雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

前例がない

2012-12-31 05:23:20 | 大阪維新の会、橋下徹氏

 

  

 

『大阪市役所』で画像検索するとこんな写真が現れたが、みんな『大阪市役所』なのだろうか?

 

★その『大阪市役所』の話題だが、

大阪市長のの橋下さんが、

大阪市役所は、来年から職員が「前例がない」と口にすること禁止します』 とツイッターで呟いている。

 

当たり前と言えば当たり前のことですが、大阪市役所は、来年から職員が「前例がない」と口にすること禁止します。前例がないと言うのは最悪のフレーズ。完全思考停止。YESかNOかは実質的な理由で判断すべき。「前例がない」はNOの理由をきちんと言えないときに多発。このフレーズは脳を腐らせる

「前例がない」は、本当はやらなければならないことも、前例がないことでストップがかかる危険性大。これが成長・発展を妨げる最たる要因。そしていつもの現状維持。ダメならダメで、きちんと理由を考え説明する。NOの理由はないのに、面倒くさいと言うときに、「前例がない」が多発される。

大阪市役所職員には、来年から「前例がない」のフレーズを口にすることは禁止し、そのような思考回路を組織挙げて放逐していきます。実質的な理由を考えYES,NOの結論を示す。良いことなら、前例がなくても、前例を作っていけばいい。「前例がない」というフレーズ。僕の最も嫌いなフレーズです。

役所の慣用句のように言われている『前例がない』 なのだが、これはなかなかいい。

 

★何となく、『前例がない』ようなことばかりを、50年間ほど続けてやってきたような気もする。

『前例がない』ことは、とんでもないこともあるのだろうが、

創意工夫して発想すれば、結構役に立つ事柄も多いはずである。

 

世の中はどんどん進歩する。

勿論、伝統も引き継がれている文化など、いいものは沢山あるが、新しい世に前例のない新しいこともそれ以上に生まれるはずである。

『前例がない』という役所言葉を禁止したこと自体が『前例がない』ことで、

これは橋下さんらしいユニークな『前例のない』発想である。

 

大阪市だけではなくて、

ぜひ、他の市でも、国でも、所謂『お役人』と称される人たちの『禁句』にして欲しいものである。

 

 

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ガンバ決勝へ

2012-12-30 06:16:21 | スポーツ

 

★ ガンバ大阪が鹿島を1―0で破って、元日の天皇盃決勝へと駒を進めた。

その1点の決勝点を決めたのが遠藤保仁である。

ここしかないというところに絶妙のシュートを決めた。

 

 

 

リーグ戦ではまさかの2部落ちになってしまった。

そんなガンバだが、この試合は危なげなく1点を守りきった。

 

 

試合が終わって、

 

 

いち早く、国立決勝へのデビューを決めたのである。

相手は柏レイソルに決まったが、

是非、天皇杯を制して意地を示して欲しいと思う。

 

★  日本のサッカーは本当に強くなった。

全体のレベルが上がっているから、各チームその実力は紙一重なのである。

そんな中でも、ガンバは一つアタマを出していると思っていたのに、まさかの2部落ちになってしまったのである。

そんなチームが天皇杯では、決勝に残った。

ここで優勝すれば、また日本を代表するチームとして海外チームとの対戦もあるし、一部復帰だけでなく複数の目標にチャレンジ出来る。

 

 

代表チームでも、

ガンバ大阪でも、

遠藤保仁はチームの中心選手である。

 

元日にも、ぜひもう1点を期待したい。

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松井秀喜

2012-12-29 06:24:49 | スポーツ

 

★松井秀喜が引退会見をした。

ゴジラ松井秀喜の現役生活もこれで終りを告げた。

産経フォトがこんなにいっぱいの写真を集めた

 

 

引退会見の様子である。

 

もう忘れてしまっていたが、ワールドシリーズのMVP にもなった。

その時の6割を超す打率は、長いアメリカの中でも歴代堂々の1位だとか。

 

 

甲子園での5打席連続敬遠。

ジャイアンツ時代の活躍も懐かしい。

 

 

そして7年間の名門ヤンキース時代。

ニューヨークのファンにも、こよなく愛された松井秀喜であった。

 

 

今となっては、ヤンキースのユニフォーム姿が懐かしい。

 

 

松井らしい引退会見の語り口であった。

 

 

本当にお疲れさまでした。

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高いところからの眺め

2012-12-28 06:43:57 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★今年ももう後5日になった。

明日から3日間ほどは天気予報では雨ということなので、庭仕事などは天気のうちにと、午前中は、片付けや掃除に専念した。

 

午後は、明日から雨なら動くのは今日のうちにと、ちょっと高いところから眺めてみようとこんなところに登ってきた。

 

 

秀吉の三木城攻めの時に、有馬法印則頼の陣跡であった慈眼寺山の城跡である。

 

 

 高いところからの眺めは、最高にいい。

肉眼だと、海も明石大橋も、遠く六甲山も見えたりする。

昔の武将は、ここから三木城をどんな気持ちで眺めていたのだろう。

 

なぜか高いところから眺めるのが好きである。

全体の景観が解るのがいい。

 

 

 

これはグリーンピア三木の展望台からの眺めだが、こういう景観は見ているだけで気持ちがいい。

昨日の午後は、そんな眺めを楽しむためにちょっとした山登りだったが、誰ひとり会わなかった。

よく考えてみると、少々危険かも知れない。行く先も告げずの独り歩きだから、もし何かあったら携帯は持っていないし、人も来ないし、行方不明になる可能性大である。

そんなことは解っているのだが、

そんなことには、なるはずがナイと勝手に思い込んでの行動なのである。

 

★昨日は帰宅して、

産経のこんなサイトを2時間以上いろいろ見ていた。

 

 

 

朝、サッカーのこんなニュースを見ていたサイトである。

 

