Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

さようなら、木下優子さん

2017-05-29 | Weblog
木下優子先生が亡くなられました。
ガンで闘病されていたことはご本人から伝えられた方もおられたと思います。連絡が取れなくなったという声が多かったのですが、親戚のご実家のある長野で療養されていたのです。
ご存じない方が多いということで、やはり関係の皆様にはお伝えしておいた方がいいだろうと思い、記します。
2016年10月31日、享年47歳でした。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

木下優子先生は、日本大学医学部附属板橋病院の外来医長、専門は東洋医学科、漢方を中心とした緩和ケアでは第一人者でした。
2015年夏。信州の講演先で吐血され、信州大学へ救急搬送されたそうです。
胃がんとわかり、一年余りの闘病生活でした。

この春、東京に戻られた御母様とやっとお話できました。
優子さんの娘さんは幼稚園年長組です。私が育てられる間はがんばります、と御母様はおっしゃっています。この春からは祖母と孫の二人暮らしということです。

木下先生は、燐光群の「主治医」を名乗り、劇団周辺の人たちの健康面について、さまざまにフォローして下さいました。
私が俳優座に書き下ろした緩和ケアについての劇『スペース・ターミナル・ケア』(演出・栗山民也)では、取材のみならず、俳優やスタッフに、惜しみなくレクチャー・指導をして下さいました。
医学界での公開講座・ワークショップ等に、演劇人を登用して下さいました。
永井愛さんの父・永井潔さんの、お亡くなりになる前の入院についても、尽力して下さいました。
いつも明るく、行動的な方でした。
「ハンドパワー」の持ち主でした。
勤務するがん病棟には児童の患者もいて、幼い死に心を痛めることも多かったようです。

思い出すことは多いのですが、本当に残念です。

本当に、ありがとうございました。


写真は、今月、ラマレラの、日没直後の「月の出」。満月の夜。
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1 コメント

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木下先生 (ひろみ)
2019-02-19 13:06:09
突然のコメントすみません。
私は以前木下先生に北里大学時代にお世話になったものです。
板橋の病院に移られたというのは、風の頼りに聞いていて、今回別の病気が発症したので、再度先生にお世話になろうとインターネットで検索し、この記事を読ませていただきびっくりしている次第です。
同性同名ではないかと今でも疑ってしまいます。漢方、女医、板橋、北里というようなワードで検索すると、いくつか同じような記事が。
先生にかかって病気が完治しなのに、とてもお世話になったのに、感謝の言葉も伝えず、本当に亡くなってしまったのでしたら、とてもショックです。
同姓同名であってほしいと願うばかりです。
未だ信じられません。

突然のコメントで取り止めもなくてすみません。記事をアップしていただいてありがとうございます。
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