190316 井手町
3月16日、朝方に強い雨が降り、天気は良い方ではなかったのだが、
回復するという報を信じて雨の上がった昼前に家を出て、
奈良に近い「井手町」に向かう。
京都からは「みやこ路快速」も停車するようになっていて、
わずか30分ほどで行けるようになったのは、ありがたい。
前回は2012年4月10日に行っていて、それから7年が経つ。
奈良には昨年だけでも12回だったか行っているというのに、
井手町には随分とご無沙汰である。
それも見どころが乏しい以上は仕方ないというものだ。
1 山吹の花咲く里に成ぬればここにもゐでとおもほゆるかな
(岩波文庫山家集41P春歌・新潮166番・西行上人集・山家心中集)
2 山吹の花咲く井出の里こそはやしうゐたりと思はざらなむ
(岩波文庫山家集173P雑歌・新潮1169番)
現在の井手は六玉川の一つである「井手の玉川」の堤に植栽された
500本ほどの桜並木で有名だ。でも西行歌にもあるように古くは
「山吹」で有名な里であった。井手にはもう一つの歌枕があって、
それは「カエル」。しかしカエルの詠みこまれた歌は多くはない。
前回に行った時には玉川沿いの満開の桜を見た。
近くの地蔵禅院には京都の円山公園を代表する枝垂れ桜と親樹が兄弟木という
有名な枝垂れ桜もある。この桜は京都府の天然記念物でもある。
この樹も老樹なのだが満開のころは素晴らしいものだ。
それにしても円山公園の桜は極端に短命だ。おそらくは付近の環境が
木のためには劣悪すぎるのだろう。どう考えても自動車の騒音と排気ガス、
かがり火、、花のころのライトアップや夜通しの花見客の喧騒…etc。
桜にとって迷惑なものであろうと思う。
御覧のように玉川の桜も現在は枯れ木のように花の姿はない。それなのになぜ今の
時期に行ったかというと、来月の満開のころに再び行くので、その下見としてのものである。
地蔵禅院からの道すがら10本近い河津桜を発見。花の盛りは過ぎてはいたが、まだまだ見ごろだ。
華やかな桜ではある。
ついでに橘諸兄の旧跡にも行く。諸兄の別業跡である。諸兄は生まれは美努王の子、諸兄の子の
奈良麻呂の娘が橘 嘉智子。この橘 嘉智子が嵯峨天皇の皇后となっていて、この系譜が現在も
続いているということができる。
この日の画像は下にあります。ついでに古いのも出しておきます。
190316井手
120410井手
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