればラグビーの精神と同じ『ノーサイド』です。

素晴らしい武雄の町を、みんなで新樋渡市長を支えて創りあげて欲しいと思います。

少し離れた三木からですが、以前と変わらぬ応援をしたいと思っています。

樋渡さんはじめ、武雄の皆様、
お疲れが出ませんように、いいお年をお迎え下さい。




二度目の『武雄市長物語』 見るのが楽しみです。

新聞に
「独断、性急」ともいわれる政治手法への批判も徐々に顕在化。急激に追い上げられる展開にーーーーーーー
などとありましたが、

素晴らしい感性の『独断、性急』こそが、『樋渡啓祐の魅力』だと思っています。
これが、なくなれば『ただの市長』『普通の地方行政』になってしまいます。
『独断、性急』に魅力を感じる人も多いのですから、
是非、是非、貫き通して欲しいと思います。

ずっと昔、小野田滋郎さんが私に贈ってくれた言葉、
『雑音に耳を貸すな』を再びお贈りしたいと思います。
武雄の市長としては当然ですが、
武雄以外の、日本の地方行政のリーダーとして期待しているのですから。
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GIGAZINE  ギガジン

2008-12-28 04:05:16 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
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今日はもう一つよく解っていない話だが、何となく面白そうな話である。

いつも見ている大西宏さんのブログに載っていた話である。
話の内容は、あちこちの新聞にも報じられた、あのマクドナルドのことなのだが、
ざっとこんな記事である。


マクドナルドの苦しい弁解 と題して


「クォーターパウンダー」売り出した際に、人材派遣会社を使って行列を演出したことが発覚し話題になり、マクドナルド側はマーケティング会社に対し「商品の品質やサービス内容のモニター調査をしたい」と依頼し、マーケティングのために約1千人のアルバイト契約を結んだとやらせ否定しているが。」

それは違うだろうと言っているのである。
こんな広告をチェックして流している、『GIGAZINE』を見逃しているので、あんなおかしな言い訳をしたのだと指摘しているのである。


「新商品を並んで買って食べるだけ」の短期アルバイトが登場、時給は1000円

『マクドナルドの人たちは、新聞とかテレビなどのニュースしかチェックしてなかった可能性があります。
今どきは、ネットを検索し、ネットでの反応も含め、どういったことがネットに流れているのかとチェックするのは常識だと思うし、チェックしていれば、
膨大なアクセス数を誇るGIGAZINEの記事を見逃すわけが無く、モニター調査だったという苦しい言い訳をしないで済んだと思いますね。』


ここまで読んで、『GIGAZINE』とは何か?
全然、想像も出来なかったので、調べてみました。

こんなサイトです。
どうも、不得手な感じのサイトですが、
11月のアクセス数などを見ると、
ページビュー   4659万ページ
ユニークユーザー 1418万人
と、とてつもない数字が並んでいる。

更に、中味を見たら、いろいろと詳しいのだが、新聞などには載っていない話題が多い。
こんなサイトをこんなに多くの人たちが、覗いているのである。

マクドナルドの1000人も単なるアルバイトで、マーケッテングなどではないのは、こんなのをチェックしていたら解ったはずだと言うのだが、
私が知らないだけで、こんな 『GIGAZINE』などが存在することは、
例えば、行政の企画や大企業の企画部門は解っているのだろうか?

私の身近なところでは、三木市役所は? 川崎重工業は? KMJは?
マクドナルドが知らなかったら、知らない公算が多いと思うのだが。

どうでしょうか?
私は、一応お気入りに入れました。

ネットの世界も、本当に凄いです。
新聞など活字の世界とは全く違った次元だと思う。
パソコンなど現役の頃は、全く無縁であったのだが、4年ほど前からふと始めたのである。
私自身も、全く別の世界を経験している今日この頃である。













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樋渡さんの選挙

2008-12-27 04:09:37 | 樋渡啓祐さんのこと
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正確に言えば、『武雄市の市長選挙』 なのだが、
あえて言えば、
『樋渡さんの選挙』のような気がする。
相手の方がどうこうと言うのでなくて、樋渡さんをどう思いますかという信任投票でないかと、思ったりする。

樋渡さんならではの、選挙の様相である。
現場は知らぬが、ニュースなど情報を見る限りは、普通の市長選挙ではない。


三木市妄想連合会のさるとる君と熱血漢丸坊主クンが三木からわざわざ武雄まで応援に行ったりした。
行くほうも行くほうで、ビックリだが、

さるとるくんがそのブログで、
『地方の選挙ですよ。
その選挙に、このテレビカメラですか。仰天です。』と紹介した写真にもまたビックリしたのである。
これがその写真である。



確かにこれは異様である。
なぜもこうマスコミが集まるのか?
この事実だけで、相手の方を存じ上げないので余計に、不信任などあり得ないと思ってしまう。

遠くから応援に駆けつけたのは、
三条の国定さん箕面の倉田さんだけではなしに、
他のまちから応援に、それも我がことのように熱心に駆けつけるこんな方、などいっぱいおられるようである。



樋渡さん先行と佐賀新聞は伝えている。

市民病院問題だけなら、民営化がいいのかどうか意見が分かれるのはよく理解できるが、
対立候補の方が2期8年おやりになっても、どこにあるのかも解らなかった武雄が、
報道カメラが乱立する全国区の武雄に3年間で様変わりしたのは、
『間違いなく、これは樋渡さんの功績である。』

武雄の方たちも、よく冷静に考え判断されるべきだと思っています。
どう考えても、市民病院問題など沢山ある市政の「one of them」で、
武雄市が全国区であるほうが、すべてのことにいいに決まっています。


