ガチャピンとムックが喧嘩したということをネットのニュースで知った。
ガチャピンのブログ「ガチャピン日記」(http://gachapin.fujitvkidsclub.jp/)1月9日分に書いてあったそうだ。
以下ブログより抜粋
「ケンカのあとは」
そういえば!
ムック、昨日ぼくのおやつ食べちゃったでしょ?
「え? そうでした?
でも、ガチャピンだってわたくしのお年玉・・・」
お年玉?
ちゃんとムックに渡したじゃ~~~ん!
「あ~そうでした、そうでした」
もぅムックー! ぼくのおやつ返して!
「返してと言われましても、すでにわたくしの
このお腹の中で栄養になりつつありまして・・・」
プンプン ε=(>ε<)
ムックとケンカしていると、日が暮れてきました。
お腹すいちゃったね。
ケンカすると、お腹すくのかな?
早く帰って夕飯食べようっか。
これがニュースになるんだもんなあ。
平和な日本に生まれてよかった。
ガチャピンとムックといえば、「ひらけ!ポンキッキ」である。
幼稚園時代はあの番組を観てから登園していた。熱き視聴者だった私。
ガチャピン(世間的に「ガチャピンさん」と呼ぶのが好ましいらしい)やムック、いずれも大好きだった。
あの番組そのものを愛していた。
「およげ!たいやきくん」も「パタパタママ」もいまだに覚えている。
数字やひらがなをアニメを使用して教える短いコーナーもシュールで好きだった。
しかし、どうしても許せないコーナーがあった。
ペギー葉山が語るあのコーナーである。
ペギー葉山が自然の中に佇んで微笑みながら言うのである。
「好き嫌いはいけません」
「あいさつをしましょう」
とか。
朝から相当ウザかった。
当時の私はけっこうやさぐれていて、今よりも血中ヤンキー濃度が高かったと思う。
何かの枠にはめられようものならば、暴れてレジスタンスなソウルを訴える子だった。
下に妹や弟がいて、両親の愛欠乏症だったのかもしれない。
よく妹や弟を殴っていた。
ヤンキー園児・亮子は、ブラウン管の中にいるペギー葉山に向かって、アッカンベーをしていた。
若かったなあ…。
ガチャピンのブログ「ガチャピン日記」(http://gachapin.fujitvkidsclub.jp/)1月9日分に書いてあったそうだ。
以下ブログより抜粋
「ケンカのあとは」
そういえば!
ムック、昨日ぼくのおやつ食べちゃったでしょ?
「え? そうでした?
でも、ガチャピンだってわたくしのお年玉・・・」
お年玉?
ちゃんとムックに渡したじゃ~~~ん!
「あ~そうでした、そうでした」
もぅムックー! ぼくのおやつ返して!
「返してと言われましても、すでにわたくしの
このお腹の中で栄養になりつつありまして・・・」
プンプン ε=(>ε<)
ムックとケンカしていると、日が暮れてきました。
お腹すいちゃったね。
ケンカすると、お腹すくのかな?
早く帰って夕飯食べようっか。
これがニュースになるんだもんなあ。
平和な日本に生まれてよかった。
ガチャピンとムックといえば、「ひらけ!ポンキッキ」である。
幼稚園時代はあの番組を観てから登園していた。熱き視聴者だった私。
ガチャピン(世間的に「ガチャピンさん」と呼ぶのが好ましいらしい)やムック、いずれも大好きだった。
あの番組そのものを愛していた。
「およげ!たいやきくん」も「パタパタママ」もいまだに覚えている。
数字やひらがなをアニメを使用して教える短いコーナーもシュールで好きだった。
しかし、どうしても許せないコーナーがあった。
ペギー葉山が語るあのコーナーである。
ペギー葉山が自然の中に佇んで微笑みながら言うのである。
「好き嫌いはいけません」
「あいさつをしましょう」
とか。
朝から相当ウザかった。
当時の私はけっこうやさぐれていて、今よりも血中ヤンキー濃度が高かったと思う。
何かの枠にはめられようものならば、暴れてレジスタンスなソウルを訴える子だった。
下に妹や弟がいて、両親の愛欠乏症だったのかもしれない。
よく妹や弟を殴っていた。
ヤンキー園児・亮子は、ブラウン管の中にいるペギー葉山に向かって、アッカンベーをしていた。
若かったなあ…。