18.01.06 伊勢寺と能因墳
本日は大阪の高槻に行くことになっていたので、ある写真展に寄ってから、
伊勢寺と能因の墳墓を訪ねてみた。以前から機会があれば行ってみたいが、
しかし、そのためだけにわざわざ行くという気持ちも起きなくて、
今までに一度も訪なう機会も作っていなかった。
スマホがあるので地図アプリで位置はわかる。初めに上品天満宮に行く。
由緒については良くはわからない。しかし京都の北野天満宮の分霊社で
あることは確かだ。古くから地域の鎮守社として機能してきたのだろう。
少宇で見るべきものもないのは、かえってすがすがしい思いもする。
次いで伊勢寺。平安期に活躍した歌人の「伊勢」の隠棲地と伝えられている。
伊勢の在世は800年末期から900年初頭頃で、60歳ころの寂である。恋多き
女人のようにも思えるが実際にはあまたの男が言い寄って、それをうまくあしらう
事ができなかったのだろう。そういう時代でもあったはずだ。少なくとも自分から
積極的に男性遍歴をしたようには伺えない。
宇多帝の間に皇子誕生するも夭折。のちに宇多帝皇子との間に女児を得ている。
その女児が歌人の「中務」。
古今集初出。
人知れず絶えまなしかばわびつつも なき名ぞとだに言はましものを
(伊勢 古今集810番)
難波潟短き蘆のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや
(伊勢 百人一首19番)
「伝 能因墳墓」は畑の中にある。見過ごしてしまいそうな規模である。
能因家集(能因法師集)もあるのだが、漂泊の歌人として後世の多くの人に影響を
与えたことと、著作の「能因歌枕」が彼の素晴らしい事績である。
都をば霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く白河の関
(能因 後拾遺集518番)
嵐吹く三室の山のもみじ葉は 竜田の川の錦なりけり
(能因 百人一首69番)
以下の二点の花は路傍で撮影。
例のようにこの日の画像はOneDriveに入れています。
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