ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出て、天神田(字天神の田んぼ)を歩いてきました。
ナス畑に転身した田んぼもあって、外国人の姿が見られました。
ケンくんちの脇を通ります。
ひめちゃんは、一瞬寄ろうとしたように見えました
けれども、寄りませんでした。
ケンくんちの居間には、ケンくんのベッドが見えます。
去年の今頃、ケンくんちに寄った写真があります
大好きなケンくんちへの道、2人はランランです
今にして思えば、ちょっと元気がなかったかな?
今村城丑寅の方角、つまり鬼門にある14番・今村神社です。
石の鳥居が、3基あります。
二の鳥居の奥に、仁王門です。
愛宕山とあります。
仁王門の右に説明板です。
今村神社旧大鏡院仁王門は、寛政期(1789-1800)に建立されたと推測される、伊勢崎地域の修験寺院唯一の門以降で、市内に現存する建築の中でも比較的古い時期に属するものである。~(中略)~今村神社はかつて愛宕神社といい、明治40年(1907)に、大字内の諸社を合祀し今村神社と改称した。
200歳超えの仁王様ですね
右の仁王様です。
迫力ありますね
左の方は、少し紳士的に見えます。
何ごとも受け止めてくれそうな、大きな手です
こんな手の持ち主に廻り合いたいなあ。
奥に神社の由来がありますけど、よく見えません
ここは天台宗の修験寺院、愛宕山大鏡院で、修験者伊藤家が神社の別当も兼ねていた。
明治5年、修験禁止令以降、氏子の管理になった。
こんなことらしいです
階段を登って参拝です。
ここにも、由来記があります。
「鎮座地 伊勢崎市稲荷町字往還(あざおうかん)」とあります。
街道沿いということですね
日光裏街道沿いです
当社は往時愛宕堂(宮)といい、伝承に寄れば延応元年(1239)今から748年前領主那波政茂が領内に飯玉・三嶋・愛宕などの社殿を創建寄進し、愛宕堂は後の今村城の丑寅の守護神として、崇敬したといわれる。その後裔の那波顕宗が天正18年(1590)に出羽国で戦没するまで、那波家代々の守護を受けていたといわれるが、近世初めには天台宗聖護院門跡末(本山流)大鏡院(山伏)が別当として祭祀を継承していた。
今村城の丑寅の守護神の守護神だったのですね
コロナ対策ですね。
賽銭箱手前で参拝です。
2礼2拍1礼です
脇に廻ると、真っ赤な本殿が見えます
本殿は真っ赤赤の世界です。
神社って、赤の世界なんですね
拝殿脇は、石造物の山です。
道標もあります
字往還、日光裏街道沿いですものね
( 2021.02.28 記 )