これをじっくり見ていると、時間が経つのも忘れてしまった。

●この写真は 『こだわり写真』というところから拾ったものである。

● 『パノラマ写真』というところもオモシロイ。

 360度 ホントにパノラマに写真が回転する。

●一番オモシロかったのは、サービスメニューから見つけた『地図の概観図』 拡大すると三木も綺麗に見えるし、

アメリカのIrvineの娘の家も、KMC も綺麗に見つけることが出来た。

これは山どころかもっと高いところからの眺めである。

昔の人は残念ながら見ることが出来なかった眺めである。

地図を見るのは好きなのだが、この概観図で眺めると、まるで高い山から景観を眺めている以上に楽しく、時間がいくらあっても足らない感じなのである。

 

★年末の忙しい一日、午後からはずっと景色を眺めていたようなものである。

何ごとも、高いところから大きく眺めていると、いろんなことが解り、上手くいくのだと勝手にそう思っている。

年末の忙しい一日、朝は頑張ったが午後からは、趣味みたいなことに熱中して時間を過ごした。

高いところからの眺めに熱中した、12月27日であった。

 

 

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年末、新しい年に向けていろんなスタート

2012-12-27 05:51:01 | 発想$感想

 

★今年もいよいよ歳末である。

そんな最後の週に、自民党も民主党も新しいスタートを切って新春を迎えることになる。

こんなに新たらしいことが重なって年末に集中するのも珍しい。

何か世界の体制がみんな新しくなったような感じである

 

 

自民党は新執行部と安倍内閣がスタートした。

それを第2次安倍内閣と呼ぶらしい。確かに2回目ではあるが・・・・

そんな与党の人事や内閣について、恒例になっているのは野党のボロかすに言う評価である。

何をやっても文句をつける。

こんな習慣みたいなものもいい加減にしてほしい。

『首相指名は安倍さんでいいのでは』などと言った橋下さんあたりが、『べた褒めの評価』でもすればいい。

いつもボロかすにこき下ろす野党は、どんなメンバーにすればいいと言うのだろうか?

今のところ、今回は一寸ましのような気がする。

 

首相指名は、どんなに可能性がなくても自分の党の党首に入れる

ヒトのやることには全てケチをつける。

もういい加減に、政治の常識を変えたらいいと思う。

是々非々と言っていたが、世間の常識の是々非々であって欲しい。

 

 

★民主党は海江田さんになった。

党首になっても辞めても何回もチャレンジできる政治の世界、サラリーマンの人事などとはちょっと違う。

『今回は、出ない方がいい』 などという思惑が働く世界である。

民主党は今後どんなことになっていくのだろうか?

 

日本未来の党もいろいろとややこしい。

大体小沢さんがここに入ったのが間違いだったように思うし、嘉田さんの下に小沢さんがいるなど、一寸不思議な関係である。

 

このところ、日本維新の会が静かだが、参議院選挙までにどんな動きになるのだろう。

『新しい政治の始まり』になればいいが・・・・

 

 

★スポーツの世界も最後の仕上げの時期なのか、

皇后盃はINAC神戸の三連覇に終わった。

天皇盃は今からだが、2部落ちしたガンバ大阪が4強に残っている。 優勝でもすればオモシロイが・・

 

プロ野球も来年への動向で賑やかである。

イチローはヤンキースとの2年契約で落ち着いた。

阪神は西岡を獲って、どうかなと?思っていたらまた、福留も獲ってしまった。

阪神も何か巨人と同じようなことになってきた。

福留を獲るべきかどうか? もう決まってしまったが、80%を超える人たちが反対だと言う。

 

 

25日、国立競技場であった東日本大震災復興支援のこのサッカーイベントは、なかなかよかった。

今年のサッカーは男女とも頑張った。

来年はもっと期待出来るかも。

 

 

★ 尖閣諸島問題、こちらのYahoo意識調査も80%の人が賛成しているのは、意外だった。

『尖閣諸島に海上保安官を常駐させる自民党の案』に対する賛否である。

こんなことになるのだろうか?

今年ももう終わるが、新しい年はいろんなことがありそうである。

 

 

★個人的には79歳もあと3カ月で、3月には80歳になる。

70代最後の3ヶ月が始まる。

 80歳になったら、どんな生き方をするべきなのか?

未だ具体的には決めていないが、『70代は、現役に戻ったつもりで頑張る』と宣言している。

この秋もよく頑張った。

新しい年も、新しい気持ちでいいスタートを切りたいものである。

 

 

 

 

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姫路カワサキが NPO に参加

2012-12-26 05:39:05 | NPO The Good Times

 

NPO The Good Times の団体会員のNO.72番目に 『姫路カワサキ』が参加を決めてくれた。

参加、有難うございました。

 

4年前のスターと時点では、カワサキのかっての仲間たちに、『騙されたと思って入って欲しい』とお願いして入会して貰ったものだが、

ここ数年は、全てが自主参加の団体会員さんばかりである。

こちらからお願いなどしたことはないのだが、今回の『姫路カワサキ』さんには平井稔男さんに、入会して貰うように頼んで貰ったのである。

こちらの意図もよく解っていないのに、兎に角、すぐ入会いただいたのである。

 

 

 

なぜ? 

