黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

八木宿本陣跡と雲上山龍善寺

2021-08-03 17:07:26 | 下野国

ひめちゃんと獅子丸は、いつもとは逆回りに、岩神沼を目指します。

道ばたのマリーゴールドが花盛りです

ホウセンカも咲き出しています。

 

西から高縄の摩崖仏裏を通ります。

見ようによっては牛石とも言えそうな巨石です。

その巨石をまた桜の巨木が覆っています。

この桜の木が、風雨から摩崖仏を護ってきたのかもしれませんね

 

岩神沼の方に下ります。

沼は静かで、赤城山の全くその姿を見せません。

 

葛塚城堀切後を通って帰ります。

以前は田んぼだったような気がしますけど、現在はガマの穂が生い茂っています。

 

タバサねーちゃんと小次郎パパがやって来ます。

2人はこれからお散歩です。

バイバイ、先に帰ってるね

 

 

 

(7月8日)

母衣輪神社に行く途中、八木宿本陣跡の大きな看板がありました。

ぜひ訪ねて帰りましょう

 

駐車場はなさそうです。

信号の角だし、急遽近くのお寺に駐車です。

 

入り口には、かわいい六地蔵です

ちょっと失礼して駐車させて頂きます。

 

落ち着いた本堂です

 

かわいい六地蔵です。

合掌

 

阿弥陀三尊かな?

合掌

 

奥には、秋田犬?

番犬ご苦労様

 

木造の阿弥陀三尊像が、足利市の重要文化財なのですね。

さっきの阿弥陀三尊は、この重要文化財のレプリカでしょうか?

 

さて、せっかくだから御朱印を頂きましょう

本堂の隣・庫裏を訪ねますけど、お留守のようです

この方は、どこかでお目にかかったことがあるような気がします

 

そのまま、東に出られそうです。

本陣跡に行けそうです

 

振り返って、門柱です。

浄土宗西明院、雲上山龍善寺です

 

 

信号の向こうが、八木宿本陣跡です

あれ、道標があるだけです

でも、ここが例幣使街道・八木宿本陣跡だったのですね

京都からやって来た例幣使は、ここを通って日光に行っていたのです

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例幣使街道八木宿鎮守・母衣輪神社

2021-08-02 15:48:45 | 下野国

ひめちゃんと獅子丸は、少し早めに朝のお散歩に出ました。

岩神沼には、誰もいません。

岩神様、高縄の摩崖仏にもちょっと寄ります。

最近は、狭いながらもなんとか通路が確保されています。

おはようございます

みなさん、お元気のようです。

でも、この覆い屋が出来る前は、直接風雨にさらされていたんですよね

長い間よくぞ耐えました

 

摩崖仏の裏を通って帰ります。

摩崖仏裏には、古墳の葺き石と思われる石がたくさんあります。

おや、紫の花が咲いてる

藤が返り咲いたんだね

 

 

 

7月8日、雨でした。

でも、日光例幣使街道・八木宿の母衣輪神社(ほろわじんじゃ)に出掛けてみました。

八木宿の信号少し東になります。

街道西の風景です。

街道東の風景です。

神社前のこの道は、日光例幣使街道です

 

 

村社母衣輪神社です

 

左手には、青い銀杏の葉が繁ります。

実もなってます

昔、実家にも大きな大きな銀杏の木々がありました。

毎年毎年たくさんの実を付けてくれました。

ある時切り倒され、今では実家もなくなりました

 

説明板があります。

いまだ樹勢盛んなのですね

 

 

少し奥右手に、大きなクスノキです

 

 

このすぐ南に、由緒がありました。

ちょっと見にくいですけど、

御創建は定かでないが、上古と推定され、由緒も詳らかではないが、倭建命が東国征討の砌に、この地に駐屯され、武具(母衣)を奉納し、天地神祇を祀り武運を祈願した神跡と言い伝えられる。

倭建命(やまとたけるのみこと)が、母衣(ほろ)を奉納したんですか

 

 

拝殿で参拝です。

左手に、大きな竜の額が奉納されています。

 

境内社、八坂神社です。

隣には、庚申塔がたくさんある稲荷神社です。

 

ここは日光例幣使街道・八木宿の鎮守、母衣輪神社です

 

八木宿は、八木節の八木宿です

帰りは、例幣使街道を西に帰ってみましょう

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ポット苗の菖蒲園(あしかがフラワーパーク)

2021-07-12 20:25:09 | 下野国

お日様が元気な朝です

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

後ろ姿で失礼します。

久しぶりに、赤城山がはっきり見えます。

晴れて気持ちいいね

でも、もう暑いよ

早く帰って朝ご飯にしましょう

 

 

 

 