樋渡ファンの1人として、武雄市の市長選挙は、樋渡さんの信任投票であって欲しいと願っている。


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メーカーグループのソフト会社

2008-12-26 04:54:42 | カワサキ単車の昔話
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川崎重工業はメーカーである。
所謂、製造会社は物を作ってそれを販売するのが本業である。

そんな川崎重工業のグループの100年以上にもなる長い歴史の中で、
モノを売るのではなくて『遊びやソフト』を売る『ソフト会社』あった時期がある。

たった、10数人の会社だが、結構注目された会社に育っていた。
1989年初めに設立された(株)ケイスポーツシステム、通称KSSがそれである。その設立に、熱心に関わった1人である。

そして、この1,2年。当時と同じ想いで、いろんなことをやっている。
これは結構楽しい仕事である。体よりもアタマさえ使えば何とかなるので、ある意味年寄り向きである。

カワサキのユーザークラブKAZEやレースチームチームグリーン、SPA直入など二輪レース関連やジェットスキーのカワサキワンメークレースのJJSBAの運営などもフォローした。
後半は、二輪専門の自動車学校なども設立運営をした。
そして、何よりもそれにまつわるまず多くの『ソフトノウハウ』が個人にも会社にも蓄えられたのである。



8年ほど続いたが、今は改組されてKAZEもチームグリーンも自動車学校もKMJの組織の中の一部門として、今も上手く運営はされているが、当時のシステムの上で、当時と殆ど同じことが続けられているだけのようにも思えてしまうのである。

こんなソフト会社の経営は、それこそ『絞り込んで考え続ける』創造、アイデア勝負である
誰にでも向いているわけではない。日本人は原因のあるものの対策のほうが得意である。
自分たちで考え出して、『ホンモノ』を常に作り出さない限り会社の存立もなくなる状態と、単なる一部門での運営では、その厳しさは異質のレベルなのである。

当時のこのプロジェクトを推進してくれたには、
南昌吾常務以下、渡部、西川君らなのだが、今年でKAZEももう20周年を迎えている。みんな卒業してしまって、人にたまったノウハウもだんだんと薄れていくような気がしてならない。

九州のオートポリスの運営はレース関係者などから秘かに評価されていたが、
それは渡部君の個人としてのノウハウ、ソフトが大きかったのではないだろうか、と思っている。



モーターサイクルやジェットスキーは遊びの道具である。
メーカーはそれを造り、販売会社はそれを売っている。
そのモノを使っての高質な遊びの世界を演出し、モノを使うユーザーの楽しみを倍加させるそんな『ソフト活動』こそが大事だと思っていた。

『そんな世界を造りだすことで、モノは自然に売れるはずである。』

どちらかと言うと、こんな考え方や発想は、ハーレージャパンの奥井さんに受け継がれて、ハレージャパンの素晴らしい世界に繋がっていると思っている。
90年前半、ホンだの親しい人が、『カワサキに10年遅れた』とお世辞でも言ってくれた。カワサキにもそんな時代があったのである。


先日ちょっと岩城滉一とのお付き合いのことを書いたが
当時の南君がずっと対応してくれた。
あの雰囲気で、あのKSSがあったから、あの大スターたちとまともに付き合えたのだと思っている。
いま、同じようなことが出来るだろうか?
人のソフトとかノウハウの世界は、なかなか物差しでは計れない世界である。

振り返って思えば、岩城滉一と付き合えたり出来たのは、外から見てもそんな雰囲気がカワサキにあったのだと思う。

メーカーにとって、一番不得意の分野であることは、良くわかるのだが、
100年に1度と言うこんな経済危機の時代にこそ、
単なるモノの価値ではなくて、『イメージ』や『ソフト、ノウハウ』は機能すると思っている。

でも、これは『奇人、変人の世界』なのかも知れない。

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トヨタが赤字だという話から

2008-12-25 03:21:48 | 発想$感想
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昨日は、あのトヨタが一転赤字だというニュースが各紙の一面を飾った。

クルマが社会も経済も引っ張ってきた時代は終わるのだろうか?

私がまだ学生の頃は、石炭産業もまだまだ盛んであった。
その後、糸偏ブームもあった。
先日、久しぶりに加古川の町を歩いたが、昔女工さんであふれたという商店街は、今は閑古鳥が鳴いて、年末商戦で人集めに躍起であった。
ニッケの工場跡は整理されて跡形もなくほかの新しい商業施設が生まれていた。

世の中は、どんどん変わる。
あの、アメリカのビッグスリーが危ないというのである。
日本の自動車工業も影響を受けないはずはない。


なぜ、こんなことになるのだろうか。
三木のような田舎にいると、まだまだ、クルマは便利である。
クルマなしの生活など考えられないが、都会ではもうホントに要らないかもしれない。

たまに、神戸などに出ると、クルマが邪魔になる。
第一道を通るのにお金が要る。駐車するのにまたお金である。
それでいて、渋滞で思うように走れない。
欧米のように、自分で大丈夫と思う範囲なら、ビールも大丈夫だというお国ではない。ちょっとでもアルコールが入ると、何十万の罰金である。
自分の家に駐車場がないとまたその上にお金が要る。

そして、今時クルマを持っていなくても『恥ずかしくない』のである。
ひょっとしたら、これが一番大きいのかも知れない。
クルマは結構金が掛かる。車を手放してタクシーをふんだんに使っても、多分そのほうが安いだろう。

大型ではなくて、トヨタIQが売れるというのも、その機能からだけで言えば、大型車は要らないのだろう。
若い人たちも、就職の条件に必要なので免許はとるがクルマは買わないとか。
そんな風に世の中が変わってきたのである。


そんな世の中の変化を、こんななところから予想できたのではと言う分析は面白かった。

アメリカのネットの検索数の変化である。
青色がトヨタ、赤色がホンダ、後は日産とフォードである。
ざっと、こんな風に分析している。
間違いなく右肩下がりのトレンドであることは間違いない。