何となく、『姫路カワサキ』は、NPO The Good Times の二輪関係の展開で、『KEYになる可能性がある』 のではないかなと、ふと思ったのである。

 

オーナーの島津 龍くんは、元カワサキだから知ってはいるが、そんなに直接の関係があったわけではないが、

このホームページをご覧になればお解りのように、

発想が広くて、自由で前向きだし、業界に対しても、レースの世界にも関心をお持ちである。

カワサキの正規販売店だが、他銘柄も幅広くやっている。

レースに関しても熱心だし、AJとも、401会とも密接に繋がっている。

そんな横への広がりがいいなと思っているのである。

 

ご本人がやっているのではない様だが、

ブログも、ツイッターも、Facebook も、やっている。

そういう意味で、NPO The Good Times としても、応援出来る仕組みを既にお持ちなのである。

 

 

★ NPO The Good Times も来年は5年目を迎える。

来年度の具体的な目標は、これらのプロジェクトをさらに繋ぐ『共感ネットワーキング』なのである。

具体的なレース展開として、月木レーシングや、カワサキマイスターなどが、直接絡みそうだが、ぜひ姫路カワサキにもと思ったりしている。

ブログャツイッターやFacebookを既にお持ちであることは、大きな力になる可能性がある。

 

先日の三木で開催された『笑って遊ぼうミキランド』にはカワサキマイスターとともに、姫路カワサキも協力して頂いたのである。

  

 

 

  

  

 

三木で開催された、『笑って遊ぼうミキランド』だったが、幅広い人たちがあちこちから集まった。

ご存じの顔も見られるだろう。 この会場には川重の営業部長の田村さんもも遊びに来てくれた。

 

二輪が二輪の世界だけに閉じこもることなく、、

もっと社会の中に溶け込んでの活動になればいいと思っている。

このイベントは『輪』で繋がっているのである。

どんどんヨコに広がっている。

来年はもっと、オモシロくなるだろう。

 『姫路カワサキ』も、そんな中でいろんなことで繫がればいいなと思っている。

 

 

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 くも膜下出血 から生き返った奇跡?

2012-12-25 06:41:29 | 発想$感想
 
北海道の2年間、    65歳 自分史
★北海道、札幌での2年間。人生何年もあるのだが、この2年間は特別だったなと思う。生活の舞台も、生活の様式も、会社での仕事も、全て自分にとって初めての経験であった。&am...
 

 

★昨年の今頃は、このブログで『自分史』を書いていた。

1年前のブログが65歳のころの札幌のことを書いている。

 

札幌の2年間いろいろあったが、何と言っても『くも膜下出血』でひっくり返って1ヶ月ほど入院した出来ごと、

札幌の警察の本署で、文句を言ってたら、アタマに来て『血が登ってきて』 それこそ『アタマに到達』したら突如ひっくりかえったのである。

くも膜下の直接の原因は、『怒ってアタマに血が上った』からである。(みなさんくれぐれも激怒などされぬ方がいい)

 

気を失ってしまったが、救急車が来たときは、なぜか気がついた。

『くも膜下だ』と救急隊員の人が言ったときには、『これは死ぬな』と本当にそう思った。

その時も至極冷静で、これは家内に言ったらダメかなと思って、『連絡先は?』 と尋ねる救急隊員の人に息子の名前と電話番号を教えた。

そう言ったのは救急車の中だったのだが、それからあとまた意識を失ってしまった。

 

今度、気が付いた時は病院のベッドの上だったが、それからどのくらい時間が経っていたのかもよく覚えていない。

10日間ほどいた集中治療室でのことは殆ど覚えていない。

 

★入院した病院は、札幌の『中村記念病院』である。

 

 

この病院は全て脳外科の先生ばかりが30人もおられる『脳の専門病院』なのである。

少なくとも関西にはこんな病院はナイ。

そんな病院で、私の場合の治療は、『手術も何もせずに、自然治癒』という方向がとられたのである。

 

後で聞いた話だが『血管が切れた場所が、難しい場所で、手術をする方法もあったのだが、手術が上手くいかぬ場合もあるので、自然に治そう』という方針に決まったと言うのである。

先生が30人もおられる病院だからそんな決定も出来たので、普通の綜合病院だと『間違いなく手術したでしょう』と担当の先生は後でそう話されていた。

集中治療室にいた10日間の最後の方は、手足を縛られてベッドにくくりつけられていた。何も治療をしていないのだが動いてもう一度切れたりしたらダメだと言うことであったらしい。

覚えていないが、『会社に行くからクルマを呼べ』とかいろいろ訳の解らぬことを言っていたらしい。

10日後に、個室に移された時は、意識はちゃんとしているのだが、話はし難いし、手は動かないし『これは大変だな』と思ったが、その時もそれ以上は何も思わなかった。動かぬ手で日記を書いているが、字が無茶苦茶である。

でも、日が経つにつれて、どんどんよくなった。 どうやら集中治療室で静かにさせるために打たれていた注射が効いていたのだと思う。

その後20日間ほど入院していたが、後半には歩行などのリハビリもして、退院前にはこの病院の階段を最上階の個室まで10数階を歩いて登れるぐらいまでに回復したのである。

ちょうど1ヶ月ほどの入院だった。

くも膜下出血の治療で何をしたのか?  『タダ寝ていただけ』ではないのだろうが、何となくそんな感じなのである。

 

★手術も何もせずに、元通りになたったし、健康には気をつけるようにもなった。

家族には、心配も掛けたし、大変だったとは思うが、

みんな北海道に来れたし、北海道の旨い物も食えたし、家内などはそれまでは殆ど札幌には来なかったのにそれ以降は毎月来たので、毎月北海道のあちこちを連れ歩いている。だから、北海道の殆どを知っているようなことになっている。

大体、こんな風に、私の性格は楽天的でいい加減で、性格テストをすると『反省しない』というところだけが飛び抜けているのである。

 

こんなこと言ったら、真面目な家内などは、また怒りだすと思うのだが、幸いなことに家内は一切私のブログなどには興味を示さないし、決して読んだりはしないのである。

10数年前の出来事だが、

まさに札幌という、『中村記念病院』があったいい場所で、くも膜下になってよかったと思っている。

 

人間の命など、所詮は運だと思っている。

いつどうなるかなど、誰も解っていない。 まあ。今まで80年近くも生きてきたが、運は良かった方なので今後もいいはずだと思っている。

くも膜下出血 から生き返った奇跡? のような人生である。

 

