ひめちゃんとタバサねーちゃんは、朝は一緒にお散歩です。
夕方、ハイシニアのタバサねーちゃんは近くをお散歩して、晩ご飯の後もう一回そこらまでのちい散歩です。
ひめちゃんは、南に下って中学校の信号まで行ってきます。
時には、もっと先の小学校近くまで行く事もあります。
一昨年の今頃は、タバちゃんも、ひめちゃんと獅子丸と一緒に元気いっぱいにお散歩していました
「きょうだい」って、いいね
今回は、日光裏街道を知るきっかけになった出合いです
初回にも書いてありますけど、大胡の部分だけ抜粋です
大胡宿と河原浜の道しるべを確認して北に進みます。
大胡町の町中に、目立つ道しるべがあります
先日、ちょっと駐車して確認しました。
「南 五料 伊勢崎」
「東 文化六己巳年六月 世話人 奥泉文平 江原忠兵衛」
え、五料って、あの日光例幣使街道の五料宿ですか
確かに距離はあるけど、南にありそうです。
「西 前橋 米野」
ちょっと見にくいですけど、「北 日光 大間々」です
どうして日光の表示があるのだろう
大胡町の文化財を検索すると、この道しるべがあります。
日光例幣使街道の脇道は、日光裏街道あるいは日光脇往還と呼ばれていました。その1つ、五料(現玉村町)から駒形、茂木を経て、大胡宿に入り、大前田、馬場、室沢、板橋(現桐生市新里町)を過ぎて神梅(みどり市)で足尾銅山街道に合流する街道は、平坦な本街道に比べて、道幅も狭く険しいながら、近道として利用されました。この道造に道しるべがあり、当寺の往来をうかがわせます。
日光裏街道の道しるべですか
新里の板橋も、日光裏街道が通っていたんですね
もう一箇所、「河原浜の道しるべ」があがってます。
「右桐生・大間々、左日光」と堂々たる文字が刻まれた幅34cm、奥行き18cm、高さ64cmの方柱の道しるべです。造立年月日、造立人などは記されていません。元は河原浜(旧向町)丁字路にありましたが、現在は向町会館に移設されています。
これは確認しなければなりません
昨日、用足しがてら、道しるべの確認と日光裏街道を辿って帰宅しました
信号待ちの車の中からの撮影です。
ちょっとぼけていますけど、ご容赦
向町の信号です。
最近はめったに通りませんけれど、昔はよく通りました。
右折します。
まもなく、右手に向町会館があります。
バス停は、向町公民館です。
狭いけれど、ちょっと駐車です。
ありました
確かに堂々たる文字で「左日光 右桐生大間々」と刻まれています
あの信号の角にあったのですね。
左日光は、だいたい県道333のようです
こちらから帰ってみましょう
最近、河原浜の道しるべを再訪しました。
お地蔵様のオガケが、真新しくなっていました。
菅笠(すげがさ)かぶって、お地蔵様も日光裏街道の雰囲気です
道しるべも健在でした
(2020.11.26投稿「南五料の謎」より抜粋、加筆)