Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

俊鶻丸の活躍を描く『わが友、第五福竜丸』に登場する、シンチレーション・カウンター

2023-11-22 | Weblog

『わが友、第五福竜丸』には、俊鶻丸に持ち込まれた岡野真治博士作成のシンチレーション・カウンターが登場する。操作できるのも岡野博士だけだったという。

写真 左より、円城寺あや、瓜生田凌矢、徳永達哉、川中健次郎、猪熊恒和。(撮影・姫田蘭)

シンチレーション・カウンターの赤いネオンランプが一カウント毎にポツポツと点滅。放射能が強まると点滅の間隔が早くなる。

俊鶻丸調査が始まってビキニ環礁に近づいていった半月後の五月三十日。海水から百五十カウントが検出された。プランクトンも一グラムあたり数千から一万。まだビキニは遠いのに、水爆実験で放出された放射能が攪拌されていないことがわかる。船に飛び込んできたトビウオからも放射能を検出。

やがて、爆心地までまだ八〇〇キロの地点で、それまでゼロカウントだったレベルが突然四五〇に跳ね上がった。

乗員の研究者たちの中には「やったー。よし、これで来た甲斐があった」と涙する者もいたという。危険を感じながらも、このプロジェクトに参加できた喜びの涙だったという。

俊鶻丸がその後の海洋学者の憧れの対象になっていてもおかしくなかったのにと思う。

六月十二日。爆心地まで一八〇キロ。ビキニ環礁に最も近づいた午前三時過ぎ。危険を察知して退避。シンチレーション・カウンターは夜九時には一〇三二まで上がり、推定海水放射能は七千を突破。位置と深さを変えて検査したところ、ビキニ環礁から流れ出した放射能は、深さ百メートル、幅は十キロから百キロのベルト状になって、大部分がゆっくりと西へ流れていた。海水は海流ごとの密度の違いで、簡単には混じり合わないことがわかった。

一分間五千カウントを越え、極度な緊張がピークに。その後、八十マイル進んで、ぐんぐん降下。ビキニの放射能灰は北赤道海流に沿って幅八十マイルで西へと流れていた。固まって運ばれている状態だった。この赤道海流がフィリピン群島にぶつかり北上、本州の九州方面から日本海側は対馬暖流、太平洋側は黒潮に乗って、その先の北海道でぶつかり、日本列島を包み込む。これほどの規模で、かなり遠くまで、帯状になって拡がって存在していたとは驚きだった。さらに水深を変えて調べた結果、濃度にばらつきがあり、必ずしも表面が高いわけではなく水深百メートルのところが一番高い値を出すこともあった。水がたくさんあるからすぐに薄められてしまうという考え方は間違いである。海洋では水平の方向にも密度の違う異質の水が互いにモザイクのように並んでいる。その境目は不連続面で仕切られていて、水は交換できない。そのモザイクの中を海流がまるで大河の水のように流れているところもある。海洋では水は、水平方向にも簡単には混じり合わないのである。上下でも密度の違う水のモザイクが存在する。そのため水平方向にも上下方向にも簡単に混じり合わない。

この検査の結果からして、原発の放出した汚染水も海で薄まらず動き続けるはずだと、想像される。

六月二十一日。深度七五メートルで最高七〇八〇カウント。キハダ内臓から八五五〇カウント。白血球検査を定期的に実施。

七月四日、二ヶ月に及ぶ調査を終え、帰港。

海の汚染は簡単には薄まらず、放射性物質が海水や海の生物に大きな影響を与え食物連鎖でマグロの体内にも蓄積されることが明らかになった。様々な場所と深さで調べたことに意義がある。海洋汚染をどう計るかを、俊鶻丸が世界に知らしめた。水爆実験をやる国には、この結果を知るべきだ。

ところが調査は続けられなかった。第一回俊鶻丸の後の放射線調査のほとんどは、原子力平和利用のための環境モニタリングでしかない。事故が起きた時に何を測定するかという備えもなかった。平和利用のバラ色の夢を推進し、低線量被曝の影響を第五福竜丸乗組員の急性障害だけに矮小化し、世間から忘れさせた。一九六六年、日本初の商業用原発・東海発電所、運転開始。続いて七〇年代のオイル・ショックでエネルギー安定供給への危機感を煽られ、官民一体となって原発導入を推進することになる。

俊鶻丸「顧問団」の中心的な存在だった気象研究所・三宅泰雄氏の悲願は、大きな原発事故にも対応できる環境放射能の横断的な研究体制を作ることだった。それが実現せぬまま、福島第一原発事故により、再び海が汚染された。

ビキニもフクシマも、政府が情報を隠し、ウソを言う。問題がないなら大平洋の汚染を確かめ報告すればいい。三陸沖は世界三大漁場の一つ。福島原発沖は親潮と黒潮がぶつかる。プランクトンに始まる食物連鎖が生態系に影響する。