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私の散歩論

2012-12-24 05:15:26 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

 

★最近はちょくちょくと散歩をすることも多い。

大体一般の方の散歩のスタイルを見ていると、

毎日同じ時間に同じ場所を、『散歩』というスタイルでされているのが普通である。

目的は健康のため、体重を落とすためなどといろいろなのだろう。

 

「ひとこと」で言うと、真面目なきっちりとした散歩スタイルが多い。

 

★『私の散歩』は、全く『いい加減で』いつどこに行くのか? も決まっていない。

気が向いたとき、気が向いた時間に、家から直接出かける時もあるが、クルマで出かけてそこからどこかを歩くこともある。

体重を落とすと言うことなどはあまり目的にしていない。

散歩のスタイルはまるで決まってなくていないのである。

 

散歩している時間、大体4~50分ぐらいだが、『その時間が気持ちよく過ごせたら』それで十分なのである。

『気持ちよく過ごせる』環境は、出来れば街中よりは、自然の方がいい。

公園の方が街中よりは数段いいし、さらにその中にホントの自然が残っていたらもっといい。

 

そんな環境は、三木にはいっぱいある。

『気持ちよく過ごせる場所がいっぱい』だから、三木を気に入っているのである。

 

だから、どちらかというと歩く環境を選んで、出来る限り自然の中を歩くようにしている。

恰好は普段着のまま、運動靴をはいているだけ、歩くと暑くなるので冬でもどちらかと言うと薄着である。

 

 

★そんな 『私の散歩コース』を幾つも持っているのだが、

昨日は、名門廣野ゴルフ倶楽部の裏手?の のどかな神戸を歩いてきた。

廣野は三木市だが、その境界線から裏手? 南の方は神戸市なのである。

そこには神戸のイメージとは全く違った『のどかな神戸』が広がっている。

 

廣野は出来てから70年も経っていて、その木々も歴史を背負って生きている。

廣野の木々たちからは、その歴史の風格を感じる。

こんな自然が近代的な住宅地のすぐ横に存在することすら不思議なぐらいである。

 

街は40年、廣野は70年なのである。

 

 

 

その廣野の裏手からゴルフ場を眺めるとこんな景観が広がっている。

2枚目の写真の手前の池が『呉錦堂の池』である。

池のすぐ手前は小さな公園になっていて、こんな記念碑も建っている。

 

    

 

裏面にはこのように書かれている。

 

 

呉錦堂が日本に帰化していたとは知らなかった。

 

 

 

呉錦堂は、『孫文を語る会』でつながっている孫文記念館のかっての持ち主なのである。

 

 

こんな感じの自然いっぱいなのである。

       

 

    

    

 

前回は 、家から歩いて一回りしてみたが、2時間も掛ったので、昨日はクルマを甲南大学の合宿所に止めて。その周囲を歩いてきた。

それでも50分ほど掛った。

 

★私が歩いた散歩道のアルバムをご参考までに

● 落ち葉の伽耶院

● こんなところを40分ほど

● 今日の散歩道 登り下りいっぱいでした

● 三木総合防災公園を歩いてきました

● 昨日に続いてビーンズド―ムまで

● 馬の散歩道を歩いてきました

● 三木山森林公園を

 

まだまだあるのだが、 『いい環境を、いい気分で』 歩いていることだけは、お解り頂けると思う。

こんな環境があるのに、毎日同じ場所を同じように歩くのは、もう一つだと思っている。

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山田煕明さんを想う

2012-12-23 05:41:57 | 発想$感想

 

★ 川崎重工業の元副社長の山田煕明さんの訃報の知らせを頂いた。

 

会社の先輩にもいろんな方がおられるが、山田煕明さんには現役時代ホントにいろいろとお世話になった。

私に限らずいろんな方の面倒をよくみておられたが、私は特別目を掛けて頂いたような気がする。

もし山田さんがおられなかったら、私の会社での人生はまた変わった道を歩いていたかも知れない。

 

山田煕明さん、神戸一中、一高、東大航空機科、のまさに秀才である。 

神戸一中の先輩たちはなぜか神戸高校でなく神戸一中でないといけないようなところがあって、私は旧制神戸一中の兎に角一番最後の卒業なものだから、

『君は神戸一中か』ということでまず可愛がって頂いたのである。

 

● 私が入社間もないころ、山田さんは川崎航空機時代の技術部長をされていて、なぜかレースにものすごく熱心だったのである。

当時のレース運営委員会の委員長をされていて、私がその事務局など担当していたものだから、直接いろいろと関係があった。

山田さんは、会社以外の方ともすぐ懇意になられる性格で、レース関係では当時の兵庫メグロの西海義治社長や、神戸木の実を主宰していた片山義美さんとも親交があって、片山さんなどは当時はスズキとの契約だったのだが、カワサキのGPレーサーの開発などには大いにその知恵を貸して頂いたりしたのである。私もそんな関係で西海さんや片山さんとは懇意なのである。

デグナ―の契約に関しては、山田さんが中心ですすめられたのだが、カワサキでは初めての外人ライダーとの契約で、そのやり方すらも解らず私が本田の前川さんに教えて貰って日本語の契約書を作り、山田さんが英文に直されたのである。

当時のGPレースの現場では、あまり英語など話す人はいなかった時代だが、山田さんだけは英語で喋れた珍しい存在だったのである。

 

● その後山田さんは、単車から航空機に行かれたりしたが、川崎重工の副社長時代に単車事業が危機的な状況になり、本社サイドで構成されたプロジェクトチームの中心として単車再建に尽力されたのである。

