黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

笠塔婆を訪ねて(上大島安養寺跡の笠塔婆と怖い馬頭観音)

2021-11-25 18:34:25 | 群馬県・中毛

今朝は、獅子丸が第1陣のひとり散歩で、堀之内を西に出て、山上の薬師の道を歩いてきました。

最近、ちょっと小次郎パパに似てきたかな?

 

薬師様の向こうは、ブロッコリー畑です。

遠くに見える浅間山は、白いです

本格的に降ったようです。

今朝は寒かったものね。

 

 

 

ひめちゃんちのある旧新里村には、行仙上人がいたという雷電山の東麓に、中世の笠塔婆(かさとうば)が2基あります。

でも、笠は失われていて、笠塔婆とはどんなものか、想像するしかありません。

でも、よく想像できません

いろいろ検索すると、最近よく行っていた高崎のイオンモール南を下ると、安養寺跡の笠塔婆があります。

 

同名の安養寺は新里にもあり、また実家の近く(太田市安養寺町)にもあります。

 

11月14日、安養寺に惹かれて、上大島安養寺の笠塔婆に逢いに行ってきました。

 

上大島安養寺は、現在高崎市上大島町公民館になってます。

公民館をナビに入れて、迷うことなく到着です

会議でもあるのでしょう。

地域の方が集まっているようです。

 

静かに、笠塔婆に面会です。

公民館の前の方に、ありました

新旧の説明板があります。

笠塔婆としては、県内最古のものなのですね

 

正面に阿弥陀如来像が半陽刻され、向かって右面に不動明王像、左面に毘沙門天像が線刻されている。正面下部には、「文永元年大才甲子(1264)四月廿九日願主沙弥西佛敬白」の銘がある。西佛は安養寺ゆかりの在家信者と思われる。

 

ここは榛名町だったのですね

 

ちょっとお顔が変かな?

合掌

下部を確認です。

説明板の文字のように見えます

 

右の側面には、なんとなく不動明王が見えます

隣にも、不動明王がおいでです。

 

左の側面も確認です。

毘沙門天ということですね。

 

あらためて合掌

 

 

隣には、石仏群です。

ちょっとお顔が痛々しい方々もいます。

合掌

 

 

少し離れた所にも、石仏群です。

大きな馬頭観音と、その隣に丸い小さな馬頭観音です。

共に大正時代のものです。

馬頭観音以外にも、いろいろな方がいるようです。

穏やかなお顔が印象的な如意輪観音です。

こちらも、穏やかなお顔のとんがり帽子が似合う如意輪観音です。

みなさんに、合掌

 

笠塔婆の道を隔てた民家の庭にも、安養寺の遺物かな?

 

雷電山の笠塔婆、笠を想像しながら訪問できそうです

さようなら、ありがとう

 

 

帰り道、さっき気になった路傍の石造物に、こんにちは

双体道祖神と、馬頭観音です。

合掌

 

おや、道の反対側にも、馬頭観音です。

合掌

 

側面に文化11年(1814)とあります。

自転車に乗ったおじさんがやって来ます。

 

「こんにちは

「こんにちは この石仏は、ちょっと怖い話があるんだよ。ほら、割れているだろう 昔はもっと道ばたにあったんだ。道路工事でここに移転したんだけど、道ばたにあった時、タクシーがぶつかったんだ タクシーの運転手は、その時に割れたのと同じ所が動かなくなっちゃったんだそうだ

 

右肩から右足にかけての外側が、割れています。

右肩から右足にかけて、動かなくなっちゃったということかな

 

「ありがとうございます。気を付けて帰ります

 

榛名山が迫って見えます。

ここは、群馬郡榛名町でしたね。

 

もう一ヶ所、笠塔婆を確認して帰ります

 

(つづく)

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村社・日枝神社と明治の馬頭観音

2021-09-27 15:01:59 | 群馬県・中毛

昨日の朝、ひめちゃんと獅子丸は堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうの高台を歩いてきました。

神社に戻って、返り咲きのツツジとコラボです

何本ものツツジが返り咲いてます

少し小ぶりの感じはありますけど、返り咲きと言うには十分過ぎるほど、多くの花を付けました

小次郎パパとタバサねーちゃんも、やって来ます。

みんなで一緒に帰りました

 

 

 

 

