☆~Carefree Life~☆

HPの管理人 Sugaryが、日々の出来事から、趣味や宣伝まで勝手気ままに綴ります。

愛猫の闘病生活、終了しました…

2015-12-21 04:50:56 | 愛猫の闘病生活(初代)

総合栄養食は全く食べなくなったので、ウェットフードのおやつ…それも、銀のスプーンとかモンプチとか、そりゃもうグルメのものしか食べません。
でもそれも水分だけ舐めて、固形の部分を残したり…というのが続きました。
ただ、食べやすいもの…という事で細かい固形のものを選んだのですが、ある時、大きい固形が入ったものを与えたら、結構ペロッと完食したんです。

う~ん、これは大きい方が口にくわえやすいからか…?

──と思い、20日に再び食料を物色しに行きました。
そこで見つけたのが、リニューアルしたモンプチのパウチ。
これもおやつだろうな…と見てみたら、総合栄養食とのことで、

よし、これはまだ食べたことないから、食べるかも…と買ってみました。
すると、昼ごろにそれを与えたら──思ったより小さめの粒だったのですが──半分くらい食べてくれたんです。
ひとまずホッとしましたが、正直、愛猫はもうそろそろ…という気がしていました。
というのも、この数日の衰えかたが著しいからです。
システムトイレの高さでは、もう上り下りが億劫なんでしょう。
一応トイレには行きますが、中にはほとんど入りません。
なので、トイレの外にトイレシートを置いて、便や尿を受け止めていました。
でも、今日こそは…と、トイレを改造。
システムトイレの引き出し部分にトイレシートをかぶせ、トイレの半カバーを設置しました。
トイレの砂がないからどうかな…と思いましたが、変えた途端、意外にもトイレのカバーの匂いを嗅いで、ちゃんと中で用を足しました。
でも、トイレで用を足したのはこれが最後でした。

日中の愛猫はいつもと同じように寝床で寝ています。
お昼にご飯を食べていたら、いつものように私のところに上ろうとしましたが、力が出ないらしく、前足を椅子に掛けてよじ登ろうとする動作のみでした。
そこで、膝の上で抱っこしてあげると、ゴロゴロと喉を鳴らして伏せのようにしてジッとしていました。
また、旦那が昼寝をしていたら、久々に旦那の足元で寝ていました。
夜になってフラフラ~とローカの方に歩いて行ったと思ったら、突然そこでペタンと横になってしまい、いつもの様子とちょっと違うことに“もうそろそろ…”という気持ちは膨らみます。
そして、夜になって「おやすみ~」と声をかけてベッドに行きましたが、なんか、ね…“もうそろそろ…というのが今日なのかも…”とか考えてしまってなかなか寝れません。

そんな時でした。
旦那が私を呼びに来ました。
時間は夜中の1時ごろ。
つに来たか…と思うと、案の定、「ケコケコ…と吐き出す音がしたかと思ったら、痙攣してた」とのこと。
そこからはもう、呼吸は早く、時々、心臓の動きがあやしくなったかのように瞳孔がガガガ…と見開きます。
そして元に戻っては、「ふ~」と息を吐き、再び呼吸が早くなる…の繰り返し。
目はずっと開いていて、私たちの事が見えているような気もしますが、焦点は合ってない感じです。
空を見つめる…そんな感じでしょうか。
この時、ふと「4時頃に逝きそうな気がするな…」と思いました。

いっぱい撫でで、いっぱい話しかけたかったのですが、生死をさまよう意識状態で、必要以上に撫でたり声をかけたりすると、変に意識がこっちに戻って苦しい思いをする気がしたので、極力というか、話す時は囁くように、触る時は重さを感じないくらいに優しく触れたり、ゆっくりと小さく撫でたりしていました。
それから2時半ごろ、2回目の痙攣がきました。
そのあとは、浅い呼吸をしばらくしていると、酸素が足らなくなって大きく息を吸います。そのあとは、息を吐く時に声が漏れる…の繰り返し。
息が吸えなくて目を見開き口を大きく開けて苦しそうな発作のようなものもありました。
他にも、大きな雄叫びのような声も2回ほどありました。
嘔吐しそうになるエッグエッグ…という発作も3回ほどありました。
最後の30分くらいは、浅い呼吸が更に浅くなり、苦しくなって大きく息を吸い込む…そのあとはしばらく呼吸が止まり、そしてまた呼吸が始まる…の繰り返しです。
それでも、呼吸の浅さはずっと浅くなるものの、早さはなくなっていきます。
そのうち、呼吸がないまま、ベロだけペロペロと出して飲み込むように頷く…を繰り返し、終盤は、ゆっくりと顔をのけ反らしました。