その時、私は本社に直接呼びだされて、山田さんから突如『単車の企画をやれ』と指示されたのである。

当時の状況は単車事業の枠を超えて、本社の財務部門が中心で何百億もの対策に動かぬとどうにもならないそんな状態だった。

この単車企画をやったことが、私のその後に大きく影響したと思うし、単車再建という大きなプロジェクトが、軌道に乗るまで山田さんは単車事業に専念されたのである。

当時山田さんに一番大きく影響を受けたのは、私と、当時アメリカを担当していた田崎さんだったと思う。

大庭本部長が来られて何とか恰好が付きだしたそれまでの1年半は、ホントに大変な時期だったのである。

そのころ頂いた山田さんからの直筆の手紙が何通か今でも手元にある。 非常に筆まめで直ぐ文章にしてご自身の想いを書かれていた。

 

● とても川崎重工業の副社長とは思えない『気さく』なところがあって、みんな『えんめいさん』と呼んでいた。英語は流暢だし、海外出張など秘書に任せず切符の手配などご自身で勝手にされたり、イタリヤなどではデ―ラ―の自家用機で移動されたりするものだから、秘書はその動向を抑えるのに大変だったようである。

普通川重の副社長など単身で海外出張などされなくて、ちゃんとお付きもつくし、スケジュールなど出発する前に完璧なのが普通である。

秘書の方から『今、山田副社長はどうなっていますか?』などと私に問い合わせの電話が入ったりした。秘書さんは常に役員さんの動向を抑えていないと困るのだが、そういう意味では神出鬼没なところがあって、突如現れたりされるのである。

当時のカワサキフランスの社長をしていた伊藤忠の遠藤治一さんなどもお気に入りで、フランスでは一緒にレースに行ったり、ゴルフをしたり、酒を飲んだり、仕事のほかでも楽しい出張であった。

気さくで、お酒が好きで、ただ、お酒が入ると親しい仲間内ではちょっと飲み過ぎたりして、いろいろオモシロイ話はいっぱいなのである。

 

 

★そんな山田煕明さんだが、4年ほど前から体調が思わしくなく、川重のOB会などにもお顔を見せなくなってしまわれたが、

90歳の人生の幕を閉じられた。

単車におられた時は、ちょうどZ1 が開発されたそんな時期で、直接の担当をされていた。

でも、山田煕明さんが、ホントに二輪事業に貢献されたのは副社長になられて、単車再建プロジェクトの実質的な責任者として動かれた時期だと思う。

大庭本部長が単車に来られたのも当時の財務の大西副社長と山田副社長と相談されて決められたことである。

その時単車生え抜きの高橋鉄郎さんと私は、本社の大西副社長にわざわざ呼ばれて『大庭くんをよろしく頼む』と言われたのである。

高橋さんは、ホントに大庭さんをたてられて、大庭さんも初めて経験する民需事業が気に入られて、本社の財務部門の絶大な支援もあって、カワサキの二輪事業の今があるのだと思っている。

 

そんな単車の再建に、直接関係された大西さん、山田さん、大庭さん、3人の恩人たちも、みんな故人になってしまわれた。

心からご冥福を祈りたい。

 

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2012年12月21日 は50回目の結婚記念日

2012-12-22 05:43:28 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

 

★  『2012年12月21日は、地球滅亡の日』だなんて、テレビの放送で言ってたが、

今日がその『2012年12月21日』である。 幸いにして今のところ地球は安泰である。

 

私たち夫婦にとっては、実は50回目の結婚記念日、所謂『金婚式』である。

結婚記念日には、1年目からみんな名前が付いていて、たまたま50年目を金婚式と言うらしい

55年目もあるし75(60)年目もある。

流石にそれ以上の記述はなかった。

 

確かに、外から見たら『おめでたい』のだが、当人たちは一向に無関心、特に家内の方が無関心なのである。

むしろ、周囲の方が気を使って、子どもたちがいろいろ言ってくれるのだが、

どうも何となく面倒なのである。

 

★ 息子の方は、この秋、アメリカに行くときの航空券をお祝いだとか言って負担してくれた。

娘は、アメリカ滞在中に面倒を見てくれたし、

 

無理やりこんな写真も撮ってくれたりした。

最近、確かに2-ショットの写真など写すこともないのである。

 

それぞれの写真など山ほどあるが、二人の写真はこれ1枚だけ、

これが金婚旅行の唯一の写真みたいなものである。

 

 

★ 一番気を遣っているのは、息子の嫁の『ノンちゃん』だろう。

12月20日から、鎌倉に遊びに来ませんかと誘ってくれて、

わざわざ電話まで掛けてきてくれたのに、なんだかんだと言って、行かないのである。

確かに、だんだん外に出かけたりするのが億劫になってしまうのである。

 

ホントにそうなってしまうから、不思議である。

昔の人が『隠居』とはよく言ったものである。

 

 

そんなノンちゃんから、今朝シクラメンが届いた。

 

夜、どこかに食事でもと、私が気を遣って誘っても、家の方がいいとYes と言わないのである。

昼、家から歩いて、1分のところにあるカレー屋さんで、昼飯を食った。

 

    

 

食うことよりも、むしろカレー屋さんがやってるこんな店の方にむしろ関心がありそうである。

それに、年末からやってくる息子一家をこの店に連れて来ようという算段らしい、年末年始、いつ開いていますか? などと聞いていた。

インド人がやってる、こんなお店である。

 

          

 

 

★ 結婚生活とは、夫婦とは何かな?  と思う。

夫婦だけに意識が集中しているのは、ホンの数年、子どもが生まれるまでかも知れない。

子どもが生まれたら、妻の関心はその殆どが子どもに注がれる。

子どもたちが独立して、ほんのちょっとの間だけ、また夫婦が戻った期間があった。

日本や海外を旅行したリしたそんな時期である。

 