『自動車産業が窮地に追い込まれていますが、売上げ高を伸ばそうとする強気の経営が、急激な需要減と想定外に進んだ円高で裏目にでたことになりました。円高のほうは企業努力で克服できる問題としても、需要減はそうはいきません。
さて自動車の需要ですが、気になる記事がありました。自動車に関係するインターネットでの検索状況の推移に関してです。』

それを読みきれていなかったマーケッテングの問題だと言いたいのだろう。

『まず、検索ワードが、トヨタ、ホンダ、日産、フォードの4ブランドの検索数がいずれも減少してきています。
逆に、ハーレイダヴィッドソンが前年の55位から38位に、smartcarが241位から78位にランクアップしているそうです。』
四輪から二輪へ、小型車へのシフトが見られるというのである。

『金融破綻からくる不況を待つまでもなく、自動車に関する検索数で落ちてきたということは、米国での人びとの車への関心が、次第に薄れ、また関心事にも変化が生じてきていたということなのかもしれません。

日本では、若い人たちの車への関心が落ちてきたといわれていますが、米国でも車そのものへの関心が落ちてきたとすると、自動車そのもののあり方も大きな転換期を迎えてきているということでしょうか。 』


とこのように分析している。
トレンド、移動値での経営分析を怠った結果ではないかと言うのである。
台数や売上高は、多分こんな傾向になっていないのだと思う。

そうではなしに、人々のクルマ離れの心理を『ネットの検索数』から捉えてみようという切り口は、非常に斬新で興味ぶかい。

こんなデーターがあることも、アメリカがマーケッテングの先進国だという現れであろう。
ただそれに、人間がついていけていないのである。








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そのときだけそのことを考える

2008-12-24 04:23:20 | 発想$感想
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『そのときだけそのことを考える』

エライ人がが集まって、『検討会議をする』
例えば、役所の部長以上が集まる庁内会議などで「何かの検討をする」のがそうである。
そんな時給の高い人は、物事を決めればいいのであって、分かりもしないことの検討など高いコストが掛かるだけで、殆ど時間のムダである。

ずっと以前だが、『そのときだけそのことを考える』と題して、こんなブログをアップしているが、最近も同じ想いをすることが多いので、そのまま再掲してみる。

会議ばかり時間をとられて二言目には『忙しい』と仰るるエライ方に是非読んで欲しいのだが、そんな方に限って『忙しくて読む暇もない』し、
ましてや、
『絞り込んで考え続けるる時間』などとてもないのである。

そして、部下には『発想の転換』を求めたりするのである。
これは、行政の世界だけではなくて、民でもよくある話のようにも思うのだが。






自分の想いを、きっちりと表現することは意外に難しい。
そんな表現を本当に 「きっちりと表現される」、 服部吉伸先生とはご縁があって現役の頃、直接ご指導も頂いた。

当然のことながら幾つもあるのだが、その中の一つ

「世の中には原因のある問題と原因のない問題との二つがある。
原因のある問題は、原因の追求、把握、対策という思考ステップで課題を解決する。
原因のある問題点の解決に必要な能力は創造力とは呼ばない。

創造力の源泉はアイデアであり、思考ステップの特徴は『絞り込んで考え続ける』ということである。」



世の中の会議などで沢山の人たちが集まり議題の検討をする。
普通一般のことではあるが、あまりいいアイデアとかなどは出ないのが普通である。

その時間だけ、その問題を考えるのでは思いつきだけで、 「いい考え」 など出るはずはないと現役のときずっと思っていた。

専門に検討している人たちが集まるとか、雑談的に何度も会合を重ねるとか、
ある一人の考え続けたアイデアに沿った検討をするとか、
とにかく、絞り込んで考え続けない限り 「創造的なアイデア」 とか「差別化された事柄」 は出てこないのである。



然し、現実には沢山のいろんな立場の人が集まって、
その時だけそのことを考える 「思いつき会議」が横行する。
そして会議が終了するとそのことについては忘れてしまっている。
時間と労力の浪費,無駄だと思うが一向に改まる気配もない。

むしろ、そんな風に思う人、例えば私が変っているのである。
私のこんな考えは、会議を絞り込んで考えた末の結論である。



では会議は機能しないのか。そんなことはない。
方針伝達とか現状の共通の理解とか、余り考えなくてもいい事柄の徹底や「会議で決めたという手続き」などには十分に機能すると思う。



大体、世の中には 「創造」 だとか 「差別化」 などには余り関心のない人のほうが一般的なのだと思っている。
なのに 「創造力」 などというと何となく聞こえがよくて、立派なことのように思い過ぎているのではなかろうか。
これは、特殊能力で 「少し変った人でないと発想できない」 種類のもののような気がしてならない。
変った人、絞り込んで考え続けることの出来る人には、そんなに大したことではないのである。


服部先生の仰る通り、
原因のある問題の解決には、普通の人たちが手順を踏んで検討すれば物事は解決するのだが、
原因のない問題についても、同じスタンスで解決しようとするところに問題があると思う。

創造的な事柄については、絞り込んだ人のアイデアに沿って、
そこに何かを加えたり味付けしたりすることにする方が、現実的だと思う。


然し、「その時だけそのことを考える」 会議や会合が多すぎる気がしてならない。





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日本のサッカーも強くなった

2008-12-23 04:28:39 | スポーツ
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ガンバの攻めるサッカーが、世界に通用したように思う。

クラブの世界一を決めるサッカーワールドカップ、
マンチェスターUとガンバが勝って、それぞれ世界一と3位になった。

一昔前なら、絶対に考えられないことである。
ガンバは、世界一になったマンUにも3点を取るなど健闘した。

ガンバの攻めるサッカーが、世界に通用したように思う。
相手はメキシコのクラブ、昔なら間違いなく1枚も2枚も相手が格上なのだが、
最近では、少なくとも同格、ひょっとしたら当然日本とも思えるくらい日本のサッカーも進歩した。


