湘南紀行その2の1
1月5日(月)快晴
大船駅→鎌倉駅→江ノ電鎌倉駅→長谷駅→高徳院→光則寺→
長谷寺→その2-2に続く
朝8時過ぎに投宿先の「ホテルメッツかまくら大船」を出てJR大船駅に
向かう途次に「大船観音像」が見える。でもたくさんの電線があり撮影は無理。
鎌倉から江ノ電に乗り換えて「長谷」下車。まず鎌倉大仏の「高徳院」に向かう。
○高徳院
駅から意外と近い。朝早い訳でもないが、観光客はいないのが良い。
高徳院には鎌倉の顔ともいえる鎌倉大仏がある。国宝。野ざらしである。
この青銅製の像が作られたのは1200年中葉とのこと。それ以前に木像仏が
あったようですが、詳しいことは不明らしい。像高11メートル強。
初めは野ざらしではなくて大仏殿がありましたが、2度の倒壊を経て、
1369年からは野ざらしのままとのこと。
東海道名所図会では1658年の洪水でも大仏殿破れる・・・とありますが、
2000年からの境内発掘調査で1369年以後に新たな建造物の痕跡は
見つからなかったようです。だから1369年以後は立てられなかったものでしょう。
東海道名所図会では「高徳院」の条はなくて、当時は浄泉寺と言いました。
1700年初期に同じ鎌倉にある「光明寺」の末寺となり、浄土宗に転じてからは
「高徳院」と呼称するようになりました。
極楽寺の「忍性」も一時期、高徳院を住持していたようです。
○光則寺
日蓮宗関係のお寺。日蓮が佐渡流罪になったことにからみ、日蓮の弟子を
監視するために北条時頼の家臣の屋敷に閉じ込めたとのことで、その屋敷が、
後にお寺になりました。ちなみに家臣の名は「宿屋光則」。
彼は「ミイラ取りのなんとやら・・・」で、後には日蓮に帰依しています。
境内には、ここでも石を穿った「土牢」が残されています。
花の寺として親しまれているそうです。さして広くはない境内にローバイの木も
数本あって花を付けていました。
○長谷寺
宗派は違いますが、奈良県初瀬にある「長谷寺」との関係性をどうしても
考えてしまいます。どちらも十一面観音像を本尊としています。ともに同じ木から
造られた観音像とのことですが、それはどうでしょうね。
奈良の長谷寺は真言宗、鎌倉の長谷寺は浄土宗の違いはありますが、ともに
古くから善男善女、貴顕や一般大衆に関わらず崇敬を集めてきたお寺です。
観光寺院らしく手入れの行き届いた境内でした。相模湾が一望のもとに見えました。
観音像は奈良の方が敬虔な気持ちを起こさせるような気がします。
東海道名所図会では西行が銀の猫を子供に授けたのは、長谷寺の門前のよう
にも解釈できる絵があります。
写真01 高徳院
写真02・03 高徳院の鎌倉大仏
写真04 光則寺
写真05 光則寺の土牢
写真06・07 長谷寺の山門
写真08 長谷寺の咲き始めたマンサク
写真09 長谷寺のローバイ
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