母方の祖父は生前寡黙な人だった。
そんな彼の母親は「れい」という名前だと知ったのは最近だ。平仮名で「れい」。
私の母親とれいさんはそっくりだと祖父は言っていたらしい。
くっきりとした二重瞼といい、額の曲線といい。
私は母親似。
ということは、私はれいさんに似ていることになる。
れいさんのことは母もよく知らない。祖父は、子宝に恵まれなかった親戚の家に養子に出されたからだ。
ただ、かつて、我々母子のようなくっきりとした二重瞼を持つ「れい」という名の女性がいたという事実だけ我が家に受け継がれている。
勿論一度も会ったことがないのだが、私は彼女に大変興味がある。
生まれは富山県らしいのだが、何故、栃木県足尾町(当時)に移り住んだのか?という彼女の人生はもとより、我々母子と似ている女性が大正時代、果たして何を思っていたのか?ということが興味の対象である。
いたこを介して語りたいぐらいだ。
曾孫の私を見て、れいさんは何て言うだろう。
大きな二重瞼の下にある目を凝らして、…私に何て言うだろう。
私はあなたを知りたい。
そんな彼の母親は「れい」という名前だと知ったのは最近だ。平仮名で「れい」。
私の母親とれいさんはそっくりだと祖父は言っていたらしい。
くっきりとした二重瞼といい、額の曲線といい。
私は母親似。
ということは、私はれいさんに似ていることになる。
れいさんのことは母もよく知らない。祖父は、子宝に恵まれなかった親戚の家に養子に出されたからだ。
ただ、かつて、我々母子のようなくっきりとした二重瞼を持つ「れい」という名の女性がいたという事実だけ我が家に受け継がれている。
勿論一度も会ったことがないのだが、私は彼女に大変興味がある。
生まれは富山県らしいのだが、何故、栃木県足尾町(当時)に移り住んだのか?という彼女の人生はもとより、我々母子と似ている女性が大正時代、果たして何を思っていたのか?ということが興味の対象である。
いたこを介して語りたいぐらいだ。
曾孫の私を見て、れいさんは何て言うだろう。
大きな二重瞼の下にある目を凝らして、…私に何て言うだろう。
私はあなたを知りたい。