雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

庭雑感  その19    草とごみ    

2022-09-30 05:36:23 | 私の生き方、考え方&意見

★ 小さな庭だが、毎日特にすることのない身にとっては、
  「庭仕事」は貴重な作業である。

  時間つぶしにもなるし「綺麗になる」という効果もある。
  その一つとして、今年になって続けている「草抜き」だが、
  「庭に草がなくなった」と言えば極端過ぎるので、
  「庭には大きな草はなくなった」と言っておこう。

 まずはこんな区画ごとに、草を抜いていくことから始めたのだが、
 そんな区画をどんどん広げていったら、
 9月末現在はこんな区画の中には「草は1本も生えていない」し、
 庭全体でも大きな草など生えていない。


 



★ 今は実は「草抜き」ではなくて、区画ごとに「ごみ拾い」をしている。
 ごみを拾うのは、草よりは数段ムツカシイ。

 ご覧のように、草は生えていなくても、
 「小さなごみ」はいっぱいなのである。
 いま、そのごみを拾い始めているのである。


  
 

  小さなごみがいっぱいなのが、お判り頂けると思う。
  


 


 これも「庭全体」はとてもムツカシイので
 こんな「小さな区画」から始めだしたところである。


 拾ったつもりでも、写真に撮ってみると、まだいっぱい残っているが、

 


  

 
 時間をかけて拾っていくと、
 このレベルにはなって、肉眼で見る限りは「きわめて綺麗」なのである。






★ 「つまらぬことを」とお思いだと思うが、
 やってる本人は励みにもなり「結構満足感」を持っている。

 現役時代からずっと「目標をもって」人生を過ごしてきたのだが、
 この歳になると「こんな目標」ぐらいしか見つからないのである。

 別に金が掛るわけでもないし、
 自分自身が満足するには「いい目標」だと思っている。
 そのうちに、ほんとに庭にごみが落ちていない状態になったら、
 ご報告したいと思っているのだが、
 果たして、そんな日は来るのだろうか?


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9月28日は息子の誕生日

2022-09-29 05:29:57 | 発想$感想

★ 9月28日は息子の誕生日である。
 そんなことはすっかり忘れているのだが、Facebookが思いださせてくれる。

 「大治、誕生日おめでとう」とFacebook で発信したが、
  果たして見るのだろか?


  



  息子は一応はFacebookni登録はしているが、
  家内に似て一切投稿などしないし、
  多分、この「誕生日おめでとう」にも返信はないものと思っている。

  でも、幾つになったのだろう?
  今年は12月には結婚60周年だから、59歳になったのだろう
  早いものでもう来年は定年なのである。


  これは何年か前、ロスの空港で写した写真だが、
  この世の中に「古谷」と名乗る身内は、この3人だけである。

  
  

  
  あと何年、私は生きれるのだろう?

  30年後にはどんなことになってるのだろう?
  30年経つと、息子も今の私と同じ89歳である。

  孫の古谷仁は、どうなってるのだろう?
  その頃までには結婚して、男の子でも生まれてるのだろうか?
  そんなつまらぬことを、息子の誕生日に思っている。


 

 


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ありがとう 安倍元総理

2022-09-28 05:24:16 | 発想$感想

★ 安倍元総理の「国葬」いろいろな意見がありましたが、
 昨日2時からしめやかに行われました。
 
 この「国葬」についてはいろんな意見もあって、
 国葬が行われた当日にも、全国のいたるところで反対のデモなどもあったようですが、
 私は素直な気持ちで「国葬のテレビ中継」を見ることが出来ました。


★こんな若い方が立ち上げた「安倍元総理デジタル献花プロジェクト」というのがあって、
 一時沢山の方が押し寄せて繋がりにくくなっていたようですが、
 国葬が終わりに近づくころには繋がったので、
 私も日本国民の一人として、素直な気持ちで「献花」をさせて頂きました。
 
 

 
 現在の献花数は330、000名以上になっているようですが、
 期日は9月27日まで延長されたので、今からでも間に合うかも知れません。
安倍さん、有難う」という感謝の気持ちをお持ちの方はぜひ、ご献花を。
 
 


   