6月18日、もう有名な大藤の季節は過ぎていましたけど、あしかがフラワーパークに出かけました。

桐生市役所の横の道、県道67号線をひたすら東に行きます。

 

足利に行くときは、いつも古印最中(こいんもなか)も調達します

織姫神社の前、古印最中店舗横に、小さな織姫神社です。

ジャストタイムだと、織姫様のお出ましがあります。

残念、今回も時刻が合いませんでした。

 

67号線をひたすら東に走ります。

表示に従って右折し、迷うことなく到着です

 

正面ゲートから入場です。

ポット苗の菖蒲園がお出迎えです

店内の出口で入場料を払います。

 

フラワーパークならではの風景がお出迎えです。

園内マップもあります。

まあ、あまり気にせず、気の向くままに散策です。

 

あれ、園内もポット苗の菖蒲園です

でも、全く違和感なく、菖蒲園を堪能です

特別な品種はないけれど、十分満足の風景です

 

花が終わった藤棚は、ライトアップの用意がしてあります。

なんとなく、藤の花の下にいる気分です

いつか藤の満開時に来たいなあ

 

池にはスイレンです。

蓮でないところがミソなのでしょう。

目立ちすぎない紫陽花とよく似合います。

清らなスイレンの花です。

 

藤棚と紫陽花と菖蒲、いい感じでコラボしてます

 

さりげなく紫陽花の鉢植えです。

新しい品種かな?

周囲によく馴染んでいます

 

バラのアーチです。

1番花が終わって、2番花かな?

 

百合のポット苗です。

出番待ちかな?

 

池の中の花山、どうやって植え付けるのでしょう?

 

元気にクレマチスです。

この品種は、ひめちゃんちでも元気に咲いています

こちらもクレマチス、変わった形です。

藤色のソフトクリームを食べた、休憩スペースにありました。

ソフトクリーム、おいしかった

 

「あしかがフラワーパーク駅」を確認しながら帰ります。

藤の花を踏みしめて、フラワーパークにやってくるのですね。

藤の花の季節には、電車で来るのも良さそうです。

藤の花の季節にも、ぜひ訪問したいものです

 

 

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狛犬3代・網戸城趾の網戸神社

2021-05-17 20:34:26 | 下野国

夕方、ひめちゃんは小次郎パパと、南の方にお散歩です。

すっきり晴れませんでしたけど、雨は降りませんでした。

 

ひめちゃんちでは、バラが満開になってきました。

過酷な条件の中、咲いてくれたバラを紹介しなければなりませんね。

今日は、とりあえず、今一番きれいに咲いているイングリッシュローズ・ザピルグリムです。

たくさんの花と花芽を付けています。

 

 

寒川尼の墓から少し行くと、網戸神社(あじとじんじゃ)です。

鳥居の脇に、「網戸城跡」の説明板があります

築城は鎌倉時代(1185-1333)の初めで、初代城主は網戸十郎朝村です。結城家出身で、父は結城朝光、寒川尼(小山政光の妻・頼朝の乳母・地頭職)を祖母とし、結城家領の網戸郷を治めました。~(中略)~城趾には網戸神社・旧網戸小学校・称念寺(寒川尼と朝村の墓所)があります。

さっきの寒川尼の墓も、網戸城趾の内なのですね。

 

おや、社務所の前に、猫がいます。

かわいい

「こんにちは ここの猫ですか?」

「いいえ、近所の猫らしいです。」

「御朱印をお願いします。」

「どれにしますか?」

たくさん種類があって迷いましたけど、2種類お願いします。

待っている間に、境内を散策です

 

拝殿で参拝です

おや、狛犬がたくさんいます。

3組、それぞれ個性的です。

 

左の方々です。

一番小さな狛犬が、最も古いのでしょう。

このシッポ、どこかで見たことあります。

ある時代には、狛犬のシッポをこんな風に直立に作ったのでしょう。

狛犬らしくない容貌です。

 

反対側、右側の狛犬です。

この顔は、どこかで見たような気がします

やはりシッポが直立です。

向こうに力石があります。

ええッ、「鎌倉時代阿志土朝村愛用の二ッ石」ですって

 

 

拝殿の左・稲荷神社にも、狛狐3代です

 

 

左の3名様です。

やはり、作られた時代が違うようです。

 

右の方々です。

狛狐さんたちに見守られながら、2礼2拍1礼です

 

網戸神社の由緒があります。

当社の祭神田心姫命(水運の神)をいつの頃勧請したか未だ明らかでないが、社殿の再建は平城天皇の御代大同元年(西暦806)10月28日である。

後は、ちょっと読みにくい

 

 

社務所の方から声がかかります。

「御朱印ができあがりました。」

 