昨年の浦和についで、世界3位である。
試合後、西野さんは、『あくまでもCWCの3位ですから』と強調していたが、
確かにその通りだが、欧州、南米などの各大陸の中で、日本のJリーグの実力は相当のレベルにあることは事実である。

ガンバはJリーグでは、今期8位であった。今戦っている天皇杯に優勝しない限り来年度の予選には出場できないのである。
来年度の予選には、天皇杯の優勝チームと今期Jリーグの3位までの3チームである。
どこが出ても、そこそこのところまでは行くだろう。


こんな外人も入ったクラブチームと、日本のA代表とどちらが強いのだろう。
マンUなどを見ていると、代表チームより強いような気もする。
ガンバなどでも、攻撃の連携の息の合い方などは、常に一緒にやっているもの同士の『阿吽の呼吸』みたいなのがあって、A代表より上ではないかと思ったりする。


あと5年経ったらどうなっているのだろう。
今から5年前と、比べたら南米やヨーロッパとの差は確実に縮まっていると思う。
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百貨店とコンビ二とトヨタiQ

2008-12-22 04:17:41 | 発想$感想
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百貨店といえば、昔のイメージは、なかなかよかったし独特のものがあった。
屋上には遊園地、大きな食堂もあって、買い物をするなら百貨店、一家で日曜日に出向くのも百貨店、結構な集客力があったと思われる。

神戸で言えば大丸がアタマ一つ出て、その立地からかそごうが続いていたそんな印象である。
私の子供の頃は、三越だったのだが、神戸の中心が三の宮のほうに移って、その維持も難しくなって止めてしまった。
昔より今のほうが大きくなっているのはハーバーランドに新しく出来た阪急だけである。

そんな変遷はあるのだが、最近、個人的には百貨店でモノを買ったことがない。
私一人が買わなくても大したことはないのだが、
今年は百貨店の売り上げが、『コンビ二』に抜かれるそうである。

もうとっくに抜かれているのかと思ったが、そうでもないのである。
こんなグラフである。



百貨店の店舗数は全国でどれくらいあるのだろうか?
減ったといっても、12兆が8兆を割る水準だから、まだ相当の売上高である。
ただ、今後この売り上げが回復基調に乗ることは、今のコンセプトでは難しいのだろう。

そういう風に、分析され解説されている。

ところで、便利さを売り物にするコンビ二は、何店舗ぐらいあると思われますか?
先日の、講習会で A.小学校 B.コンビ二 C.NPO法人 多い順に並べてくださいというのがありました。

小学校、23000 NPO法人 30000 コンビニ 41000 だそうです。
コンビ二が4万店もあるのはビックリしましたが、一時期オートバイ屋もそれくらいあったかも知れません。
もうこれ以上はあまり増えないのかとも思っている。
講師の先生が言いたかったのは、NPO法人が3万もあるという時代の変化である。

個人的には、百貨店からもコンビ二からもモノを買わないのである。
兎に角、あまり金を使わないし、使いたくもないというか、モノを買う意欲が湧かないのである。
今度金を使うとすれば、車か庭や家の改修か、旅行は犬を飼うのとどちらがいいか考えている。

よく考えてみると、日本人はホントに消費したい年代のときには手元不如意で、余裕が出来ると金の使い方が分かっていないというか、貯金が趣味みたいになって、金を使わないのである。

こんなに、景気が悪くなって消費を刺激したいのだろうが、年配者の財布の紐を緩めさせる政策がいるのではないだろうか?

それはコンビニよりは百貨店のような気もするが、パソコンを使える年よりは今後増える一方である。
百貨店もその辺りはねらい目にして、売り方など基本的は発想を変えて、何か新しい方向を考えてはと思うのだが。


話は変わるが、
今トヨタもホンダも、世界的な不況で自動車産業は軒並み減産である。
クルマなど、売れぬ世の中になっているのだと思ったら、
今でも無茶苦茶売れてる車もあるのだとか。


最近は、関心もなくなってどんな新車が発売されているのか知らなかったが、
今朝のマイスターのモーニング集会に、モリチャンがトヨタiQに乗ってやってきた。
7月に注文してやっと何日か前に入ったそうである。
今時5ヶ月も待たせているクルマもあったのを知って驚いた。

ちょっと乗せて貰ったが、なるほどいろいろと考えている。
リッターー20キロとか、安全装備とか。
やはり、ユーザーの求めているものは何か?
そんな、ホンモノのマーケッテングが要るんだなと思った。
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岩城滉一とのお付き合い

2008-12-21 04:10:37 | カワサキ単車の昔話

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昨日、カバン屋さんが、ハーレーのことなどに触れたブログを書かれていました。
悔しいけど、全然中味が理解できません。
最後の岩城滉一のことだけ、何となく解っています。そんなことでひょこむのブログで途中まで、次のように書きかけました。



93,4年ごろだったと思いますが、もう少しあとだったかも知れません。
東京のKMJの事務所に、
カワサキの二輪でレースをやりたいと独りでやってきました。
私は『岩城滉一』って知りませんでしたが、女の子たちが騒いでたので、人気スターだとは直ぐわかりました。


彼が最初に言った言葉、『私は韓国人です』が、今でも非常に印象に残っています。
彼は韓国を非常に誇りにしていましたし、家族や父を大事にする韓国の風習をずっと大事にきっちりと守っていました。
同じように自分たちの、バイクや俳優仲間を大事にしていました。