  私は菊の花を選び、
  このように安倍さんに、素直に感謝の気持ちを贈りました。


  安倍さん

  日本の国のためにいろいろ尽くして頂いてありがとうございました。
  「美しい国・日本」を創るために私自身も頑張りたいと思います。

  国葬、いろんな意見がありましたが、無事進行中です。
  安らかにお眠りください。

   



★ 安倍元総理デジタル献花プロジェクト と検索されると、
 あとはそんなにむつかしくはありません。

 画面の花をクリックすると、
 それぞれの方のメッセージを読むことが出来ます。



 
 
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カワサキコンバット三橋実と 神戸木の実の片山義美 と・・・・

2022-09-27 05:10:30 | カワサキ単車の昔話

 若いころカワサキのファクトリーチームを担当したこともあって、
 当時の世のライダーたちとは、いろんな形で繋がっていて、
 今回、11月に開催する『Z50周年祭』にも多くの有名ライダーが参加してくれるのだが、
 そんなカワサキの二輪事業に直接大きな影響を与えたのが、
 1962年(昭和37)11月に開催された
 日本で初めての本格的な鈴鹿ロードレースだったのである。


     
   

 このレースでは、250㏄が三橋実・350㏄が片山義美と二人のヤマハライダーが優勝するのだが、
 三橋実・片山義美のこの二人のライダーこそ、
 カワサキのレースを育ててくれたと言っても過言ではないのである。

 こんな当時の250ccの記録をネットで見つけたが、
 ここに名を連ねている三橋・本橋・片山・宇野さんは知ってるし、
 宇野順一郎さんは今回の『Z50周年祭』にもご出席なのである。
 
 
 


★ この250㏄優勝者の三橋実は、
 カワサキが本格的にレースを始めた時から関東の厚木に『カワサキコンバット』というチームを創って、
 安良岡健とともに梅津次郎・岡部能夫・星野一義などの若手ライダーの育成にあったってくれたし、
 当初は自らライダーとして出場してくれたのである。

 こんな貴重な写真がネットの中にあった。
 多分、第1回MFJ 全日本モトクロスの相馬が原での写真ではなかろうか?
 ヘルメットの『1の字』がコンバットのマークである。

 
  

 これがスタート間もないころのカワサキのファクトリチームのメンバーで、
 右から6人目が三橋実なのである。





 このメンバーの殆どがカワサキコンバットなのだが、
 その中の二人右から3番目と4番目が神戸木の実クラブ山本隆・歳森康師で、
 皆さん後にはみんな有名ライダーに成長するのだが、このころはまだ名もない若手ライダーだったのである。


 片山義美さんは、ヤマハ・スズキとの契約で、カワサキとの関係は直接なかったのだが、
 そのメンバーたちがみんなカワサキとの契約だったのである。
 これはその『神戸木の実クラブ』の会合が三木で開催された時の
 片山義美を囲むカワサキのレースライダーである。
 このほかに歳森康師と星野一義も一時『神戸木の実』に名を連ねたのである。


 


 
 日本での初めてのロードレースの優勝者・三橋実と片山義美がカワサキとこのように密接に繋がっていたのは、ほんとに不思議なご縁なのである。


★ 若し鈴鹿サーキットが無ければ、
  三橋実と片山義美との出会いが無ければ
  カワサキの二輪事業もレースも全然違ったものになっていたのだろう。
  そんな鈴鹿のロードレースレースだったし、
  このレースの見学を裏で画策したのは
  兵庫メグロの西海義治社長なのである。

  もっと極端に言えば、本田宗一郎さんが鈴鹿サーキットを造らなかったら
  カワサキの二輪事業もなかったかも知れない。

    
     

  これはずっとのち、兵庫県でのモトクロスレースに本田宗一郎さんがお見えになった時の、西海さんとの貴重な写真である。


  
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玉鷲 優勝おめでとう

2022-09-26 05:33:52 | 発想$感想

★大相撲秋場所は玉鷲の優勝で終わった。
 玉鷲、優勝おめでとう!

