おかずブログ

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近場で撮影した植物などがメインとなります。

湘南紀行 その2-1

2015年01月12日 | その他

湘南紀行その2の1 

1月5日(月)快晴

大船駅→鎌倉駅→江ノ電鎌倉駅→長谷駅→高徳院→光則寺→

長谷寺→その2-2に続く 

朝8時過ぎに投宿先の「ホテルメッツかまくら大船」を出てJR大船駅に

向かう途次に「大船観音像」が見える。でもたくさんの電線があり撮影は無理。

鎌倉から江ノ電に乗り換えて「長谷」下車。まず鎌倉大仏の「高徳院」に向かう。

○高徳院

駅から意外と近い。朝早い訳でもないが、観光客はいないのが良い。

高徳院には鎌倉の顔ともいえる鎌倉大仏がある。国宝。野ざらしである。

この青銅製の像が作られたのは1200年中葉とのこと。それ以前に木像仏が

あったようですが、詳しいことは不明らしい。像高11メートル強。

初めは野ざらしではなくて大仏殿がありましたが、2度の倒壊を経て、

1369年からは野ざらしのままとのこと。

東海道名所図会では1658年の洪水でも大仏殿破れる・・・とありますが、

2000年からの境内発掘調査で1369年以後に新たな建造物の痕跡は

見つからなかったようです。だから1369年以後は立てられなかったものでしょう。

東海道名所図会では「高徳院」の条はなくて、当時は浄泉寺と言いました。

1700年初期に同じ鎌倉にある「光明寺」の末寺となり、浄土宗に転じてからは

「高徳院」と呼称するようになりました。

極楽寺の「忍性」も一時期、高徳院を住持していたようです。

○光則寺

日蓮宗関係のお寺。日蓮が佐渡流罪になったことにからみ、日蓮の弟子を

監視するために北条時頼の家臣の屋敷に閉じ込めたとのことで、その屋敷が、

後にお寺になりました。ちなみに家臣の名は「宿屋光則」。

彼は「ミイラ取りのなんとやら・・・」で、後には日蓮に帰依しています。

境内には、ここでも石を穿った「土牢」が残されています。

花の寺として親しまれているそうです。さして広くはない境内にローバイの木も

数本あって花を付けていました。

○長谷寺

宗派は違いますが、奈良県初瀬にある「長谷寺」との関係性をどうしても

考えてしまいます。どちらも十一面観音像を本尊としています。ともに同じ木から

造られた観音像とのことですが、それはどうでしょうね。

奈良の長谷寺は真言宗、鎌倉の長谷寺は浄土宗の違いはありますが、ともに

古くから善男善女、貴顕や一般大衆に関わらず崇敬を集めてきたお寺です。

観光寺院らしく手入れの行き届いた境内でした。相模湾が一望のもとに見えました。

観音像は奈良の方が敬虔な気持ちを起こさせるような気がします。

東海道名所図会では西行が銀の猫を子供に授けたのは、長谷寺の門前のよう

にも解釈できる絵があります。

写真01 高徳院

写真02・03 高徳院の鎌倉大仏

写真04 光則寺

写真05 光則寺の土牢 

写真06・07 長谷寺の山門

写真08 長谷寺の咲き始めたマンサク

写真09 長谷寺のローバイ

 

 

 


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