奥さんのアンナさんは、特に大事にしていたと思います。
酒は飲みません。どこにいても夜8時ごろには必ずアンナさんに電話をします。

彼が有名なジェットスキーの前田一竜君の仲人をして、
東京であったその結婚式に招ばれたのですが、
そのときお会いしたアンナさんはなるほど『大事にするはずだ』と思うほど綺麗でした。
いつもは豪快そのものなのに、仲人の挨拶では、少し上がっていたのにはあとで自分でも照れていました。

そんな、一般の岩城のイメージと、『ちょっと違った印象』を私は彼に持っています。



カワサキとは二輪はレース、ジェットスキーは遊びでモノは提供しましたが、
あくまでもスター、タレントとしてではなくて、
カワサキの一ファンとしてのお付き合いでしたから、金の契約などは一切なしで2年間ほどカワサキと一緒に遊んだり、イベントの手伝いなどやってもらいました。

二輪は月木レーシングで多田君などがライデイング指導したり、鈴鹿8耐で月木の総監督をしたり、ゼファーのワンメークレースに出場したりしていました。
月木さんが一番一緒にいた時間が長かったのではと思います。

SPA直入で二輪で走ったり、横のゲレンデでジェットスキーに乗ったり、カワサキの4輪車X-11に乗ったりしていました。

非常に律儀で、カワサキの新年会やイベントには、清水宏次郎や木村一八など仲間を連れて参加してくれて、それが全部ボランテイア?でしたから。マネージャーは、大変だったと思います。

当時のケイスポーツシステムの南常務と月木さんが岩城滉一の担当でした。
ホントによく出入りしていました。
鈴鹿の8耐のときに、田崎さんの奥さんが大の岩城ファンで夜、息子さん(今,モリチャンのところのお客さんです)も入れて会食したのですが、彼はヘリの操縦免許を持っていて、田崎さんの息子さんもアメリカで習って免許持ってるんですが、お二人とも同じ先生の教え子でした。世間は狭いですね。
そんなこともありました。

昨日、F9Rの話をしましたが、あそこに出ていた、
東京の北見紀生君。
彼は私が東京を担当していた頃の、東京営業所のサービス責任者でした。

彼は今でもちょっとした有名人で、mixiに承認必要のこんなコミユニテイを持っている。少々奇人変人の類だが、私とはなぜかトーンが合って、このコミユニテイにも承認されてメンバーに入っています。
知りませんでしたが。
岩城滉一や館ひろしなどまだまだ、バイクだけ乗ってた時代で、みんな北見君の世話になってたようです。
『北見さん』には、お世話になりました』これはご本人から直接聞いた話です。
スターにとっても、別の世界ではまた上には上がいるものです。
『清さんと話が出来た』と子供のように喜んでいた、岩城滉一でもありました。



とここまで、記憶だけで書いてきたのだが、普通一般の人ではない、
『岩城洸一』のことだから、間違った情報ではいけないと、日記などで調べてみました。

時系列に並べてみます。

88年10月、私は3回目の国内市場担当になりました。
89年4月にゼファーが出て、ずっと遊んでいても車はどんどん売れました。
91年6月には7万台の目標達成、93年には8耐で優勝などカワサキ最高の時代でした。

91.5.3 
つくばサーキットで岩城洸一ゼファーワンメークレースに出場が記録の最初です。
このレース、彼はポールポジションからスタートぶっちぎっていたのに最終回エンジトラブルでリタイア。
91.5.50
午後、岩城が来て、8耐でチーム月木の総監督をやりたいと申し出。
91.8.30
SPA直入に二輪車新聞の衛藤さん、ライダー北川、鶴田で行ってたら、岩城が来ていた。夜二次会。翌日はSPAの2H耐久に岩城も出場。
92.4.17
SPAに岩城滉一、清水宏次郎が来て走る。
翡翠之庄に泊まるこの宿の主人首藤文彦さんとは、私も岩城もトモダチであろ。今でも岩城、直入に土地持っているのだろうか?湖の近くの土地を文彦さんがあげたとか。『この辺の土地は東京とは違いますから』と言っていたが。翡翠之庄の土地も3万坪、今はもう立派な有名旅館だが、文彦さんが自分でブルを運転して、山を切り拓いて作った、まだ出来立てのころである。
92.10.4.
先に書いた、前田一竜君の結婚式、東京パレスホテルで。
93.2.1
東京パレスホテル、カワサキARKミーテイング、岩城、清水宏次郎、木村一八など仲間多数とパーテイーの席に。
93.2.15
会食、来年は8耐に出たいとか。(この年の5.31に島田伸助が来年からカワサキに乗りたいと来社。実現しなかったが。)
93.7
4耐400cc月木優勝、8耐カワサキ優勝、勿論来ていました。
93.11.13
近江舞子のジェットスキーワールドカップ、前夜祭のパーテイで。
94.5.28
つくばサーキットでのKAZEイベントに岩城グループ、何十台もオートバイを連ねて参加。
95.4.7
清水宏次郎、岩城の代役で阪神大震災の地震見舞いに明石に。
96.7.27
先に書いた、4耐のあと田崎さんらと鈴鹿サーキットで会食。



2,3年のお付き合いだと思っていましたが、5,6年と結構長かったのですね。
この間、月木さんとケイスポーツの南君以下皆さんが、しょっちゅう付き合っていました。
南君がちょっと入院したことがあるのですが、岩城洸一、清水宏次郎他有名人の花束がいっぱい届いて、看護婦さんがこの人は一体何者と思ったとかの話もあります。


カワサキの、私にとっても思い出も多い、いい時代だったと思います。
ブログなど書くこと解っていたら、もっと記録も写真も撮って置くのでした。
そんな時代の、岩城滉一とのお付き合いでした。








