梅雨明け と 猛暑の七夕

2013年07月07日 | 出来事 -

昨日、( 雨もさして降らないままで ) 梅雨明けとなった。

暑い一日で、東京都内での熱中症搬送者は、51人になったそうだ。

「 何をしても、じわ~っと汗をかくなぁ 」 とは思っていたが、
早くも “ 連日の暑さと闘う日々 ” を迎えるのか ― と・・・ 
やんわりと 嫌気がさしてくる。

昨日の最高気温は、37.4℃ (館林市) だったようで、
今日も 同じような 猛暑となる天気予報だが・・・
すでに 朝の六時半から、暑くて、暑くて、・・・
日射しも強くて、「 猛暑日 」 のようだ。



   

暑くても、晴れたら・・・織姫と彦星は会えるのか・・・。

七夕と聞くだけで、切ない気持ちがわいてくるのは、引き裂かれた二人の
物語が頭をかすめるからか・・・。



独立自存 (どくりつじそん) のような存在でいられたら、
どんなに自分を誇らしく捉えられることだろう。
他の何物にも影響を受けることなく、他の何者の力にも頼ることなく、
自らの力で存在する状態のことだ。


今年の七夕は、何故か、自分にとって “ 特別な一日 ” のように感じる。
まずは、水分のバリエーションを揃え、まるで全てを洗い流すかのように・・・
身体の中にある(であろう) 邪気を 完全に 払いたい気分だ。


今日は、天気も良いし、アクティブな日じゃ!!


涼しげな夏風の容器

2013年07月05日 | 食事 -

蒸し暑くなると、涼しいものが 欲しくなる。

ガラスグラスに盛りつけたサラダ!
普通は、飲み物に 使うような形のグラスだけれど・・・
少しばかりの 「 涼しさ 」 を、演出してくれる。

   


風鈴は、近所迷惑になるし・・・
都会の集合住宅では、打ち水に限界がある。
コンクリート通路に水をまいても、迷惑なだけで、
温度が下がることはないが・・・
土は、確実に、水蒸気として、水分を変化させて、
周囲の雰囲気を一変させる。

夏、土の庭への放水は、たまらなく気持ちが良いものだ。
虹がでるぐらいの打ち水だと、心にも涼しさが満ちてくる。



書籍整理 と リサイクル

2013年07月04日 | 出来事 -

膨大な書籍の整理をした。

新しい企業経営者本や、絵本などは需要があるようなので・・・・
本を選んで、近くの図書館に持参し、寄贈するつもりだ。
中途半端な本や、雑誌などは、厳選して、破棄処分する予定。


昨年買った本なども、捨てるにはもったいない本ばかりだが、
手元に置いておくにはスペースの問題があったりして・・・
悩ましい。


「 コンビニ は、我家の冷蔵庫! 」 
「 図書館 は、我家の書庫! 」
 

    そう・・・思えれば・・・
気分も楽になり、物質主義からの解放ができるような・・・
そんな錯覚も味わえる。


知人で、知識を得るという目的のために、本依存症になり、
本屋で毎日のように最新の書籍を買いあさっていた人がいた。
本は自宅に あふれかえり、脱衣場と風呂場を占領して、彼は・・・
銭湯通いをしていたぐらいだ。
怖ろしい・・・精神疾患状態 手前 (手前ではないかも) の現象・・・。


私は、まだ、浴場は 広く使えているし、
最新の書籍でも、ポイっと捨てられる精神状態のため、安心じゃ!


人間、まずは、健康的な心身が一番であり、
そのためには、快適な住空間作りも、大事な要素だと思う。


私の 「老後を生きる極意 」 

2013年07月04日 | 自分 -

私の青春を支えて下さった多くの方々( 諸先輩 ) が、
“ 老い ” という “ 無限の世界 ” と、闘いはじめている。
元気だった頃の残像が、私の脳裏に残っているため、
非常に心が切なくなることばかりだ。
人は、産まれてきたからには、「 死 」 を迎える定めだが、
その経緯と、最期の感慨が、穏やかであれば ― と 心から願う・・・。


人間にとって、どうすることもできない “ 自然の摂理 ”。
だから、甘受して、ともに歩むことが 何よりだと考える。





今の私が、つたない頭で考えたこと―。

老後を悔いなく、快適に過ごす秘訣とは、
何事にも執着することなく、
それでも我慢することなく、
若い人に嫉妬することなく、
日常に ささやかな幸せを見つけ、
終わりの日まで 感謝の思いで生きること。


“ 我 ” を張って、頑固さを通すよりも、
その方がどれだけ幸せか・・・。


そう思える現実を、幾つも目の当たりにしてきたからこそ、
こういう気持ちになったのだ。





日々、襲ってくる感情の波と、常に折り合いをつけ、
自分の世界 ( 新しい価値観 ) をつくりあげていくこと・・・。


自分を見守ってくれる心友と、自分が愛するモノが傍にあれば、
おそらく心豊かに生きていけるだろう。



「 お隣さん 」 の国々

2013年07月03日 | 社会 -
今日は、韓国人の男性と、一緒に行動を共にしていたので、
お互いの共有認識事項や、個人的な志向、それから、
国際問題まで意見交換して、つらつらと話す時間があった。


雨が降ってきて、二人で傘をさし、そぞろ歩きをしながら、
まったりと話すのも、最近では珍しい機会だった。


彼は、日本に来て、10年以上経っているらしく、
流暢な日本語で、言葉の壁は 全く ない。

性格は明るく、笑顔がさわやかな上に、丁寧な人で、
自分も初対面ながら、( 人として ) 好感を抱いた。

今は、「誠実な人」 が、恋しい時代となってしまった・・・。


     


