Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

村上春樹新作をやっと読む

2013-08-18 | Weblog
じつは私は小説を読むのが苦手だ。借りていた本、村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』をやっと読む。確かにいつもの話術であり、それなりのクオリティはあるとは思うが、こんなに読み進めにくい小説とは思わなかった。内容に比べて長すぎる。あまりにも御都合主義。人物に色彩を当て嵌めたりして寓話的にしているからいいというつもりか? ネタばれなことを言えば、精神を病んだ若い女性がいることが原因で展開するプロットは、『ノルウェイの森』同様だが、私はこの手はほんとうに感心しない。だからこそキワキワの所にあえて挑んだのかも知れない前作よりも、切実さが乏しい。ラストに主人公を宙ぶらりんにするところも似ているが、だらだらと引き延ばして決め手に欠けている。夢の世界や伝聞の挿話が出てきて現実を批評するのはこの人のパターンだが、ありきたりというか、意味ありげなだけというか……。六本指の話なんて幾らなんでも手垢にまみれているだろう。これまでも結果として多くの作品が「青春小説」であることがエクスキューズになっている作者だが、自分の子供に当たる世代の人間を題材にしているからか、なんだか登場人物をなめている、見下しているという印象を与える。名古屋やレクサスという具体的な固有名詞が出てくるのも中途半端な現実感で、しっくりこない。色彩のことと同様に、翻訳した時にやっと完成形になるといわんばかりの、ずれた距離感なのだ。これまでのこの作者の作品については、私は内田樹氏の評の数々が自分に近いが、だから、ハズレの時はハズレだと思うものの、必ずしも否定的なわけではなかった。最近作者が発するようになった社会的なメッセージも嫌ではない。ただ、内田氏と共有する観点から言えば、作品からレイモンド・チャンドラー的な角度と深みが見事になくなっている。作者が本当には作品世界に入り込めていない、だから批評性が獲得されていないという感じがするのだ。主人公が魅力的なのに本人がそれに気がついていないというのもいつものパターンだが、その「疎外」を感覚的に保証する仕掛けがないので、今回は、ただただ愚かに見える。「完成された友人たち」のグルーブ、主人公が「死ぬことばかりを考えていた」という設定も、言葉だけで、まるで映画の梗概だけをしつこく読まされている感じだ。村上春樹氏の本は再読した時に「あれっ? こんなだっけ?」となることがあるのだが、今回は初めて読むのにそういう感覚がある。この本、じつはあまり売れていないという噂は、本当かもしれない。
この本を読み終えたのは数日前である。
昨日はあまり眠る時間のなかったまま、劇作家協会で六時間の会議と面談。遠方よりいらした皆さん、お疲れ様でした。内部的には、今回の「劇作家大会」の運営は、これまでの大会に携わってきた者たちよりも新世代に仕事を引き継ぐ意味も兼ねているから、丁寧に過程を踏んでいる。……久しぶりに讃岐うどんをシンプルに食べ、自転車移動、夜十時半まで稽古、日付けが変わるまで海外公演の荷物搬送等の打ち合わせ。さすがにへろへろになる。
コメント
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