そのころは、未だ現役で、そんな旅行も休みをとってだから、なかなか大変なのである。

退職して、幾らでも時間も出来ると今度は、動くのが億劫になる。

犬を飼っていた間は、犬への関心は高かったし、

今は孫への関心が高いのかも知れない。

 

まあ、こんなこと書いてるのは平穏無事だと言うことである。

昨今の若い人たちを見ていると、50年はおろか5年が持たない家庭も多い。

夢への期待が大き過ぎて、辛抱をする、我慢をすることが出来ないのだと思う。

50年続いたからと言って、お互い全て思い通りになどとてもいっていないのである。

 

みんな『おめでとう』と言って下さる。

そう言うのが普通だから、そうなのだが、別に『おめでたい』ことでもないような気がする。

50年目を迎える結婚記念日も、1年のうちの単なる1日のような感じである。

 

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倉田哲郎さんと 橋下徹さん

2012-12-21 07:01:06 | 発想$感想

 

★倉田哲郎さん、大阪の箕面市長さんである。

ネットの世界では何となく追っかけている。

 

最初に倉田哲郎を意識したのは、未だ市長になる前の34歳、市長に立候補してた時期である。

多分間違いなく当選すると思った。

その時、こんな風に感想を纏めてある

 その時  『また大阪が面白くなりそうである』などと感想を述べたりしている。

 

 

 1回だけだが直接お会いして、話したこともある。

 

これは2期目の市長立候補をなさるときで、

 

 

こんなメンバーと立候補の弁を聞きにいたのである。

一番右は、新潟三条市の国定市長、元総務省の同僚で、この時は応援演説の弁士でもあった。

女性は司会をされたアナウンサー、真ん中は『三木のさるとる』さんである。

ちなみに武雄の樋渡市長も総務省出身だが、日本一若い市長は樋渡ー国定―倉田哲郎と引き継がれていったのである。

 

 

 

★そんな倉田哲郎さんが、このたびこんな本を出された。

これはぜひ読まねばと、とり寄せて読んでみた。

最近、どの本を読んでも、その殆どが期待を裏切ってしまうことが多いのだが、

これは、そんなに分量はないが、期待以上にオモシロかった。

 

 

大阪のことが、大阪府のことも、大阪市のことも、大阪維新の会のことも、 よく解る。

『橋下徹』さんに関心がある人、『橋下徹』さんが解らない人、いろんな立場の人がお読みになればいい。

倉田哲郎さんは、親橋下さんであることは間違いない。

まだまだ、橋下さんが有名でないころから、橋下さんの政策に好意的であった数少ないヒトではある。

 

ただ、客観的に冷静に、眺めているところがいい。

 

 

★ 樋渡さんも、倉田さんも、未だ全然面識のなかったころに、

ネットで出会って、こちらが勝手に追っかけているうちに繫がったのである。

 

別に、出会ったからどうということもないのだが、何となくいいことがあるかも知れないなどと思ったりもしている。

橋下徹さんも、倉田さんと同じように府知事になる直前からこれはいいと思って追っかけている。

今でもいいと思っている。

 

でも大阪府も、大阪市も、どうも普通の行政とは違った。

チャレンジは何度かしたが、なかなかダイレクトには繋がらないのである。

どれくらい普通の市と違うのか?

その辺のところも、この本には触れている。

 

結構オモシロかった。

 

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首長・参院議員 兼職可能に

2012-12-20 05:38:39 | NPO The Good Times

★ 『首長・参院議員 兼職可能に』 維新が法案提出  というニュースが流れた。

昨日もう一つのブログで、この件アップした

そのブログの中で、2年前のブログのことも書いているのだが、いろいろ当時の想いも書いていて、オモシロいのでそのままご紹介してみたい。

 

 

武雄の樋渡さんが書かれた、西日本新聞の『潮流』の話

2010-08-25 05:18:12| 武雄市&樋渡啓祐氏

 

★今日の『潮流』は、  いつも取り上げていル『潮流発電の潮流』ではありません。

武雄の樋渡さんが書かれた、西日本新聞のコラム『潮流』の話です

いろんなブログがあって、斜めに読んでもいいブログもありますが、確りと読まねばならないブログもあります。
これは間違いなく、後者です。
なんでも、論じられているテーマが『参議院の改革』についての提言です。

ツイッターでも、いろんな意見が飛び交っています。
どうしても議論が細部に入リ過ぎて、のっけから賛成、反対の議論になってしまうのは、問題が問題だけにそんなに早急に結論を急ぐ必要はないと思います。


★お前の意見は?と聞かれると
こんな難しい問題の法律的なことやいろいろあってその辺は皆目解らないのですが。

●第一感、直感で面白い と思いました。

今言われている、議員定数の削減などは、お金の節減にはなるかも知れませんが、本質的な改革に本当に繋がるのかどうか?
今からは地方の時代と言われているのですから、『地方院』と言うのはあっていい発想でしょう。
衆議院と参議院が同じような機能になってしまって、参議院不要論などもあるようですが、これは衆議院の役割も明確化するかも知れません。

●単なる改善ではなく、世の中の新しい流れを分析した上での『新しい仕組みの構築』という提案であることが素晴らしいと思っています。

世の中、個別の改善提案は多いのですが、またそれは日本人の得意の分野であることは認めますが、『仕組みを創れる』人は少ないし日本人の不得意の分野です。
樋渡さんは、それができる数少ない日本人だと思っています。
数少ないから、ご自身でも言っておられるように『奇人、変人の類』なのかも知れません。

●問題点も、いろいろあるのだと思いますが、旗を上げられた時期もなかなかいい時期だと思います。

いろんな問題が常にあるのですが、『いつそれを言いいだすのか?』という時期は、物事の成否を分けるほど重要だと思います。
樋渡さんを4年間ほど追っかけていますが、そのカンの鋭さみたいなものを感じます。

