「確認中ではあるが…」
「現在出てきている話では…」
「おそらく…」
──なんていう“付属説明文”って、情報がひとり歩きする今の社会ではとっても無意味なものかもしれません。
特に、簡潔明瞭さを求め実行するワイドショー・ニュース番組などが伝えると、そういう部分が省かれたり、あまりその分を重要視しなくてもいいような文に変わったりして、結局、みんなに伝わる頃には付属説明文がなくなっているんですよね。
情報を包み隠さず話した場合、いつの間にかその付属説明文がなくなり、「言っている事が二転三転する」と報道される。
一方、確実な事だけを話そうとすれば、「隠匿している可能性がある」だの、「この時点でこの情報を得ていたはずなのに、ここではウソを付いた」だの、報道される。
挙句の果てに、どっちの道をたどっても、「国民を混乱させた」なんて言われるんですよね。
そして問われる「進退問題」。
確かに国民を混乱させる人たちもいるでしょうけど、私は常々思います。
国民を混乱させている原因の半分位は、報道関係者なんじゃないか、と。
あぁ…やっぱり嫌いだ、マスコミは
「現在出てきている話では…」
「おそらく…」
──なんていう“付属説明文”って、情報がひとり歩きする今の社会ではとっても無意味なものかもしれません。
特に、簡潔明瞭さを求め実行するワイドショー・ニュース番組などが伝えると、そういう部分が省かれたり、あまりその分を重要視しなくてもいいような文に変わったりして、結局、みんなに伝わる頃には付属説明文がなくなっているんですよね。
情報を包み隠さず話した場合、いつの間にかその付属説明文がなくなり、「言っている事が二転三転する」と報道される。
一方、確実な事だけを話そうとすれば、「隠匿している可能性がある」だの、「この時点でこの情報を得ていたはずなのに、ここではウソを付いた」だの、報道される。
挙句の果てに、どっちの道をたどっても、「国民を混乱させた」なんて言われるんですよね。
そして問われる「進退問題」。
確かに国民を混乱させる人たちもいるでしょうけど、私は常々思います。
国民を混乱させている原因の半分位は、報道関係者なんじゃないか、と。
あぁ…やっぱり嫌いだ、マスコミは
