ひめちゃんとタバサねーちゃんは、久しぶりに堀之内を北に出ます。
ひめちゃんが20年来の北に出る道で2回怪我をしてから、遠回りで北に出てます。
サルビアの咲く道を通ります。
サルビアって、案外花期が長いんだ
お久しぶりの岩神沼です。
誰もないと思ったら、奥の芦原の辺りにカモさんの姿があります
ひめちゃんは、ちょっと険しい顔をしています
いいお天気になりそうだし、タバちゃんお出かけで、アタチは置いてけ堀になりそう
今日は、ひめちゃんも一緒にお出かけしよう
ひめちゃんとタバサねーちゃんは、赤堀(伊勢崎市赤堀町)の小菊の里に行ってきました
ひめちゃん、小菊の里にお出かけできました
あちこちのカテゴリーに散らばった、上野国山上の行仙上人著『念仏往生伝』関係の記事を、集めて編集中です
鎌倉時代に上野国山上(こうずけのくにやまがみ)にいた行仙上人(ぎょうせんしょうにん)の著「念仏往生伝」に、小松新左衛門尉国頼(こまつしんさえもんのじょうくにより)の往生譚があります。
日本思想体系『往生伝法華験記』(岩波書店)の中の「念仏往生伝」第48話の最初には、小松[見セ消チ、「柴」と傍書]とあります。
そして彼の往生の様子は、かなり詳しく書かれています。
行仙上人との交流もあったと思われます。
したがって、名前を間違えるはずがありません。
けれども、何かの事情があって、小松では都合が悪くなった。
つまり、本来は小松新左衛門尉国頼が、「念仏往生伝」第48話の主人公です
そして彼の往生の後、
又没後七日々々夜間。必有音楽。就中行仙当四七日之忌辰。於窪井本房聞之。凡隔本拠十四五里。是仏不思議力歟。
(また、亡くなってから49日までに、七日七日の夜間に必ず音楽が聞こえました。
私・行仙は、4度目の命日の七日(28日目)に、窪井の私の房(部屋)でそれを聞きました。
14、5里の距離がありますけど、これは仏の不思議な力に因るのでしょうか。
山上から14、5里(50~60km)くらいの所に、小松新左衛門尉国頼はいたはずです。
小松が名字の地だとすると、何処だろう?
最近、羽生市小松の小松神社が、山上から14、5里(50~60km)くらいにあることを知りました。
小松新左衛門尉国頼の記憶を訪ねて、羽生市小松の小松神社あたりにいってみよう
グーグルで検索すると、国道17号線(上武道路)経由が1時間ちょっとです。
では、そのルートで行こう。
(2021年)3月16日、羽生の小松神社を目指します。
ところが、車のナビは2時間強の到着時間を出します
変だなと思いつつ、県境の新上武大橋にいたると、大渋滞です
新上武大橋を渡るのに1時間、こんなことは初めてです
その後は、わかりやすい道だったので、難なく到着です
真っ赤な鳥居、元気になります
羽生領総鎮守なのですね
鳥居の横にお堀があります。
その先にお堂があります。
弁財天、弁天様です。
すごい
花や生き物が生きてます
鳥居前に戻ります。
文化財の説明板です。
神仏習合時代の仏像もあるんですね
アマビエですね
鳥居をくぐって、太鼓橋を渡って、拝殿目指します。
左の方に、小さな墳丘があって、何様か祀られています。
後でお参りしまーす。
開け放たれた拝殿です
2礼2拍1礼で参拝です。
あれ、アゲハチョウの平家の紋所があります
由緒書きもあります。
日本武尊が東征途中、ここに祠を建ててイザナギ・イザナミを祀ったんですね
平貞盛・藤原秀郷も平将門討伐祈願したんですね
小松内府重盛(平重盛)が没した後、小松大明神として祀られたんですね
銀杏が目印として植えられたんですね
境内の案内図もあります。
「御朱印は社務所へ」とあります。
じゃあ、御朱印を頼んでおきましょう
社務所で御朱印を頼んで、散策を続けます。
それでは、小松大明神に参拝です
不思議なご縁で参拝しました
御神木の大銀杏、葉が金色に色づくころは見事でしょう
社殿の後ろを一回りします。
小さな石宮も大切に守られています
本殿も開け放たれているようです。
こちらには、イザナギ・イザナミの二柱ですね。
さっき、素通りしてしまった墳丘上の社に参拝です。
境内案内図だと、浅間神社です。
墳丘の下には、かわいい狐さんがいます。
不思議な稲荷様です
御朱印をいただきます。
やはり平家の紋所・アゲハチョウですね
ありがとうございます。
この辺りは、平家の荘園であったというお話を伺いました。
それで小松大明神をまつっているのですね
小松新左衛門尉国頼に、ご縁がありそうな空気です
山上から14、5里の、羽生領総鎮守小松神社に参拝できました