世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

できれば私は、ロココ時代のおフランスに生まれたかった・・・

2013年11月12日 | Weblog
心療内科デー。

待ち時間4時間。角田光代の「かなたの子」を読む。不気味な短編集。うち3作品読んだが、どれも後味がMAXに悪い。文章が巧妙なので読み終わった後、背筋が凍る。特に「同窓会」が。

さて診察。

今日はクマ医師とマジトークを展開させてしまったので彼の風貌などは記憶にない。ベストを着用していたような…。

いつもマジトークをしているつもりなのだが、今日は彼の風貌などを気にする余裕すらなく、ただただ必死だった。
沈黙が怖い…。私が黙ると、彼がじっと私を観察しているのがよく分かる。
挙動不審になっちゃうYO!



世間一般の人とは違った人生を送るであろう私。
それが当り前だと思うこともあるし、やけに不安だと思う時がある。
不安のドツボにハマると眠れなくなるし、「嗚呼、パキシル飲んでいれば楽なんだろうな」と思うこともある。
「またパキシルを飲みたいなとは思いませんが」
と言い添えたが時すでに遅し。

クマ医師の表情が豹変。
やや困惑していた。…すまん。




映画「下妻物語」




「人間は一人なの。一人で生まれて一人で考えて、一人で死んでいくの。人は一人でいきられないなんて・・。だったら私は人じゃなくていい。ミジンコでいい。寄り添わなければいけない人間よりもずっと自立してるもの」
という主人公・桃子のセリフは私のモットーである。


基本的にそのポリシーは今後も揺ぎ無いものとして自分自身の中心に鎮座していくだろう。
(この言葉を紡ぎだされた嶽本野ばら先生、凄い)



今宵、クマ医師に言われた言葉は…


「それがどんなに非常識な生き方だとしても幸せならいいじゃん!気持ちよければOKじゃん。
ロココの精神は私にそう教えてくれました。だけど・・私・・マジで心根が腐っています」

という、私が2番目に好きな桃子のセリフに近いものがあった。


クマ医師、素敵。

期待に応えられない→罪悪感を持つ→鬱
ではなく、
期待に応えられない→てへぺろ
で、いいんじゃね?
ということをクマ医師は仰っていた。
たとえ相手が親であっても、仕事の相手であっても。

期待に応えようとして自分自身が破滅するより、どんな生き方であろうとも、自分が「これだ!」と思った道を歩んで結果的に自分自身が幸せだったら、いい。

クマ医師はきっぱりそう述べた。


「いい歳してこんなことで悩むなんて…」
と言ったら、
「いえいえ…まだお若いじゃないですか」
とカルテを見ながらクマ医師。

35歳。
何かを始めるのも、方向転換するのも最後の時期なのかもしれない。
選択肢があるからこそ悩む。
岐路なう。




処方変更なし
ゾルピデム酒石酸塩、防風通聖散、ラベプラゾール


「いつもと同じお薬で良いですよね?」
と念を押された。
まあ、だいじだべ。


マクドナルドでデミグラスチーズグラコロ(単品)を購入し、家に帰る23時。
夜空には木星をはじめとする冬の星座がてらてらと輝いている。

幸せって何だろう。
今が一番幸せなはずなのに、もっと幸せにならなければいけないのかな。
幸せにならなきゃって一種のプレッシャーだよな。


星を仰ぎ見ながら、私は自分の幸せを考え、そしてまた桃子のセリフをつぶやくのだった。

できれば私は、ロココ時代のおフランスに生まれたかった・・・





とりあえず今年も吉熊とグラコロが食べられて幸せ。
パンがなければグラコロを食べれば食べればいいんじゃね?



下妻物語



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