大滝秀治さん亡くなる。最後の舞台が私の書いた『帰還』なので、いろいろな人から連絡が入る。ニュースでも『帰還』の一場面をやっていて、大滝さんの「俺は反革命だ」という台詞が流れたりして、ああ、たいへんヘビーな舞台をやってくださったのだと、あらためて思う。1950年代の日本史を背景にしている劇だけに、彼がいなければ『帰還』のリアリティはなかった。いろいろな作品のことを憶えている。散逸したシナリオを書いた男を演じる倉本聰作の単発の一時間ドラマ(東芝日曜劇場)のことをたまに思い出す。いろいろな映画のことも。もうあの演技が新たには見られないのだと思うと、残念だし、哀しい。ご冥福をお祈りする。
……東京に戻るまであまりパソコンを向いていなかったので、遅れてになるが、平良夏芽の「敗北宣言」を見た。普天間のたたかい、主に9月30日に至る流れについてである。私の新作『星の息子』は、その普天間のことも視座に入れ、ある意味で『帰還』とも通底する劇なので、今まさに私がこれに取り組んでいることが、大滝さんに対する供養であり、生死を超えた繋がりを信じられるリアリティの根源である。
以下、勝手に引用する。
平良夏芽「敗北宣言」
第一次敗北宣言。これを出すに当たって数人の仲間に相談し、皆に怪訝な顔をされた。「闘いはこれからじゃないの?」という反応である。
しかし、私はここであえて敗北宣言をしたい。オスプレイ配備計画を撤回させ普天間基地を閉鎖に追い込む千載一遇のチャンスを沖縄県民が失ったことを県民は肝に銘じる必要がある。
オスプレイは配備され、高江にも飛来した。
次があると言う言葉を安易に口にする人々に問いたい。このチャンスを逃して、他にどんなチャンスがあるのか具体的に考え、示して欲しい。
事前に組織との摺り合わせがなかった等の不満を抱く人々に問いたい。皆に相談して実行できた行動だったと本気で思うのかと。
オスプレイ墜落という悲劇以外には、県民が一丸となれるチャンスはそう多くはない。そして、墜落という悲劇など私たちは決して望まない。ゆえに、次のチャンスはそう易々とはやって来ない。
私たちは普天間基地のすべてのゲートを閉鎖した。歴史上、初めての出来事であった。10人に満たない仲間で閉鎖を決行し、二百人に満たない人数で23.5時間の閉鎖維持をする事ができた。しかし、日曜日の夜に封鎖が解かれた事によって普天間基地への実質的な影響は限りなくゼロに近い。
人数さえいれば閉鎖を維持し、本格的閉鎖へと追い込むことができたのにである。
私たちは、仲間を集めることに失敗した。県民たちは、怖いとか、旗が嫌だとか、一部の過激なプロ市民の行動だからとか、何の意味があるのか?とか、様々な理由をつけて、いずれにしても駆け付けなかった。
今一度繰り返す。沖縄は、普天間基地閉鎖の千載一遇のチャンスを逸した。
奇跡的に近いうちに再びチャンスが到来した時に、同じ過ちでせっかくのタイミングを失わない為にあえて厳しく書く。如何なる理由をつけても物理的理由以外の理由で駆け付けなかった人々。呼びかけを疎かにした人々は自らの怠惰によって沖縄の未来を捨て去ったことを知るべきである。
私たちは、それでも諦めない。漠然とではなく、具体的方策を模索し実施し続ける。
次のチャンスのために地盤を固め直す必要がある。
今一度、頑張りましょう。
……東京に戻るまであまりパソコンを向いていなかったので、遅れてになるが、平良夏芽の「敗北宣言」を見た。普天間のたたかい、主に9月30日に至る流れについてである。私の新作『星の息子』は、その普天間のことも視座に入れ、ある意味で『帰還』とも通底する劇なので、今まさに私がこれに取り組んでいることが、大滝さんに対する供養であり、生死を超えた繋がりを信じられるリアリティの根源である。
以下、勝手に引用する。
平良夏芽「敗北宣言」
第一次敗北宣言。これを出すに当たって数人の仲間に相談し、皆に怪訝な顔をされた。「闘いはこれからじゃないの?」という反応である。
しかし、私はここであえて敗北宣言をしたい。オスプレイ配備計画を撤回させ普天間基地を閉鎖に追い込む千載一遇のチャンスを沖縄県民が失ったことを県民は肝に銘じる必要がある。
オスプレイは配備され、高江にも飛来した。
次があると言う言葉を安易に口にする人々に問いたい。このチャンスを逃して、他にどんなチャンスがあるのか具体的に考え、示して欲しい。
事前に組織との摺り合わせがなかった等の不満を抱く人々に問いたい。皆に相談して実行できた行動だったと本気で思うのかと。
オスプレイ墜落という悲劇以外には、県民が一丸となれるチャンスはそう多くはない。そして、墜落という悲劇など私たちは決して望まない。ゆえに、次のチャンスはそう易々とはやって来ない。
私たちは普天間基地のすべてのゲートを閉鎖した。歴史上、初めての出来事であった。10人に満たない仲間で閉鎖を決行し、二百人に満たない人数で23.5時間の閉鎖維持をする事ができた。しかし、日曜日の夜に封鎖が解かれた事によって普天間基地への実質的な影響は限りなくゼロに近い。
人数さえいれば閉鎖を維持し、本格的閉鎖へと追い込むことができたのにである。
私たちは、仲間を集めることに失敗した。県民たちは、怖いとか、旗が嫌だとか、一部の過激なプロ市民の行動だからとか、何の意味があるのか?とか、様々な理由をつけて、いずれにしても駆け付けなかった。
今一度繰り返す。沖縄は、普天間基地閉鎖の千載一遇のチャンスを逸した。
奇跡的に近いうちに再びチャンスが到来した時に、同じ過ちでせっかくのタイミングを失わない為にあえて厳しく書く。如何なる理由をつけても物理的理由以外の理由で駆け付けなかった人々。呼びかけを疎かにした人々は自らの怠惰によって沖縄の未来を捨て去ったことを知るべきである。
私たちは、それでも諦めない。漠然とではなく、具体的方策を模索し実施し続ける。
次のチャンスのために地盤を固め直す必要がある。
今一度、頑張りましょう。