気象研究所主任研究官・青山道夫氏は指摘する。

九〇年代後半まで、半減期十五年で減少していたセシウム137の表面海水濃度が、その後十年ほとんど減少していない。大気から何も降り注いでいない状況で数字が変わらないということは、南の亜熱帯域の高濃度の海水が入ってきているからだ。中部北太平洋で別々な層がぶつかり合い片方が沈み、南向きに輸送された一部が、ぐるっと回って再び日本周辺に輸送されてきた。つまり循環しているのだ。二〇〇二年には、太平洋全体を六つのコースでさいの目に区切り、船を移動させ、あるいはサンプルを集め、様々な深さで、半世紀以上前の放射性セシウムの行方と濃度を測定しました。その結果、断面図で見るとわかるけど、北緯二四度、台湾あたりで、図に描けば二つの赤い目玉みたいな濃度の高い部分が、深さ五百メートル付近にある。他の断面もつなぎ合わせると、太平洋にドーナツ状に繋がっているとわかる。これはもともと知られていた太平洋の循環と一致する。一周にかかる時間はおよそ三十年、場所によって深さを変えて流れている。日本付近では、表面近くを流れ、その後、さらに沖合いでは水深六百メートルまで沈み込んでいる。

震災後も、海の放射能汚染がどう拡がったか、明らかにしたい青山氏は、そのためには太平洋で広く海水を集める必要があり、日本各地の研究機関、さらには太平洋を航行する商船などに、海水表面のサンプリングを呼びかけた。

気象研究所を引き継いだ青山氏は原発事故の前から太平洋全体の放射性物質の動きに関する重要な事実を発見していた。

震災翌年の六月、青山氏は東経一六五度に沿って、海洋内部のセシウム137を測定した。するとやはり水深三百メートル付近に周囲より濃度の高いところが見つかった。震災から一年余りでセシウム137が海の中に沈み込んでいたことが明らかになったのだ。

この調査が実現できたのは、奇しくも青山氏が二〇一一年から事業を始める予定だったからである。ビキニ事件以降の追跡調査の継続あってこそである。

表面だけ見ていてはダメでちゃんと海洋の内部にどこにどのように分布しているかを知っておかないと、これからどうなるかわからないということだ。

 

※※※※※※※※※※

 

そうした私なりの理解が、『わが友、第五福竜丸』には、取り入れられている。

「俊鶻丸」の史実を現在に届けたNHKディレクター・奥秋聡さん登壇のアフタートークは、本日開催です! 

 

※※※※※※※※※※

 

燐光群『わが友、第五福竜丸』座高円寺公演、

11月22日(水)14時の回のアフタートーク・ゲストは、

NHKディレクターの、奥秋聡さん。

2013年ETV特集「海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸~」には、たいへんな刺激を受けました。

「俊鶻丸」の存在に出会えたのは、奥秋さんの御陰です。

そして、今回の創作にあたっては、刺激的なお話を、たくさん聴かせていただきました。

アフタートークでお話しできることが、たいへん楽しみです。

 

 

奥秋 聡(おくあき さとる):プロフィール

NHKディレクター。

1974年神奈川県生まれ。1999年NHK入局。

静岡放送局在籍時にビキニ事件を取材。
2013年ETV特集「海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸~」を
制作、その内容を書籍にもまとめた。
これまでに制作した番組
ETV特集
「あとにつづくものを信じて走れ~井上ひさしさんが残したメッセージ~」
「関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか」
「久米島の戦争 なぜ住民は殺されたのか」
こころの時代
「死者は沈黙の彼方に 作家・目取真俊」など

 

燐光群『わが友、第五福竜丸』上演情報です。

https://rinkogun.com/portfolio/20231117_wagatomo_dai5fukuryumaru/

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俊鶻丸のシンチレーション・カウンターが登場します 『わが友、第五福竜丸』

2023-11-22 | Weblog

写真は左より、円城寺あや、武山尚史。撮影・姫田蘭。

この機械は、水産庁の調査船・俊鶻丸に搭載された、シンチレーション・カウンター。

第五福竜丸展示館に常設展示されている。「俊鶻丸調査」の重要性が理解されているからだろう。

他の船の備品が保管されてることに違和感を憶えられるかもしれないが、シンチレーション・カウンターは、放射線が衝突すると蛍光を発する物質を使った測定器。ビキニ事件のとき、日本にただ一台しかなかった。こんなに大きくても当時としては最先端。その頃は真空管一つも高価で手に入りにくかったため、当時は二十代、若き日の岡野真治博士が秋葉原のジャンク屋でアメリカの放出品を集めて組み立てた。ご自分の研究室に備え付けていたものを外して持ち込んだ。こんな大きな機械が船のデッキにあったら邪魔だったらはずであるが、必需品だったのだ。ビキニに近づいて、汚染が強くなると、俊鶻丸の乗員はシンチレーション・カウンターの数値に一喜一憂した。岡野博士は仮眠を取っていても、故障するたび起こされた。