善勝寺の隣に、クラシックな神社があります。

鳥居の額は、「天神宮」です。

社殿の額は「日枝神社」です。

りっぱな額です。

猫絵の殿様・岩松さんの書ではありませんでした。

2礼2拍1礼で参拝です。

 

横から眺めても、超クラシックな社殿です。

 

石造物も少しあります。

明治26年2月吉日と読める馬頭観音です。

こんにちは

頭上のお馬さんのお顔がはっきり分かります

合掌

 

明治の馬頭観音、ときたまお目にかかります。

地方で近代的な交通網になるのは、もう少し先なのでしょう。

ひめちゃんたちのお散歩コースでも、2体明治の馬頭観音を確認しています

 

鳥居脇の植え込みの中に、日枝神社の説明板です。

創建は明らかで張りません。しかし、天台宗の寺院と日枝神社はとても深いかかわりがり、平安時代に建立された天台宗善勝寺の鎮守として建てられたと考えられます。

 

では、鳥居の額はなぜ天神宮なんだろう?

重なり合った葉っぱの間に、村社日枝神社の文字が見えます。

明治期に近隣の神社を合併して、端気村(はけむら)の村社になったのでしょう。

 

善勝寺の駐車場に戻ります。

思いがけず、もりだくさんの「ぜんしょうじ」参拝になりました

善勝寺大仏を見ながら、さようなら善勝寺です

 

 

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その名は善勝寺・その4(新しいお寺のあり方?)

2021-09-25 12:25:14 | 群馬県・中毛

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

おや、後ろからタバサねーちゃんと小次郎パパがやって来ます。

どこまで行くのかな?

ひめちゃんたちは、岩神沼に到着です。

誰もいないね

 

沼の脇の田んぼ、稲刈りの準備が始まっていました。

 

高縄の摩崖仏にも寄ります。

彼岸花は、ちょっと盛りを過ぎました。

高い所においでの馬頭観音の下、空洞があります。

どうも石仏があるような雰囲気です

摩崖仏は、近年覆屋が出来るまで700年もの間、野ざらしで風雨にさらされてきたんですね

合掌

 

 

 

(善勝寺)十六羅漢さまの奥に、薬師堂があります。

ここに、霊場本尊の薬師様がおいでのようです

中はうかがい知ることは出来ません

「関東九十一薬師霊場 第四十一番札所 石龕薬師如来(せきがんやくしにょらい)」とあります。

石仏の薬師様かな?

合掌

 

斜め前に、新しい石仏がおいでです。

薬師様の代役かなと思いきや、こちらは「関東百八地蔵尊第二十三番 延命地蔵」とあります

霊場本尊でした。

確かにお地蔵様です。

最近鎮座されたのでしょう

合掌

 

 

庫裏に寄って御朱印を頂きます

3種類ありました。

霊場の御朱印2種と、ご本尊・鉄造阿弥陀如来の御朱印です。

 

 

帰りがけに、手水舎隣の不動明王が気になります

龍がすごい

本来は第二の手水舎として建立されたかな?

でも、時節柄ちょっとお休みのようです。

水が流れていたら、いい雰囲気だったことでしょう

合掌

 

 

善勝寺大仏を見ながら、善勝寺にさようならです

まるで、仏教テーマパークのようで、楽しく参拝できました

石造物や堂宇は古くはないけれど、嫌みなくお寺の雰囲気でした

仏教の雰囲気に触れて御朱印をいただく、新しいお寺のあり方かも知れません

 

 

さて、向こうに見えるクラシックな神社にも参拝していきましょう

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その名は善勝寺・その 3 (石から生まれた羅漢様)

2021-09-24 16:07:15 | 群馬県・中毛

昨日の夕方、ひめちゃんは、久しぶりに、獅子丸&タバサねーちゃんとお散歩に出ました。

取り残された小次郎パパは、1人寂しくお散歩です。

夕陽を受けて、みんなが帰ってきました

みんなご機嫌です

この道の左は字・塚越(あざつかごし)、右が堀之内です。

たまには、このメンバーのお散歩もいいね。

おや、向こうからライバル・黒柴デナちゃんがやって来ます。

ひめちゃんとタバサねーちゃんの腰つき、楽しく臨戦態勢です。

アタチの方が強いんだぞ

何言ってんのよ、アタチの方が強いのよ

 

バイバイ、またね

 

 

 