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ミニSLフェスタの記念切符

2008-12-20 04:13:19 | カワサキワールド
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神戸のメリケンパークでミニSLフェスタをやったのは、
丁度1ヶ月ほど前の11月15,16日のことであった。

もう1ヶ月も経ったのである。
振り返ってみると今年は1年中鉄道マニアたちと付き合っていたような気がする。

SLの話を、福井君に持ち込まれたのが1月半ばのことである。
神戸市の土地を借りるので、神戸市と繋ぐべく、川重会長の田崎さんに頼み込んでこの話は動き出したのである。

三木のグリーンピアで小規模なのを2回、6月には神戸フルーツフラワーパークで、そして11月の神戸メリケンパークにと繋がったのである。
11月のイベントは神戸海洋博物館、カワサキワールドも巻き込んで大成功であった。

イベントの中心はなんといっても『鉄道マニア』たちである。
バイクのマニアも凄いと思っていたのだが、鉄道マニアはその上を行くかもしれない。
いろんなことに拘りがあるのである。

当日は、北条鉄道のホンちゃんの駅員さんがミニSLを裁いてくれたりもしたにだが、
今日、ボランテイアの人たちに記念品にと、当日の乗車券が2枚贈られてきた。
こんな昔の国鉄時代のような切符である。



なぜ2枚かと思ったら、15、と16日の2枚で芸が細かくて、裏のNOは1枚1枚数字が違うのである。

送り状に添えられた手紙の文章には、
『お手伝いいただいた皆様にのみの限定配布とさせていただきます。鉄ちゃんが気合を入れて製作いたしました逸品だと確信いたしております。
製造元も切符の印刷に特化した印刷会社で、台紙も国鉄時代に使用されていたものと同じです。この日のために日付を入れるダッチングマシーンも仕入れました。
来年も開催できるよう、祈念いただければと思います』 とあった。

そんなに凝ったマニアならではの、切符なのである。
実は、当日福井君が私のために、これは記念になりますからと気を使って渡して貰ったのだが、ズボンのポケットに入れていて、うっかり忘れてそのまま洗濯をしてしまって、折角の切符がパーになっていたのである。

もっと言うなら、福井君は『古谷さんには、記念にNO、0001の切符を渡そうと思っていたのですが』などと言っていた。
そんな切符でなくてよかったと思っている。

どうしようかと思っていたのだが、今回送って頂いて助かったのである。
『ぼけちんさん』、有難うございました。




そんな拘りのある鉄道マニアたちだが、
来年は果たしてどんな展開になるのだろうか?

先日も、田崎さんと電話で話したのだが、
それぞれみんな役柄があって、軌道に乗れば現場の人たちや、鉄道マニアたちがみんなでイベントを盛り上げていけばいい。
玄人の、専門家の知恵は素人のそれとはまた違った独特のものがある。
そんな知恵がよりよいイベントに更に前進するだろう。

私などは、現場では何の役にも立たないのだから、来年はヨコでゆっくりと見させてもらいたいと思っている。




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いやあ 大した人もいるものです

2008-12-19 05:40:45 | カワサキワールド
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今回は私の人脈も大したものだと、自分で感心しているのだが。

これはカワサキ、それもレースに関する話である。
このブログを読まれるレースをお好きな方もいらっしゃるので、情報としてお知らせすると同時に更に詳しい情報があれば教えて下さい。

mixiのマイミクから、私にマシンについての問い合わせがありました。
技術やハードに関しては、全くのオンチですので、60おじさんはじめ、何人かのひょこむのトモダチにこんなメールで聞いてみました。

少し省略、割愛していますが、そのまま流しますので、お読み下さい。
マシンやレースに詳しい方は興味があるかも知れません。
私は、文章を理解するのも四苦八苦でしたから、そのまま流しました。
こんな質問です。


> 東京在住の45歳前後のマッハ乗りの社長、
> 海外のオークションでF9Rを購入して四苦八苦しているようです。
>
> 何かアドバイスしていただければ幸いです。


> ------------以下メール----------------
>
>
> REメッセありがとうございます
>ミッションは5速の クロスだし ピストン シリンダー ディスクバルブ
他加工などなど・・・
>
> 当時F9のレーサーが世に無い時代に コレだけ金をかけて 完成していたとなれば
> 川重関係者しか無理との結論になりました。
> あとは マジーカワサキくらいです
> マジーさんには 他方面から聞いてみたけど 作った形跡は無いとの事
> と成ると どうやら・・・
> 掘り出し物を当てたみたいです
> 日記写真 これからどんどんUPしますから楽しみにしてくださいね~~


> > > こんにちは!
> > > 先日メッセージいただきました rfuruya1さんって
> > > KAWASAKIの方なんですね
> > > mixiに居られるとは 驚きました!
> > >
> > > 実はお願いがあるんです
> > > 今、日記を書き始めている F9Rについては、本体を持っているのに
> > > ???が多すぎてレストアをして サーキットを走ろうなど考えて よいものか?
> > > ①本当にカワサキが作ったものか?
> > > (海外では似せて作ったものも多く出所不明な部分も有ります)
> > >
> > > ②なぜ 性能確認で終わったのか
> > > (一説ではA7Rに及ばなかったなど・・・)
> > >
> > > ③誰が作ったのか (カワサキワークスチームまたは開発チームまたは社内クラブチーム(有志))?
> > >
> > > ④本当にデイトナを走ったのか (ある本に書かれておりました)
> > > そして性能は?
> > >
> > > ⑤何台本当はあったのか (私の持つ情報は2台とも 3台とも・・・)
> > >
> > > ⑥元の状態は いかなるものか? (カウルの形状や フロントセクション)
> > > 写真などがほとんどないのですよ・・・
> > >
> > > など まったくヒストリーが不明で・・
> > >  しかも 私の手持ちの部品を見る限りワンオフ または 高度な加工と技術 気合があって、素人または お店レベルでは作らないと感じました
> > >
> > > 正直 たった単気等 350ccと馬鹿にしていました
> > >
> > > しかしディテールを含め また数々の溶接のおびただしい後
> > > 一部は現場あわせ的製作と つくりの良いフレームとのアンバランスさ・・・

