9月も下旬に入りそうなのに、台風の湿度のせいか、背中に汗疹を作ってしまう。痒い!!
空は曇天、晴天、小雨を繰り返し、一日中強い風が吹いていた。
いずれも南国を思わせる湿った風。
この前も書いたと思うのだが、人生で一番「この湿度、やばい」と感じたのは2016年の8月のハノイ旅行。
なかでもハロン湾にある鍾乳洞の中で感じた窒息死寸前の湿度の高さはトラウマになっている。
息苦しさに加え、背中に滝ができたのかと思わせるほど汗がしたたっているのを感じた。
ライトアップされた鍾乳洞内部はとても綺麗だったのだが、あまりの暑さに正直あまりよく覚えてない。
あれに比べれば、ねぇ。まだマシじゃね?と自分を慰めつつ、出勤。
そう、今日は祝日出勤。
衣替え第一波に突入したっぽいので、ちょっと忙しかった。
あと先日の受診でクマ医師が「バカはバカなので、(あなたが彼を)バカにしても仕方がない」と言っていたのを思い出し、「さもありなん」という考えに至り、今日は落ち着いて仕事ができた。
昨晩、母が持たせてくれたサンドイッチを昼食にして、なんとか乗り越えることができた。
「グロテスク(下)」(桐野夏生)の続きが楽しみなのに悲惨すぎて読み進められない(中国人の独白のあたり)。
野ばら先生の「通り魔」を読んだときもこんな感じだった(トンネルのバイトのくだり)。
読みたいんだけど辛すぎて読めない。でも読む。私ってばドМなの…?
林真理子先生の新刊エッセイで中和をする。
それにしても蒸し暑い。台風、早く去らないかな。
今回の台風14号は「日本海の湾岸フェチ」とみた。
夕食は王将。天津炒飯をモリモリ。
お風呂はフランフランの薔薇湯。
湯船に浸かり、「グロテスク(下)」の中国の描写で思い出したことがある。
中学時代、中国残留孤児の二世が転校してきたことがあった。
私よりも2歳年上の美人のコで、日本語が全く話せなかった。
最初のテストの時、英語以外はほとんど0点だった。
その日の放課後、机に伏して泣いている彼女をみんなで慰めた。言葉も通じないのに。
それからしばらく、クラスの女子数人は小学生時代のドリルを引っ張り出してきて彼女に渡し、日本語の基礎からを教えることに(勿論、担任の先生も)。
3年生の修学旅行の夜、彼女が
「中国の学校では『日本人』って言われて箒で殴られるといういじめを受けた。こっちにきてからも『中国人』って思われている。私ってなんなんだろう」
「中国の暮らしは貧しかった」
とぽつりぽつり話してくれた。
私は気が利かないので、何も返答ができなかった。
元々聡明な彼女は見事、高校に合格した。
その件で、学校に新聞社が取材に来た。新聞に載った。
高校に入ってから何度か駅で再会したが、見る度に美しく、そして垢抜け続けて、最終的に茶髪にピアスのギャルになった。
それでも「リョーコさん!」と笑って話しかけてくれ、傍らに佇む彼氏(ピアス装着)を紹介してくれたり、中学時代のままの彼女だった。
今、あのコは何をしてるかな?と湯船で想う。
努力をして2年でマスターした日本語、そして耳朶に光る複数のピアスの光。その背後に、中国の広大な大地の力を感じさせるあのコはきっとお母さんになっているに違いない。聡明でやんちゃなお母さん。孫もいるかもしれない。…会いたい。
そして、忘却の彼方にあった彼女の「中国の家にお風呂はなかった」という言葉も一緒に蘇り、湯船に浸した肢体が重くなるのを感じる。
毎日しているこの入浴という行為も、彼女のいた当時の中国、この本の中の中国ではとても贅沢なものに違いない…そう考えると余計に読み進められなくなるのである。
…読むけど。
空は曇天、晴天、小雨を繰り返し、一日中強い風が吹いていた。
いずれも南国を思わせる湿った風。
この前も書いたと思うのだが、人生で一番「この湿度、やばい」と感じたのは2016年の8月のハノイ旅行。
なかでもハロン湾にある鍾乳洞の中で感じた窒息死寸前の湿度の高さはトラウマになっている。
息苦しさに加え、背中に滝ができたのかと思わせるほど汗がしたたっているのを感じた。
ライトアップされた鍾乳洞内部はとても綺麗だったのだが、あまりの暑さに正直あまりよく覚えてない。
あれに比べれば、ねぇ。まだマシじゃね?と自分を慰めつつ、出勤。
そう、今日は祝日出勤。
衣替え第一波に突入したっぽいので、ちょっと忙しかった。
あと先日の受診でクマ医師が「バカはバカなので、(あなたが彼を)バカにしても仕方がない」と言っていたのを思い出し、「さもありなん」という考えに至り、今日は落ち着いて仕事ができた。
昨晩、母が持たせてくれたサンドイッチを昼食にして、なんとか乗り越えることができた。
「グロテスク(下)」(桐野夏生)の続きが楽しみなのに悲惨すぎて読み進められない(中国人の独白のあたり)。
野ばら先生の「通り魔」を読んだときもこんな感じだった(トンネルのバイトのくだり)。
読みたいんだけど辛すぎて読めない。でも読む。私ってばドМなの…?
林真理子先生の新刊エッセイで中和をする。
それにしても蒸し暑い。台風、早く去らないかな。
今回の台風14号は「日本海の湾岸フェチ」とみた。
夕食は王将。天津炒飯をモリモリ。
お風呂はフランフランの薔薇湯。
湯船に浸かり、「グロテスク(下)」の中国の描写で思い出したことがある。
中学時代、中国残留孤児の二世が転校してきたことがあった。
私よりも2歳年上の美人のコで、日本語が全く話せなかった。
最初のテストの時、英語以外はほとんど0点だった。
その日の放課後、机に伏して泣いている彼女をみんなで慰めた。言葉も通じないのに。
それからしばらく、クラスの女子数人は小学生時代のドリルを引っ張り出してきて彼女に渡し、日本語の基礎からを教えることに(勿論、担任の先生も)。
3年生の修学旅行の夜、彼女が
「中国の学校では『日本人』って言われて箒で殴られるといういじめを受けた。こっちにきてからも『中国人』って思われている。私ってなんなんだろう」
「中国の暮らしは貧しかった」
とぽつりぽつり話してくれた。
私は気が利かないので、何も返答ができなかった。
元々聡明な彼女は見事、高校に合格した。
その件で、学校に新聞社が取材に来た。新聞に載った。
高校に入ってから何度か駅で再会したが、見る度に美しく、そして垢抜け続けて、最終的に茶髪にピアスのギャルになった。
それでも「リョーコさん!」と笑って話しかけてくれ、傍らに佇む彼氏(ピアス装着)を紹介してくれたり、中学時代のままの彼女だった。
今、あのコは何をしてるかな?と湯船で想う。
努力をして2年でマスターした日本語、そして耳朶に光る複数のピアスの光。その背後に、中国の広大な大地の力を感じさせるあのコはきっとお母さんになっているに違いない。聡明でやんちゃなお母さん。孫もいるかもしれない。…会いたい。
そして、忘却の彼方にあった彼女の「中国の家にお風呂はなかった」という言葉も一緒に蘇り、湯船に浸した肢体が重くなるのを感じる。
毎日しているこの入浴という行為も、彼女のいた当時の中国、この本の中の中国ではとても贅沢なものに違いない…そう考えると余計に読み進められなくなるのである。
…読むけど。