彼の心配事は、「 北朝鮮 の “ 今 ” 」 だそうだ。
親の世代には、離散家族もあったが、自分たちの世代は
そういう事実もないので、・・・とにかく・・・
報道される異常な状態に対して、危惧しているようだった。
それも、「個人的な意見だけれど・・・」 という前置きで、
「 北朝鮮は、韓国よりも、中国と統合するのではないか 」 ―
という独り言を こぼしていた。
もちろん、イザという時のことだが・・・。


領土のせまい韓国にとっては、北朝鮮と 一緒になることで、
新しい産業形態が生まれる可能性があるが ・・・・
それよりも、「 国民が飢えている現実 」 が 受け入れ難いと
北朝鮮のことを 嘆いていた。
同じ同胞だからこその感慨なのかもしれない。


   


人類なんて、基をたどれば、 同じ一つのDNA に たどり着く。
それが、文明の発達や、環境の違いで、現在の国境線がある。
なが~い、なが~い 時間を経て、出来上がった 「 線 」 だ。
けれど、“ 地球という星にすむ生き物 ” という観点からすると、
「 たった一つ 」 ということになるわけで ・・・
その一つの星の中で、せめぎ合いが頻繁に起こっているのだ。
そんなイメージを持てば、韓国も、日本も、同じように思える
のだけれど ・・・ そういう感想を許してくれない状況が ・・・
現在の国際社会にはある ― のが、辛いところである。


雲呑 ー 「 わんたん麺 」

2013年07月02日 | 食事 -

とろ~り、とろ~り。

美味しいワンタンは、口にも舌にも やさしい。




ワンタンは華北で生まれ、
しばらくは餃子と区別されていなかったらしい。

皮の包み方も、皮の中身も、それぞれだ。
海老も美味しいし、蟹も烏賊も、鳥肉も良い。

ワンタン ー「雲呑」(広東語)。
ワンタンという読み方も広東語らしい。


餃子は、飽きるほど作った。 
父の好物だったから・・・。 ( 水餃子で食す )
きっとワンタンも、好きになっただろうーと思う。

炎症はどこかにある?!

2013年07月02日 | 自分 -

日々、咳と闘いながら、順当な治療薬と吸入を繰り返していたが、
数か月間、治らず・・・ 体力・気力の低下を慮る日々・・・。

約束やアポをキャンセルしては、避けられない仕事は、ホールズ黒を
口にしのばせ、やっとの思いで、しゃべりたおして帰ってきていた。

※ ホールズの黒は、メンソールが強い。
 アレルギーが原因の人は、メンソールに反応する。
 とても、楽になり、咳がとまるのだ。




このたび、そういう異常事態から起こる・・・これまた順当な結果が
私の身に起こった。
親知らずが 痛くなった のだ。
炎症を起こした親知らずは、留まるところを知らず、ただ 痛い!

炎症止めの強めの薬を 服用した。
この薬は、体内の炎症が起こっている箇所が、すべて止まるという薬だ。
そして、私が手にしたのは、「気管支の炎症も軽くなった」 ということ。
素晴らしい変化だ。
しかし、何日も、強い薬を服用してはいけないので、長くて5日ぐらいで
だいたいは 辞めることにしている。



私にしてみたら、「有り難いことだ」。

夜中の咳は、本当に苦しいが・・・・
一日中、咳が止まらないことは、もっと辛い。
体力の消耗は避けられない。


今日も、薬草茶を煎じながら、気持ちの良いお天気に感謝!
心が、徐々に、拓かれていく自分を 感じている。


私が初めて読んだ本

2013年07月01日 | 雑感 -

子どもの頃、親から与えられたのは絵本ではなかった。
私が覚えているのは、偉人の生涯本で、子ども用に絵が充実した
わかりやすい本だった。
父が選んだ偉人は、 「 エジソン 」 「 野口英世 」 他、
ほんの数冊だった。

文字が読めない頃は、読み聞かせで・・・・
文字が読めるようになってからは、自分で読んで・・・
私には 他に本がなかったので、何度も何度も、読むしかなかった。


そして、本が読みたい欲求に強くかられた私は、置き場所がわかる
父の愛読書を 隠れて読むようになる。
それが、忘れもしない 「 ああ無情 」。
そして、画家ゴッホの “ 弟への手紙 ” を変遷したものだった。
「 ゴッホの手紙 」 とか 「 テオへの手紙 」という題。

その後、この2冊は、何度も 何度も 読み返して、
成人してからも、自分に 「 影響を与える本 」 となっていく。

「レ・ミゼラブル」は、呆れるぐらい何度も舞台鑑賞したし、
ゴッホのたどった道を、実際に “ 自分で歩く旅 ” もした・・・。




まだ、部屋の本や雑誌を整理していて、子どもの頃のことが、
思い出されて、なんとなく不思議な気分になった。
本の内容は忘れていても、黄ばんだ古書のカタチだけは・・・・
今も覚えているなんて、すごいことだ と 思う。
それが置かれていた場所も・・・・。
それだけ、子ども時代に経験した印象的なことは、ずっと心の中に
残るものなのだ と、おぼろげに感じる。



有意義な経験と、豊かな人間関係が、

全世界の子どもたちに あることを 願いつつ・・・・。