> > > どれも 出くわしたことのない物で もし製作された方に出会うことは出来ないかな?
> > > と考えております
> > > しかし すでに40年近く前の産物 情報を持った方に合えるわけも無く・・・
> > > その様な訳でrfuruya1さんをご紹介いただくか、機会作っていただけないかと 希望しています
> > > 私はレース関係者ではなく カワサキ好きな1マニアとして、興味が尽きません
> > > どうか よろしくお願いいたします
> >
> > 私のZのメンテの北見氏はずっと在野の方です。
> > レーサーは得意ではないと思います。
> > rfuruya1さんは書き込みをすれば手がかりがあるかも知れません。
> > 書き込み、マイミクは大丈夫ですよ。 』



ざっと、こんな質問のメールです。
私にメールを頂いた方は、カワサキのファンで、北見君と関係があった方だと思います
面識はありません。mixiでのお付き合いです。

流石の60おじさんも、藤原良さんに聞いたら解るかも、との返事でした。
カバン屋さんも得意の検索で調べてくれましたが、もう一つ解りませんでしたが、

こんな詳しい返事をくれた人もいます。
コンタクトはダメと言うことなので、情報だけ流してみます。
結構、私でも理解できるような情報です。




『rfuruyaさん、こんにちは!

お尋ねの件、私の知っている範囲ですがF9Rはカワサキ350cc単気筒レーサーで、
もとはその前期型であるF5Rが70年から71年にかけてKMC(KMC R&D,Team Hansen)で作られたもので、
フレームはA1-RA,ブレーキ、ホーイルはH1Rを流用されています。
ハーリー ウイルバート選手によりテストライディングされレースにも出ています。

73年にはデイトナに出場すべく、後期型F9Rに発展し、アート バーマン選手、イヴォン、デュハメル選手がライディングしました。

後期型F9Rはより大きなキャブを装着した為、カウル右側に出っ張りがあるのが特徴です。

最後のアート バーマン選手の乗るマシンは予選時のものでしょうか、 No17のデュハメル選手のマシンに乗ってます。
いずれもワークスレーサーですから色々な仕様があったと思われます。

近年、日本ではK.R.O.C(カワサキレーサーオーナーズクラブ)の一員がアメリカの有名なコレクターからF9Rのフレーム、タンク、シートのアッシーを入手し、組み立てて富士のレースに出場したことがあります。

以上のことは情報として教えてあげて下さい。』


れっきとしたファクトリーマシンです。
そして、3枚の写真つきです。
これに似ていたら、まさしく『掘り出しもの』かも知れません。


藤原良さん、何か追加情報あれば、コメントで教えてください。
カワサキのこの時代のレース関係者で、もっと詳しい情報があれば、よろしくお願いします。

私を頼られてのご質問でしたが、何とか答えられて、よかったです。
大した人もいるものだと、われながら感心しています。



『と、こんなブログをアップしたら、このマシンのオーナー雷神さんからコメントが来て、細部の写真までついています。
ご関心のある方は、コメントをご覧下さい。』


コメント (7)
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Z1会総会報告

2008-12-18 04:36:27 | カワサキワールド
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今年も須磨の潮浪荘でZ1会の忘年会をかねた年次総会が12月10日に行われたのだが、
その報告書が写真と一緒に送られてきた。

ゴルフのコンペの方は入会以来1回しか欠席していないのだが、この総会は毎年欠席である。
兵庫県のゴルフ銀座のど真ん中に住んでいて、ゴルフをするにはいい立地なのだが、逆に都会に出て行くのは車ならともかく、電車やバスの公共機関を使うとなると大変なのである。
お酒が入ると当然車はダメだから、ずっと欠席になってしまうのである。

今年は会員67名中33名が出席して行われたとか、
その写真もパソコンで送られてきた。


ちょっと小さくて見えにくいので、折角カワサキの懐かしい名前がいっぱいいるので、こちらのほうで見てください。
クリックすると大きくなります。

Z1やマッハ、A1などのカワサキの懐かしい時代の、技術屋さんやレース関係者やメカニック、ライダー、そして現役のバイクやさんなど多士済々である。



今回は懐かしい人が出席している。
川重ではないのだが、伊藤忠商事でフランスカワサキの社長を長く務めた
遠ちゃんこと、遠藤さん東京からの参加である。
あの世界耐久選手権で何年も世界一になった『カワサキフランス』の黄金時代を築いた人である。

私は個人的に特に懇意にして貰った。
フランスのサーキットやゴルフ場ばかりで彼と一緒にフランスを楽しんだ気がする。
何度もパリには行ったのだが観光客が行くようなところにはあまり行っていない。
そんな関係で鈴鹿8耐にカワサキフランスが出たときは、ケイスポーツシステムでそのスポンサードを引き受けたりしたのである。

不思議なことに、彼が川重で一番親しかったのは、副社長の山田さんである。
山田さんは、一中、一高、東大航空機の秀才で、カワサキのレース創成期を支えた人である。私は中学の後輩と言うことでいろいろお世話になった。
デグナーの契約は契約書の内容や文章は私が作り、英訳は山田さんにやって頂いた。
英語など通訳しか話さないと言う40年も前に山田さんだけが自分で英語で喋っていたのである。

そんな山田さんが、なぜか『遠ちゃん、遠ちゃんと』目を掛けていたのである。
初めて遠ちゃんを紹介して頂いたのは、パリで山田さんからである。
何か逆のように思ったりした。

