☆~Carefree Life~☆

HPの管理人 Sugaryが、日々の出来事から、趣味や宣伝まで勝手気ままに綴ります。

残された者の為に…

2015-12-25 10:07:22 | 愛猫の闘病生活終了後…(初代)

日々、思う事や思い出すことがあって、しばらくこんな内容の更新になる気がしますが…。
気持ちを出さずにはいられないので、ご了承を…。

専門家曰く、「猫が死ぬ前の姿を消すのは、その姿を家族に見せて悲しまないように…」という説は、どうやら違うらしい。
ただ本能的に、体調が悪くなると、自分の身を守るために、暗くて狭い場所に身を隠す…という事らしいのですが…。
言われてみれば、きっとそうなんだと思います。
去勢後や歯石取りの後(全身麻酔後)、毛玉を大量に吐いた時(1~2日中体調が悪く、最終的に吐いた毛玉の長さは40~50センチに至った時)など、思うように体が動かせない時は、暗い部屋でひっそりとしていましたから。
そう思うと、夜にフラフラ~っとローカに行ったのは、ローカやその向こうの部屋が暗かったからだな…と。
ただ、痙攣が始まって30分くらいした時、そんな発想はなかったのですが、二人で「なんか、もう少し暗くしたいね」と話していて、旦那が常夜灯だけにしました。
でもそれはあまりにも暗くて、愛猫の胸の動きが分からなかったので、懐中電灯を天井や壁に向け、胸の動きだけは分かるようにしました。
今思えば、あの時に電気を消して正解だったな…と思います。
獣医さんのところに連れて行ったら、煌々と電気を付けた中で点滴をしたりしていたかもしれません。

また、旅立つ時の夜、旦那が「お休み」と言ったら「にゃ~おん」と言ったのを思い出したとき、そういえば…と思いだしたことがあります。
実母と仲良くしている人(Tさん)のところにも猫がいたのですが、その猫が旅立つ前の日にTさんと電話で実母が話をしていたら、猫が「にゃ~ん」と鳴いたそうで、当然、翌日に旅立つことは人間には分かりませんでしたが、きっと実母もその猫と関わっていたので、「さようなら」の挨拶を電話の向こうにいる実母に聞こえるように言ったんじゃないかな…と解釈していました。
だとすれば、私には「さようなら」を言ってくれなかったなぁ…とちょっと悲しくなったのですが、ここで、またふと思ったんです。
旦那は翌日も仕事だった為、2時過ぎにはベッドで寝に行きました。
次に起きてきたのは5時頃。
愛猫を看取ることはできませんでした。
でも、私は「絶対に看取る」という覚悟で飼っていましたから、ちゃんと最期まで見届けました。
つまり、愛猫はそれを分かっていたから旦那には先に「さようなら」を言っていたのかも…と。
もちろん、勝手な解釈ですけれど

でもねぇ、フォトブックを作るために改めて写真を見直してみて、とても悲しいことが判明します。
旦那より、絶対私の方が愛猫の事が好きなのに、普段の様子を見ても愛猫は旦那の方を好いている気がするんですよねぇ。
好きだからこそ余計に触っちゃうってこともあるでしょうし、好きだからこそ何かあったらすぐに病院に行って対処するし、好きだからいっぱい写真を撮ってるんですけど…。
振り返ってみると獣医さんと同様、好きなのに嫌われてるような…(笑)
そして、写真も撮るばっかりだから、「愛猫」、「コビトと愛猫」、「旦那と愛猫」の写真はあっても、「私と愛猫」の写真が、まぁ、少ない、少ない
私が愛猫と最後に撮ったのは去年のクリスマス。
コビトと愛猫とのショットはコビトの誕生である10月4日、旦那と愛猫とのショットは旅立つ前日…。
なんてこったい!
大きな後悔だわ
いつ死んじゃうかもしれなから…と愛猫の写真はいっぱい撮ってたのになぁ。
今になって一緒に撮るべきだったと痛感させられたわ…