    
   


 テレビにこんな画面が流れたが、
 『37歳10か月』は、最年長優勝と言っていい。

太刀山は調べてみたら、太刀山 峯右エ門という第22代横綱(1877~1944月)で、もうずっと以前の大正5年の優勝だから、
年6場所制がスタートした、1958年(昭和33年)からの現代の大相撲としては
最年長優勝』と言っていいのではなかろうか。


 


 
 それにしても玉鷲は若々しくて、とても37歳だとは思えない。
 横綱・大関などを連破しての優勝だから見事というほかはない。


 高安もよく頑張ったが、一歩玉鷲に譲った感がある。

 


★大相撲はそんなに詳しくはないのだが、
 15日間、夕方の時間を楽しませてもらっている。

 ただ、今場所は横綱が休場してしまったし、
 正代・御嶽海の両大関が4勝11敗と大幅な負け越しで、
 御嶽海は大関陥落だし、ちょっと横綱・大関陣が不甲斐なかったなと思う。

 若隆景・若元春の兄弟力士が揃って『二桁勝利』など、
 新しい時代の幕開けかなと思ったりもした。


 これが千秋楽の取り組みだったが、
 何とかこの辺りの力士までは解るようになってきたのに、
 また2か月、11月まで夕方の大相撲も観られない。


 

 
 11月九州場所は「どんな番付」になるのだろう?



 
 
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庭木  雑感

2022-09-25 05:43:29 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

三木に移って来てもう50年近くにもなるのだが、
 当初から我が家の庭は、戦前に明石の本家に入っていた庭師の方が、
 『任せておきなさい』と言われて当時は金も苦しかったので、
 庭づくりの費用など一度には払えないので、
 ほんとに10年もかけて石造りから造園までやってくれて、
 『ある時払いの催促なし』で造られた庭なのである。

 ところが樹はなぜか枯れるのである。
 実はごく最近も玄関の前の『キャラボク』が枯れた。
 当初は柘植の樹の前に植えられていたのだが、
 柘植が枯れてしまったので私が勝手に『みかんと柚子』を植えている。

 
 

 
 その前に植えられていた『キャラボク』が枯れたので、
 今日、そこに『シダ』を植えたのである。
 植物にも格があるとすれば、全然違うのだが、
 『まあいいか』と思っている。


 



 『花の咲く樹はもう一つだ』などと言って、
 庭の核となる場所には
 『柘植』や『マキ』なの『花の咲かない樹』が植えられていて
 『五葉の松』など樹齢100年もするのではと思われる
  こんな盆栽風の松があったのだが、これも枯れてしまった。


  


  別に何もしないのだが、生命のあるものには死もあるのは
  樹木も人間も同じだから仕方がない。


★ そんなことで、かっては『風格』が感じられた
 この一画も今では『薔薇』や『サクランボ』などになってしまって、


 



 反対側から見ると
 角に植えられた『マキ』が枯れずに残っているので、
 周囲の石積みとも何とかマッチしているのである。


 



★ こんな剪定が必要な昔の庭も、今どきはお呼びでないのだろう。
 庭木は『大きくしない』ようにしないと
 大きくしてしまうと『庭の形が変わってしまう
 そんなことを言ってみても、庭に時間を掛けれるのは
 私のような『時間がいっぱいある』高齢者でないと無理かなと思う。

 この庭も、私がいなくなってしまったら、
 『どんなことになるのだろう?
 と思ったりするのだが、『まあ、なるようになるのだろう』と思ったりしている。

 今回、『キャラ』の後に『シダ』を植えたのも、
 『シダ』なら放っておいても大きくならないし、手入れが要らないと思ったからである。

  
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モーリス・ミニクーパー   

2022-09-24 05:21:06 | 発想$感想

★私はご縁があってカワサキの二輪事業のレース関連などに携わったのだが、
 そのご縁が私の人生を豊かなものにしてくれたのは間違いない。
 車や単車の運転そのものは好きで、若いころは単車にも乗ったこともあるのだが、
 その運転テクニックだけは興味があって、アクセルターンなどは完全に出来るようにはなったのだが、
 ただ何故か二輪そのものは持ったこともないのである。
 
 その点、4輪の運転も好きで、世界各国への出張があったものだから、
 現地ではレンタカーを借りて、世界の道を走りまわった経験がある。
 ヨーロッパやアメリカは兎も角、アフリカのナイジェリアの道を走れたことなどは貴重な経験といっていい。

 そんな時印象に残っているのが、イギリスの4輪のモーリス・ミニクーパーで、
 毎年のように新しくモデルチェンジする日本のメーカーに比べて、
 1959年から2000年までの41年間、一度もモデルチェンジすることなく製造が続けられたモーリス・ミニクーパー には深い関心を持っていたのである。