猫ちゃん、まだお手伝い中です

たくさんの御朱印の中から、今回いただいた御朱印です。

田心姫命、田と心で、思川の思になります

思川の名の由来という説もあるようですね

 

 

 

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女地頭・寒川尼の記憶

2021-05-16 15:43:56 | 下野国

今朝は、どんよりとした今にも泣き出しそうな空でした

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

 

岩神沼には、いつものカモさんはいませんでした。

お客さんのカモさんです。

深く垂れ込めた雲に、赤城山は西の端をちょっとだけ見せています。

 

雨だと夕方の散歩が短くなるので、今のうちに足を延ばしておきます。

 

上の新沼(しんぬま)に到着です。

水位がずいぶん下がってます。

でも今朝も、アオサギとシラサギがいます

さてシャッターチャンスを狙いましょう

ところが、自転車のライダーズが4、5名ほどやって来ます。

ひめちゃん達が事故に遭わないように除けてるうちに、シャッターチャンスは去ってしまいました

 

ついでだから久しぶりに隣の童沢貯水池(どうざわちょすいち)も見ておきましょう。

やっぱり、カモさん少ないです。

赤城山には雲が垂れ込めています。

一級河川蕨沢川(わらびさわがわ)は、ここから流れ出しています。

ひめちゃんたちは、蕨沢川にかかる2番目の橋・くるみだはしを渡って帰ります。

 

橋のたもとの竹藪の中に、石宮があります。

秋葉宮、愛宕宮、水神宮とあります。

山火事があったり、蕨沢川が氾濫したことがあるのかな?

 

ひめちゃんの背中のハゲは、ほとんど目立たなくなってきました

早く帰ろうよ

そうだね、お腹すいたね

 

堀之内に戻って、巨大なポピーに元気をもらって帰りました。

 

 

 

 

乙女河岸跡から、乙女大橋を渡って、思川沿いに北上します。

 

石造物がまとまってます。

向こうの土手は、乙女河岸跡の対岸少し北の網戸(あじと)河岸跡辺りです。

延命地蔵です。

合掌

寿命延びるかな?

こちらは、文字が削られています

でも、見ざる・聞かざる・言わざる、かわいい

 

 

網戸神社の参道脇に、寒川尼(さむかわに)の墓です。

大きな石碑がありますけど、全くと言っていいほど、判読できません

真ん中の一番大きいのが寒川尼の墓標のようです。

当山開基の文字が見えます。

寒川尼は、この寺を開基したのでしょう。

 

ウィキペディアによれば、

宇都宮氏や小田氏の祖、八田宗綱の娘で京都で生まれたと思われる。女房として近衛天皇に仕えた経歴を持っていたという。頼朝の乳母の1人となり、やがて小山政光の後妻となったと考えられる。

治承4年(1180年)8月の頼朝による半葉池の挙兵時、大番役で当主政光が在京中であったため、寒川尼は10月に当寺14才の末子(朝光)を伴って武蔵国隅田宿の頼朝の宿所を訪れた。尼は頼朝と往時を語り、末子を側近として奉公させたいと願い、頼朝は自ら烏帽子親となって元服させ、末子は小山七郎宗朝と名乗った(のち朝光に改名)。夫の不在中は妻がその権限を取り仕切るのが慣習であり、この尼の行動によって下野最大の武士団小山氏が頼朝側についたことになり、このことは北関東の武士団の去就に決定的な影響を与えたと見られる。寿永2年(1183年)2月、小氏氏の参戦により、頼朝方は野木宮合戦で勝利する。

文治3年(1187年)12月、寒川尼は「女性たりといえども、大功あるによる也」として下野国寒川郡ならびに網戸郷の地頭職に任ぜられ、女地頭となった。

すごい女性だったんですね

 

野木宮合戦の勝敗に、大きな影響を与えたんですね。

彼らが戦った相手の中に、足利俊綱・忠綱父子がいたのです。

忠綱は、上野国山上に潜伏した後、山陰道に落ていったともいいます。

その忠綱が潜伏したのは、ひめちゃんちのある上野国山上の葛塚城(くずづかじょう)だとも言われています。

 

奇縁ですね

 

石造物は集められた感じもします

向こうに回ってみます。

 

新しいお地蔵様が2体有ります。

合掌

大きな忠魂碑です。

ムム、希典(まれすけ)書ですって

乃木希典さん、いろいろなところに筆跡残しています。

戦場で指揮するだけでなく、戦死者を弔う気持ちも、しっかりお持ちだったんですね

 

ここには、小さいながらも現役らしい堂于があります。

地図では、ここは称年寺とでます。

廃寺ではなく、どこかの寺が兼務しているのでしょう

 

すぐ裏の網戸神社を目指します

 

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