さて、前置きが長くなりましたが…。
今回の事で、初七日とか四十九日とか…そういう節目を大事にしたいと思うようになりました。
正直、私は生まれた時点で両親の親、つまり祖父母が既に亡くなっていたので、身近な人の死というものを経験したことがありません。
いやまぁ、父親の兄弟が亡くなった時はありましたが、その時は私は小学校の低学年くらいで、大好きなひと…とかいう存在でもなかったので、悲しいとか寂しいとか、そういう感情ってなかったんですよね。
だから、四十九日がどうとか、法要がどうとか、毎朝仏壇にお供えして…という事に関しても、全く気にしなかった。
でも、愛猫の死は、「ちゃんとしたい」と思ったんですよね。
愛情の度合いで、こんなにも違うとは…。
ちなみに、節目は七日ごとにあるんですってね。
それが七日経(なのかびょう)と言われるそうで、それには、その子が成仏するための修行・裁判の期間であると考えられているそうです。
七日ごとの節目では、それぞれ仏様をお招きし、そこで魂は智慧(チエ)を授かり、七つ目の節目(四十九日)で天へと召される…そういう意味があるそうです。

初七日(しょなのか)…………命日を含めて7日目。成仏へ向かう最初の節目。
二七日(ふたなのか) ………三途の川を渡る乗り物(器)を授かります。
三七日(みなのか)………… 清めの水によって清めてもらいます(別名:酒水忌)。
四七日(よなのか) …………お経について深く学びます(別名:阿経忌)
三十五日(さんじゅうごにち)…生前の行いと初七日からの修行のせいかにより、次に生まれ変わる場所がある程度決められます。
六七日(むなのか)……………もう一度、生前の行いを反省します。
四十九日(しじゅうくにち)……別名「忌明け」と呼ばれ、この日に魂は成仏します。手元にお骨がある場合、この日が最も納骨に適した日となります。
百か日(ひゃっかにち)………別名を「卒哭忌」と言い、文字通り、「泣く」事を「卒業」する、残された方々が心に区切りをつけるための節目です。

あとは月に一度の月命日、年に一度の周忌法要という節目が続いていくのですが…。
これはお寺から頂いたものに書かれていたのですが、この間の節目ごとにお参りをすればするほど魂が良いところに行ける…とか聞くと、お参りしてあげたいと思ってしまいます。
水嫌いな愛猫にとって、三途の川を渡る乗り物も絶対に必需品(笑)
次に生まれ変わる場所が、家の近くだったらもっといい…なんてね。

愛猫の死のタイミングは、なんというか、できすぎているくらいできすぎていて、改めていい子だったなぁ…と思います。
もともと生きているときから、テーブルの上に上がることもしなかったし、言う事もよく聞いていました。
旅立った日、実はコビトの幼稚園での行事や昼からは歯科受診があったりして予定が詰まっていたんです。
更には23日はコビトのマーチングもありました。
旅立った日も朝の4時過ぎだったので、悲しかったのですが行事も歯科受診も通常通り行けましたし、マーチングも容態を気にしながら出かけるという事もありませんでした。
またコビトが冬休みに入る直前だったこともあり、一番寂しさを実感する昼間に一人っきりになることもありません。
更には百か日と言われる日は来年3月29日。
4月からコビトが小学生になりますから、区切りとしてはとてもいい時期だと思います。
また、月命日は私の誕生日の日にちと同じなので絶対に忘れないですし、共通点ができて嬉しいくらいです。
なんかもう、そういうのを考えるたびに、いい子過ぎて涙が出てきます。
だからこそ、ちゃんとしてあげたくなします。

でもきっと、こういう考え方や節目の行事は、残された者の為なんでしょうね…。
実際、魂がそこにあるのか、三途の川があるのか、生まれ変わりがあるのか…本当のところは分かりません。
ただ、悲しくて寂しくて、何かをせずにはいられない…とか、その子に会いに行きたい…とか、そういう行動を受け入れてくれる場があることで、残された人の悲しみや寂しさは徐々に癒されていくんだと思います。

まだまだ涙は出てきますが、まずは初七日の節目に愛猫に会いに行きたいと思います。

コメント
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