 この41年間は、奇しくも私のカワサキでの二輪担当期間と一致する41年間、昭和36年から平成12年までなのである。


 こんなスタイルの車で、
  
  

  
  箱型だったなという印象が残っている。

 
 


★ ロンドン市内ではこんなミニ・クーパーがいっぱい走っていて、
 現在はBMW・ミニクーパーになっていて、形もこのように変わっている。 
 今回、車を新しくする期間の代車にこんなミニ・クーパーを貸して頂いて、それに乗る機会を得たのである。


 


 車の運転そのものは、どんな車でも大丈夫なのだが、
 最近の車の装置はいろいろと多様化されていて確かに便利にはなっているのだが、
 それを使いこなすには、すぐにはなかなか慣れずにウロウロしてしまうのである。

 今は標準装備品になったナビゲーターなども
 その操作の位置がわからなくてウロウロしていたら、
 
  



 全然別の位置にこんな器具があって、
 これを回せば簡単に地図の縮尺が変わるのだが、
 それを見つけるまでが大変なのである。


 それでも、今回ずっと関心のあった『ミニ・クーパー』に乗れる機会を得て、ラッキーだったなと思っている。






★それにしても、時代は変わるものである。
 かっては自動車王国であったイギリスの自動車産業も低迷して、
 今はドイツのBMWの傘下で、ミニにまつわる権利も手中にしている。

 そんなことで今回BMWの車を乗り換えるに当たって、
 ミニクーパー の乗る機会を得たのだが、
 やっと慣れた頃には新しいクルマが入ってくるのだろうが、
 それまでの短い期間、こんな歴史のある車の運転を楽しみたいと思っている。 



 









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ひょんなことから車を新しくした

2022-09-23 06:12:37 | 私の生き方、考え方&意見

 私は技術的には全く駄目でいろんな技術的事象についてはよく解らない。
 何日か前から車のラジエーターの水が少ないという表示が出だして、
 何となく気分が悪かったので、昨日はBMWのサービス工場に持ち込んだ。

 家から「サービス工場」に行く道筋でも『ひょっとしたら車を乗り替えるか』と思っていたのだが、
 サービス工場で診てもらったら『ちょっとひどい』ということなので、
 修理はせずに『車を乗り換えよう』とすぐに思ったのである。

 新車は勿論買えないので加古川のBMW 中古車専門店に行くことにして、
 そこの店の方が明石のサービス工場まで私を迎えに来てくれたのである。

 この時点でもう『車を乗り換える』ことが決まったみたいなものである。
 加古川の中古車専門店はこんな感じで数えられないぐらいの中古車が並んでいた。

  


 こんな中から車を選ぶのは大変だなと思ったのだが、
 迎えに来てくれた人がすぐ2台の候補を挙げてくれて、
 それを見たら値段も手ごろだし、そのどちらかにしようと思ったのだが、
 その中の『320』という今の型と同じサイズを勧めてくれたので、躊躇なくそれに決めたのである。

 その間ものの10分も掛からなかった。

 担当の方はここに『小さな傷がある』などと私には解らないような『』のことなども言われるのだが、
 そんなうるさいお客もおられるのだろうが、
 私は車は『移動手段』に使うので、その機能さえよければ小さな傷など何の問題もないのである。

  

  


 すぐ事務所の中で契約書の内容を決めて、購入を決めたのである。




 代車の『ミニクーパー』を借りて戻ってきた。
 2時に家を出て明石に行き、更に加古川まで行って、家に戻ったのは5時半だたからその間3時間半
 如何にてきぱきと決めたかが、お判り頂けるかと思う。

 私は殆どの場合、担当される方を信じてしまうのである。
 明石から加古川に向かう車内の中では他愛もない雑談をしてたのだが、
 それで何となく人柄は解るのである。
 そんなことで勧めてくれた通りに決めたのだが、
 多分、間違いなく相手の担当者も気分がよかったと思う。

