中山道散歩(3)10年11月11日
番場宿を出るとしばらくは北陸自動車道?と並行するように
道が続いています。道は全面舗装されていて車がすれ違える程の幅はありますが、
人にも車にも出会いません。資料によると実際の中山道は高速道路の所との
ことですが、代替として中山道ルートを別に造ったようです。仕方ありません。
途中、彦根のジャンクションの所でミゾソバの群生発見。私は初見のはずです。
たくさんありましたが、丁寧に見ても開いている花は見つかりません。
仕方なく開いていない花を撮影。
さて、そこから摺針峠を越えなくてはなりません。少し急な山の中の道でしたが、
番場宿から鳥居本宿までは4キロほどしかなく、しかも2キロは歩いてきているので、
残りはわずかです。道は立派ですが、歩いている者は一人もいず、ちょっと怖い感じも
覚えます。この峠からは琵琶湖が良く見えるとのことでしたが、見えませんでした。
峠を下りきってしまえば北国街道と交差し、南に行けば鳥居本宿はすぐです。
鳥居本宿も賑やかな街ではありません。道中合羽の販売所が多かったようです。
何にでも効くという赤玉を売っていた神教丸本舗は今も立派な家構えです。
鳥居本宿から道なりに6キロほど歩けば高宮宿です。上質の麻布販売で有名だった
ようです。
ここは多賀大社のお膝元の宿です。ですが大社までは中川道を外れて3キロ以上
東進しなくてはなりません。一応は多賀大社に向かって歩いていたのですが、
暗くもなってきましたので途中で引き返して近江鉄道の高宮から彦根に戻りました。
高宮から草津までは50キロ少し。もし来年にやる気が起きれば、二日に
分けて歩いてみても良いかなーと思い始めています。
ミゾソバの花
北国街道との交差点に立つ摺針峠の道標
鳥居本宿に向かう途中の松並木
赤玉神教丸の説明
有川家。最盛期は80人の店員がいたそうです。
途中のお地蔵さん
高宮宿
多賀大社一の鳥居。ここから3キロ以上あります。
多賀大社の常夜灯。
中山道散歩(2)10年11月11日
中山道散歩レポートその2です。
梅花藻の咲く季節と違って閑散とした醒井宿を後にして、
次の番場宿にと向かいました。
醒井宿から番場宿までは約4キロ。途中には国道21号線と合流していて、
歩いている横をトラックが飛ばして行きます。
街道としての情趣はほとんど味わえないままでした。
途中 、オモトを10鉢ほど植えているお宅があったのでオモトの花を撮影。
「樋口」という所で国道を横切って民家の中の道路を歩き、米原ジャンクションを
越えます。ここから番場宿までは平坦な道を歩いてすぐに到着。
番場宿では「蓮華寺」を見るのも一つの目的でした。番場宿内の北陸自動車道の
高架下をくぐってすぐです。
1333年5月9日、前日に足利尊氏軍と戦って敗れた六波羅探題、北条仲時一行は
鎌倉に落ち延びる途中、この蓮花寺で自裁して果てました。432名といいます。
この時に随行していた北朝初代の光厳天皇、後伏見上皇、花園上皇は捕縛されて、
やがて帰洛しました。この光厳天皇も数奇な運命をたどった天皇とも言えます。
現在の御所に住んだ初めての天皇です。
オモトの花です。
番場宿の入口
蓮華寺山門
蓮華寺本堂
由緒説明
北条仲時一行の墓。少し離れた位置に「番場忠太郎」の像もあります。
咲き残っていたアジサイ
「玉の緒」の花。ミセバヤとも言います。
番場宿の西側入口。番場は馬場とも言っていたそうです。平安時代にはこの「馬場駅」
は廃されていたものと思われます。もう少し醒井よりに「横川駅」が設置されていました。
中山道散歩レポートその2です。
梅花藻の咲く季節と違って閑散とした醒井宿を後にして、
次の番場宿にと向かいました。
醒井宿から番場宿までは約4キロ。途中には国道21号線と合流していて、
歩いている横をトラックが飛ばして行きます。
街道としての情趣はほとんど味わえないままでした。
途中 、オモトを10鉢ほど植えているお宅があったのでオモトの花を撮影。
「樋口」という所で国道を横切って民家の中の道路を歩き、米原ジャンクションを
越えます。ここから番場宿までは平坦な道を歩いてすぐに到着。
番場宿では「蓮華寺」を見るのも一つの目的でした。番場宿内の北陸自動車道の
高架下をくぐってすぐです。
1333年5月9日、前日に足利尊氏軍と戦って敗れた六波羅探題、北条仲時一行は
鎌倉に落ち延びる途中、この蓮花寺で自裁して果てました。432名といいます。
この時に随行していた北朝初代の光厳天皇、後伏見上皇、花園上皇は捕縛されて、
やがて帰洛しました。この光厳天皇も数奇な運命をたどった天皇とも言えます。
現在の御所に住んだ初めての天皇です。
オモトの花です。
番場宿の入口
蓮華寺山門
蓮華寺本堂
由緒説明
北条仲時一行の墓。少し離れた位置に「番場忠太郎」の像もあります。
咲き残っていたアジサイ
「玉の緒」の花。ミセバヤとも言います。
番場宿の西側入口。番場は馬場とも言っていたそうです。平安時代にはこの「馬場駅」
は廃されていたものと思われます。もう少し醒井よりに「横川駅」が設置されていました。