千葉真一さんが亡くなったと聞いて、じわじわと感じるものがある。
私たちの世代では、子供の頃にこの人をたくさん観たという思いのある人が多いのではないか。
ジャパン・アクション・クラブ(JAC)の稽古場を借りて映画『写楽』の大道芸の稽古を二週間したのはもう四半世紀以上前だが、真田広之さんや岩下志麻さんと毎日過ごすこと同様に、JACでそれをやっていることに興奮していたような気がする。
JACといえば、志穂美悦子さんだが、彼女の出身地は岡山・西大寺で、そこには日本映画専門の旭館という二番館的な唯一の映画館があって、そこであらゆる日本映画を上映していたが、志穂美さんや千葉さんの出るような映画をやっていたような気がする。
先月、長野で『悪魔をやっつけろ』をやった日、なにしろ、10時と19時開演ということだったので、間に歩いているとき発見した長野ロキシー(写真)で、なんと、あと十五分で開映というタイミングだったので、観たいと思っていた台湾映画『一秒後の彼女』を観た。わりと気に入ったのは台湾映画やタイムループものが守備範囲ということもあったが、映画館じたいの懐かしい雰囲気の御陰もあった。
しかし、本番と本番の間に映画を観たのは初めてだし、まあ、二度とないような気もする。長野ロキシーではまもなく『カウラを忘れない』を上映するので、考えてみればやがて私自身もあの銀幕に登場するのだ!
千葉真一さんが亡くなったと聞いて、「映画館のスター」がいなくなった、という気もするが、『キーハンター』というテレビ番組のこともよく憶えているから、当時、映画館からテレビに流れていった趨勢の子供たちにとっての「テレビのスター」ということでもあったのだ。
千葉真一さんは、いちにち二百回、腹筋と腕立てをしているという話を聞いたような気がするが、先日亡くなった瓜生正美さんも二十数年前、七十歳の頃、毎朝二百回素振りをしている、と聞いた。二百回、という数には何かがあるのだろうか。
千葉真一さんは「ソニー・千葉」として、海外進出に挑んだ人でもあり、タランティーノが彼のファンだったことも知られている。真田さんが国際俳優として羽ばたいている背景には、師である千葉さんの後継者でもあるというイメージがあるのかどうかはわからないのだが。
千葉真一さんはアクションはもちろんだろうが、声に魅力があった気がする。『仁義なき闘い』シリーズで、いくつもの役をやっていたのもオールナイトで五本通しで観たりすると愉快だった。映画だけど、お客さんとの一体感、を知っている人だったように思う。
ほんとうに、「私たちの時代」は、過ぎ去りゆくのである。