 あと印鑑証明をとって、実印を推したら手続きは終わるそうで、
 今夜担当の方が家までそれを取りに来ていただいて、
 1週間ぐらいで新しい車が入ってくるのだそうである。
 白色だから大きく見えたのかも知れぬが、大きさは今までのBMと同じだと仰るのである。
 同じでないと我が家の車庫はギリギリだから入らないのだが、
 大丈夫かなとそれだけが心配なのだが、
 玄人の担当者が仰るので大丈夫と信じているのである。

 年式がちょと旧いのだが、その分安かったし走行距離もそんなに上がっていないので、『いい買物』だったと思っている。

 『信じる者』と書いて『儲かる』になるのだが、
 人を信じて生きてきたのが私の生き方なのである。



 
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昨日のZ1会と11月のZ50周年記念祭  雑感

2022-09-22 06:17:35 | カワサキワールド

★ 昨日は恒例のZ1会のゴルフでした。

  年4回、4月・6月・9月・11月と年4回あるのですが、
  現在の私のゴルフは1年を通してもこの4回だけになっています。
  そんなことですから、スコアもいい筈はないのですが、
  大槻幸雄さんが会長を引かれて、今では私が一番の年長者と言うことで、
  結構なハンデーを頂いてるので、昨日もアンダーで廻れて、
  5位入賞など非常に楽しいゴルフでした。

 


★今年はZが誕生して50周年になります。
 Zの開発責任者であった大槻幸雄さんも日本自動車工業会の殿堂入りをされましたし、 Z1・Z2が歴史遺産車にもなりました。

 そんなこともあってこの11月にZが産まれた明石の地で、 
 Z50周年を祝う会を開催するということで進行中です。
 Zのユーザーさんがその中心ですが、
 カワサキの大槻幸雄さんをはじめ歴代の関係者や、山本隆・星野一義・清原明彦などのカワサキのライダー諸氏、
更には他メーカーの宇野順一郎・田中隆造・吉村太一さんなど錚々たるメンバーの参加がすでに確定し、
現時点でも参加人数は100名を超えていますので、大成功の素晴らしい会になるであろうことは間違いありません。

 この会の後援には日本二輪車文化協会(会長吉田純一)Z1会も入っていますので、
昨日のZ1会コンペで改めて参加のお願いをしたので参加メンバーはさらに増える見込みです。
因みに昨日のコンペの同伴競技者は吉田純一さんでした。
 
★ 私も現役時代から沢山のイベントを手掛けましたが、
 開催当日まで出席者などはなかなか確定が難しいのが現実かと思います。
 今回はそんなこともあって立食パーテイー形式になっていますから、
 少々の増加にも対応できるようなシステムになっています。

 これは2011年の東日本大震災のあった年ですから、もう10年以上も前のことですが、
 
 「カワサキの想い出そして未来」というイベントには、当時の川崎重工業社長田崎雅元さん以下錚々たるメンバーが参加されましたので、
 このメンバーの紹介の時だけ私が司会を務めています。
 その年のブログからの写真です。

 

 これもその時出席頂いた各メーカーのレース関係者で、
 この写真のうち4人は今回の会合にも出席です。
 金谷秀夫が若し元気なら、彼はZ1会のメンバーでもありましたし、
 間違いなく参加だったのですが残念です。
 
 



 今回の会合も日本二輪車文化協会の関連では二輪に関心を持たれる大物国会議員さんの参加もあるかも知れません。
 まだ開催当日まで2か月もありますから、それまでにはさらに新しい参加希望者が出てくることは間違いなくて、
 なかなかメンバー確定は難しいのが現状かと思います。
 
 今回の会の司会者は大成功だった『カワサキの想い出そして未来』
 更には10年前の『Z40周年記念祭』にも
 司会を務められた『森田・腰山コンビ』ですから
 安心して会の進行をお任せ出来ると思っています。

      
     

 今回のイベントのほんとの主催者は『二輪を愛する末端のユーザー諸氏』かも知れません。
 そんなことで色々と心配事もあるようですが、
 私は現時点で『もう成功間違いなし』と信じています。
 今後、まだ2か月ありますが、若し変化があったとしたら
 『いい方向への変化』だと思っています。

 昨日のZ1会での反応を見て、それを特に感じた次第です。
 いい1日でした。
 

 


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北播磨総合医療センターに行ってきた

2022-09-21 06:14:18 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 昨日は家内の3か月に一度の定期健診で北播磨総合医療センターに行ってきた。

