おかずブログ

ここでは主に撮影画像を発表します。
近場で撮影した植物などがメインとなります。

2013年2月(05) 北野天満宮など

2013年03月02日 | 京都

平野神社・北野天満宮・百万遍・御苑

2月25日に天満宮の梅花祭を見に出かけました。
まずは西大路通りに面している「平野神社」まで。

 平野神社は平安遷都の年の794年に創建されました。官幣二十二社に列する社格を持つ
 式内社として、篤い尊崇を受けてきました。
 祭神は今来(いまき)神、久度(くど)神、古開(ふるあき)神、比売(ひめ)神の四座です。
 この四座については諸説があります。たとえば今来神は日本武尊=源氏、
 久度神は仲哀天皇=平氏、古開神は仁徳天皇=高階氏、比売神は天照大神=
 大江氏の氏神と言われています。
 また、今来神は桓武天皇の外祖父である百済からの渡来人の倭氏、比売神は
 桓武天皇の母である高野新笠の母がたの大江氏=土師氏を祀っているとも言われます。
 平家物語では、比叡山の僧侶を懐柔するために平野神社とともに延暦寺を平氏の
 氏寺にするという記述もみえます。
 1622年から1644年の間に造られた比翼春日造りと言われる本殿は、よく見て
 いると、落ち着いた雰囲気を感じさせます。
 平野といえば松との組み合わせで詠われている歌が多いのですが、この神社の
 桜は見事としか言えません。花の頃ともなれば、境内全てが桜で埋まります。
 65代花山天皇の時代から桜祭りがおこなわれています。

当日はもちろん桜は咲いていません。ただし10本近くある寒桜がはかなげに
咲いていました。画像は本殿と寒桜。







天満宮は平野神社からはすぐの位置にあります。

 天満宮ができたのは950年頃です。本格的な造営は959年、藤原師輔が神殿を
 建立してからのようです。祭神は903年に大宰府で死亡した菅原道真です。
 道真の霊を怨霊として、それを鎮めるために祀ったのが始まりです。
 この北野天満宮は創建当初からいろいろありすぎて、私の筆力では短くまと
 めあげることはできません。以下、断片的に記述します。
 北野天満宮もたびたび火災に遭っています。現在の社殿は豊臣秀頼が造営した
 ものが殆どといわれます。1607年の造営といわれます。
 豊臣秀吉の築造した御土居が現在も境内西側に残っています。
 北野天満宮(菅原道真)は早くから学問の神様として慕われていて、1204年に
 後鳥羽院、定家、家隆、良経などが北野宮歌合をやっています。時代が下がっ
 てからは連歌の興行がたびたびなされました。現在は全国から献詠された和歌
 が10月29日に披露される(余香祭)があります。
 また、芸能との関係も深く、舞楽、猿楽の興行もたびたび行われました。
 出雲阿国が1603年3月に歌舞伎踊りを演じたのもこの北野天満宮なので、北野
 天満宮は歌舞伎発祥の地ともいわれます。
 秀吉が北野大茶会を催したのもここでした。1587年のことです。
 現在、管公菅原道真の忌日にあたる2月25日に梅花祭があります。
 上七軒の芸妓さん舞妓さんによる野点の接待があります。

 「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春をわするな」
                      菅原道真 (拾遺和歌集1006番)

下の画像はロウバイ。早咲き種の紅梅と白梅です。











梅花祭ではたくさんの露店が出ています。下は露店で売られていた「姫オウレン」。二枚目は境内の雑踏。





天満宮近くで見つけた「巳」の飾り物です。



天満宮からバスで「百万遍」まで。目的はイヌノフグリです。
見かけることはほぼない花ですが、今年も見つけました。でもしぼんでいたので撮影なし。
昨年の3月8日に撮影したものを出します。花の径は3~4ミリです。





百万遍から御苑に行って梅を見ました。早咲きのものが少し咲いていました。少しだけ酔いました。