●進め方もちゃんと考えておられるのは当然でしょうが、だれと組むかも焦点だと思います。

大阪の橋下さんは?? ひょっとしたらもう雑談で話が出ているのかも知れません。
私は樋渡ファンでもありますし、同時に橋下ファンでもあります。
このブログにも『武雄市&樋渡啓祐氏』と言うカテゴリーも『大阪府&橋下徹氏』と言うカテゴリーも既に作っています。
そんな風になれば最高ですし、さらにどこかの県とヨコに繋がってさらに大きな輪になればいいなと思っています。
そんな流れの中で、具体的な個々の問題は専門の方がいろいろ知恵を働かせて、いい着地点を探してくれたらいいのです。

などと書いていますが、もうその時点で、橋下さんと話が進んでいたようです。
このブログに、樋渡啓祐さんご本人から直ぐコメントが来て、橋下さんと接触しているというお話しでした。
そのコメントは後記の通りです。


★もし、面白い展開になれば、私もツイッターやブログで応援したいと思っています。
ブログは大したことはありませんが、
そんな時期には、NPOの公式ツイッターのフォロワーはひょっとすると10万人以上になって、全国100位の中にいるかも知れません。
(現在は63000人、120位です。毎日500人ほど、1カ月15000人ほど増え続けています)

2年前、63000人だったんだ。今は265000人になっています。 やはり継続は力です。

 

自分では、そんなに立派な発想はできませんが、仲間や素晴らしい人たちの発想の連携や情報発信のお手伝いをしたいと願っています
異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しい時を過ごそう』が基本コンセプトです。

こんな高次元な問題の情報発信のお手伝いができたらいいなと思っています。

 

こんな内容のブログでした。

この話、オモシロイと思った私のカンもなかなかだと思っています。

当時から樋渡さんや橋下さんを追っかけているのは、この人たちのやり方は『物事が実現する』スタンスで、追っかけて行けば間違いなく前進します。

世の中の評論家や学者先生には意外に評判も悪いのですが、年月が経って見れば『間違っていたのはどちらだったか』というのは明白です。

ただ、この法案を、自民党、公明党が通すかどうか? 

何となく反対するような気もしますが・・・・     どうなるのでしょうか?

この後、つけているのは、樋渡啓祐さんから、寄せられたコメントです。

 さすがですね。 (はいびー)

2010-08-25 11:38:45
慧眼です。橋下さんとは話を進めています!目に見える流れと伏流と、そして、大きな潮流と。どのタイミングで流し、予期せぬ竿が出てくるか、そして、その竿すらも味方にできるか、考えながら動くことほど面白いものはありません。今日、橋下さんと会いますが、また、いろんな動きについて虚心坦懐話をして来ようと思っています。
 いよいよですね (rfuruya)
2010-08-25 16:01:53
橋下さんは大好きです。お会いになったらよろしくお伝えください。

大阪府庁には何度かチャレンジしましたが、流石、府の外堀は深く城壁は高く、橋下さんに届くには大変です。

樋渡さん経由のルートができたら最高です。
大阪維新の会のツイッターもありますし、応援したいと思っています。

日本のために、大きな仕組みを変えねばならないと思っています。
益々のご活躍を祈ります。
 
 

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Facebook のコメントから・・・  カワサキの現役の人たちへ

2012-12-19 09:33:43 | カワサキワールド

 

★Facebook のグループの中に

KAWASAKI Z1 FAN CLUB というのがあって、毎日活発に意見交換がされています。

今朝見たら、こんなやりとりがされていたものですから・・・・・・

 

 

Naoshige Kikkawa

 たまに考えます。
もし、現在の川崎重工がZ1を作ったらどうなるんだろう?
もしかしたら作れないかも?なんてくだらない事を考えます。
皆さんどう思います?
 

などという意見が出されて、みなさんいろいろ言っておられます。

できる、出来んは別にして、

いろんな意見を是非カワサキの開発陣や商品企画の人たちは知っておいて欲しいなと思います。

つい先日も、雑談ですが、これに類した話を、大槻幸雄さんたちと話してきました。

 

先日の 雑談会に出られていた登山道夫さんはのご意見は、結構裏付けがあって、ちゃんとしてると思ってます。

数字も書いておられますが、ご自身で1000台以上のZを日本に持ち込んでおられますし、今でも二輪輸入は現役ですから、その数字もまず信用出来ると、私はカンで思っています。カワサキのブランドイメージの故郷、先進国での取り組みの方向も、間違っていないと思っています。

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    • 確かに現実的に考えますと、100%同じモノを造る事が出来ても、現在の法規制をクリアして、公道を走る事は不可能かと思います。例えば1999年7月以降に生産されたバイクにはブレーキテストが必要です。2003年以降には排ガス規制が必要です。その後も次々と厳しい規制がかけられていると思います。
    • 概算ですが、年間300台のZ1系バイクが里帰りし国内新規登録され、日本国内には3万台のZ系バイクが現存すると仮定し、これからもポルシェ911の如く、高い現存率を維持していくので有れば、心臓とも言えるエンジン部分の全ての補給部品を供給して欲しいです。アッセンブリーが理想です。しかし必要になる部品は、個々により大きく違うと思いますので、全ての部品を組んでアッセンブリーにしても、総額50万円に収まる価格設定が実現すれば、
    • 日本国内で約3000個、海外を含めれば5000個は販売可能かと思います。また、海外のベンツ社やポルシェ社の様に、ブランドイメージ高揚の為のカワサキオートバイ直営の整備&レストアセンターを設置して欲しいですね。 企業が、お金を幾ら出しても買えないのが歴史です。またブランドイメージを上げる為に1番安価で簡単な方法が、自社の歴史、遺産を使う方法かとも思います。そう言う意味でも、40周年を迎える今この時が、メーカーにしても、ユーザーにとっても、最大のチャンスかと…いちファンとして思います。
 
★ 今、『先進国市場は衰退』だと言うのが通説のようですが、
 
先進国市場こそ、いろんな二輪のオモシロさが詰まっている恰好の市場のような気がします。
 
『ただ単に新車を作って売る』という単純な発想ではなくて、
 
もう少し、それに長年乗ってくれて、カワサキのブランドイメージ創造に貢献してくれた『熱烈なカワサキファン』をもっと大事にする姿勢がなければ、二輪事業などオモシロくないと思います。
 
 
この業界の偉大な先人、本田宗一郎さんが、どんな二輪業界を夢見ていたのか?
 