  


 そんな診断の中に「亜鉛値が上がっている」と言う先生の言葉があって、
 「亜鉛を沢山とる」と言うと素人考えでは、
 これは駄目なのかなと思ったら「いい傾向」のようである。

 一体「亜鉛」とはどんなものに含まれているのかと思ったら、
 こんな食品にこのように含まれていて、
 こんな食品なら、私は大丈夫ちゃんと撮れていると思う。
 


  大体「レバー類」はよく食うのだが、
  この表を見る限り、今から旬になる「牡蠣」が圧倒的である。

★家内は昨今、「味覚」が悪くなっていて、
 「味覚」のためには「亜鉛」を摂るのがいいからと、
 「」も頂いているのだが、食する食べ物からもぜひ多く摂ればいいと思うので、
 これからのシーズン「牡蠣」はいっぱいで廻るし、
 やらかいので、あまり噛まなくても食えるのがいい。

 この歳になっても「新しい知識」が身に付くから不思議である。
 昨日は「亜鉛」について覚えた。
 「亜鉛」と言う語感からだけだと、何か悪いほうに思うのだが、
 「亜鉛」は健康にとってなかなか貴重なのである。
 
 

 
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台風14号 を時系列で追っかけてみた     

2022-09-19 21:59:53 | 発想$感想

超大型の台風14号が来るというので、そのつもりでいたのだが、
 ほんとにそんな強い風が吹くのだろうか?

 いま9月19日(月)の2時半である。
 雨は全然降っていない。
 風は吹いてはいるが、そんなに「猛烈な風」ではない。

 三木の天気予報を見ると
 3時から強い雨になるという予報で、
 風は昼の12時に10mだが、それ以降は7~9mで大したことはない。

 


 毎回そうだが、今回も「大したことなく」過ぎてしまうのかも知れない。


 天気図を見ると今日の6時ごろから





 8時ごろがピークで





 10時ごろまで続くようだが、


 


 夜中の0時には過ぎ去ってしまうようである。




★ こんな予報だが、果たしてどうなるのか?

  いま午後3時だが、こんな予報を追っかけてみることにする。
  3時は大雨と言う予報だが、まだ雨は降っていない。
  風もそんなに吹いてはいない。


  5時半になって薄暗くなったが、まだ雨は降っていない。
  風は心持ち強くなったような感じだが猛烈な台風と言うのでもない。
  この辺りは停電にはなってなくて大相撲を観ているが、
  神戸から明石にかけて停電のようである。


  午後8時発表の三木の天気予報だが、8時までは実績なのだろう。
  雨は殆ど降らずに夜の9時には降るというが、実績は大したことはない。
  風も一番きついのが12mだからこれも強風なのだろうが、
  台風の風ではない。

  
  


  9時、NHKのニュースなどでは関西も大雨警報など大変な状況だが、
  外に出てみたが雨も小ぶりだし、風はそんなに吹いていない。
  台風14号は、どこか別の国の出来事のような感じである。
  もう大丈夫のようなのでニュースを見たら寝ることにする。

  今回も、いつものような「大したことのない台風」でよかった。



 
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大谷13勝、MVPの行方は?

2022-09-19 11:02:57 | スポーツ

エンゼルス大谷翔平投手が「3番・投手」で先発出場し、
投手として7回を投げ3安打無失点8奪三振の好投で、
メジャーでの自己最多を更新する13勝目(8敗)を挙げた。

 エンゼルスは大谷が投げた時は別のチームになる。

  
  


初回から持ち球をフル活用、マリナーズ打線に二塁すら踏ませない好投で、
マリナーズ打線を完全に手玉に取った。
1回の第1打席には、フェンスの最上部を直撃するホームランかと思われる、
タイムリー二塁打先制の1点
 
今季の奪三振数は196個まで伸び、奪三振率11.92はメジャートップ
メジャー挑戦以来、投手として最高のシーズンを送っている。

ア・リーグのMVPは、ヤンキースのジャッジと激しい争いを繰り広げている。
新記録の62本まで、あと5本と言うが、こちらも新記録は達成しそうな勢いである。

  
  

 この壮絶なMVP争いはどんな結果になるのだろう?



