世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

努力することは自分を好きになるためのステップ

2022年09月01日 | Weblog
今日から長月。母お手製のカレンダーが新しい月を告げる。
コスモス、かわゆい。


ここ最近、幾分涼しかったのだが、今日はとても蒸し暑い。蒸し器の中にいるかのようだ。外に出るときはマスクを外さないと熱中症になるレヴェルなので、何の躊躇もなく外して出勤、退勤。

今日は、上司ともう一人の人が、制服の管理の方法で良いアイデアを出してくれたので、なんだかやる気が出た。
(これは決して「いじめよう」という魂胆を感じなかったので素直に応じようと思う)

その前に支払いの締め業務!
月初はやっぱり忙しい。
ピルを飲んでいるせいか体調もいまいちだし、先述のとおり季節の変わり目で怠いし(手足が火照る)、体と心は「休みたい」と声高に叫んでいるが、それを説き伏せて毎日生きている感じ。

もう少し涼しくなり、忌み嫌う夏が息をひそめたら、2022年のラストスパートをキメようと思う。

夕食はてんやにて。
トリオスター天丼、美味!!



ちくわ天が案外美味しい。磯っぽい風味がちゃんとする。

帰宅したら、高校時代の恩師から残暑見舞いが届いていた。
御年75歳で初孫が産まれたそう。
私が高校生の時、まだ小さかった息子さんがパパに…!
なんとも嬉しいお便りである。
先生はとても文章が上手。
昔、先生が書いた文集を読んだ元彼が「この先生、すごく上手だね」って褒めていた。(元彼も綺麗な文章を書く人だった)


風呂に浸かりながら「グロテスク」を読み、出てからは母と電話で小一時間お喋りをし、洗濯物を干し終えて、やっとまったりタイム。

なんとなく観ていた瀬戸内寂聴先生の法話。

自分を愛せないとき 瀬戸内寂聴さんを偲んで



「花芯」発表当時、「子宮作家」のレッテルを貼られ、いじめられて5年間も文壇的沈黙を強いられた瀬戸内寂聴先生。
当時のことが25分目ぐらいから語られる。

「私はそんないじめられる人間ではないと思っていたからね」

「(私のことを子宮作家と言った)批評家はインポテンツで、女房は不感症だろっていってやったの。そしたらよけいいじめられちゃったの。ははは!!」

「今読んでもその小説は立派な小説ですよ。決してそんなんじゃない」

という部分で、つーっと涙が零れた。

自分が生み出した作品に、ここまで自信と愛情を込めていた寂聴先生。
あのように、きっぱりと言い切るには、並々ならぬ努力が不可欠なのは明白だ。
そう考えたら、心が強く揺り動かされて自然と泣いていたのだった。

努力をすることは自分を愛するためのステップで、それはとても大切なことなのだと今日、心の底から思えた。


それにしても「花芯」
今読んでもあまり過激だとは感じない。
緻密な構成も瑞々しい細部の描写もとてもおもしろい。

これで子宮作家と言われるだなんて。昔の人はピュアだったのだろうか。


そういえば、先述の元彼も瀬戸内寂聴(出家する前の晴美時代の作品も含む)作品が大好きだった。


努力してもっと自分を好きになろうという前向きな気持ちと過去の恋がリンクする不思議な夜である。