介護生活をずいぶん前に卒業した私は、今でもいろいろと
「介護」ということについて語り合うことが多い。
今日も、午前11時に会って、打ち合わせをしていた人と、
仕事の話が終わった後に、そういう話題になってしまった。
昨年から一緒に仕事をしている30代半ばの女性だ。
田舎から帰京したばかりで、今日は「心」がまだ故郷に
残っていたようで・・・彼女は、ぼそぼそと語りだした。
昔の私とよく似ている境遇で、介護人生活をしている人だ。
まさに、初期時代の“私の感情” が、そこにある感じだった。
彼女の話を、ひとしきり聴いた後で、
私が、長きにわたって到達した考え方を披露したり、
今の状態(感情)を話したりすると、急に彼女は泣きだして、
抱え込んでいたモノを(どど~っと)噴出しだした。
ちゃんと話せる人がいなく、キチンと聴いてくれる人もいなくて、
友達に話しても的外れな発言やアドバイスばかりで
疎外感を感じていたらしい。そのために・・・
いつの間にか(他人に)「話すこと」をしなくなったという。
そして、自分の心を封じ込めていて、我慢していたようだ。
家族との関係や、介護している人との関係、
本当に、私の感じた感情を、彼女自身が追ってきているような
そんな印象を受けた。
故郷を離れ、親の介護のために、一生懸命に働く・・・。
たとえ帰りたくても、田舎には(自分にあう)仕事がなく、
東京でしかできない自分の仕事があるから―。
携帯電話で、他の仕事先の人に追いかけられながらも、
二人で話しこんでいたら、結局3時間半があっという間に
過ぎていた・・・。
彼女のいくつかの具体的な悩みは、私が長い時間をかけて、
到達した結論の一つ一つだった。
だから、過去のことがまるで昨日のように感じられて、
私も感傷的になってしまったりもした。
やはり、似たようなことを経験している人は、似たようなことを
感じたりすることもあるし、似たようなことで悩んだりする。
性格が違ったりしたら、そういうこともないだろうに・・・
気がつかないところで、自分で思い込んでは苦しみを増している。
彼女の介護人生活は、今年で6年目だと聞いた。
刹那的なことに逃げないで、ゆっくりと受け止めてほしい。
まだ、まだ、これからが、長いかもしれない。
体調に気をつけるため、リラックスする方法をアドバイスしたら、
「やってみる」と言っていた。
話してみると気分が楽になったそうだ。
もし、私と話すことで、そういう気持ちになってくれたら、
私は光栄なことだと思うけれど、
何か “きっかけ” がないと 共有し合えないこともある。
特に、仕事関係の人には、必要以上に言えないものだ。
こういう話題は、なかなか突っ込んで話せる機会が少ないだけに、
お互いに貴重な時間だったと思う。