 
 

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カワサキの二輪事業の黎明期 その3   雑感

2022-09-18 06:04:23 | カワサキワールド

★ カワサキの二輪事業の創成期とはいつごろまでのことか?
 前回には「昭和41年(1966)までの5年間」などと書いたが、
 川崎重工業・川崎車両・川崎航空機の3社合併で川崎重工業となる以前の「川崎航空機工業時代」かなと思ったりもする。
 

 川崎航空機工業時代は三社合併の昭和44年(1969)4月までなのだが、
 それまでに開発された車は、125B7/B8などの全くの実用機種に始まって、
 1966年アメリカ市場用に開発された250A1から

 
 

 マッハⅢなど、
 業界に先駆けたユニークなスポーツバイクが世に出ているのだが、

 


当時の国内市場は50㏄モペット全盛期で、
ホンダ・スズキ・ヤマハの競合3社はモペットが主力だったのだが
アメリカ市場中心に動き出したカワサキだけが、
ユニークな250cc以上のスポーツバイク開発の主力を移していたのである。


★今年11月の明石で開催される「Z50周年記念祭」には既にZのユーザーを中心に100名以上の出席者が決まっているのだが、
これらA1やマッハⅢの開発を直接担当された大槻幸雄・百合草三佐雄さんや
当時のアメリカ市場開拓に貢献した種子島径さんなどの出席も決まっていて、
これは盛大な内容のある立派なイベントになることは間違いないのである。

 そんな会合での幕開けに「カワサキ二輪事業の創成期」と言うテーマでのスピーチをすることになっているのだが、
 限られた時間の中でのスピーチなので、
 当時の「写真を中心にした説明」にしようと思っていて、今その写真の選定に掛かっているのである。

 そんな中で冒頭に使おうと思っているのがこの写真である。


   
 

 私は昭和32年(1957)の入社なのだが、
 その1年前の川崎航空機工業の65年も前の貴重な写真である。
 現在の川崎重工業明石工場なのだが、当時は「神戸製作所」と呼ばれていた。

 川崎航空機工業は軍事産業だったという理由で戦後7年間ほどの中断があったのだが、
 再開後は歯車・ミッション製作や米軍のジェットエンジンオーバーホール
 それにベル・ヘリコプターの生産などが行われていたのである。

 私は入社後財産課に配属されたのだが、再開後の経営はまだ苦しい時代で、
 膨大な土地や戦前から残っていた機械などの財産物件の売り食いで、
 経営を繋いだりもしていたのである。

 そんな時期に、生産から末端販売まで世界市場を手掛ける「二輪事業」は会社の命運を掛けた「失敗の許されない事業」だったのである。
 そんなこともあって、非常に競争の激しかった50㏄モペットなどの小型機種は、三社合併を機にその生産を中止し、
 独自の「中大型スポーツ機種」に開発・生産・販売を絞ったことが、良かったのかも知れない。



 
 

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台風14号と予想積算雨量

2022-09-17 05:19:45 | 発想$感想

台風14号はゆっくりだが、
 九州や関西地方には間違いなく影響を与えるような進路で北上中である。
 この地方も19日の月曜日あたりには暴風圏内に入りそうである。
 
 三木に移って来てもう50年近くなるのだが、
 記憶では台風にはまだ出会っていないように思うので、
 若し台風圏内に入ったら「初めての経験」になる。

 もうすこし日本海側に寄ってくれればいいのだが・・・
 


 

  これが最新の予想だが、心持ち北に寄ったような気もする。



  火曜日までの「予想積算雨量」が出ているが、
  九州辺りは大変である。




  三木と言うか播磨地域は本当に雨の少ない地域だが、
 今回も雨のほうは大丈夫のようである。
 家の立地もなだらかな丘陵地帯にあるので、雨のほうは少々降っても大丈夫なのだが、
 風がそんなにきつくないことを祈るばかりである。

 さて、どんな結果になるのだろう?



 
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カワサキの二輪事業の黎明期 その2   雑感

2022-09-16 05:30:04 | カワサキ単車の昔話

★「カワサキの二輪事業の黎明期」とは何年ぐらいまでのことなのだろう?
 私自身のことでいうと昭和36年(1961)12月に単車営業が出来てそこに異動してから、
 広告宣伝課の担当が終った昭和41年(1966)までの5年間だったと言っていいのではなかろうか?