あぁ、これで終わりかな…。

そう思いましたが、まだわずかにベロをペロペロとして、頷く…と繰り返しました。
それでも、再びゆっくり顔をのけ反らせると、後ろ足も伸びるように動き、最後の最後は「ふっ…」というような小さな吐く息で全てが終わりました。
時間は4時8分でした。

看取っているときは、

「一緒に過ごしてくれありがとう」
「リンパ腫になって、抗がん剤をしたけど、よく頑張ってくれたね」
「それから3年も生きてくれてありがとう」
「コビトの記憶に残る年まで生きてくれてありがとう」
「大好きだよ」
「虹の橋で待っててね、いつか必ずそこに行くから」
「また、ここに戻っておいでね」

などなど、3時間の間に囁きました。
神様には、

「もういいので、苦しまずに連れて行ってください」

──とお願いしました。
人によっては、とても苦しんだようにも見えると思います。
でも、私的には意識はもう、遠くに行っていて、時々息を大きく吸ったり、声が漏れたりするのは、体が反応しているだけのような気がしました。
さすがに、雄叫びのように大きな声を出したり、嘔吐しそうだったりした時は、苦しそう…と思いましたが…。
それでも、後半は冷静に看取ることができました。

治療食は食べていないので、3週間くらい前から多飲多尿傾向。
中毒症状が出て一日中嘔吐しながら旅立ったらどうしよう…と思っていましたが、それもここ何週間かなかったように思います。
老衰か脱水か…原因は分かりませんが、一番恐れていた“嘔気・嘔吐”を繰り返すこともなく、思っていた以上に、ごく自然な最期だった気がします。

最後は手を合わせ、お礼を言ってから、体を拭き、口に水をぬってあげて、ベッドに入れてあげました。
せめて、クリスマスの家族写真で一緒に撮りたかったのですが、それは叶いませんでした。
でも十分です。
悲しみはありますが、最期まで看取れたことで、納得できました。
リンパ腫を患ってから、できるだけ写真を撮り、旅立ったら最初から最後までの写真でフォトブックを作ろうと決めていました。
その為に、仔猫の時に撮ったネガフィルムもデータにしてもらい、DVDに焼いてあります。
それが終わったら、本当に一区切りがつく気がします。

今日は、最後の写真をアップします。


12/16


12/19 その①


12/19 その①のアップ。


12/20 その①


12/20 その①のアップ。


12/20 夜、フラフラ~と歩いて行ってローカでペタンと寝そべったあと。
久々に見回りにでも行きたかったのかな…と、旦那が抱っこして、部屋の中を見せてあげた後です。
これが最期の写真になりました(時間は21時11分)。
この4時間後には痙攣が始まりました。
寝る時に、旦那が「リュウ、おやすみ~」と言ったら、珍しく「にゃ~おん」と鳴いたそうで…。
愛猫は全てを悟っていたのかもしれませんね…。

──と言うわけで、今日で闘病生活は終わりました。
同じような病気で先に旅立ってしまわれた猫ちゃんたち、そして飼い主様たちの励ましや願いを受けて、ここまで生きてこれたんだと思います。
見守ってくださった方々、ありがとうございました。

そしてまだまだ、「抗がん剤治療の費用」という検索でここに来てくださる方が見えます。
その治療や闘病生活における、もどかしさや葛藤やら…色んな事が、少しでも役に立つサイトだといいな…と思ってやみません。

コメント (6)
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