ビキニ事件の海洋への放射能汚染を計測する「俊鶻丸調査」。日本独自に海の放射能汚染の実態を解明する一大プロジェクトの船が、ビキニ事件発覚二ヶ月後の五月十五日には、出発できていた。気象研究所の三宅研究室が主導していた。海水の放射能をはかる測定方法がなかった時代、ビキニの灰を使って実験を繰り返し、海水から核分裂生成物を分ける方法を編み出した。

当時大平洋のマグロから強い放射能が出て大量に破棄され、安全が確認されても価格は半値以下、社会問題になってた。水産庁が呼びかけたということになってるけど、国会で調査の用意があるか問い詰められた長官が苦し紛れに「現在計画を進めています」と答えてしまった。ちょうど水産講習所の練習船があいていた。水産業への損失補償をアメリカに請求するならうごかぬ証拠が必要だ。実地調査に反対する理由がない。科学の発展はラッキーな偶然に背中を押されたのである。

※※※※※※※※※※

安倍首相は五輪招致の演説で「状況はコントロールされている」、「汚染水は原発の港湾内で完全にブロックされている」と言ったが、それが嘘だとわかっていながら世間は追随した。

二〇一一年、事件当時の福島原発港湾外の海水調査でも、明らかに放射能漏れがあった。トリチウム、セシウム137、134を検出。コントロールもブロックもない。政府は基準値内と言ったけど、大量の海水で薄まったところの数値。薄められたのに検出されるレベルの放射性物質があることじたいが驚愕すべきことである。

四月に入り近海のコウナゴから暫定基準値を超える検出があり汚染問題は表面化。なのに水産物への影響を総合的に調査する体制はとられなかった。そしてビキニ事件の一九五四年以来、半世紀以上にわたって放射能観測を続けてきた気象研究所に年度末、次年度から観測予算は使えなくなると連絡が届いた。自粛を余儀なくされた漁師たちが「調べてくれ」と言い、放射能が観測史上最高の値を示しているときなぜやめるのか、理解できない。

五月一六日、「大学や調査機関が所有する調査船などを協調的に投入し効率的な観測体制を構築する必要がある」と、日本海洋学会が国に提言。しかし指揮体制はいっさい作られず。海水や海底土は文部科学省、魚は水産庁、原発近くは東電、川の河口は環境省、バラバラに調べてた。サンプルを取る場所を整理しないと全体像がわからない。組織も顧問団もない。俊鶻丸の経験が生かされていなかったのだ。

それでも岡野真治博士はシンチレーション・カウンターを小型化し、車に付けて被災地を走り、まずは陸の汚染マップをつくった。最新の岡野式測定器はトランクに収まるサイズになっていた。船にも計測器を付けて、三次元の汚染マップを作ろうとしていた。表面放射線値はもちろん、潜水挺に計測器を載せて海中放射線値を計りたいと考えていたという。「測ってみなければわからない」が口癖だったという。

ビキニ事件の放射能検査をした同じ人が、六十年後に福島原発の放射能検査をしたのである。

 

※※※※※※※※※※

 

そうした私なりの理解が、『わが友、第五福竜丸』には、取り入れられている。

「俊鶻丸」の史実を現在に届けたNHKディレクター・奥秋聡さん登壇のアフタートークは、本日開催です! 

 

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燐光群『わが友、第五福竜丸』座高円寺公演、

11月22日(水)14時の回のアフタートーク・ゲストは、

NHKディレクターの、奥秋聡さん。

2013年ETV特集「海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸~」には、たいへんな刺激を受けました。

「俊鶻丸」の存在に出会えたのは、奥秋さんの御陰です。

そして、今回の創作にあたっては、刺激的なお話を、たくさん聴かせていただきました。

アフタートークでお話しできることが、たいへん楽しみです。

 

 

奥秋 聡(おくあき さとる):プロフィール

NHKディレクター。

1974年神奈川県生まれ。1999年NHK入局。

静岡放送局在籍時にビキニ事件を取材。
2013年ETV特集「海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸~」を
制作、その内容を書籍にもまとめた。
これまでに制作した番組
ETV特集
「あとにつづくものを信じて走れ~井上ひさしさんが残したメッセージ~」
「関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか」
「久米島の戦争 なぜ住民は殺されたのか」
こころの時代
「死者は沈黙の彼方に 作家・目取真俊」など

 

燐光群『わが友、第五福竜丸』上演情報です。

https://rinkogun.com/portfolio/20231117_wagatomo_dai5fukuryumaru/

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本日開催! 「俊鶻丸」の史実を現在に届けた『海の放射能に立ち向かった日本人 ビキニからフクシマへの伝言』の奥秋聡さん登壇のアフタートーク

2023-11-22 | Weblog

「俊鶻丸」の史実を現在に届けたNHKディレクター・奥秋聡さん登壇のアフタートークは、本日開催です! 

