眼が語るもの
昨日の9月12日は久しぶりに植物園まで。
4時間ほど歩き回って、ある程度撮影。
撮影していたら4時間などはすぐに過ぎてしまいます。
植物園から動物園に移動。8日にあまり撮影していなかったので、
行ってきました。8日当日は小雨でもあり、光が弱くて良い画像は
撮れにくいものでした。
昨日は天気は良かったのですが、しかしガラス越し、金網越しでは
やはり条件として厳しいものです。カメラが被写体を追う時、
ピントを金網に合わせるように迷ってしまうのです。
それで、あまり撮影していません。
少しだけ出します。8日の分も3枚。
それと奈良県のユルキャラのセント君の瞳です。
野生であることの生の意味を無理やりに断ち切られて、
狭い檻の中で見世物になっていることの悲哀。
とはいえ放し飼いにするわけにもいかず、子供たちの教育や娯楽という
ことからも、やはり動物園施設は人間社会にとって必要なものでしょう。
この動物園には平安時代に法勝寺の八角九重の塔がそびえていました。
高さはなんと80メートル。時の白河天皇の権勢を表していることです。
植物園の画像は別に出します。
思索的というか、物思いをしている感じがしました。
コメントありがとう。
動物でも物を考えるという思考力、そして感情などはあるのでしょうかね。
思考力はともかくとして種類によっては感性は豊かなのかもしれませんね。
眼を中心に撮影しょうかと思いましたが、フラッシュを焚くのは良くないですし、それに距離があってフラッシュの効果もないので、撮影自体をあきらめたのが何度かあります。
まあ、植物園は写真撮りに行く所ではないですね。
意味深のリアルな撮影ですね。
視線を集めてじっと見詰めれば胸が熱くなります
何を想い・・何を考えてこの檻の世界でひと世を
過ごすか。檻なき人も小さな世界の見えぬ檻の
中で生きて居るのですね。
生かされて生きて花や鳥と共に生きる日々を愛し
大切に関わりたいですね。
多彩なのですが、おしなべて何かを伝えようとでもしている眼の表情に感じ入るものがありましたよ。
動物たちの眼を通して見る人間のあり方、動物たちとのかかわり方…考えさせられました。