善勝寺・山門に到着です。

門の脇に、本尊・鉄造阿弥陀如来の説明板です。

ちょっと見にくい

要するに、「鎌倉時代の仁治2年(1241)に鋳造されたけれど、戦国時代の永禄年間に戦を避けて地中に埋められた。その後発見されて、善勝寺に納められた。」と言うことのようです。

まあ、よくぞご無事で

 

関東百八地蔵第第二十三番札所、関東九十一薬師第四十七番札所のポールがあります

御朱印がありそうです

 

山門の仁王様は、ガラスの向こうで、お姿映りにくい

でも、新しそう

 

山門をくぐると、水子地蔵と慈母観音です。

こちらも、古くなさそう

鐘楼堂も、古くなさそうです

でも、みんなまわりの風景に、やさしく馴染んでいます

 

本堂は、耐火建築の現代的建物です

ガラスの向こうの、ご本尊様に合掌

 

 

さて、本堂の周りを散策です。

 

勝道上人の像があります

蓮の花を持った大きな聖観音もあります

 

 

あれ、羅漢さんだ

 

十六羅漢様、どこかでもお目にかかりましたけど、かなり大きめかな?

石から生まれたイメージで、元の石が残されているのはいいですね

 

途中に何故か赤ちゃんを抱いた観音様

 

また羅漢さんです

みなさん、石から生まれたんですね

もとの石の感触が残っているのが、とてもいい感じです

 

自然と仏の道を歩きました

 

 

あれ、札所の仏様は何処だろう?

御朱印をもらって帰るには、お参りしなくては

 

 

(つづく)

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その名は善勝寺・その 2 (『上野国志』の記憶)

2021-09-23 14:41:34 | 群馬県・中毛

ひめちゃんちの近所で、稲刈りが始まりました

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、新沼&童沢貯水池を目指します。

途中の牧場、乳牛の皆さんは、朝ご飯中でした

新沼には、誰もいません。

隣の童沢貯水池はどうかな?

あれ、ミドリ沼が解消に向かってる

澄んだ水の向こうに、カモさん達がいます。

サギさんたちの姿はありません。

テリトリーのパトロールに行ったかな?

 

 

 

かわいい十二支とお地蔵様にさようならして、奥へ進みます

ここは墓地を整理したようです。

古い石造物の間を通って、山門へ行きます。

 

 

実は、『上野国志』(安永3年1774刊)の著者、世良田の毛呂権蔵(もろごんぞう)もやって来ています

 勢多郡 善勝寺
端気村にあり、天台宗長楽寺の末寺なり、太治四年聖慶法師と云もの、醫王善逝の像をこゝに安置す、當寺未だ寺院あらず、只堂守の僧のみ、正嘉二年天台僧覚心、堂に主たり、曾平時賴この所に来りて談話して、甚だ相諧ふ、便田壹町を寄附す、永享三年僧圓祐再造寺院、得聚山慧雲隠自親寺と號、従此寺主相続す、天文年中厩橋城主長野左衛門尉名を善勝寺と改む、永禄五年、厩橋城代北條高廣艮場山と名づく、堂前に櫻樹二株あり、巨木なり愛すべし、斎田参拾伍石、

世良田・長楽寺の末寺だったのです

「太治四年聖慶法師と云もの、醫王善逝の像をこゝに安置す」、大治4年(1129)聖慶法師が、醫王善逝(いおうせんせい・つまり薬師如来)像を安置した事が、この寺の始まりと書いてます。

鎌倉幕府の執権・平時賴(北条時賴)がやって来たともあります。

天文年中(1532~1555)に、厩橋城主・長野左衛門尉が名を善勝寺と改めたとあります。

そして、永禄五年(1562)、厩橋城代・北條高廣が艮場山と名づけたとあります。

大きな櫻の木が2本あって、「愛すべし」といいました。

まだあるかな?

 

 

古い石造物の間を散策です。

古い石造物は、この一角だけのようです。

毛呂権蔵『上野国志』の記憶は、ここら辺だけのようです

 

 

山門を目指します。

途中は観音様の道です

古くはないけれど、みなさん慈悲深くたたずんでおられます

出口付近には、かわいい六地蔵です

出口には、ドデンと大きな観音様です

蓮の花をお持ちなので、聖観音かな?

 

観音様の道を振り返ります。

合掌

 

さあ、山門です

 

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