モペット全盛期に、世界のレースに参入し
鈴鹿サーキットを造り、
安全運転にホンネで取り組んだ
 
そんな本田宗一郎さんの想いみたいなものを、二輪業界は引き継いでいくことが大事だと思います。
 
 
単なる量や台数だけでない、『ソフトの分野』こそ、大いに考えて欲しいと思っています
</form>
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Kawasaki ブランド

2012-12-19 06:06:20 | カワサキワールド

 

★昨日は、明石の川崎重工業に高田廣プレジデントと山田浩平技術本部長を訪ねた。

ご一緒したのは登山道夫さんとカワサキの名車Z1の開発責任者大槻幸雄さんとKMCの社長などもされた野田浩志さんである。

 

カワサキのことなら何でもご存じの登山さんが、川崎神社を是非参拝したいと仰るのでご案内した。

 

 

既に、こんな写真で、こんな英文で Facebook ページに紹介され、ている。

There is a Shinto Shrine in KAWASAKI AKASHI FACTORY.
I was visiting there and praying to the God yesterday.
May KAWASAKI's God protect to all of KAWASAKI MC and our Z1s forever!!

 

今の世の中は動きさえすれば直ぐ、世界に繋がってしまうのである。

 

 
Thank you
 
This is great, hope that everybody have that spirit?
 
 
As long as pistons shall move in cylindrical bores...we will remember! ;-)
 
don't forget the KZ1000s!
 
 
For all Kawasaki Bikes!! You're the man!
 
 
 
★ 3時半から夜の9時まで、尽きることのないいい話が続いたのだが、
 
その中の中心話題の一つが、『Kaewasaki ブランド』のことだった。
 
長い年月の間に、カワサキの商品によって、カワサキの活動の積み重ねによって築きあげられ、創られた『Kawsasaki ブランド』である。
 
それは、確かにカワサキからの発信がベースになっていることは間違いないのだが、
それを評価してくれて、且つ一緒に長年の間変わらず支持頂いたユーザーの人たちの力を忘れてはいけない。
 
 
ネット社会になって、カワサキのこのブランド力はさらに具体的にその威力を発揮し始めている。
 
今年の9月にスタートしたばかりの KAWASAKI Z1 FAN CLUB のFacebook ページは、既に世界のカワサキファン達から600を超す『いいね』を頂いている。
 
1年ほど前にスタートしたアメリカの Kawasaki USA は驚くなかれ 60万人から『いいね』を頂いているのである
 
今年の秋、Z140周年イベントでKMCを訪問した時点では53万人だったから、2ヶ月ほどの間に7万人も増えているのである。
こんな熱烈なカワサキファンの支えががあってこそ、
Kawasaki ブランドが維持され、さらに輝きを増しているのである。
 
 
 
 
 
 
★この辺の数字や中身については、多分カワサキの現役諸君よりは、私たちの方が数段詳しいはずである。
 
昨日も高田さんに、その辺のことにもう少し注目し、カワサキ自体がさらに積極的な対応をされるべきではないかと申し上げてきた。
 
今は、ネット社会なのである。
こんな仕組みは幾ら上手に、幾ら大量に使っても一切お金など掛らない。
特に、日本や、アメリカ、ヨーロッパなどの先進諸国は、今では生産台数などでは開発途上国には及ばないが、
『ソフトの世界』『Kawasaki の故郷』は今でも間違いなく先進国が主力なのである。
 
 
是非、来年あたりはこんな『ソフトの分野』にも是非注力して頂きたいものである。
 
 
 
緒に出席してくれた技術本部長の山田浩平くんとは、現役時代からX-11などで直接繋がっていたし、
『ひょこむ』では、『胡蝶』さんのハンドルネームで、ネットの仲間でも知る人は多い。
NPO The Good Times のスタート以来の会員さんでもある。
 
昨日、久しぶりにお会いして、
来年のNPOの新年会にお誘いしたら、多分間違いなく『出席頂ける』ようである。
 
 
来年はNPO The Good Times の具体的な目標は、
 
『共感ネットワーキング』である。  
『共感頂ける』いろんなところと繋がってお手伝いをしたいと思っている。
『Kawasaki』 とも繫がればいいなと思っている、昨今なのである。
 
 
 
 
 
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『橋下人気』に想うこと 1年経って

2012-12-18 06:59:01 | NPO The Good Times
 
『橋下人気』に想うこと
★新しい大阪市長橋下徹さん、マスコミに引っ張りだこである。一昨日は10チャンネルに出たと思ったら、昨日は、「ミヤネ屋」にも、「キャスト」にも、報道ステーションにも、生出演で...
 


★ 昨年のブログにこんな事を書いている。

 

まあ一度目を通してみて下さい。

 

あれから1年経って、私の見方は、全然変わっていない。

1年経ったら、国政に関与することになっている。

あのときと同じスタンスで物事は進んでいる。

1年前に『橋下さんは国政に出る。そして維新の会は50人以上の議席を占めるだろう』などと言ったら評論家の人たちはどう反応したであろうか?

私は、もしそう聞かれていたら『多分それは実現するでしょう』と答えたに違いない。

 

ふとそんなことを想いながら、昨年のブログを読み返した。

 

 

 

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