黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

愛しの青面金剛(奥沢・東昌寺の謎)

2020-04-14 21:38:02 | 旧勢多郡とその周辺・総集編

晴れたけど、寒い朝でした。

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

赤城山は吹雪いています

寒いわけです。

北の方を歩いてから、諏訪神社に向かいます。

通勤ラッシュでしょうか?

車の通りが激しくて油断がなりません。

 

やっと神社に着きました

大きな舞台があります。

かつては、旅役者がやって来て、いろいろ演じたのだそうです。

階段を降りて、鳥居をくぐって帰ります。

ひめちゃん、桜の花びらのじゅうたんを踏んでます

ひめちゃん、ちょっと横向きになってしまいました。

でも、きょうだいともに、基本的に前向きで、一段一段降りました

振り返った階段です。

ちょっと薄いけど、桜の花びらのじゅうたんです

西の方、つつじの向こうには、妙義山が見えます。

葛塚村は、赤城・榛名・妙義の上毛三山が見えたのです

 

 

 

「黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅡ」は、yahooブログにありました。

今では存在しないそのブログの中に、リメイクして残しておきたい記事があります。

総集編という形で、いくつかアップしています。

 

ひめちゃんちのあたりは、かつては群馬県勢多郡です。

「旧勢多郡とその周辺・総集編」をカテゴリーとして、また、いくつかの記事をリメイクして残したいと思います。

地元を見つめ直してみますので、よろしくお願いします

 

先日、梨木温泉の桜に感動しました。

温泉の脇には深沢川が流れ、その下流には正円寺・深沢城があります。

正円寺とその末寺・東昌寺の記事があります。

 

 

(2018年9月1日)

(桐生市新里町)奥沢の東昌寺が、(桐生市)黒保根の正円寺の末であるという情報を得ました。

ここには、記憶に残る青面金剛があります

廃寺ではないかと勘違いする人もいるほど、奥まったひっそりした寺です。

久しぶりに訪れてみました。

車がやっと通れるくらいの細い参道です。

今日は、またお邪魔します

 

誰が見ても一目でわかう、りっぱな青面金剛があります

月と日があり、手には武器を持ち、力強く邪鬼を踏みつけています。

そうすると、一番下で支えているのは、邪鬼ではありません。

ヒイキでしょか?

龍の出来損ないの息子ヒイキが踏みつけられている仏像を見たことがあります。

朱が残っています。

 

その隣も単なるお地蔵様ではなく、もしかしたら地蔵型の庚申塔かもしれません。

残念ながら、「庚申」の文字は発見できませんでした。

 

堂宇は、この階段を登らなければなりません

階段脇には、イノシシ捕獲の罠を仕掛けた檻がありました。

 

堂宇は新しいです。

 

堂宇の脇にも、りっぱな庚申塔です。

側面は、蓮の花かな?

 

奥に和尚さん達のお墓があります。

確認できた一番古い年号は、元禄です。

確認できた一番新しい年号は、明治です。

 

明治の時にまとめられた『上野国寺院明細帳』に、信徒5名とあったような気がします。

どうしてこの寺が今日まで維持されているのか、とても知りたくなりました

 

獅子丸家(獅子丸が養子に行っていた家)が運営していた長安寺は、もう少し信徒があったと思います。

実家の一族が大本家を中心に営んでいた成就院は、20数名の信徒がありましたけど、大正時代に世良田の普門寺に合併しています。

 

東昌の本寺、黒保根の深沢城趾にある正円寺に向かいます

 

 

 

 

 

 

 

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