そんな遠チャンは『ひょこむ』でハンドルネームも『遠ちゃん』である。
今年は久しぶりに、ゴルフ場で会えそうである。
写真の前列真ん中ネクタイをしている人である。


今年も4月、6月、9月、11月の4回、三木セブンでもう日にちまで決まっている。来年のカレンダーに書き込んだ。
よほどのことがない限り、出席である。

不思議なことに、Z1会のゴルフ、まだ一度も雨が降ったことがない。
今年も晴天のゴルフを楽しみたいものである。
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武雄の市長選挙の応援隊

2008-12-17 04:49:50 | 樋渡啓祐さんのこと
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ほんの少し前だが、
『千年悠水+レモングラス』と題するブログをさるとる君がアップした。
といっても直ぐにはお解かりにならぬと思うが、

千年悠水』とは、国定さんの三条市長日記に登場する日本第1級の軟水のことである。
そして『レモングラス』は武雄の樋渡さんが情熱を注いで育てられているのは、ご存知の方もおられるだろう。

この二つをプラスして、新しい広域連携の新商品を夢見ているのである。
さるとるくんは、そのことを言っているのだが、ブログでは、ご自身の健康管理の水について触れた後、


武雄の樋渡さんの今回の選挙に、三条の国定市長や箕面の倉田市長が応援に駆けつけると聞いて、
『こんな関係うらやましいですよね。
血の気の多い僕も行きたいなぁと思うのですが、かみ(神)さんの説得に今心血を注いでいます!』 と結んでいるのである。

このブログには幾つものコメントがあるのだが、樋渡さん(はいぴー)と国定さんも登場する。
まあ、内容をご紹介してみましょう。


『コメント
健康大事ですよね。うちの事務所の飲み物は9割くらいレモングラス。
僕も歩き倒しているのでレモングラスがぶがぶ飲んでいます。とても体調が良くて、レモングラスのおかげだと思っています!?    はいびー

はいびーさん
さすが、レモングラスの『仕掛人』の事務所ですね(笑)
レモングラスパワーで、エンジン全快!!
めっちゃ思い付きです。
山田錦を使った日本酒にレモングラスを入れたカクテル『武雄の雫(しずく)』を売り出しましょう。    さるとる

売れると思います☆
雫(shizuku)だけでいいかもしれませんね。       はいぴー

日本一の超軟水〝千年悠水〟を取り上げていただき感謝です!!
樋渡さん、私のハートが選挙モードに突入してしまっているのですが、どう処理すればよろしいでしょうか!?
とにかく頑張ってください。
さるとるさん、私は、20日の夕方に武雄入りしようかと思っております。帰りは21日のお昼過ぎですかね。
ちなみに、21日には、箕面の倉田市長さんも武雄入りする予定です。 国定勇人

国定市長
20日の夕方ですね。
21日には、箕面の倉田市長が武雄入りですか。
僕らも是非×2行きたく思います。
急ピッチで調整します!          さるとる



お二人の現役市長さんと三木市の職員ぺいぺいのさるとるくんとのやり取りである。
普通、世間ではなかなか考えられないことである。
こんな関係になれるところが、ヨコイッセンのインターネットの世界のよさだとは思うが、
それ以上に、当のご本人の市長さんのお人柄がないと成立しない関係である。

選挙のときだけ末端の人たちと握手をしたり、アタマを下げたりする方は多いが、
こんな関係になりきれる樋渡さんや国定さんに私は大いに共感するのである。

お二人とは、私もたまたま面識もあるのだが、
旧い政治屋にない、はつらつとしたよさがある。
こんな市長さんなら、みんなが応援したいと思うのが当然のはずなのに、
今回、武雄市では市長のリコールから、新たに信を問う選挙に入ろうとしているのである。
政治の世界はそんなところが、難しいしよく解らないところである。

三木市は武雄市とは提携関係にあることもあって、『樋渡ファン』はいっぱい居る。少なくとも反対票を入れる人は多分居ないと思う。

(樋渡さんの選挙事務所開きです。ブログからお借りしました。)

この週末、三条の国定市長、箕面の倉田市長が樋渡さんの選挙応援に入られるという。
この3人の市長さんはいずれも総務省のご出身である。
樋渡さんも、国定さんも、『日本で最年少の市長』を経験されて、
今の『日本最年少』34歳が箕面の倉田さんである。
倉田さんとは面識がないのだが、倉田さんのブログ『34歳の日誌』には、
さるとるさんのブログも、私の『雑感日記』もトラックバックされている。
そんな繋がりなのである。倉田さんはこんな方です。

75才の年寄りが言うのもおかしいかも知れぬが、
日本の政治や地方行政も、この3人の方のように若くて経験は仮に少なくても、
従来の慣習などには捉われない、新しいことに前向きで、真にフランクな人たちにこれからの日本を託すべきだと思っている。

国政はなかなか一挙には変わらないが、地方は一挙に変わる可能性を秘めている。
僅か、3年で武雄は全国区になった。三木からも市長選挙に応援しようと言う、そんな『樋渡ファン』も生まれた。
是非、武雄の方たちもこの流れを止めない判断を1票に託して欲しいと願うモノです。

『なかなか、樋渡さんのような人は探しても居ませんよ。』

めっちゃ良い主人でも、身内の人は欠点を探すのかも知れませんが、
外の人は、ちゃんと見ているものだと思います。

さるとるくんも三木JCの熱血丸坊主クンと応援に週末武雄に駆けつけるのであろうか?
すでに樋渡さんに鉢巻は届いているのですが。

残念ながら、投票権がありません。
武雄の皆さん、世の樋渡ファンをがっかりさせないように、
よろしく、お願いいたします。


今朝のさるとるくんのブログ、武雄へ行くことに決めたんだ。
















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