 そんな時代に一緒だったメンバーも60年も経つと先に逝ってしまわれた人も多いのだが、
 今もなお元気で今回のZ50年記念祭にも顔をだしてくれる仲間もいて、
 その一人が「福田康秀くん」である。

 彼とは私が初めて出来た「単車営業課」に異動した時に同じ課の仲間として出会たのである。
 「単車営業課」と言っても生産・技術以外のことはすべてやらねばならなくて、
 今でいう品証部門のサービス員3人の一人だったのである。
 そんなことで、その後も結構気安く付き合った仲間なのだが、
 それから4年経って彼が品証にいた時に突然私のところにやって来て、
 「85J1で、品証の仲間で富士山に登りたいのだが、その費用を都合してくれないか?」と言うのである。 

 当時、私は広告宣伝課担当で結構な予算を持っていたので、
 いろんなことで理屈をつけて「たかりに来る」人たち多かったのだが、
 富士山登頂に成功したら、これは広告に使えるなと思って、
 「富士山山頂での写真を撮ってきたら、その費用は全部見てあげる」と言うことにしたのである。


★ それは見事に成功して沢山の写真を撮ってきたのである。
  昭和40年(1965)8月3日のことである。
  
 そんな写真の中から

 







 登頂には成功したがなかなか大変だったようである。
 2台の85-J1はモトクロス職場でチューニングして
 タイヤも特別にモトクロスタイヤを装着したのだが、
 戻ってきたマシンのタイヤのヤマはすり減って殆どなかった状態だった。





 
 勿論、広告宣伝にも大いに利用させていただいて、
 当時のバイク雑誌2誌、オートバイ誌とモーターサイクリスト誌
 派手な広告を打ったのである。

 その中のサイクリスト誌の記事を「二輪文化を伝える会」さんが
 探し当ててくれたのが、この写真である。




 


★ この時期は映画界とも繋がっていて、
 特に日活映画とはいろんな繋がりがあって、
 当時のトップスター浜田光夫と吉永小百合とカワサキのこんな写真もあるのだが、


  

 

 その浜田光夫が明石日活に挨拶来た時には、
 飛び込みで「明石工場まで来ませんか」と「ダメ元」で言ってみたら、「
 浜田光夫が明石工場ま来てくれたのである。
 事業部長と対談し、そのあとテストコースでバイクに乗ったりしたのである。
 昭和39年(1964)7月14日のことで、
 浜田光夫が来たというニュースが流れて、
 テストコース横の発動機工場の女工さんたちが浜田光夫を見に飛び出してきて、一時ラインが止まってしまったりしたのである


 日活とはホントにいろいろ密接に繋がっていて
 花咲く乙女たちのロケが岐阜であった時にも
 バイクを貸したのだが、サービスが出来る人を出して欲しいという要求で、
 「福田康秀」クンんと二人で岐阜まで行ったのだが、
 立派な旅館に泊めて頂いて最高のおもてなしをして頂いたのもいい思い出である。
 別にバイクも問題なかったので、仕事は何にもなくて
 いいご馳走を食い、映画館での舞台挨拶などを見てただけの楽な出張だったのである。


 
 


 この映画には堺正章も出てたのだが、
 まだ有名ではない駆け出し時代で「堺駿二 の息子」さんと言うことで紹介されていた。


当時のテレビの人気番組「源平芸能合戦」にも川崎航空機と三洋電機の対戦として出場したのだが、
これも昭和39年8月のことで、これには明石工場だけでなく本社岐阜工場も巻き込んで頑張ったのである。
 結果は107:105点と言う稀に見る高得点での接戦だったのだが、結果は三洋に名を成さしめたのである。

 
 
 この時には後に単車の事業本部長をされた岩城常務がまだ本社総務部長の頃だったが、熱心に応援して頂いて、
 「芸人を養っている訳ではないから、応援だけは負けるな」と連日応援団の練習を熱心にやって、
番組を担当されてた方が、こんな熱心な会社は見たことが無い」と感心されていたのである。


★ 単車事業もまだスタートしたばかりで若かったが
 私もまだ30歳そこそこの若さで広告宣伝課を担当したお陰で、
 一般サラリーマンでは経験できないような面白いことばかりだった時代なのである。



 
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