 

水産庁の調査船・俊鶻丸の存在は、ほとんど語り継がれてこなかった。奥秋聡ディレクターの2013年ETV特集「海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸~」で、多くの人がその史実を初めて知ることになった。

日本独自に海の放射能汚染の実態を解明する一大プロジェクトの船・俊鶻丸が、ビキニ事件発覚二ヶ月後の一九五四年五月十五日に、ビキニ爆心地に向け出航できていた。

当時大平洋のマグロから強い放射能が出て大量に破棄され、安全が確認されても価格は半値以下、社会問題になってた。水産庁が呼びかけたということになってるが、国会で調査の用意があるか問い詰められた長官が苦し紛れに「現在計画を進めています」と答えてしまったという経緯である。

ちょうど水産講習所の練習船があいていた。水産業への損失補償をアメリカに請求するならうごかぬ証拠が必要だ。実地調査に反対する理由がない。科学の発展はラッキーな偶然に背中を押される。海洋汚染をどう計るかを、俊鶻丸が世界に知らしめた。

俊鶻丸の顧問団は二十二人の若き科学者を選んだ。気象班二名、海洋班三名、計測班三名など、放射能、医学でも将来を嘱望された研究者が結束。船員・漁夫・報道関係者も加わり総勢七十二名。記者団が九名。

もともとは練習船として使われていた海洋調査船五百八十八トン。水産庁は三千万の予算を要求したが大蔵省は千四百万に削減。顧問団が強く要求していた危険手当も削られた。放射能に危険手当認めたらレントゲン技師にも出さなきゃならないからダメということになった。予算削減のため、放射能の灰をかぶったとき船を自動的に洗う装置もつけられなかった。.

その年十一月十五日から五日間、放射性物質の影響と利用に関する日米会議が、日本学術会議の会議室で行われた。日本側は三宅泰雄さんたち俊鶻丸顧問団。アメリカ側は原子力委員会の核兵器開発担当メンバー。水爆爆発点から二千キロ離れても海水や生物に放射能があるという分布図を示した俊鶻丸調査の結果は、アメリカ側が示した「最大許容量」という安全基準がまったく通用しない現実を突きつけた。

「記録に残すことはだいじだ。今を知ることは明日を知ること」が三宅泰雄さんのモットーだった。

ビキニ事件後、一ヶ月半の準備で、俊鶻丸が出航しました。対応が非常に早かったわけですが、東日本大震災時の福島第一原発事故に対しても、海洋調査船を出すべきだったという気がします。そして除染水の放出を実行してしまっている現在、必要なのは新たな「俊鶻丸」ではないでしょうか。六千メートル以上の深海の採水や採泥ができる装置を装備する必要がある。深海調査船「みらい」や「白鳳丸」レベルのものならすぐ使用できるはずである。

何か放射能汚染に係わる事象が起きた時に、優先して使用可能な海洋観測船を準備しておくと共に、専門家チームによる定期的な調査を実施することが重要ではないかと思う。しかし指揮体制はいっさい作られず。海水や海底土は文部科学省、魚は水産庁、原発近くは東電、川の河口は環境省、バラバラに調べてきた。サンプルを取る場所を整理しないと全体像がわからない。組織も顧問団もない。俊鶻丸の経験が生かされていないのである。

そうした私なりの理解が、『わが友、第五福竜丸』には、取り入れられている。

 

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燐光群『わが友、第五福竜丸』座高円寺公演、

11月22日(水)14時の回のアフタートーク・ゲストは、

NHKディレクターの、奥秋聡さん。

2013年ETV特集「海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸~」には、たいへんな刺激を受けました。

「俊鶻丸」の存在に出会えたのは、奥秋さんの御陰です。

そして、今回の創作にあたっては、刺激的なお話を、たくさん聴かせていただきました。

アフタートークでお話しできることが、たいへん楽しみです。

 

 

奥秋 聡(おくあき さとる):プロフィール

NHKディレクター。

1974年神奈川県生まれ。1999年NHK入局。

静岡放送局在籍時にビキニ事件を取材。
2013年ETV特集「海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸~」を
制作、その内容を書籍にもまとめた。
これまでに制作した番組
ETV特集
「あとにつづくものを信じて走れ~井上ひさしさんが残したメッセージ~」
「関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか」
「久米島の戦争 なぜ住民は殺されたのか」
こころの時代
「死者は沈黙の彼方に 作家・目取真俊」など

 

燐光群『わが友、第五福竜丸』上演情報です。

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