Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

民主主義の破壊は限界まで来ている

2017-06-03 | Weblog
「官邸の最高レベル」文書は、正式な文書として存在していた。
「加計学園」が計画している獣医学部をめぐり、「官邸の最高レベルが言っていること」などと記された文書は文部科学省内の複数の課の少なくとも10人以上の職員にメールで複数回、送信され、今も個人のパソコンの中などに保管されていることがNHKの取材でわかったという。「本日朝の大臣レクについて概要を作成しましたので共有いたします」などと記され、文書が添付されていたという状況も明らかになっている。
「省内の共有フォルダーなどを調べた結果、確認できなかった」という文部科学省の説明は虚偽だったのだ。文部科学省の義本博司総括審議官は報道陣に対して、「現段階でお答えすることはできない」とコメントしているというが、もう誤魔化しようがない。
こうなった以上、政府は、前川喜平・前文部科学事務次官の捨て身の訴えを無視できるはずがない。
というか、「現段階でお答えすることはできない」などと、言わせっぱなしでいいのか。菅官房長官の無内容な「かわしワザ」だけのへんてこ答弁が罷り通ってしまうおかげで、日本語が破壊され、言葉が正しい意味で認識されなくなっているというのは、ブラックユーモアでさえない。悲惨だ。

選挙で選ばれた人間がやることは正しい、というのは民主主義ではない。そこを勘違いさせる方策が罷り通っている。だが、ありえないスキャンダルが続くこの政権は、さすがにもうストップさせなければおかしい。
野党は、新共謀罪を阻止する気持ちが本物なら、政府の異常さをとことん指摘し、審議拒否を貫いてとにかく国会を通過させないようにしてほしい。

翁長沖縄知事はこんな最中に安倍首相らにかりゆしウエアを贈呈しに行ったらしい。献上の構図。ありえない。昨日は辺野古で基地反対のため抗議する人たちが怪我をしたというのに。辺野古ではどんどん石が海に積まれているというのに。翁長知事は7月に基地建設阻止のために何かするとか言っているらしいが、どこまで本気なのか。沖縄の人たちの翁長知事への寛容さは、もはや私には理解できない。

「韓国人に生まれなくてよかった」という本が出ているらしい。
表現の自由というものがあるから、そういう題名をつけることも認めるしかないのだろう。
しかし、「韓国人に生まれなくてよかった」というその題名だけで、完全なヘイトであることは疑いがない。
そもそも個人であるはずの人間を、「ある集合の一員」としてのみ、個々人の特性を度外視して断定的に評価することは、どう理屈をつけても「差別」である。
誰かも書いていたが、アメリカで「黒人に生まれなくてよかった」などと発言する人がいたら、その人は社会から追放されるだろう。
人はたんに人として生まれる。ある国に生まれてとしても、「〜国人」である前に、一人の人間である。日本国憲法はそのことを大前提にしている。自国以外の「諸国民」に期待する、という発想の素晴らしさである。それを「みっともない憲法ですよ」と言っている安部首相は、民主主義というものがわかっていない。
元韓国在駐大使がこんな本を出すことじたいが日本の恥であると考えるのが本来のはずだ。

おそらく安倍首相らは「沖縄人に生まれなくてよかった」という考え方をしていない。現在の辺野古での工事強行は、「沖縄人は日本人なんだから日本のために我慢するのは当たり前」という押しつけの証左だ。差別どころではない。じっさいに暴力によって蹂躙している。沖縄のアイデンティティーを初めから抹殺しているのだ。

防衛省が米軍再編に協力する市町村を対象に交付することを決めた新たな「再編推進事業補助金」(4月17日に交付要綱が定められた)について、名護市が現状で交付対象にならない、と報道されている。交付要件の米軍再編に向けた「円滑な実施のために必要な協力を行っていると認められること」に該当しないそうだ。
この再編推進事業補助金は、米軍再編で米軍施設が移設される市町村が行う公共施設整備に補助金を出すものだ。沖縄市が米軍嘉手納弾薬庫知花地区への米軍牧港補給地区(キャンプ・キンザー)の倉庫群移設の受け入れ条件としている多目的アリーナ建設などを念頭にしているという。
名護市も対象となり得るが、防衛省は名護市が米軍普天間飛行場移設に伴う辺野古新基地建設に「協力していない」として「現状はご理解いただいていない」という理由で「対象にならない」としているという。
これはただただ名護市に対する侮辱だけが目的の行為と発言だ。
もちろん名護の人たちはそんな金がほしいわけではない。しかし工事を強行することが正しいと日本政府が思っているなら、じっさいに作業は始めているのだから、金は出そうとするのが当然のはずだ。
それを名護市の人たちが拒否する、というのが、現実に基づいた構図のはずである。
そして、金をもらうことを拒否することができるなら、工事の進行そのものも拒否できるという仕組みになっていなければ、おかしい。そうではないか。
ここには民主主義が存在しない。そこに住んでいる個々人の意志が反映されないのだ。これがたいへんな間違いだということを思わない人たちが多いことに驚かされる。これは「戦争の論理」を肯定していることに等しい。国の判断で個人が抹殺されるのを容認することに繋がるのだ。民主主義の破壊は、もう限界まで来ている。そして、逆に言うならば、民主主義の破壊が戦争を肯定することだということがここまであからさまなのに、そのように思われていない現実は、悲惨であり、あまりにも愚かすぎる。

写真は与那国島の夕景。
昨年9月、猪俣哲さんのお店の近くから撮った。哲さんは最近、与那国から南島を頻繁に巡り、自衛隊配備の不毛を訴え続けている。

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